表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブックマン

作者: そうのすけ

書人ブックマンと呼ばれる亜人は、150年前に勃発した東方の戦争で捕虜としてこの中心帝国セントラルエンパイアへやってきた。書人は人間に似ているが、その外見は実年齢に比べて非常に老けて見える。生まれたときから白い髭が生えていて、3歳になると顔にシワが出てくる。しかし、彼らの最大の特徴は、生きている間はひとことも言葉を喋らないことである。業を煮やした奴隷商人が棍棒で背中を殴っても、うめき声ひとつあげないし、目の前で肉親が殺されても悲しそうな顔で涙を流すだけで、泣き声もまったくあげない。

それでも人間に言われた言葉はわかるようなので、しばしば肉体労働の現場に奴隷として徴用された。書人はあまり体力がなく、酷使するとすぐ死んでしまった。彼らは奴隷用の集合墓地にまとめて埋葬されたが、数ヶ月後に新しい死体を運んできた墓掘り人夫は、集合墓地に見たことのない植物が群生していることに気がついた。

書菜ブックベジタブルとのちに呼ばれることになるそれは、カブによく似た葉を地上に広げて、ついひっこ抜きたくなる姿をしていた。墓掘り人夫が試しにひとつひっこ抜いてみると、やはり白くでっぷりとした根菜が実っていた。

墓掘り人夫は書菜を家に持ち帰り、包丁で実を割ろうとした。すると、包丁の歯は途中でなにか堅いものにつき当たった。堅いものの周りを切って、半分に割り開けてみると、中にはパピルスを束にしたような乾燥した繊維のかたまりが入っていた。表面にはなにか見たことのない模様のようなものが浮き上がっている。

それから、書菜と書人の生態の研究が本格化した。どうやら、書人の死体から冬虫花草のように書菜が生えてくるようなのである。書菜と呼ばれるようになったゆえんは、繊維の上の模様と思われたものが、実は解読可能な「文字」であるらしいということがわかったからだ。

書人にその文字を見せてみると、どうやらその意味を読みとっているようである。ときどきおかしそうに笑顔になったり、同情したような表情にもなる。しかし、書人とは言葉で意思の疎通ができないので、何を読みとっているのか聞き出すことはできなかった。

それから100年ほどの年月はかかったが、書人たちから身振り手振りを通じてその意味を確認していくうちに、少しづつ基本的なアルファベットと単語が読み取れるようになった。解読はある地点を超えると芋づる式に進み、つい最近になり中心帝国セントラルエンパイアの公用語にほぼ完全に翻訳できるようになった。


✳︎


ロウエルは世界の中心である中心帝国セントラルエンパイアのさらに中核をなす人材を育成する中心帝国中核中学校セントラルエンパイア・セントラルスクールに通っている。中心帝国の中心市街である中心市セントラルシティーには汽車の吐き出す煤煙と、製紙工場の高い煙突がもくもくと吹き出す蒸気で、空は常に灰色がかっていた。中心帝国の海を越えた南の植民市から中核中学校の寮に移り住んできたロウエルは、入学早々軽い肺炎にかかったほどだった。

ロウエルは沈黙の言語とも呼ばれる書人言語ブックマンランゲージの分厚い原書をすすくさい汽車の客席で、誇らしげに広げた。書人言語とは書菜の中から見つかる言語のことである。一度も発音されたことがないので、それを学ぶロウエルは、完全に頭の中を無音にしたままその文字の形だけを追わなくてはならない。

この国で出世するには書人言語を高度に操れることが必須だ。ロウエルの祖父も、父も、母も、家庭教師も口を揃えて言った。書人言語で綴られる内容は、詩的であると同時に科学的で、帝国語エンパイアランゲージにはまだない概念もどんどん産出されている。そして、書人言語から翻訳された出版物は、この国の最大の輸出物であり、文化的誇りにもなっているのだ。

四人がけで向かい合う客席にひとりで座っていたロウエルに、次の駅で乗ってきた紳士が近づいてきて言った。

「失礼、もしよければ同席させてもらえないかね」

ロウエルはうなずいて言った。「ええ、どうぞ」

紳士は見たところ50代から60代で、鼻の上には小ぶりな丸ぶちの老眼鏡を乗せ、顔の下半分には立派な髭を蓄えていた。中央帝国の上流階級に特有の雰囲気を放っている。きっとどこかの大学教授かなにかだろう、とロウエルは思った。

「君、書人言語が読めるのかね?」、紳士はロウエルの読んでいた書人言語の原書を見て言った。

ロウエルは誇らしい気持ちで答えた。「ええ、学校で習ってるんです。でも、原則的な活用に対して無限に例外則があって、覚えるのが大変ですよ。それに、発音がないというのも実にやりにくいですね」

「そうだろう。だから、わたしも活用を暗記するのに苦心したよ」

「失礼ですが、どんなお仕事をされているんですか?」

「わたしか。わたしは書人言語出版局の翻訳官だよ、これから中心市の書人言語図書館に資料を受け取りに行くところだ」

ロウエルは内心胸がおどった。書人言語出版局といえばこの国で最も重要な官庁で、その翻訳官といえばその中でも最も能力が試される役職だからだ。しかし、それを顔に出して悟られまいと思った。ロウエルだって中核中学校で一生懸命勉強すればつけない役職ではないのだ。

「いまどんな書菜を翻訳しているのですか?」

「とても難儀な書菜だ。もっとも、書人言語の表象能力は常に帝国言語よりも高いので、帝国言語を書人言語に訳すことは機械的にできても、書人言語を帝国言語に訳すのは高度に創造的な作業になる。しかし、いま訳している書菜は実に興味深いよ。なにか壮大な文明叙事詩なのだが、これが実に迫真の出来なのだ。ところどころ細部は異なるのだが、まるで我々の世界とその行く末を描いているようだ。これは大ベストセラーになるだろう」

「具体的にどんな内容なのですか?」

「ひとびとが巨大な炉でひとからげにして焼かれ、文明の礎たる図書館にも火がつけられる。疫病に対する知識も失い、治せるはずの疾患で多くの命が失われる。やがて宗教的な世界の見方があらゆる領域を席巻し、人間は小さな存在としてその次の千年紀を生きていくという話だ」

「しかし、現在の中心帝国でもうそのようなことが起こることはないでしょう。書菜の内容は説得的なものが多いですが、必ずしも現実に即しているわけではない。きっとなんらかの寓話です」

書人文学ブックマンリテラチャーの成り立ちは複雑だ。ある書菜で記述されている内容が、実はずっと昔の一株の書菜の内容に対する言及だったりする。その話が直接的になにかを意味しているのかいないのか知るには、膨大な書菜を参照する必要があるだろう」

「知っています」

「しかし、目下喫緊の問題は、我が国を支える書人文学産業を減速させないことだ。この書菜からより多くの外貨を得ることだよ」

「当たり前です」

「なかなか筋のいいぼうやだ。勉強もがんばりたまえ。君ならいい翻訳官になれるんじゃないか」


✳︎


しばらくして、ロウエルは新聞に書人文学の新刊広告を見つけた。V・D・J・マーヴェル翻訳官訳『バッタたち』、汽車で見かけた男の写真が隣に掲げられていた。「人気翻訳官最新作。迫真の近未来空想小説来る。爛熟した人類文明に神の裁きがくだる」。装丁にはグロテスクなバッタの大群が黄金色の小麦畑に飛来する様子が描かれていた。

新聞の他の面を見ると、昨日マーヴェル氏が資料を取りに行っていた書人言語図書館、この国のもっとも高密度な価値の集積地と言われる施設が、なにものかによって放火されたという記事があった。


✳︎


『蝗たち』は売れた。しかし、それと同時に中心帝国の中心部と、植民市との間の貿易不均衡がどうしようもなくなってきた。さらに、書人言語を読める階級と読めない階級との間の情報格差、所得格差が深刻化した。やがて些細な小競り合いが世界大戦に進展した。戦災は50年も続き、その間にあらゆる最悪の体制が世界中に樹立された。

人類の人口は100分の1にまで縮小したところで、もう破壊するものも、破壊する道具も無くなった。書人たちは格差の象徴として大量虐殺され、東方の谷の底にまとめて葬られた。


✳︎


全てが終わったあと、東方の谷の底は書菜の青々とした葉に埋め尽くされた。収穫するもののいない書菜はやがて木化し、ひとに似た形になり始めた。そして、土中から這い出ると、数千年前と同じように、ひとりまたひとりと地平線に向かって歩き始めたのだった。


かつて中心帝国の中心市だった遺跡には、奇跡的に消失を免れた『蝗たち』のページがから風に吹かれていた。その最後のページには、もともと書人言語の原文を添えてこう書かれていた。「しかし、あらゆる繰り返しを知恵は傍観することしかできない」。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ