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日常の罅

深夜、四畳半の物静かな狭い部屋に、小説を閉じる軽い音が鳴る。

人が存在していたことを密やかに主張したこの部屋の家主、阿波野健一は眠気に重くなった瞼を擦りながら時間を確認する。


「2時か、寝ないとなー、今日は1限目遺伝子工学Ⅱか…やーだーなーー」


先ほどまでの、静謐な空気には似つかわしくない、気の抜けたボヤきが響く。

アパートに1人暮らしのため、誰に憚ることも無く、ベッドに寝転び片足を外に投げ出した状態で思った事をそのまま口に出す。

髪は手間の掛からなさを優先で短く切られ、丸い目のせいで少し幼く見られそうな大学二回生。

高校で着ていたジャージを部屋着にし、今は針のような目で明日、金曜日に取っている講義のコマ割りを思い出していた。


「……明日は帰り遅くなりそう。」


そろそろ寝よう。

先ほどまで読んでいた、剣と魔法の王道小説をベットの枕元にある棚へ戻し、眠りに就く。

フィクションだから、絶対に手の届かないことが分かっているからこそ、羨ましく思い憧れられる物語…

眠りについて2時間後、規則正しい寝息の中、突然光と音が弾ける。

風船や袋から圧縮された空気が弾けるように、空間を裂いて何かが現れたことを知らせる。

ガラスを響かせた後には、高く清んだ音が体を、壁を、全てを貫くが如く何処までも鳴り渡る。

さらに、音と共に発せられる光。

先ほどまで暗闇だった部屋は、影が無くなるほど色を奪い白く照らす。


「イッんぁぁ!?」


驚きの声を上げながら起き上がるが、視界と頭がボヤけて状況が全く理解できない。

未だ鳴りやまない甲高い音と、手をかざしても、瞼を閉じても変わらない白光に目が眩む。


「え、何!?、まぶっ!、うるさ……」


発光していた物は最後に、一際高く大きな音を放った直後、現れた時とは逆に自らが弾け拡散し消える。


「あっ…」


閉じていた瞳の中。

光が纏まり飲み込まれる感覚に襲われ、何もわからないまま再び意識が離れる。

ベッドに倒れ込む音、そして軽い何かが複数倒れる音と共に部屋は深夜の静けさを取り戻す。



朝の日差しが十二分に部屋へ差し込む頃、目が覚める。

目覚ましアラームに起こされることなく、眠気が後を引かない独特な爽快感を覚える。

確認しなくても分かる、昔から有る、起きたと同時に理解に至る。


「あぁ、遅刻だ……。」


念のため時間を確認した後準備を始める。


「1限目は中途半端だしサボろう。」


2限目まで時間があるため、ノロノロと準備を整えながら昨夜の事を考える。

部屋に特に変わった様子は無く、夢としか思えない。

しかし夢とするにはリアリティがありすぎた。


「まぁ、でも夢だったんだろうなぁ。」


横にしたカラーボックスに置いてあるテレビから流れてくるニュースを、ベッドの上でボンヤリ眺める。


『本日未明、岡山県瀬戸内市で土砂崩れが発生しました。この土砂崩れで飲食店、ガソリンスタンドが被害に遭いましたが、いずれも無人であったため死傷者は確認されていません。現在、自衛隊と専門家らによる原因の究明と復旧作業が行われています。現地の最近までの降水量に問題はないと思われ………』


現場にカメラが移り、被害全体とそこで動く自衛隊、警察車両が映し出される。

小さな車両を見て被害の大きさが見て取れる。

引き続きテレビでは交通情報などが流れているが、時間が来たため消して大学へと向かう。



部屋を後にして僅か数分後、再び部屋の中に音と光が弾ける。

昨夜よりは小さく、幾分常識的な光だがより荒々しく、平和な日常に罅を入れるように…




「あー、やっと終わった。」


ビーカーを洗いながら溜息と、ついでに疲れを吐き出しながら手を動かす。

手元の流しには試験管、薬さじやシリンダーなど使用済みの実験器具が、所狭しと並べられている。

実習室には、1つのテーブル毎に6人割り振られ、その中で3人1組単位での実習が行われていた。

この大量の実験器具は2班分であり、本来ならば当人達が洗浄しなければならない。

だが、目線を上げるとそこには、座ったまま肩を寄せ合い、眉をひそめる3人組が映る。


「どうすんだよこれ、俺作ってないからわかんねぇよ。これ、さっきはそっちにあったろ。」

「私も作った後は、相馬君に任せたからわかんないよ!これはここに置いたけど。」

「じゃあ、それが最初に使ったやつかな?トモがラベル剥がすから!試薬入ってるのになんで剥がしたのさ〜」

「洗えって言われたら、回収する廃液が入ってるとは思わないって。廃液があるなら言えよ〜チヤ〜。後の二本は何が入ってたっけ?」


3人は責任を押し付け合いながら、試験管立てに並んだ6本の試験管を順番に並び替え、簡略的に今日の実習の動きを巻き戻している。

黒板前では教授が腕組みし、全体を見渡して各班の進行状況を確認している。

その目から自分達の体で手元を隠す。

廃液の種類が分からなくなった事がバレないように…


廃液を処分するには、教授の前に並べられた廃液容器へ捨てに行かなければならないのだが、間違いが無いよう見張られ、処理済みの班は黒板に記入されている。

実験中に自らの使っている試薬が分からなくなるなど、笑って許してくれるような教授ではない。

基本起こらないことだが3人の認識齟齬、長時間の実習による疲れ、終わったことによる気の緩み、早く帰りたい焦り…etc。

稀に起こってしまうのだ。

嗚呼、俺たちがやらかさなくて本当に良かった。


「まだやってんのかよお前ら。大人しく説教くらって来いって!」


分光光度計と恒温振盪機の片付けをしていた実験メンバー2人が戻って来た。

そのうちの1人である岸本武智がチャチャを入れつつ、廃液の種類当てに加わろうと、3人の手元を覗き込んでいる。

もう1人の高坂麻耶はこちらの手元を確認している。


「後何の片付け残ってる?あっ、蒸留水が無いじゃん。タケチー蒸留水よろしく!」


手伝っているのか邪魔しているのか分からない武智は、生返事を残し、面倒そうに洗浄瓶両手にタンクに向かった。


「よし、これで行こう。間違いないな?」

「間違いないよ、大丈夫!じゃぁよろしくねトモ!」

「なんで俺が、相馬行け!普段真面目ぶってんだから多少の失敗は大目に見てくれるって。」

「トモならまたか!仕方ない奴って感じで流すでしょ!」

「2人とも公平に行くよ!トモ、相馬手ぇ出して。はい、ジャーンケーン・・・」


「……行ってくる……。」


朋也が緊張した面持ちで、両手に試験官を持ち、教授の前へと出る…




「いやーそれにしても、一瞬でバレたな。」


片付けを終わらせ、学内の駐車場までの

移動中に武智が思い出したかのように、先ほど見た事を話題に挙げる。


「あれはバレるよー、緊張して挙動不審っぷりが酷かったし。捨てる時に教授の顔色伺いながら捨てるなんて怪しすぎ。」


「種類は合ってたのにな。オマケにレポート内容増やされてたし、まぁ、コッチにとばっちりが来なかっただけマシだったかもな。」


「何度か同じ班の俺たちを巻き込んでる奴のセリフとは思えないな武智よ…」


「何言ってんだ、俺たち同じチームの仲間じゃないか、楽しみそして苦しみも分け合うものじゃないか。」


「タケチーは常に一方的なんだよなぁ」


今回の実習では2つの実験を1週間交代で行い、2班分のデータを元にレポートを提出しなければならない。

内容によってはグループ全員に負担が掛かる場合があった。


「さて、帰りますか!」


麻耶が車の鍵を取り出し、丸いフォルムが特徴的なクリーム色の軽自動車のロックを解除する。


「よろしくお願いします!次のバスまで1時間近くあります。下のバス停まで!ね!」


武智がすかさず前に出ると、無駄に綺麗なお辞儀をしながら、送ってくれとアピールする。

大学から街中への次のスクールバスは、1時間半後と夜遅いため時間に開きがある。

その間、自販機しかないようなバス停では暇を持て余してしまうのだ。

麻耶は実家から通学しており、武智と健一は県外出身のためバス停近くにアパートを借りている。


「バス停までなら良いけど、今度ジュース奢ってもらうからね!アワノンはどうする?」


慣れたように見返りを要求しつつ、こちらにも確認して来る。

今まで何度も実習で遅くなっているため、関係のない麻耶もバスの時間については、大まかに把握している。


「俺は今日原付で来てるからいいや。スーパーにも寄りたいし。」


「そう。じゃお疲れ~」

「お疲れっした~」



2人と分かれた後買い物を済ませ、アパートに戻る。

県道沿いにある薄い橙色の屋根の建物。

壁面には電力量計、給湯器や配管などが剥き出し状態で取り付けられている。

その為か築年数よりやや古い印象を受ける。

だが、その分安い。

お金の無い大学生にとって重要なことだ。

2階建て計10部屋の内、1階奥の部屋を借りているのだが。

なんか…変な感じがする。

それは自室に近づくにつれ強くなるが根拠もなく。

風呂場で髪を洗っていると、背中に気配を感じるといった感覚に似ているだろうか。

しかし恐怖ではなく唯の違和感だ、警戒する意識も持てない程度の。

この、小さな違和感を感じたことこそ。

既に自らの人生が、世界すら変わっていたことを示す物であったと知る由もなく。

いつも通りに鍵を開け、ドアノブに手をかける…

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