第17話
「……!?」
縛られていたジャモンドは、自分の右腕に何かが“差し込まれた”ことに気がつき、驚愕した。
この感触は、どうやら注射のようだ。何らかの液体が自分の体内に注入されているのを感じる。
「てめっ……なにを⁉」
「落ち着きなよ。別に危険な物じゃないから。“今のところ”は」
「……!?」
液体を注入し終えると、男は注射針をジャモンドの腕から引き抜いた。針の差し口から、赤い血が流れ出す。しかしすぐに血液が凝固し、出血は止まった。
「……さっきも言ったように、マフィアと敵対すれば、僕は死ぬまで追われることになる。そう“死ぬまで”だ。じゃあ追跡を終わらせるためにはどうすれば良いか? 簡単なことさ。僕が死ねばいい」
「……!」
「つまり、君には処理して貰わなくちゃならない。ジョージ・セプトンという人間を。マフィアの追跡を終わらせるために」
「……俺にお前を殺せ…ってのか?」
「いいや、正確に言えば少し違う。僕に見せかけた“別人”を、ジョージ・セプトンに見せかけて殺して貰う必要がある」
「なっ……!」
ジャモンドはここに来てようやく、男の言わんとしていることを理解した。
つまりこの男、マフィアの追跡を逃れるために、ジョージ・セプトンに見せかけた影武者をジャモンドに殺させ、あたかもジョージ・セプトンが死んだかのように偽装しようとしているのだ。もっと言うのなら、自分の身の安全のために赤の他人の命を犠牲にしようとしているのである。
「君もマフィアの一員なら、この程度のことはお手の物だろ? 適当に人を見繕って、そいつを殺す。それも、個人の判別が出来ないよう顔をグチャグチャにして。あとは、その人物がジョージ・セプトンと判別できるように、身分証でも持たせれば十分だ」
「……」
「そうだね、こういうのはどうかな? 君のその銃で、影武者の顔面に大量の銃弾を撃ち込みまくる。そして、ジョージ・セプトンの免許証を持たせて、海にでも捨てる。数日以内には発見されるはずだ。海水で腐乱し、魚に食い散らかされた、見るも無惨な“ジョージ・セプトン”の遺体がね」
冷静で冷徹な声で、男はジャモンドにそう告げた。
男は今、自分の保身のために無関係の他人の命を奪おうという相談をしている。にもかかわらず、なんと平然とした態度だろうか。
そのあまりにも平然な態度に、マフィアの人間であるにも関わらず、ジャモンドは恐怖を禁じ得なかった。
確かに男の言うとおり、偽装工作自体は可能だろう。赤の他人をジョージ・セプトンに見せかけ殺すことは可能だ。
しかし可能である事と、それが実現できるという事は、全くの別物だ。
「……っ! バカを言うな! もしそんなことをして、組織にバレたら……俺は殺される! 出来るわけがない!」
そう、組織からの命令は『ジョージ・セプトンを殺せ』。決して『ジョージ・セプトンの影武者を殺せ』ではない。
もし仮に、ジャモンドが脅された末にジョージ・セプトンの企みに加担したと組織に知られれば、彼の命はない。そんな危険な真似、自分の命が何より大切なジャモンドからしてみれば冗談甚だしいものだ。
しかしそんなジャモンドの反論に、男は嘲笑するかの如くに答える。
「今の状況でそれ言う? 君にはどのみち、ここで協力する以外に生き残る術はないだろ?」
「……!」
「言っておくけど、君にこれを断る選択肢はない。さっきの注射だけど、あれは毒薬だ。約3日ほどで症状が出始め、一週間で死に至る。激痛と共に」
「なっ……!」
「つまりは、君に残されたタイムリミットは1週間。その間に、僕の言うとおりに影武者を仕立ててくれれば、解毒剤を渡す。もしダメなら……申し訳ないけど、死んで貰うことになる」
「……っ、テメエ!」
ジャモンドは憎しみを声に混じらせた。しかし男は、まるで小さな子供でもあやかすかのような穏やかな笑みを浮かべ、ジャモンドに小さく尋ねた。
「さっきは『断る選択肢はない』と言ったけど、特別に選ばせてあげるよ。忠誠を捨て生き残るか、それとも忠誠に死ぬか。どちらでも好きな方を選んで良い。……もっとも、君がそのどちらを選ぶかは、僕にはわかりきったことだけどね。命を失う覚悟もない“腰抜け君”」
「……っ!」
全てを見透かされている。ジャモンドはそう理解せずには居られなかった。
自分が今、死の恐怖に怯えていること。
目前の男に、完全に屈服してしまっていること。
何よりも、自分の命が惜しくてたまらないこと。
その全てを、見抜かれてしまっている。
ジャモンドはうなだれる。悪魔に目をつけられてしまった、自らの不運を嘆いて。強者に服従するしかない自分の、あまりの情けなさに、涙を流した。
そしてしばらくうなだれた後に、静かな声で「わかり……ました」と返事をした。