第16話
「……っ!」
意識を失っていたジャモンドは、目を覚ました。どうやら先ほど女の強烈な蹴りを食らい、それからしばらくの間眠っていたようだ。
“ようだ”というのは、現在の状況がわからないからに他ならない。目を覚ましたのはいいものの、目隠しをされていて、自分がどうなっているのか、そしてここがどこなのかもわからないのだ。
「ぐっ……!」
覚醒した次の瞬間、頭部に鈍い痛みが走る。さすがに、気絶する程の強力な回し蹴りを頭部に食らっただけあって、無事ではないようだった。頭痛に加え、目隠しで視界を奪われていることで平衡感官が完全に失われ、まるで天地がグルグル回転しているような錯覚に襲われる。胸の奥から吐き気が湧き上がってきた。
しかしそれでもジャモンドは、何とか吐き気に耐え、体を動かそうとした。
(……そりゃまあ当然、拘束されているか)
体の後ろで拘束された両手に気がつき、そんなことを心でぼやく。
やはりというか、ジャモンドはあの女に捕縛されてしまったようだ。
“ゴクリ”と唾を飲み込む。
(……いよいよ今日は、俺の番ってわけだ。俺が……殺される番)
理解せざるをえないその事実に、ジャモンドは恐怖で体を震わせた。
外傷に起因するのとは別の吐き気が襲ってくる。きっと、これから死ぬことを恐怖する故の吐き気だろう。
ジャモンドはこれまで、組織の命令で幾多の命を奪ってきた。彼が命を奪ってきた相手は、悪人であったり、善人であったりもした。
しかし善悪の別はあったにせよ、自分が他者の命を奪ってきたことに相違はない。誰だかの言っていた『他人の命を奪う者は、自らの命を奪われる覚悟を持っていなければならない』という格言が身にしみる。
死ぬ覚悟? そんなものあるわけがない。死ぬなんてまっぴらだ。生きていたい。絶対に。
ジャモンドはそう思わずに居られなかった。
しかしそんなことを思っても、彼の身に待ち受けるのは、変えようのない運命だけだ。
「やあ、目が覚めたかい?」
「!」
死の恐怖に怯えていたジャモンドに、そんな言葉が投げかけられた。声色からして、どうやら若い男らしい。
目隠しで視界を奪われているジャモンドは、目が見えないなりに、声のする方を向いた。
「初めまして、僕を殺しに来た暗殺者さん。こうやって縛られた君を見下ろせて、僕はとても嬉しいですよ。優越感を感じますね、癖になりそうだ」
「……『僕を殺しに来た』? ……お前、ジョージ・セプトンか?」
見えないものの、どうやら目前にいるらしい男に対し、ジャモンドはそう聞き返す。そんな問いに男は、優しげな声で答えた。
「その通り。まあ正確に言うなら、僕は“ジョージ・セプトン”という名前じゃない。だけど、君が“殺すべきだった”暗殺対象であることに間違いはない」
「……」
“ジョージ・セプトン”を名のる男の発言を聞き、ジャモンドは唇を噛みしめる。『嵌められた』と。
『僕を殺しに来た暗殺者さん』と、この男は言った。この発言はそのまま、ジャモンドによる今回の暗殺がこの男に筒抜けだったことを意味している。
そして情報が筒抜けだったことを考えれば、先ほど自分を襲った“悲劇”の説明もつく。
暗殺の情報がバレていた。だから、この男は雇ったのだ。あの恐ろしく強い、ニット帽をかぶった女を。自分を殺しに来る暗殺者、すなわちジャモンドを返り討ちにするために。
「……あの女は何者なんだ? とんでもなく強かったが、どこの雇われ用心棒だ? あんな奴がいるなんて話、これまで少したりとも聞いたことなかったぞ。少なくとも俺はな」
ジャモンドは、これから死ぬ自分がそんなこと知っても意味は無いとわかっていながらも、しかしそう聞いた。
先ほど戦った――と言うよりも一方的にやられただけではあるが――しかしそれでもわかる。あの女は、これまでに戦ったどの敵よりも、優れた戦闘技術を持っていたと。
暗殺者であるジャモンドは、これまで幾度となく、暗殺対象の雇っていた用心棒と戦ってきた。しかし、彼が今ここに居ることが示すように、負けたことは一度も無かった(危なかったことは数えきれないが)。
しかしあの女は、今まで戦った誰よりも圧倒的だった。絶対的なまでに強かった。しかし、その“途方もない強さ”こそが、不可解だったのだ。
何度も言ったように、あの女の用心棒としての実力はピカイチだ。にもかかわらず、ジャモンドはこれまでにただの一度も、あの女に関する噂を耳にしたことはなかった。あれほどの強さを持っているのならきっと、命を狙われている各界の要人達から引っ張りだこだろうに。
ジャモンドはこれでも、耳はさとい方だ。生き抜くために、自分の障害となり得る人物に関する情報は、余すことなく手に入れている。
にもかかわらずこの女については、自分にとって『とてつもなく危険な人物』であるにも関わらず、少しも知らなかった。そのことが、ジャモンドの判断を鈍らせた可能性は否めない。
なぜ自分は、この女について少しも知らなかったのか? ジャモンドがそんな疑問を抱くのも当然だろう。
そんなジャモンドの疑問に、ジョージ・セプトンを名のる男は、可笑しそうに答える。
「そんな事知っても、君には一切意味は無いだろ? ……まあでも、教えてあげるよ。彼女は僕の仲間だ。雇った用心棒なんかじゃなくてね。そして、僕の愛するマイスイートハニーさ」
「……」
なるほど。“スイートハニー”というのは置いておいて、雇われの用心棒ではないのなら、知らなくても不思議はないだろう。あくまでジャモンドに入ってくる情報は、“金で雇われる類い”の人間についてだけなのだから。
例えば、どこかの組織に所属している戦闘員などは、そうそう情報が出回らない。そういう戦闘員がいると言うことを秘密にしておいたほうが大抵、抗争の際などにメリットになるからだ(抑止力とする為にあえて情報を出回らせることもあるが)。秘密兵器は、隠しておくからこそ“秘密”兵器なのだ。
もしあの女剣士もその類いなら、情報が無かったとしても不思議ではないだろう。
あの女が、ジョージ・セプトンの秘蔵っ子だとしたら、その秘密兵器を他者に知られまいとひた隠しにするというのも、十分考えられる。実際、その所為でジャモンドは今現在、辛酸をなめさせられている。
そんな1つの疑問が解消したところで、ジャモンドは次なる疑問を抱く。それはつまり『自分はなぜ、いまだに生かされているのか』と言うことだった。
この男は先ほど確かにジャモンドのことを『暗殺者』と呼んだ。つまり、ジャモンドが彼を殺しに来た刺客だと言うことは、わかっているわけだ。
そして、刺客を差し向けた黒幕の正体だって、考えるまでもないはず。なにせこの男、ジョージ・セプトンはごく最近、マフィアと敵対したばかりなのだから。そのマフィア以外に彼の命を狙う者がいるわけがない(ジョージ・セプトンがよほどの嫌われ者でも無い限りは)。
ともすれば、組織の下っ端も下っ端のジャモンドを、生かしておく理由など無いはずだ。それこそ、マフィアのボスのような重要人物なら、人質にできるから生かしておくだろうが、ジャモンドのような切り捨てられる運命にある下っ端、捕縛しても労力の無駄であるはずだ。
そんな無駄なことを、何故にこの男は行ったのか? ジャモンドには、それがわからなかった。
「何が目的だ? なぜ俺を生かす? こんなことをしても、一文の得にもならんだろう?」
「……」
ジャモンドの当然とも言えるそんな問いに、ジョージ・セプトンは答えなかった。そして黙ったまま、“ゴソゴソ”と何かを取り出すような音を鳴らし始めた。
「……? お前、何をして……?」
「……先に言っておくけれど」
ジャモンドの言葉を遮って、男は言葉を発する。
「僕は別に『誰の命も平等に大切』なんて事を考える、博愛主義者じゃない。平気で命に値をつけるし、必要とあれば、例え相手がどんな人間だろうとも、その命を終わらせる覚悟がある。だから『もしかしたら生きたまま解放して貰えるかもしれない』なんて、そんな淡い希望を抱かないことを勧めるよ」
「……」
男の冷徹とも言える発言に、ジャモンドは息を呑む。僅かばかり見えていた生への希望が、崩れ落ちるような感覚に襲われた。
男はさらに言葉を続ける。
「……いずれこうなることはわかっていた。マフィアと敵対すれば、君らがいずれ僕を殺そうとすることは。刺客がやって来ることはわかっていた。そして、マフィアが一度標的を定めれば、その人物が死ぬまで絶対に手を引かないことも。よく知っている」
「……それがわかった上で……敵に回したのか?」
「その通り。命を狙われる事になるとわかっていても、それでもやらなければならなかった。僕の歩む……覇道のために」
「……」
「でも申し訳ないけれど、僕は殺されるつもりなんて一切無い」
「それはどういう…」
――――プスッ
ジャモンドの腕に“何か”が、突き刺さった。