殺人執行者
最初の仕事がなんだったのか。
それは思い出したくもないことで、記憶しておきたくないもだった。
そう、残しておきたい類のものではなかったことだけは、確かだ。
仕事。
つまりは、職業というもの。それらはかつては、自分で探し、自分で就かなければならないものであった。
だが、今の時代は、初期教育終了と同時に、遺伝子検査と教育時における成績から適性が審査され、個々人に見合った職業が莫大なデータベースから検索、その席を用意してくれる。
初期教育を終了した僕、御鍵雷同に用意された仕事は殺人執行者だった。
都市の為に犯罪者を処分する為の死刑執行システム。
この仕事に必要なことは、そう多くない。殺せば良い。単純明快な仕事。そして、だから僕は彼女を殺す羽目になった。
人生というものは、人工子宮から出て、認識する真っ白な部屋と真っ白な服を着た女性から始まる。
彼女はセイヴィアシステムのナビゲーションキャラクタ。
愛らしい標準で愛らしい仕草でセイヴィアちゃん、と名乗る。
それに名乗り返すのが都市における生活の始まり。
そんな風に現代人の人生は、システムとの自己紹介から始まるのだ。
名乗るという自己認識と、セイヴィアちゃんの認識が終了すると初期教育が始まる。
都市について。
社会について。
歴史について。
文化について。
日常生活について。
ありとあらゆる、人類的な生活において、必要とされることをシステムに教育される。
誰かが二足歩行のやり方すら、システムに教育されると言ったがそれは正しい。
人間らしさや心ですら人類は、セイヴィアシステムに教育されるのだ。
それはプログラミングに似ているが、電脳化によるダウンロードと適用は利用されない。
そもそも電脳化を含めた義体化は、大人にならなければすることが出来ない。
だから、直接教育される。それはデータ収集でもあった。教育と共に様々なデータを収集される。
それにより個人データベースは作られ、セイヴィアシステムは個人の能力適性を評価し職業を選択させるのだ。
それで選択したからこそ、僕はここにいる。
仕事前の緊張のためか、あるいは何かを予感でもしたのか。
昔を思い出していた思考が、既定の時刻となったことを知らせるシステムボイスで、現実へと回帰する。
過去に埋没していた視界が企業の街灯やビルの窓、果ては道路に色とりどりのホログラム広告が輝くハーバラの雑踏を捉えた。
ハイヴ・ノヴァの娯楽を全て詰め込んだ地区――ハーバラは、今現在システムに規定された休日を満喫する人々で溢れかえっている。
聴覚に飛び込む音はうるさい。
ひっきりなしに飛び交う大陸系人種娼婦の蠱惑的な呼び声と流し目に、街頭広告から響く電脳アイドルの歌声。
それに混じる裏路地へと誘う都市公認マフィアの勧誘、他都市から浸入してきている敵性マフィアの怒声。
そんな中でアンドロイドが吐き出す企業広告はループし続けている。
雑多で混沌とした音の奔流のほかに、ゲームや女、あるいは男から、合法的薬物などの物理マテリアルまでが溢れかえる街ハーバラ。
ここは、ありとあらゆる娯楽が溢れる快楽の街だ。
そんな通りを絶え間なく行き交う人波の中に一つ立ち止まっている男がいた。
誰もが楽しげに歩いているハーバラの通りにおいて、一人だけ何の表情も浮かべてはいない。
誰もが立ち止まるときは何かの店に入るときと言われるハーバラの雑踏で立ち止まる彼は、まさに異質な存在だった。
誰もが困惑しながらも対して何か取り合うことはしない。
避けて先へと進む。行動判断プログラムが指示する行動は無視。
――危うきには触るべからず。
ゆえに、セイヴィアシステムに直結したアンドロイドが対応する。
「如何なさいましたか?」
機械的な電子音声。杓子定規な台詞でアンドロイドが男へと対応する。
その時初めて、男は表情を変えた。具体的に言えば笑ったのだ。それはさながら獲物を見定めた獣のように見えた。
彼が持つ行動判断プログラムが示すのは、おそらく目の前のアンドロイドの破壊だ。
己の思想、理念。それらを加味した行動判断に男は従う。
「我らが大義の為に消え失せろ。クソッタレなアンドロイド。そして、セイヴィアよ、我らの要求を聞けぇぇい!」
その一言と共に、彼の拳が駆動した。
彼の体格から考えても異常なほど巨大な拳が握りしめられ、アンドロイドに振り下ろされる。
強度など考えない人型対話インターフェースでしかないアンドロイドなど、強化全身義体の、それも打撃を極限まで極めた、グローバル・グリッド・アーマメンツ――GGA製のナックルグローブの一撃に耐えられるはずがない。
基礎フレームはひしゃげ内部電源が爆裂する。
雑踏の中の爆発。それは周囲に甚大な被害をもたらした。
何せ半永久駆動を可能とするアンドロイドの内部電源だ。そこに貯蓄されたエネルギーは莫大なものである。
雑踏に阿鼻叫喚へと叩き付けられた。
運よく難を逃れた欲望を求めて無秩序に蠢いていた有象無象の大衆たちは、行動判断プログラムの指示に従って蜘蛛の子を散らすように姿を消す。
強面の呼び込みが、妖艶な娼婦が、理知的なマフィアが、行動判断プログラムに従って整然と雑居ビルや路地へと逃げ込む。
行動判断プログラムが逃亡しろと、即座に命じているため迷うこともない。疑問もなく、真っ直ぐにこの騒動から逃げられる場所へと向かって行く。
それらは運がよかった者たちだ。
運が悪かった者たちの末路は悲惨だった。
特に男から近くはあったが、ある程度の距離があった者たちが、最も悲惨な末路を辿っている。
爆発の威力を中途半端に受けて死ぬことすらできず、呻きのたうちまわっていた。
腕が飛んでいる者もいれば、足がどこかへ一人でに散歩に出かけてしまった若者もいた。顔が吹き飛んだ娼婦などはまだましだろう。少なくとも痛みを感じる前に絶命している。
近くにいた者たちは幸運だ。爆発の威力をモロに受けて即座に絶命していた。ある意味では運が悪いとも言えるが、苦痛を感じない分、運が良い。
そんな被害の中心で男は笑っていた。
強化戦闘装甲服に身を包んだ男は、爆裂の炎の中を何事も無さそうに歩き、そんな被害者たちの頭を潰して回っている。
「停止勧告。停止勧告。貴方は都市法に重大な違反行為を行っています。すぐさま行動を中止し、しかるべき――」
「――邪魔だ」
そんな彼を止めようとアンドロイドたちが説得の言葉を遮って右腕を振るう男の一撃で、破壊されていくアンドロイド。
背後へ吹き飛ばしたアンドロイドは、例外なく爆発し周囲に被害を撒き散らしていく。
爆炎の中で彼の肩につけられたマークが鈍く輝いていた。
「我らの手に労働を再び取り戻すのだ。それこそが我が信念――」
マーク。それは近代的ラツダイド集団を示すもの。
近代的ラツダイド集団。それはハイヴ・ノヴァ成立して間もない頃から存在しているテロ組織の通称だった。
ハイヴ・ノヴァなどの革新的都市の成立時、アンドロイドが多くの業種に導入された。高度機械化によって自動化は進み、多くの業種で失業者が出たという。
その際に生まれたのが、近代的ラツダイト集団と呼ばれるテロリスト集団だ。アンドロイドや機械から、労働を取り返すことを理念とした集団であり、信念を持って活動していた団体でもある。
男の語る理念や信念はまさに典型的なそれのはずだった。
だが、
「――それも昔のことだろう。今ではただ自分たちの利益を求めるだけのテロリストだ」
その言葉を否定する言葉を、僕は投げつける。
「誰だ」
漆黒の流体反応装甲服とクローズドヘルメット、腰には武装を入れておくホルダーと手には、そこに収められていたのだろう漆黒の銃が握られている僕を見て男は、僕が何かを理解した。
このハイヴ・ノヴァで武装をしている業種というものは少ない。
民間軍事警備会社の類か、都市正規軍、あるいは都市に裏社会の管理を委託された合法的マフィア。それか――。
「殺人執行者」
――のいずれかだ。
「正解だ、ハロルド・ギャロン。セイヴィアシステムの判断に基づき殺人を執行する」
「都市の犬が我らの大義を愚弄するか」
「お前たちの大義に興味はない。ただ殺せと言われた。それだけだ」
殺すことに理由はいらない。セイヴィアシステムが殺せと言った。だから、殺す。そこに疑問を挟む余地はない。
行動判断プログラムもまた、殺せと言っている。その根拠として、彼の様々な犯罪歴も視界に表示されるが、それすらも関係はない。
過去十年分以上もの、彼が逃げ隠れしながら重ねた、重犯罪の記録など、関係はない。
セイヴィアが殺せと言っている。――だから、殺す。
「正義も持たぬ貴様に、我らの正義が止められるものか!」
無論、相手の行動判断プログラムの判断は抗戦。
それに従ってハロルド・ギャロンは、強化された右腕を地面へと差し込む。
リミッターを解除したサイボーグの力に任せて、地面を――電磁走行路を引っぺがしそれを左手で銃を向けている僕に投げつけた。
「…………」
視覚、聴覚、あらゆる器官からの情報が入力され行動判断プログラムが示す行動は回避。
網膜に回避ルートが表示される。足を踏み出す位置、踏み出すタイミング。
更に、そこから一歩進んで次の敵の行動が予測され推奨されるべき行動を、網膜に示していく。
ただ、それに従うだけだ。
まずは飛んでくる電磁走行路を回避。横に避けすぐさま狙いを付ければ、再びハロルドは電磁走行路をひっぺがしにかかる。
次に指示された行動は射撃。走行路を引っぺがしたハロルドに銃を向けて視界にマークされた地点へ射撃する。
大口径電磁拳銃モードの心鉄から放たれる弾丸は電磁加速され、高速飛翔し、効果的にハロルドの動きを止める。
しかし、それだけだ。電磁走行路を破るには至らない。
電磁走行路は、耐久性、整備フリーに重きを置いた走行路だ。
本来は超巨大高架などに使用される複雑機構を内包した、それを小型化した上で整備の手間を省くために高強度化した代物、
拳銃サイズの小さな電磁拳銃用の標準弾頭弾では、その表面装甲をぶち抜いて貫通させるのは難しい。
無論、それがわかっていなかったわけではない。ここで仕事をするとわかっていた以上、対策をしていないわけがなく、更に言えば行動判断プログラムがそんなことを考慮し忘れるということはありえない。
これは作戦。僕は、囮だ。ハロルドを釘付けにするための。本命は別にいる。
「……さすが、雷同」
本命は直近のビルの屋上に陣取っていた。
はかなげな妖精の如き容貌をした小柄な女。少女と見まがうがこれでも成人した女性だ。
可憐であるが、身に纏った黒を基調とした流体反応装甲服姿。それが、僕と同じ殺人執行者であることを示している。
彼女がフェアリーテイルと呼ぶ20mm口径の対物狙撃銃を構えた姿は、紛れもない戦闘者の姿だ。
ビルが乱立する中、彼女は冷静に狙いを付けていた、釘付けにされているハロルドへと。
「…………」
彼女の視界は目の前の光景ではなく別の光景を表示する。
街灯カメラの視界、僕の視界。両方の視界を彼女は視る。彼女の目は他人の視界を映す。
三次元多角的にとらえたハロルド。狙うは、その胴体。一発で脳天を狙うことはしない。まずは、微細な動きを止める。
「――――」
息を吐いて止めて、彼女は引き金を絞った。そのことが行動判断プログラムと戦術リンクを通じて伝わってくる。
対物狙撃銃とは思えないほど軽い反動が、彼女の身体を突き抜けると同時に弾丸が飛翔する。
電磁加速と火薬炸薬を併用した、多段階加速機構によって増幅された運動量が真っ直ぐにハロルドの胴体へと吸い込まれていく。
強化装甲服を突きぬけて胴体に穴を穿つ弾丸。しかし、それで絶命したと行動判断プログラムは判断していない。
弾丸が突き抜けた胴体から流れ出すのは赤い血ではない。サイボーグ特有の電解質白い血液だ。
束ねられた筋繊維と強化カーボンフレームが露出するがそれでもまだハロルドの脳機能は停止していない。
その脳機能を停止させるまでが殺人執行者の仕事だ。
すぐさま彼女――ニンファは次弾を撃つべく行動を開始している。ボルトから手を戻し引き金へと指をかける。
そのわずかな隙を埋めるのは僕たちの仕事だ。
「きざまあああああ!!」
胴体に大穴を開けたままのハロルドは、そのまま向かってくる。
それは近づくことで大威力のフェアリーテイルを撃たせない目的もあるのだろう。行動判断プログラムは身体がどうあろうが、その状況に則した行動を指示する。
ただそれに従えばいい。それは僕も同じだ。行動判断プログラムが示す行動は待機。
それは、僕が何かするまでもなく、
「ヘッ――」
もう一人の仲間が行動するということだ。
一閃。
背後から走り込んできた真っ白な戦闘服に身を包んだ女が、その手に握られた刃が強化戦闘サイボーグの右腕を斬り裂く。
「ケッ、白い血液なんてツマンネエ」
「仕事だ、エレーナ」
「へいへい、雷同は相変わらず生真面目だね、ったく」
走り抜け様に腕を斬り裂いたエレーナは白い血液を不満げに自らの刀――高周波ブレード「宗近」から払う。
その威力は流石は高周波ブレードと言ったところ。それは超振動剣とも言う近接武器の一つ。
刀身を超高速で振動させ、その振動によって物体を切削する。通常の刃物を遥かに越える威力を持ち、力の弱い子供であろうとも鋼鉄を一刀両断にできるという。
エレーナが使うそれは、最新型森崎重工製高周波ブレード「宗近」。
ただ斬ることのみに主眼を置いた、工場生産が一般的な中、職人の手作業によって作られた珍品だ。
それを手繰り器用にハロルドの足と腕を切断していく。
「はーあ、これが赤い血ならなぁー」
やる気はそのたびに消えていくようだった。
彼女は死体愛好の一種ともいえる血液愛好で、血液に対して異常な執着があるのだ。
そんな彼女も白い血液だけは御免で赤い血潮を良く好み、それが仕事のモチベーションとなる。ムラっけがあるが、その技量は本物だ。
「こ、のぉおお!」
「はいはい、んじゃ、達磨になって天使のキッスでも待ってるんだなおっさん」
振るわれる宗近。行動判断プログラムが示す斬線に従って振るわれた宗近は、ものの見事に数秒のうちにハロルドの腕と足を切断してしまう。
これによってハロルドは行動不能。そうなってしまえば、もはやサイボーグだろうと何らかの機構を使用しなければ動くことは出来ない。
「な、めるなああああ!!」
ハロルドは粘りを見せる。ハロルドの残った背中が破裂するように開き、そこから補助腕が飛び出す。たこ足の先に爪を内包した四本の武装腕。
それに対してエレーナは完全にモチベーションが下がり切ったのか、頭の後ろで腕を組んでもうしらねーと言った構え。
無論、それもまた行動判断プログラムによるものだ。そうでなければ、彼女は今もその宗近を振るっているだろう。
彼女に二本の武装腕が迫る。僕の行動プログラムの指示もまた待機。
ここにはもう一人仲間がいる。これは彼の仕事だった。
「あー、はいはい、じゃあ、おとなしくしようねー」
飛び出した腕と身体を支える二本を四発の弾丸が弾く。
「ぐ、おおおおお!」
音を立てて倒れるハロルド。彼が撃たれた方向を見て、見たのは紫煙を吐き出しながら長大なブレードライフルを構えたコート姿の男。
長い髪を束ねて背中に垂らし、煙草をくわえて面倒くさそうに紫煙を吐き出していた。
そこに伸びる腕。
「はいはい、そんなんじゃ殺人執行者一のイケメン、ライアン・キリシマお兄さんはやれないよっと」
ライフルに搭載されたブレードを展開し、振るわれた鞭のようにしなる腕をいなし、その根元に弾丸をお見舞いしてやる。
「ほら、これでチェックメイト」
そして、
「……終わり」
ニンファの弾丸がハロルドの脳を破壊して仕事は終了だ。
その直前、
「なぜ」
僕は彼に問いかける。それは、行動プログラムが指示していない行動。この行動は僕が、僕として放ったことばだ。僕自身の。
「ははは、そうか」
ハロルドが何事かの言葉を吐き出す。
「イヴの意思をお前は――」
彼が何事かを言い終わる前に、彼の脳は木端微塵に粉砕された。フェアリーテイルの一撃だ。破片はぐちゃぐちゃ。
如何に再生技術があろうとも、これでは言葉の続きを聞くことはできないだろう。
だが、それを気にする必要もない。何があろうともセイヴィアシステムが、行動判断プログラムが判断を下す。ただそれに従えばいい。
システムとプログラムに従って、システムがエラーと判断した犯罪者を殺す。
それが、セイヴィアシステムに従って殺人を行う執行者の仕事だ。
だが、彼が最後に呟いた名前に全ての思考が奪われた。
その名前は、僕が最初に殺した女の名前だったから――。
ネタの蔵出しSF版。