一章 第6話
「やあやあ、ゴールドマン君。どうしたんだい、そんなに慌てて」
ゴールドマンが部屋に入ってくるとすぐさま、その女はそう尋ねた。
彼女の名前はレインフィールド。ジャンベルン鉄道の現社長にして、敏腕の女性実業家だ。
レインフィールドは豪華絢爛な高級デスクに座り、眼下に広がるジャンベルン市を見下ろしていた。
「突然失礼しますレインフィールド社長。実は緊急でお伝えしなければならないことが……」
「まあまあ、そういう堅いのは無しだ。君と私の仲じゃないか。とりあえず座りなよゴールドマン君」
「……ではお言葉に甘えて」
ゴールドマンはそう言うと、置かれていたソファに腰を下ろした。
レインフィールドはこの時になってようやく、視線を景色からゴールドマンに移した。
「聞いているよゴールドマン君。君はどうやら、先日の件で相当頑張ってくれたそうじゃないか。ご苦労だったね。礼を言うよ」
レインフィールドは優しげな笑みを浮かべ、ゴールドマンにそう言った。それに対してゴールドマンは「いえ、それほどでも……」と謙遜の色を見せる。
“先日の件”というのは他でもなく、ほんの一週間前に明らかになった『ストライキ決行』に関する対処についてのことだ。
一週間前、ジャンベルン鉄道の上層部は、労働組合が賃上げを求めてストライキを起こそうと画策していることを知った。そして当然、その対処に迫られた。
ストライキ発生をただ指をくわえて見ているか、それとも賃上げ要求を受け入れて、ストライキの決行を未然に防ぐか。そのどちらを選ぶか選択を迫られたのだ。
当然、社会的影響とそれに伴う株価下落、ならびに利用客の信頼保持を考えれば、悩むべくもなく『賃上げをする』というのが最適解だった。
賃上げによって一時的に株価は下落するものの、ストライキ発生による混乱は避けられるからだ。
しかし彼らジャンベルン鉄道上層部が取った方法は、賃上げの受け入れでも、ましてやストライキの黙認でもない、”第三の選択肢”だった。
彼らが選んだのは、政府に労働組合に対して圧力をかけさせ、ストライキをさせないという計画だったのである。
そして、その計画を実行するために政府首脳との折衝を行ったのは、まさにゴールドマンその人であった。
故に、レインフィールドは「ご苦労だったね」とゴールドマンをねぎらったのである。
「政府関係者との交渉、ならびにスト封殺のための下準備。何から何まで、君がやってくれたそうじゃないか。さぞかし大変だっただろう?」
「えぇ、まあ……おかげで寝不足ですよ」
「なはははは、だろうね。その目の下のクマを見れば、誰だってわかるよ。……どうだい? なんなら私が“直接”君をいたわってやっても良いぞ? もちろん体でな」
「……セクハラですよ社長。まあでも、遠慮させて貰います。それに、休んでいる暇はないもので」
「なはは、それは残念だ。……じゃあ、本題に移ろう。緊急の要件というのは?」
レインフィールドはそれまでの温和で穏やかな表情から一点、眼光鋭い肉食獣の様な顔つきになった。その変化を目の当たりにし、ゴールドマンは『さすがだな』と息を呑む。
「……私の働きで、ストの決行が無期限延期されたことは、先ほど社長が言っておられたとおりです。しかし……それとは別に、ある問題が起きました」
「問題?」
「はい。とりあえず、これをご覧ください。今日、私の元に匿名で届けられた物です」
ゴールドマンはそう言うと、数枚の紙切れをレインフィールドに手渡した。受け取ったレインフィールドは、それに視線を落とす。
『警告
先日、御社の決算書の中で不自然な金銭の出入を発見しました。調べたところ、我々は御社が反社会組織の資金洗浄に関わっているという確たる証拠を手に入れました。
もしこの事実を公表されたくなければ、24日に御社従業員の賃金を増やすことをマスメディアを通じて発表してください。
これが悪戯ではない証拠に、資金洗浄の証拠となる書類を添付します。熟考の末、行動をお願いします』
「これは……」
書類の内容に目を通すと、レインフィールドは言葉を失った。そしてすぐさま、添付されていた書類を調べ始める。
数分後、レインフィールドは深いため息をついた。そして、ゴールドマンに目をやる。
「……これ、事実なのかい? 私は知らないのだけど?」
レインフィールドの問いに、ゴールドマンは苦々しそうな表情をする。
「……関係者に確認したところ、どうやら事実のようです。レンダ専務が主導して行っていたとわかりました」
「レンダ……あの使えないクズか」
レインフィールドそうつぶやくと『ギリッ』と歯を鳴らした。
「どうやら専務はマフィアと共謀し、麻薬で手に入れた金を“合法的に手に入れた金”に見せかけるために、偽装を行っていたようです。そして、そのうちの数%を報酬として受け取っていました」
「……まったく、見下げ果てたクズめ」
レインフィールドはそう言って、舌打ちをした。
資金洗浄とは、読んで字の如く『資金』を『洗浄』して色を落とす行為のことを指す。
例えば、反社会的組織などが麻薬などを売って金を得た場合、その『違法な方法で手に入れた金』をそのまま使ってしまうと、犯罪の足がついてしまう恐れがある。
よって、それを避けるために『合法的に手に入れた金』の中に、『違法な手段で稼いだ金』を混ぜるなどして、違法な金を普通の金に見せかける作業が必要になるわけだ。
そのような作業を“資金洗浄”というのだ。
『お金に色はない』とはよく言うが、しかし現実には、金にだって『キレイ』か『汚い』かの違いはあるのである。
レインフィールドは苦々しい表情のまま、頭を抱えた。そして、一際大きなため息をこぼす。
「……しかし、待ちたまえよゴールドマン君。いくらレンダが、頭の回らない愚図とはいっても、それでもヤツだって、捕まらない程度にはこの事実を隠蔽していたはずだ。なのになぜ、この事実が明らかになった?」
「それについてはまだなんとも……ただ私の意見としては、恐らくこの資金洗浄に関わっていた者が、裏切ったのかと。なにせ、もしこの資金洗浄を外部の者が、それもなんの手がかりもなく一から調べ上げたのだとしたら、とても現実的ではない量の膨大な計算が必要となります。普通に考えて、それはあり得ないでしょう」
「なるほど……とすると、内部に居るわけだ。この送り主が」
レインフィールドの言葉に、ゴールドマンは「恐らくは」と答えた。
「期限は24日か……うん。やはりこれは内部の、それも先のストライキに関わった者の反抗とみて間違いないね。じゃなきゃ、わざわざストライキが起きる予定だった24日に、まるで当てつけのように期限を設定しないだろうからね。と言うか、賃上げ要求なんて従業員じゃなきゃしないだろうし」
「おっしゃるとおりです。恐らくは、我々がストライキを圧殺したことに対する報復かと」
「報復ね……これもまた、因果応報か。私達はどうやら、少々欲を出しすぎたようだ」
「全くです」
レインフィールドはまた「はぁ……」とため息をこぼすと、ゆっくりと立ち上がった。そして、背後に広がる絶景を見渡した。だが、その心は晴れない。
ストライキを未然に防いだのは、ひとえに、ストライキが彼女らにとって『金にならなかった』からだ。
ストライキが行われれば株価は下落するし、仮に賃上げを受容しても、株主からの追求は避けられない。だから彼女らは、そのような『損』を避けるために、つまり自分たちの利益のために、従業員達の『主張する権利』を奪い去った。
しかし結果として、その報復のために状況はむしろ一層に酷くなってしまった。
レインフィールドは申し訳なさそうな顔を、ゴールドマンに向けた。
「……ゴールドマン君。君が頑張ってくれたのに、それが全部水泡に帰してしまってすまないね」
「……謝らないでください。社長のせいではないじゃないですか」
「まあそうだが……しかし本当に残念だよ。これで私達は、賃上げを否応にでもせねばならなくなった。あれだけ手を尽くして、賃上げしまいとしたのにね。……まったく、株主総会の荒れようがもうすでに浮かぶようだ」
「……」
「……とりあえず、君はこの件の収集を図ってくれたまえ。事情を知っている者の口封じと、そして賃上げの発表準備。……ああ、それと一応言っておくが、賃上げについてはあくまで『我々が自主的に善意で行う』ということを強調してくれ発表してくれ。どうせ賃金アップをするなら、せめて世間のイメージアップにつなげよう」
「了解しました。……ところで、レンダ専務はどうなされますか?」
「……そうだね、彼には何か適当な理由で辞職して貰おう。そうだな……部下へのセクハラで辞めて貰おうか。確かちょうど、そういう相談が来ていただろう? あのクズにはお似合いの理由だ」
「……わかりました。手を回しておきます」
ゴールドマンはそう言うと、レインフィールドに一礼して部屋を後にした。
一人残されたレインフィールドは、眼下を見下ろしながら「……結局、一番の敵は味方に居ると言うことだな」と恨めしそうにぼやいた。
ブックマーク登録や評価もよろしくお願いします。
もし内容に関する疑問があれば、感想などで遠慮無くお聞きください。