一章 第1話
「うへぇ~、暇だぁぁぁぁ~」
その青年は、刀の手入れをする女の膝を枕にして、ソファに寝っ転がったままそんなことをつぶやいた。
しかし彼を膝枕させている女も、そして膝枕をしてイチャつく二人の後ろでデスクワークに勤しむエルフの男性も、彼のそんな『暇宣言』を無視した。
二人に無視を決め込まれた青年は、しかしそれでも構って欲しいのか、「ヒマ~ヒマヒマヒマだぁよぉ~」と、聞くに堪えない音痴な鼻歌を歌い出す。
「……うるさいですよ。静かにしてください」
自分の膝の上で聞くに堪えない鼻歌を垂れ流す青年に嫌気がさしたのか、ニット帽をかぶったその若い女は、苦々しそうな表情でそう言った。
しかし青年は、ようやく構ってくれた女の顔を、彼女の膝上から見上げてニヤリと笑う。
「いやいや、だって仕方ないでしょ。こうもヒマなんじゃ、僕だって歌も歌いたくなるよサツキちゃん」
「……それなら、私の膝の上以外で歌ってください。耳障りです」
「耳障りって、そりゃないよ。僕のこの素晴らしい美声をそんな風に言うなんて、君は芸術ってものがわかってないねぇ」
「……もしセージさんの“ソレ”が芸術なら、私は喜んで両耳をそぎ落としますよ」
サツキの至極真っ当な反論を聞いて、セージは「え、そこまで言う?」と顔を曇らせる。
そして膝枕をされたまま、デスクでパソコンとにらめっこをするエルフの男性に目をやった。
「ねえねえ、君はどう思うよスティーブン? 僕の歌って、そんなに酷いと思うかい? 僕的には、世界三大テノーラーにも負けないくらいの美声だと思うんだけど?」
「……」
セージに尋ねられたスティーブンは、「はぁ……」と面倒くさそうにため息をこぼすと、パソコンとのにらめっこをやめて、セージの方を見た。
「……まあ確かに、聞いてて気持ちの良いもんじゃねえわな。サツキのお嬢が嫌気がさすのもわからんでもない」
「え? 君も僕のこの素晴らしき美声を理解してくれないのか?」
「……いや、少なくともお前のは、世間一般的に言って美しくはないと思うぞ」
スティーブンの酷なレビューを聞いて、セージは「そんなぁ……」と肩を落とす。しかしその表情は、悲しんでいるというわけでもなく、むしろ楽しそうにも見えた。まさに『天邪鬼』と言ったところだろう。
「はぁぁぁ……面と向かって『音痴だ』って言われると、さすがに傷つくよ。サツキちゃーん、こんな可哀想な僕を慰めてくれ~」
「はいはい、可哀想ですね」
サツキは面倒くさそうにそう言うと、自分の膝の上に転がる男の頭を『ヨシヨシ』と撫でた。
そんな二人の様子を見て、スティーブンは『相変わらずだな』と呆れて笑う。
「つーかオイ。セージ。お前そんなにヒマなら、俺の仕事手伝えよ。こちとらもう2日は、寝ずにパソコン睨み付けてるんだぞ。いくらエルフが、お前らヒュームと違って体力が段違いつっても、さすがに限界だ。疲れがたまってるんだよ、ずっと膝枕してもらってた誰かさんと違ってな。歌なんか歌ってる余裕あるんなら、こっち来てお前も働けよ。俺を休ませろ」
「えぇ、やだよ。だってその仕事、超つまんないじゃん。それならまだ、美人に膝枕して貰ってた方がマシさ~」
『美人』という言葉を聞いて、サツキは一瞬『ピクッ』と体を反応させた。しかしそんな事に気がついているのかいないのか、セージは「あぁ、サツキちゃんが居てくれて僕は幸せだなぁ」と顔をほころばせる。そして、サツキの膝に頬ずりした。
だが、それを端から見ていたスティーブンは不満げだ。まあ、自分がせっせと働いている間、リーダーが女と乳繰り合っているのだから当然ではあるが。
「たく……つまんないもクソもあるか。誰のために俺がこの仕事をしてやってると思ってるんだ?」
スティーブンはそう言って、パソコンのディスプレイに表示された株式チャートを指さした。
スティーブンは、セージ達が仕事で使うパソコンなどの、機械関係の整備を一手に引き受けるエンジニアだ。そして同時に、彼らが保有する株価の変化を常に監視する役目も担っている。
日常的な株価の微細変動から、何かを原因とする大幅な高騰・下落。その全てを余すことなく監視し、利益のために取引を行っているのである。
実際、彼らの稼ぐ利益の大半は、スティーブンの常日頃の監視の賜物と言えるだろう。
しかしそうはいっても、ただ変わり続ける数字の羅列を見ていてもなんの面白みもないのも確かだ。セージの言うとおり、その仕事は極めて『退屈』と言うほかないだろう。
もっとも、そんな退屈な作業をスティーブンにさせているのは、他ならぬセージ自身であるわけだが。
サツキに可愛がって貰っていたセージは、さすがにスティーブンに悪いと思ったのか、「よっこらせ」とつぶやくと、それまで2時間にわたって頭を置いていたサツキの太ももからようやく起き上がった。
そして面倒くさそうに背中を掻きながら、スティーブンの方に歩いて行った。
「まったく……僕がしたいのは、こんな退屈な作業じゃないんだけどなぁ。はーあ。つまらない、つまらない」
セージはそんなことをぼやきながら、しかしスティーブンの隣に座った。そして、目の前に置かれていたパソコンの電源をつける。
そんなセージの様子を見ながらサツキは、セージが居なくなって寂しくなった自らの太ももを眺めつつ、「……とか言いながら、ちゃんと手伝うんですね」と、少し残念そうにぼやいた。
「……で? 今の状況は?」
パソコンの電源がつくのを待ちながら、セージは隣のスティーブンにそう尋ねる。尋ねられたスティーブンは、「ああ、殆ど問題ないが……」と言いながら、セージに説明を始めた。
――――ドタドタドタドタ……
しかし説明を始めたその直後。彼らの居た建物に、そんな騒がしい足音が響き始めた。そして間髪入れずに『バンッ!』と、部屋の扉が激しく開け放たれる。
「なあ! セージおる⁉」
扉を開けて入ってきた女は、入ってくるなりすぐさま、そんな訛りの効いた言葉遣いでそう聞いた。
それまでスティーブンから説明を受けていたセージは「ほいほい、ここに居まーす」と女に手を振る。
すると、パソコンの前に座っていたセージを見るなり、女は驚きを見せる。
「うわっ! 珍しかね、アンタがスティーブンの仕事手伝っとるとか……もしかして頭でも打ったん?」
「酷いなぁ、そんな言い方無いだろ。僕だってたまには、こうやって皆の仕事を手伝ったりするんだよ。リーダーなんだからさ」
隣でヘラヘラと笑いながらそう言ったセージに対して、スティーブンは「嘘つけ、まだお前何もやってねえだろうが」と文句を垂れた。
そして、そんなスティーブンの不満げな顔を見て、やって来た女も「ああ、そげんいうことね」と納得した様子だ。
「……まあええわ。とりあえず、アンタがここに居ただけでも良かったけんね。いつもならそもそも、仕事場におらんし……で、今から働こうって時に悪いんやけど、ちょっとそれ中断。緊急で話したいことがあるけん。会議するばい、会議」
女はそう言うと『タッタッタッタ』と軽快に足音を鳴らし、それからソファに座った。そして、持ってきていたいくつかの書類を、机の上に広げた。
パソコンの前に居た二人も、立った今からやろうとしていた仕事を中断してソファに座る。こうして4人は、机の上に広げられた書類が見えるよう、机を取り囲んでソファに座った。
簡略ではあるものの、これが彼らにとっての会議の様装だ。
「それで? 緊急で話したい事って何、ヨーコちゃん?」
ソファに座るなりすぐさま、セージは女にそう尋ねた。“ヨーコちゃん”と呼ばれた女は「せやな、さっさと本題に入ろか」と呟く。
「……実はな、ある情報筋から“とんでもない話”を聞いたんや」
「とんでもない話?」
ヨーコの言葉に、セージは首をかしげる。
ヨーコは彼ら四人の中で、情報収集を主な役割として働いている。表の人脈、裏の人脈、様々な繋がりを通じて、金になりそうな情報を見つけ出してくるのだ。
彼女が見つけてくる情報は、いつも“重要な”情報ばかりである。それこそ、上手く使えば巨万の富を築けるような、なんなら一歩間違えば企業一つが潰れてしまうような、そんなお宝情報ばかりだ。
そんな彼女がわざわざ『とんでもない話』と表現した。それはつまり、今回手に入れた情報はそれ程に『価値がある』という事でもあった。
「せや。まだ市場にも出回っとらんような、超超極秘情報やねん。……あ、念のために断っとくけど、ソース元は聞かんどいてや。ちょおっとだけ、危ないけん」
悪者が浮かべるような笑みを浮かべてそういったヨーコに、スティーブンはため息をこぼす。
「……またか。またお前は、そんなヤバいところと接触したのかヨーコのお嬢」
「何や? もしかして責めてるん? 言っとくけど、ちゃんと足がつかないように気は使っとるんやで、これでも。私だってまだ死にたくないさかい」
「……」
スティーブンは『死ぬとかそういうレベルの話なのかよ……』と心の中で思いつつも、言っても無駄と悟って、あえて口には出さなかった。
ただ一言「ま、くれぐれも気をつけろよ」とだけ忠告する。
「……で? その超超極秘情報って何なのヨーコちゃん?」
二人の会話を聞いていたセージは、話が逸れそうだったので、ヨーコにそう尋ね、話を戻す。
ヨーコは「そうそう、忘れるとこやったわ」と言いつつ、すでに十分小さかった声を、さらにすぼめた。
「……あのな、これな、本当についさっき手に入れた情報なんや。でも、情報の確度は限りなく100パーやね。なんたって『事を起こそう』っていう首謀者達から聞いたんやから」
「……首謀者? その言い方だとまさか、犯罪でも起こそうって言うのかい、その人達は?」
「せやな。……まあ正確に言えば、かなりグレーってとこや。今のところ法律的な問題は無いんやけど……でもちょっと、話がややこしいんやよ」
「……?」
セージはわけもわからず首をかしげた。しかし、わけこそわからなかったが、ヨーコの態度からして、どうやら“ソレ”は彼女の言うとおり『とてつもない何事か』であるということは感じ取っていた。
ヨーコは他の三人にだけ聞こえるように、聞こえるギリギリまで声を小さくして、そして伝えた。
「2週間後。つまり6月24日の午前6時ちょうどやね。ジャンベルン鉄道で、”スト権の保障”と”賃上げ”を要求する大規模な無許可ストライキが発生するらしいんやわ」
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