第一章 11話
《7月24日》
「社長。例の件、調べがつきました」
デスクで書類仕事に追われていたレインフィールドに、ゴールドマンはそう告げた。ゴールドマンの報告を聞き、レインフィールドは「あぁ、やっとか」と、疲れた顔で答える。
「えぇ。つい昨日、やっと調べ終わりましたよ。まあ”やっと”とは言っても、調べるのにかかった時間は、1日足らずでしたけどね。他の仕事が忙しくて、調べる時間を用意するほうが大変でしたよ」
「うん。悪かったね、この忙しい時に」
レインフィールドの労いに、ゴールドマンは「いえ、私も気になっていたので」と答える。そして、持ってきていた数枚の報告書を手渡した。
「これが、6月初めから昨日までの間に、ジャンベルン鉄道の株を取引した企業、もしくは個人事業主の名簿です。そして、隣に書かれているのが取引内容になります」
「……ふむ」
レインフィールドは背もたれに寄りかかりつつ、書類に目を通す。そしてすぐに、赤色のマーカーのつけられた名前を見つけた。
「……彼は?」
「“ジョージ・セプトン”と言う名前の、個人事業主です。……隣に記載しておいた『取引内容』を見て貰えばわかると思いますが、彼が今回の事件の“首謀者”になります」
「……」
ゴールドマンの答えを聞き、レインフィールドは「この男が…か」とつぶやく。
6月28日。突如として、ジャンベルン鉄道の『資金洗浄関与疑惑』が各紙で報じられた。そしてそれから数日間、破竹の勢いで株価が暴落し、最低価格を更新したのである。
レインフィールドとゴールドマンの二人は、その事態収拾のために今日7月24日まで休みなく働くことになった。
記者会見はもちろんのこと、警察からの聴取、株主への説明、その他多方面の関係者への根回し。被害を最小に抑えるために、様々な仕事に追われた。
その結果、二人は自らの仕事から手を離せず、『誰がこの事件の首謀者であるのか』を調べることが出来なかった。
が、しかし。ようやく1ヶ月が過ぎようという現在、ようやく仕事も一段落し始め、ゴールドマンに余裕が生まれた。なのでレインフィールドは彼に『敵の正体を暴け』と指令を下していたのである。
そしてゴールドマンは、レインフィールドの期待通り、ほんの数日で事件を調べ上げ、今こうして報告を行っていた。
ゴールドマンは報告書を興味深そうに読むレインフィールドに、説明を始める。
「そのジョージ・セプトンという男は、見て貰えばわかるように、14日の時点ですでに、大量の株売却を行っています。受渡日は7月1日です。つまり、かなり早い段階で”空売り”をしているわけです」
「受け渡し日が7月1日ということは……なるほどね。つまりこの男は確実に『知っていた』というわけだ」
「そうなります」
彼らの言う『知っていた』というのは、他でもなく『ストライキが行われる』と言う情報のことだ。
ストライキの行われる予定だった6月24日以前に株を売り、その受渡日を7月1日にしている。
これはまさしく、このジョージ・セプトンという男が『株の空売りで一儲けしようとしていた』ことの証左であり、故に二人は『ジョージ・セプトンはストライキの情報を知っていた』と結論づけたのである。
ゴールドマンはさらに説明を続ける。
「注目して頂きたいのは、24~28日の間での、この男の行動です。見て貰えばわかるように、この男はこの間に『一切の株式購入』を行っていません」
「……そのようだね」
ゴールドマンの言うとおり、渡された資料によればこのジョージ・セプトンが株を購入したのは30日だけで、それ以外では一切の取引を行っていなかった。
これは一見、何の変哲も無いようなことにも見える。ただ単に『なんとなく30日の時点で株を買っただけ』とも考えられるだろう。
しかしこの『30日に株を購入した』という事実こそが、ジョージ・セプトンが今回の事件の首謀者である事の何よりの証明であるのだ。
なにせこの『30日に株を購入した』と言う事実、株の運用リスクを考えれば、どう考えてもおかしいのだから。
すでに述べたように、このジョージ・セプトンという男は『ストライキが起きること』を知っていた。そしてそのために、大量の株売却を24日の時点までに行っていた。
しかし、結果としてストライキは『行われなかった』のである。
24日の時点ではすでに明らかになっていたことだが、政府によって中止命令が出たのだ。
これは、このジョージ・セプトンにとっては想定外の事だったはずだ。なにせ彼は『ストライキが発生する』と想定して、株の売却を行っていたのだから。
彼にしてみれば、突然渡っていた橋が崩れ落ちて、ドブ川に叩き落とされたに等しい事態だっただろう。
多額の利益を得られるのが一転、最悪破産するリスクに襲われたのだから。
しかし24日。事態は急転する。ジャンベルン鉄道による『賃上げ』の発表だ。
従業員の賃金増額の宣言。それは自然と、ジャンベルン鉄道の株価を押し下げた。これは男にとっては『溺れていたところにロープが投げ入れられた』ともいうべき救いであっただろう。
確かに、賃上げによる株価下落は、ストライキが発生していた場合に比べれば微々たるものだ。しかし、ストライキが起きず、賃上げもされず、危うく『株の運用リスクだけ被った』形になりかねなかった事に比べれば、いくぶんかマシであるのも、また事実。
なにせ、少なくとも『利益は出せる』のだから。
故に、男からしてみればこの『賃上げに伴う株価下落』は天の助けであり、普通なら迷わず24~28日の間に、株の購入を行って7月1日の株受け渡しに備えるべきだった。というか、普通なら言われずともそうする。
考えてみて欲しい。このジョージ・セプトンという男は、つい少し前、大きな利益が見込める状況から一転、計画が狂い、危うく借金地獄に落ちかけたのである。人生でもまれに見る大博打に負けたばかりなのだ。
そんな彼が『24~28日の間に株を買う』という安全牌を取らず、再び『30日の期限ギリギリまで株を買わない』というリスキーな選択、するだろうか?
普通の精神の持ち主……というより、ちゃんと頭の回る人間なら、そんなことはしないだろう。
事実、ジョージ・セプトン以外の『ストライキに期待していた』投資家達はこの間に少なからず株購入を行い、28日以降に株価が持ち直してしまった場合に備えて、保険をかけていた。
……が。もう言うまでも無いだろうが、このジョージ・セプトンだけは違ったのだ。
彼は行わなかったのである。株取引を少したりとも。まるで『28日以降に絶対、株価が暴落する』と知っていたかのように。
「運用リスクを考えれば、少なくともこの時点で、7月1日に受け渡す株の内ある程度は確保しておくべきだったはずです。なのに、この男は一切買わなかった。これはどう考えても不自然でしょう」
ゴールドマンのそんな指摘に、レインフィールドは「確かにその通りだね」と答えた。
「つまり彼は……Mr.セプトンは知っていたというわけだ。28日に起きる“事件”を。だからこそ、一切の株取引を行わなかった」
「そう考えられます。そしてそれはつまり……この男こそ、我々をおとしめた張本人であるという何よりの証拠です」
28日に起きた事件。すなわち、ジャンベルン鉄道が資金洗浄に関わっているという情報のマスメディアへのリーク。
それを知っていたからこそ、ジョージ・セプトンは株を28日まで買わなかった。28~30日の間に、資金洗浄が明るみになることで『株価がさらに下落する』ことを知っていたから。
だからこそジョージ・セプトンは、あえて株の購入を28日まで控え、そして受渡日のギリギリ、30日に株を確保したのである。株価が下がりきるのを待っていたわけだ。
そしてこの事実、すなわち『ジョージ・セプトンは情報のリークを知っていた』ということはつまり、『ジョージ・セプトンこそ情報のリークを行った張本人である』という事に他ならない。
なにせリークする張本人だけが、『28日に情報がリークされる』ことを知っているのだから。
「しかし驚いたね。まさか本当に、外部の者だったとは。道理で見つからないわけだ。なにせ私達は『内部に裏切り者がいる』とばかり考えて、敵を探していたのだからね。見つかるわけがない」
「ええ、そうですね社長。まあでも、これはもう仕方ないでしょう。私なんて未だに、このジョージ・セプトンが首謀者か疑っているくらいですから」
ゴールドマンのそんな言葉に、レインフィールドもまた「私もまだ信じ切れていないよ」と答える。
外部の者が、決算書を分析しただけで資金洗浄の事実を発見する。ハッキリ言って、それはにわかには信じがたい“偉業”だ。
なにせ、仮にも犯罪を隠蔽しているのだ。綿密に隠されたその事実を発見するには、膨大な計算と注意力、そしてなにより“勘”が必要となることは、言うまでも無いだろう。
そんなことを成し遂げてしまう人物。それはもはや天才と言うよりも、『化け物』と言った方が適切だ。
レインフィールドは「ふぅ……」とため息をこぼすと、ゴールドマンに書類を返した。そして、背もたれに体重を預けた。
「……まったく、本当に信じがたい話だ。こんなことを成し遂げてしまう人間が現実に存在しているなんて。……まあでも、私は嬉しいよ。最後の敵が……私を最後に倒した相手が、こんな化け物であってくれたことが。これで私は、なんの気兼ねもなく社長の座を明け渡せる」
レインフィールドはそう言うと、椅子から立ち上がった。そして、眼下に広がる絶景を見下ろす。
「……1週間後、正式に辞任することが決まったよ。今回の責任をとらされる形だね。まあ仕方が無い。レンダがやっていたこととはいえ、それでも社長である私がなんのお咎め無しとはいかないから」
「……」
「私の後任は……まあ恐らく、君だろうねゴールドマン君。と言うよりも、君以外に考えられない。この事態を収拾できる人間は。……苦労をかけるね」
「いえ……」
ゴールドマンはそう言うと、レインフィールドに向かって「お疲れ様でした、社長」と頭を下げた。そんなゴールドマンの事を見て、レインフィールドは「よしてくれよ、それに次からは君が社長だ」と笑った。
「はぁ、やれやれ。ここをやめたら、一体何をして過ごそうかな。……そうだゴールドマン君。よければ私のことを養ってくれないか? 私だって家事くらいはしてやれるぞ?」
「……それってもしかして、プロポーズですか?」
「はは、まあそう受け取ってくれても良いよ。私は別に」
「……考えておきます」
レインフィールドはゴールドマンに向かって「よろしく頼むよ」と告げると、再び窓の外に目をやった。
そして、思い出したように尋ねる。
「……それはそうと、そのジョージ・セプトンという人。彼に会うことは出来ないかな? 私としては、自分を打ち負かしてくれた相手に一目会いたいのだけど。そしてあわよくば、握手で彼の手を握りつぶしてあげたいんだが……彼と連絡を取ることは出来ないだろうか?」
「……」
「……? どうかしたのかい、ゴールドマン君?」
レインフィールドは、黙り込むゴールドマンの事を不思議そうに見る。ゴールドマンは、険しい表情を浮かべていた。その表情には、彼のやるせなさがにじみ出ている。
そしてゴールドマンは、ゆっくりと重い口を開いた。
「7月3日、ベルシア湾で男性の水死体が発見されました。男の名はジョージ・セプトン。恐らくは……マフィアによる報復で、殺されたものと思われます」
前回からかなり間が空いてしまいました。申し訳ありません。
それと、ヨーコとサツキの口調が似ていたので、前の話を少し弄くりました。ご了承ください。
ただ、ヨーコを訛らせただけで、話の内容にはまったく支障はありませんので、読み直す必要はないと思います(たぶん)