02 優しいあなた
私の掌に収まるほどの、小さな丸い石。
小学生だった私が、修学旅行に行った時に拾ったものだった。
修学旅行。
半ば強制的に、数日間他人と行動を共にさせられる行事。
学生時代の思い出に、そう言って押し付けられる課外授業。
周りのみんなは楽しそうにはしゃいでいたけど、私にとっては悪夢の数日間だった。
自己を否定され、あくまでも集団の中の個としての存在しか認めてもらえない、思い出しただけでも身震いがする団体行動。
疲れ切った私は自由時間、近くの砂浜で過ごしていた。
一人になりたくて。
でも、そこにも大勢の級友たちがいて、楽しそうに遊んでいる。
私はみんなと距離を置き、ベンチで一人うなだれていた。
こんな地獄が、まだ何日も続くのか……そう思ってため息をついた私の視界に、ぽつりと佇む丸い小石が映った。
手に取り、掌に乗せて目の前に。
「……かわいい」
思わずそう、声に出していた。
石になんて、別に興味はなかった。でもその時私は、ほっとしたような気持ちになっていた。
考えてみたら旅行中で、笑ったのはこの時だけだった。
ポケットに石を入れ、この石と出会っただけで、この無意味な旅行は報われた、そう思った。
今、私の掌には、その石が乗っている。
自分でもよく分からないのだけど、なぜかこの石のことを気に入って、今までずっと、机の上に飾っておいたのだ。
物に対しての執着もない私には、断捨離も必要ない。
でももし、たった一つしか残せないと言われたら、この石を選ぶような気がしていた。
今、その石に語り掛けられている。
私は混乱した。
「あ、あの……あなたって、この石……なの?」
――そうだね。君にとってはそう見えるのだろう――
「私にとってって……じゃあ、本当は違うの?」
――私にとっては、君たちがそう認識している、そのこと自体に意味がないからね。私は私であって、何者でもない。ただ君にとっては、ただの小石に見えるのだろう。だからそれでいい――
「あなた……ひょっとして付喪神?」
――そうではない。付喪神というのは、人間が長い時間をかけて大切にしてきた物に、命が宿る者たちのことを指すのだろう――
「そうなんだ……私てっきり、ずっとあなたを大切にしてきたから、命が宿ったんだと」
――私は最初から私だよ。いつ、どうやって生まれたのかは分からない。ただ私は私として、ここにあるんだ――
「石に命が宿ってるだなんて……驚いた」
――君たちからすれば、そうなのかもしれないね。私は……いや、私たちは皆、こうして当たり前のように存在してる――
「私たちってことは、他にも仲間が」
――仲間……君たちがよく使う言葉だね。だが、少し違う。私は君たちの言うところの、命というカテゴリーに入らないのだからね――
「……そうね。だって命は、動物か植物にしか宿らないと思われてるから」
――私たちは皆、最初から存在している。ただ、認識は君たちとかなり違う――
「どういうこと?」
――例えば……そうだね。仮に真白が、今ここで体を二つにされたとする――
「とんでもない例えね」
――すまない。ただそうすれば、君は息絶えてしまう。そうだね――
「うん、そうなる」
――だが私たちにとっては、そうではないんだ。もし私を粉々にしたとしても、意識が途絶える訳ではない。また存在するだけなんだ――
「それって、あなたがたくさん生まれるってこと?」
――そうではない。ただ単に、存在するだけなんだ――
「やっぱりよく分からない」
――説明が難しくてすまない。君たちとは異なる概念で存在しているのでね、うまく伝えられない――
「じゃあ、あなたたちに自我はあるの?それともないの?」
――自我はある。現に今、私は私の意思で真白と話している。私を粉々にしたとしても、その意識はどこかにあるはずだ――
「……」
――逆の場合もある。私が、他の何かと存在を重ねられたとする――
「どういうこと?」
――そうだね、例えば……石は溶岩が冷えて出来る。その溶岩に私が取り込まれ、溶けて、また新たな石として存在したとする――
「ああ、そういうことね。ちょっと分かった」
――その石に私の意識が存在するかと聞かれれば、存在しないというのが正解になる。私の自我は、他のものと混ざり合ってしまうからね――
「やっぱりそうなんだ。でも、新しい存在にはなるのね」
――ああ。私という存在が、新しい存在へと生まれ変わる――
「分かるような、分からないような」
――無理に考えなくてもいい。真白はただ、今の私を認識するだけでいい――
「生きてて楽しい?」
――その質問に、どう答えるべきなのか……私たちに『楽しい』という概念はない。ただそこに存在する、それが私なんだ。君たちの言い方で言うなら、何も見えないし、何も聞こえない。ただ感じるだけ。私が日々していることは、内に向かって思考を巡らせる、それだけなんだからね――
「そうなんだ……じゃあ今、私と話してるのも、感じてるだけで聞こえてる訳じゃないんだ」
――私には聴覚器官も存在しない。ただ感じるだけだ。だから真白が今話している言葉と、そして真白の中にある思考。二つが重なり合って私に流れている――
「なんだか、凄いことをさらっと言われたような……でも、あなたがそう言うんならきっとそうなんでしょう。信じるわ」
――ありがとう、真白――
「それで本題なんだけど、そんなあなたが、どうして私なんかに話しかけて来たの?あなたに比べて遥かに弱くて脆い私に、どうして接触しようと思ったの?」
――私は存在した時から、全てに対して傍観者であり続けてきた。何物にも干渉せず、ただ見守り、観察するだけだった。そしてそれらを知識として、思索の海へと入っていく。それが私という存在なんだ。だが……不思議な感覚なのだが、真白と過ごした時間は、私にとってかなり心地いい物だったようだ。私は真白、君という存在を気に入っている。君たちの言葉で言うなら、愛しているのだと思う――
「あ、愛してるって、あなた」
――どうした?感情の乱れが伝わってきたのだが――
「あの、その……思春期の女子に向かってそんなストレートな言葉、動揺するに決まってるでしょ。もっとその……オブラートに包むとか」
――すまない、真白への賛辞として、これが一番ふさわしいと思ったのだが――
「直球すぎるの。そういうのはね、もっと時間をかけて、ゆっくり伝えてもらわないと困るの」
掌の小石の言葉に赤面している私。
周りから見れば、さぞかしおかしく見えるだろう、そう思った。