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夏色の赤珊瑚

作者: 耀雪メイカ

雪色の甘桜に続く妖怪少女アイスパーラーもの第二弾、今度は磯姫の姫乃を主人公とした物語です。

こんなアイスがあったらきっと美味しいだろうなぁという気持ちと、流行りのAIを題材に一本纏めてみました。

なるべく描写をコンパクトにしつつ、雪色と夏色どちらから読んでもいいように頑張ってみましたのでどうぞ宜しくお願いします。


長く憂鬱な梅雨も明け、到来する夏。

それは誰もが心躍らせる季節の訪れ。


力強く燦々と照りつける日差しは、浜辺の砂を静かに焦がしゆく。

蒼く透き通った海は開放感を後押しし、正にバカンス日和。

入道雲は空の果て無き高さを指し示すように立ち上り、正に夏真っ盛りという趣だ。


「……やっぱり落ち着くかな、ここが」

一人そう呟きながら、広大な海を優しい眼差しで眺める一際美しい少女がいた。

彼女の正体は人間ではなく、水を司りし強大無比なる妖怪・磯姫。


磯姫はただ一目見ただけで死に、見られても近寄っただけでも即死は免れない。

人も神も妖怪も、生きとし生けるもの等しく無慈悲に死を振り撒く者。


故にかつては誰も居ない名も無き浜辺で、たった一人で海を眺め続けていた。

でも今の彼女は違う。


彼女はカタリベという言葉に棲む妖怪に導かれ、浜辺から人里へやって来た。

過剰極まる磯姫の力を、十重二十重に自ら固く封じて。

全ては相棒である雪女の少女と共に人の世を知り、一緒に生きていく為に。


彼女は眼力を封印する紅いフレームのメガネ越しに、人で賑わう渚の様子をそっと眺める。

水面の煌めきを写したような、揺らめく虹彩擁する瑠璃色の瞳で。


視線の先には色とりどりの水着を纏い、海へと繰り出す開放的な人々の姿。

燥ぎ声に歓喜の声、海を前にして生じる喧騒は不思議と心地良い。

夏の風物詩たるこんな光景を見る事が出来るのも、力を封じたからこそ。


波紋のような青い光煌めく黒髪にも、施せしは無数の封印札。

固く厳重なる封印で、もう死に纏わる力が暴発する事はない。


妖怪というより、最早普通の小学生の少女と何ら変わりない姿。

だからこそ人間社会にも自然と溶け込める、それを彼女は何処か嬉しく思っていた。


「姫乃さん、そろそろ開店準備始めましょ〜!」

炎天下にも関わらず群青色の袖無着物を纏い、ぼーっと海を眺める磯姫の名を呼ぶ可憐な声。

思わず振り返った彼女・姫乃の視線の先には、白い電気自動車バンの傍らに手を振る少女の姿が見えた。


「冴雪、分かった。今行くっ」

雪女の少女・冴雪にそう返事した姫乃は、自慢の長い髪を靡かせ元気に駆け出す。

共に経営する氷菓店『雪色アイスパーラー』のロゴ踊るバンへと、開店準備を手伝う為に。




夏はアイスの書き入れ時で、今日は好天にも恵まれ絶好の販売日和。

陽気に当てられてか姫乃の心も自然と弾み、てきぱきと作業に勤しむ。

遠くから聞こえる蝉達の鳴き声と潮騒をBGMにしながら。


「そうそう姫乃さんのオススメ漫画とっても面白かったです、続刊待ち遠しいですね」

二人で開店準備を進める最中、冴雪は車内の戸棚を拭き掃除しながらうきうき気分でそう語る。

こうした高い所の掃除は長身の彼女が担当。

実に慣れた手つきで、てきぱきと良く汚れを落としていく。


車内に満ち行く殺菌消毒用アルコールの匂いと共に、アロマから香るミント系清涼剤の匂い。

それらが見事に融け合い、清涼感と爽やかさを醸し出す。

掃除にしても冴雪の丁寧な所作は非常に気品があり、店長としての確かな風格も漂っていた。


「でしょ、私の一押しだから。冴雪ならきっと気に入るって思っていたよ」

そんな彼女を心から頼もしく思う姫乃は、カウンターテーブルを拭き掃除しながら得意気にそう答える。

姫乃は機械や流行に強く、最近の楽しみといえば専らスマートフォンやタブレットでの電子書籍集め。

小説や漫画・雑誌や学術書など幅広く多彩なジャンルを嗜む。


「先輩と後輩どっちの手を取るのか凄くドキドキです、シチュエーションも素敵でもう……!」

無事掃除を終えて、振り返りながらそう語る冴雪の白いボブカットの髪がサラリと揺れた。

彼女の菫色の瞳は爛々と光り、恍惚とした表情は正に恋話に興じる女子高生そのもの。

白い着物纏う雪女に似つかわしくない熱弁は、姫乃の紹介した恋愛少女漫画による影響だろう。


同じ図書委員で憧れの先輩と幼馴染の後輩に告白された、内気な文学少女が主人公の少女漫画。

二転三転する複雑な恋愛模様の展開を思い出し、うっとりとする冴雪。


雪女の隠れ里である北の山では、色恋とまるで無縁。

そこで長く妖怪として何処か淡々と生きてきた彼女。

だからこそ、こうした恋愛青春劇を冴雪は渇望している。


「アニメ化も決まってる話題作だから、凄く期待出来るよ。……あれ? 万寿様、夏バテ?」

姫乃がそう語る最中、店先に出されたテーブルに渋々と登る雌の雉猫が一匹。

普通の猫より一回り大きな体を、気怠げに動かしながら。


「うむ……この暑さ、どうにも如何ともし難いのぅ」

五百年を生き人語を解する化け猫の万寿様は、そう呟くとパラソル擁するテーブルの上で丸まった。

うだるような夏の暑さにすっかり参り気味の様子。


自慢の尻尾はだらしなく垂れ下がり、ヒゲも萎れて元気がない。

いつも見せる営業モードのスマイルもトークも、これでは形無しだ。


「じゃあ卓上扇風機持っていくね、ちょっと待ってて」

「面目ないのぅ姫乃……」

そう言うと姫乃は手早く小さな扇風機を取り出して、万寿様のテーブルに設置した。

日陰で涼しく吹き付ける風を浴びながら万寿様は礼を言う。


涼んだお陰で調子を取り戻しつつあるのか、ヒゲはピンと張り軽く身震い。

更に大きく伸びをして、来たるべき営業に備える。

二人に交わされるささやかなやり取りを見て、冴雪は優しく微笑んだ。


店内の掃除も一段落し、姫乃はメニューが書かれた大きなポップを砂浜に立て掛ける。

いよいよ開店準備も完了し、後はお客様の到来を待つばかり。


「準備完了、さぁいよいよ開店です!  いつもの行きましょうか」

元気な冴雪の声と共に、勢い良く開かれる冷凍庫。

開いた扉からは、白い靄と共に静かに冷気が流れ出す。


「うん、いつものね」

それを心から待ち侘びていた姫乃は、迷わず冷凍庫の奥にあるお目当てを掴んだ。


二人が笑顔で手に取ったのは、各々が好きなアイス入りのカップ。

開店前の景気付けにアイスを食べる事、それが彼女達が開店前に行う習慣になっていた。


冴雪はいつものようにチョコミントを、姫乃はナッツアンドチョコを選択。

スプーン片手に二人して頬張ると、口の中で花開くは極上の冷たさを伴う甘さ。

蕩けるような美味しさと甘さで自然と二人は笑顔になる。


「何度食べても美味しい味、やっぱり最高です♪」

「夏にはやっぱりチョコだよね……って、冴雪年がら年中チョコミントで飽きないの?」

幸せな表情で甘味を満喫する親友に、ちょっとした疑問を呈する姫乃。

コンビを組んで店を始め、それなりの年月が流れお互い気心知れる仲。

しかし姫乃は、四季を通じていつも同じフレーバーを食べる冴雪を不思議に思っていた。


「ええ、私チョコミントに一途なのでっ!」

「そんなに大好きなんだ、いつか挑戦してみようかな」

笑顔でそう力強く断言した冴雪に、姫乃はそう言って微笑む。

どうやら彼女は筋金入りのチョコミント好きのようだ。


そう一人納得しつつ、姫乃は粛々とナッツの食感とチョコの甘味を堪能する。

無数にあるフレーバーの、まだ未体験の味に思いを馳せながら。


「では改めて今日も一日張り切って……」

「待って、浜辺の様子がちょっとおかしいよ」

無事アイスを食べ終え、いよいよ冴雪の開店宣言という所で姫乃は周囲の異変に気がついた。

浜辺にいる観光客が皆一様にこちらへと向かっている。


呼びかけているのは、流行りの水着を着た女子大生くらいであろう美しき娘。

彼女の声に導かれるように、客が一様に向かい行く先。

それは姫乃達が居るバンを停めた臨海駐車場隣の、とても大きな海の家・しおかぜ亭。

このしおかぜ亭は二人がよく知る店でもある。


「しおかぜ亭に助っ人……?」

姫乃は海の家を眺めながら思わずそう呟く。

何故なら今回の出張販売は、姫乃達が住む商店街の主・油すましを通してしおかぜ亭から依頼されたもの。

全ては近年増加の一途を辿る海辺の観光客に対応する為。


加えて今年は店主が突然度の重い腰痛を発症し、人手不足が深刻との事。

故に両店一致協力態勢を築く運びとなった。

到着した今朝も、急遽店を仕切る店主の奥さんに挨拶したばかり。

姫乃達はその時、助っ人として店主の姪と友人達が来るかも知れないと聞かされていた。


しかしこの盛り上がり方は異常なまでの熱気を帯び、人が人を呼ぶ流れが止まらない。

何故なら呼び込みの娘は、人の好奇心を擽る魅力的な単語を含んでいたからだ。


「名物かき氷が自慢のしおかぜ亭、いかがですか〜? 今大注目のAIを導入し最先端の人工知能があなたの好みを賢く判別、更に電子決済と注文予測システムの相乗効果でお待たせしません! クイックテイクかき氷で、ストレスフリーの新体験を提供しますっ!」

自信に満ちた彼女の透き通るような声は、海辺に響き渡り更に人を呼び込んでいく。

そしてキャッチコピー通り、科学の粋を結集したサービスが始まっていた。


浜辺の客の姿と動向を、店内に設置されたライブカメラが広く随時補足。

着ている水着の柄や行動パターンから、AIが好みのメニューを極めて高精度で予測する。

通常人間というものは嫌いな柄の物は身に付けない。

そういう着眼点で作られ、更にメニューを夏場王道のかき氷に限定した人工知能だけに効果は覿面。


導き出された需要データをキッチンのスタッフに送り、大量にかき氷を作ってトンネル状の業務用ショーケースへ一時保存。

手数軽減の為メニューは全て掛けるだけで簡単に作れる、嫌われ辛い果物系シロップ物に限られるという徹底ぶり。


カウンターに居る奥さんがタブレットからAIの予測を見、携帯で電子決済を終えた客に予測通りのかき氷を素早く渡す。

だから行列は出来るものの、決済が終わると同時にかき氷が渡される為待ち時間は軽微。

需要の先読みを瞬時にこなす人工知能……更にニーズに的確に応じた大量作り置きのお陰で、注文の手間とそれを受け作る工程が省かれた。

結果まるでベルトコンベアのようにスムーズに人が流れていく。


物珍しい光景に興味を抱いたビーチの人間達は、吸い寄せられるように海の家へ向かう。

誰もが雪色アイスパーラーに気を取られぬままに。


「ねぇ、あおい。面白そうだよちょっと行ってみようよ!」

「待って、らん。慌てないでいいからっ」

連れ立って海の家を目指す、カラフルな水着姿の少女達。

そんな彼女達を横目に姫乃も冴雪もただ呆然としおかぜ亭を眺めていた。


「人の列が出来てるのにあんなにも待ち時間が少ないなんて凄いですね、こんな光景私初めて見ました」

「人工知能、ここまで進化していたなんて……」

素直に感銘を受ける冴雪に対してそう姫乃は相槌を打つ。

読書量には自信があり、ニュースも追ってる姫乃は流行りの技術の動向もある程度把握している。

しかし彼女の予想を遥かに超える、AIが生み出す現状。

二人が受けたインパクトは極めて大きい。


暑い気温も手伝ってか、客足はしおかぜ亭へと向い伸びる一方。

浜辺の人間全てを引き寄せんとする程の、正に圧倒的な光景だった。


「ふぅむ、二人の言う通り実に見事じゃ……って感心してる場合ではないぞ! これではうちの売上はどうなる?!」

思わず呆ける二人を見て、万寿様は夏バテをも振り切る勢いで叫ぶ。

尻尾はバタつき、ヒゲは揺れて動揺っぷりは一目瞭然。


このままでは依頼を受けて出店したにも関わらず、来客ゼロで終わりかねない。

折角本店を休んでまで来ただけに、それだけは避けねばと二人と一匹知恵を絞らんとした矢先。

呼び込みの娘が意気揚々と来店した。


「こんにちは〜、お邪魔します。おばさんから聞いたよ、大変な時に出張販売で手伝ってくれるってね。だから、本当に有難うってどうしても伝えたくって。おじさん急に寝込んじゃってさ……」

日焼けした肌にウェーブ掛かった長い髪、陽気な彼女の語り口は捲し立てるように早い。

けれどもその軽妙な雰囲気は、底抜けに明るくて親しみ易くチャーミングさを感じさせる。

着ている水着の柄も南国風で、内面外面ともにお洒落に隙がない正に今時の女性という装い。

何より彼女の口振りからして、店主の姪である事が伺えた。


「いえいえこちらこそ、私は店長の冴雪です。どうか宜しくお願いしますね」

「私は潮汐・波江うしお・なみえ、ナミエって呼んで。それにして妖怪の人は初めて見たなぁ、巷で凄く噂になってるからとっても会いたかったんだ! うわ、本当に感動〜」

そんな彼女に冴雪は店長として丁寧に挨拶、続くように波江も挨拶を返す。

波江は珍しがるように店内と、二人の妖怪少女を交互に見つめた。


すっかり燥いで舞い上がっていて、彼女は万寿様には気が付かないでいる様子。

今ここで迂闊に口を開けば長話になる予感を抱き、素知らぬ猫の振りをする万寿様。

万寿様はそうした面倒避けに、時折猫の振りをするお茶目な癖があった。


妖怪が人間社会に溶け込んでいると言っても、妖怪の比率は極めて稀有。

やはりどうしても物珍しさが勝ってしまう為、波江の反応も無理はない。

彼女はハイテンションのままに口火を切る。


「おじさんがこの夏戻れるかどうか怪しいってんで、うちの大学……ああ人工知能に強い所なんだけど。そこの学部の仲間も手伝ってくれる事になってね、大学のAI研究兼ねてお店の手伝いで一石二鳥って訳なの。ホントに凄いでしょうちのAI! ここと研究室のサーバーをネットで繋いで動いてるのよ〜」

波江は身を捩らせつつ、まるで我が子を自慢する母のように惚気ながら語った。

彼女の瞳は何処までも真っ直ぐで自信に満ち溢れていて、技術の夢追い人然としている。

自らが関わるAIに対する確固たる誇り、それが一目で伝わって来る程に。


「うん、ホントにびっくりした。もうあんな事出来るくらい進化してるんだね」

彼女の無邪気さと情熱に惹かれてか、姫乃が率直な感想を零す。

AIへの褒め言葉を聞き、波江の表情が夜空に咲く花火のような満面の笑顔に変わった。


「そうなの、AIは本当に賢いのよ! しっかりと学習して人間みたいにどんどん進化していくの、お陰で徹底的に効率化されて人手だって……」

自信ありげな彼女がふと言葉に詰まった瞬間、一陣の風が吹いて波江のウェーブ掛かった髪が揺れる。

乱れた髪を掻き上げる仕草の中で、消えゆく笑顔に混じって見せたほんの微かな躊躇いと不安。

何より瞳には先程と打って変わって、ただただ迷いだけが色濃く滲んでいた。


変わりゆく波江の表情を垣間見て姫乃はハッとする。

何故ならその佇まいが、かつて一人でただ海を眺めていたあの頃の自分に似ていると感じたから。


磯姫が持つ万物を即座に死に至らしめる力、例外はたった二つだけ。

生き死にという概念を超越したカタリベと、自分自身のみ。


蛇や蠍が己の毒で死なないように、姫乃もまた自身の力で死ぬ事は無い。

故に彼女は水面を鏡代わりにして、時折自分の表情を見ていた。

千変万化の表情を持つ空と違い、いつも曇ったままの顔を。


だからこそよく分かる、波江の抱く深い哀愁と姫乃自身がかつて抱え込んでいた物は似ていると。

磯姫に関わる命の全てを即死させてしまう為、常に孤独で誰にも伝えられないままで居た気持ち。

それに何処か似た物を波江はきっと一人で抱え込んでいると、姫乃は直感で確信した。


「ナミエ?」

「……ううん、何でも無い。ゴメンねアタシったらすっかり話し込んじゃって、お互い頑張ってこの夏乗り切ろうね!」

姫乃は心配になり思わず波江に声を掛ける。

すると迷いを誤魔化すかのように、彼女は空元気の笑顔を見せて店を去った。

けれど誤魔化し切れていないのは誰の目にも明白。

去り際に見せた精一杯の笑顔と淋しげな後ろ姿は、何処か消え入る線香花火に似ていた。


彼女を咄嗟に引き止めようとして差し出した姫乃の手が空を切り、胸中に弾ける程の感情が溢れ出す。

零れた感情はやがて波江を助けたいという願いに象られ、彼女の身を衝き動かした。


「ごめん冴雪と万寿様、暫くの間お店任せても良いかな?」

浜辺の喧騒と蝉時雨を切り裂き、姫乃は思い切って切り出す。

心中に強く芽生えた明確な決意と共に。


「突然どうしたんじゃ姫乃?」

「え、良いですけれどどちらへ?」

突然の告白に万寿様と冴雪は戸惑いながらそう答えた。

普段クールで自己主張も割と控えめな姫乃が、こんな事を言い出すのは珍しいからだ。


「ナミエを放っておけないんだ、私。あんな顔見ちゃったらね……それに」

姫乃は静かに浜辺に歩み出しながら告げる、抱いている思いの丈を。


「勝ち負けとか損得じゃなくて……私はあの人を笑顔にしたい、でもこのままじゃきっと振り向いて貰えない気がする。だから行かなくちゃ、AIの魅力に対抗出来る新メニューのヒントを掴みに海へ……!」

堰を切ったように姫乃の口から語られる言葉、どれもが本心から出てきたもの。

波江の為に自身に出来て、どうしてもやりたい事があると切々に。

彼女の直向きな思いは、妖怪少女達の保護者が抱く心を動かすには十二分だった。

その宿主たる万寿様が思わず声を出す。


「カタリベ、お主!」

『姫乃、行くのですね』

言葉に棲む妖怪・カタリベが、宿主である万寿様から離れ独自に言葉を紡ぐ。

妖怪少女の保護者として見守る立場に徹するカタリベが自ら動く、それは極めて異例な事。

万寿様は驚きと共に尻尾を揺らし、声の発生源である光る中空を見つめた。


「大丈夫、心配しないで皆。海ももう慣れてるし」

カタリベの呼び掛けにそう答えると、姫乃は涼し気な笑顔で振り返る。

心から信頼する仲間達へと。


『皆と共にここで貴女を信じて待っています、必ず無事に帰って来るのですよ』

性別も命をも超越した、神々しくも温かい囁き。

カタリベ特有の慈悲深い声を、姫乃は真摯に受け止める。


「姫乃、くれぐれも無茶はするでないぞ」

「新メニュー、私すぐ対応出来るよう準備しておきます。姫乃さん」

決意と共に海へと向かわんとする姫乃に、万寿様と冴雪はそう語り掛けた。

全面の信頼を寄せてくれる、掛け替えのない仲間達の温かい言葉に姫乃は感謝の意を示す。


「有難う、行って来るよ」

飾り気がなくとも、心からそう思うありのままの気持ち。

それを冴雪達に伝えると姫乃は真っ直ぐ海を見据えた。


吹く潮風は何処か優しく、彼女の美しく艶のある長い黒髪を撫でる。

一歩一歩踏み出す毎に、砂浜に刻まれていく足跡。

その歩幅が徐々に広がり、姫乃は波打ち際を踏み越えて海へ飛び込んだ。


沢山の泡に包まれた後、視界に飛び込むは一面の青い世界。

冷たくも微かに生温い海温は少し心地よく感じられる。

魚達は活き活きと泳ぎ、海底には藻類が波間に舞う。

賑やかな陸と打って変わって、海はただ静寂に包まれていた。


長い髪に無数に貼られた撥水性の封印札が、水面から飛び込む光に反応し煌々と光る。

そんな光をランタン代わりに宿したまま、姫乃は遠くへ目星をつけ一心に泳ぎ出す。


磯姫は水を司る強大な妖怪。

水圧も水の抵抗さえも思いのまま、水に纏わる全てを完全に支配下に置く。

封印を重ねて尚余りある力の片鱗で、彼女は水を操り一気に猛加速。

景色を置き去りにする程の速さで海中をゆく、余波さえ生じさせないままに。


一海里という距離を瞬く間に超え姫乃は目指す。

迷える波江を振り向かせ彼女の心を癒やし、浜辺の皆を笑顔に出来る素敵なアイス。

二つの切望する理想を実現出来る、新作のインスピレーション源へ。


(この海に何か閃きの元になるもの……)

懸命に考えながら、彼女は流れるように移ろいゆく海底の景色を眺める。

磯姫の力で曇り知らずの眼鏡越しに。

広い海の何処かに、求める物が必ずあると信じて。


やがて彼女の目に鮮やかで優しい色合いが飛び込む。

それは海面から飛び込む仄かな光に包まれた、非常に立派なサンゴ。

海の青に負けない赤い輝きを湛えて、海底に無数に鎮座していた。

非常に荘厳な雰囲気を醸し出しながら。


「凄く綺麗……何て立派な赤珊瑚なの!」

珊瑚の余りの美しさに、姫乃は思わず感嘆の言葉を漏らした。

彼女は水面から飛び込む微かな陽光を背に、海底へと静かに降りていく。


そして改めて間近で見た彼女は、真っ赤な珊瑚の持つ魅力に驚いた。

太い幹が無数に枝分かれし、岩礁から水面を目指して生えたかのような趣。

形はまるで扇子のようであり、命の躍動感と果て無き力強さを感じさせる。


何より色艶共に実に見事で、血が滴るかのような紅をしていた。

この質の高さから見て、最高級品に値するのは間違いないだろう。

荘厳ながらも艶やかな珊瑚に、姫乃は目を見開く。


太古の昔より続く、正に天然自然の営みが生み出し育んで来た結晶。

彼女は大いに感動を覚えると共に決断する。

赤珊瑚をモチーフとした、新しいアイスを作ると。


新作アイスのレシピを考えだした矢先、潮の流れが不意に乱れた。

違和感を覚えた姫乃が振り返る。

すると珊瑚の生える岩の近くに、見慣れぬ板状の人工物が落ちている事に気づく。


(あれは海洋ゴミ? ケーブル無いなら稼働中の機械でもないだろうし、何処かから流されてきた?)

それなりに年月が経っているのか、波に洗われ元が何なのかは最早判別出来なかった。

しかし確かなのは特に魚礁という訳でもなく、海洋ゴミであるという事実だけ。


サイズも大きめで一畳大程度、海底の水圧も鑑みると人が回収するには少々手を焼くサイズだ。

加えて厄介な事に海水による劣化の影響か、尖った部分が多く飛散しやすい形をしていた。

彼女はかつて読んだ海洋科学書により、珊瑚を傷つける原因の一つに海洋ゴミが含まれる事を知っている。


(放っとけないよね、やっぱり!)

遠くない未来にひょっとしたら珊瑚を傷つけてしまうかも知れない、そう考えた彼女は掌を海洋ゴミへと翳す。

磯姫の力で強力な水流を生じさせ、珊瑚から遠ざけた彼女は更なる力を行使。

背後の珊瑚達を守る為に、巨大な水流による臨時の絶対防御障壁を形成した。


一方向に流れる豊富な海水により、熱も衝撃も決して通す事の無い堅牢無比なる水の壁。

これで憂いを抱く事無く、安心して作業に取り掛かれる。


まずは海洋ゴミを取り巻く水を海から隔離、まるで気泡に包まれたかのようにしてゴミを浮揚させた。

そして糸鋸のように極限まで研ぎ澄ました水流の刃で細かく寸断。

次いで姫乃は、最寄りの海底火山の熱水噴出孔から生じる莫大な熱エネルギーを拝借する。


磯姫の力により生じた螺旋の水流と、莫大な量の気泡により火山から生じる熱水を海より隔離。

断熱され高熱量を保ったままに数百キロの距離を超えて、チューブ状の熱が彼女の手元にやって来る。


(本によるとこれを繋げて圧力掛ければ出来る筈、ぶっつけ本番だけれど。資源に還させてあげる、いくよ!)

両掌を合わせ、姫乃は一瞬で眼前の海水を真水へと変えながら大きく加圧。

更に引いて来た熱水を真水へと徐々に繋いでいく。

火山より伝い収斂された熱は、完全に彼女のコントロールの下で真水へと接続。


繋いだ瞬間、莫大な熱を受け真水は瞬く間に沸騰した。

更に姫乃は沸き立つ真水に対して、全方位からより一層強い圧力を加える。

封印されて尚強大無比極まる磯姫の力で。

そうして周囲に一切被害を齎す事の無い、安全且つ究極の天然分解炉が形成された。


真水は凄まじい熱量と極大の圧力により超臨界点を超えて、超臨界水へと変貌。

超臨界水は金もタンタルもダイオキシンさえも溶かし、綺麗に分解してしまう力を持つ。

姫乃はそれを以ってゴミを分解する気なのだ。


彼女が人の社会で会得した知識に加え、磯姫の力と大自然の力とで成し得る三位一体の分解技。

生じた超臨界水は姫乃の眼前で、バランスボール大の大きさの球状となり激しく還流している。


彼女はまるでストーブの薪のように、丁寧に寸断された海洋ゴミを超臨界炉と化した真水へと投じていく。

するとゴミは絶えず還流する超臨界水に翻弄され、大きく変容。


一切の破片すら生じさせず、激しいままに溶け落ちていく様は何処か神秘的でさえあった。

綺麗に分解されて溶質と化したゴミは、彼女の力により無害化されて静かに水面へと上昇。

その光景は何処か燈籠飛ばしにも似ていた。


(これで良し……!?  この感じ、何かが来る!)

無事全てのゴミを分解し終えて、天然分解炉を解体しほっと一息ついた瞬間。

姫乃は完全に常軌を逸した殺気を感知した。

食物連鎖の頂点に居る捕食者だけが持つ、全身を刺し焦がすかのような強烈な物を。


急ぎ周囲を見渡すと、遠方より猛然と泳ぎ来る影があった。

それは全長六メートルを優に超す、極めて巨大なホオジロザメの姿。


鋭く尖った鼻先に立派な背びれ、灰色の背に白い腹。

軽く開いた口にびっしりと生え揃う、無数の獰猛な牙。

何より虚ろな瞳を擁する、一切の恐れを知らない凶暴な顔立ち。


紛れもなく姫乃を食らうべくやって来た、大海の猛者だ。

だが彼女は余裕なままに、取り得る手段を冷静に考える。


水を司る磯姫の力を以ってすれば、サメをただ撃退・排除する事等余りに容易い。

例えば水圧で軽く押し潰せば良いし、サメの血流を完全に止めて死に至らしめる事も出来る。

水流でウォーターカッターを生成し瞬時に八つ裂きという手だって可能だ。


しかし今の彼女は無用な殺生は望まない。

かつてその力故にどうしようもない程の孤独を抱え、ずっと寂しさに苛まれていたから。


かと言ってこのままサメを返しては、いつか人的被害を出す恐れもある。

そう判断した彼女は、捕食者であり同時に利口さをも併せ持つホオジロザメの為に取って置きの手を使う事にした。


「特別だからね……五臓六腑に刻んであげる、極上の死の香りを!」

不敵な宣言と共に両手を広げ、姫乃は磯姫の本性を現す。

自ら十重二十重に固く厳重に掛けた封印、それらを一切解く事無く。


彼女の双眸がメガネ越しに妖しく煌めき、発現するは万物を死に誘う力の片鱗。

次いで姫乃の全身の輪郭が昏い輝きを放ち、ホオジロザメの五感を電光の如く貫いた。


姫乃を直視したサメの視界にノイズが走った刹那、血生臭い感触が体の内から激しく滲み出す。

同時にサメの全身に迸る凄まじい悪寒。


更に今まで数え切れぬ程捕食し、鍛え抜いた顎は痙攣し体から体温と力が抜けていく。

余りにもリアルで鮮明な死のイメージがサメの脳裏を支配し、瞬く間に攻撃意思を塗り潰した。


サメはまるで予想だにしない事態に恐れ慄く。

矮小と見て侮り、喰らわんとした姫乃から放たれる妖気に最早完全に囚われていた。


巨大な体の内側から続々と臓器が爆ぜ飛ぶ感覚が収まらず、自慢のヒレが激しく拉げるような苦痛が拭えない。

自慢の鮫肌も生きたまま剥がされ、脳を執拗に引っ掻き回されるかのよう。


サメは明確な死の予感に直面し自ずと悟った、これ以上妖気を放射する姫乃を見てはならないと。

僅かにでも磯姫と化した彼女を見るサメの視界は、既に血に染まり爛れ切っていた。

まるで猛毒でも盛られたかのように。


サメは息絶え絶えになりながら、生存本能に従い全力でターン。

生まれて初めて怯えながら一目散に逃げ出した。

自身の身に、全く何の異常もない事に気がつかぬまま。


「よしよし、もう人に手を出すんじゃないよ」

逃げるサメの背中を目で追いながら、姫乃はそう呟くと発揮した力を鎮めた。

ホオジロザメは賢いサメであり、高い学習能力を持っている。

人の危険性を悟らせれば、早々手出しはしないと踏んで行使した一手。


磯姫の持つ即死能力を限りなく希釈し、人間に対して拭い難い死のイメージだけを刻み込む。

その術が功を奏して、あのサメが人を襲う事無く海で共存出来るよう彼女は切に願った。


無事サメが居なくなったのを見届けた後、姫乃は珊瑚を再度眺めに行く。

赤珊瑚は先の騒動も知らぬまま、ただ海底に鎮座していた。

ゆっくりと揺らめく海流を全身に受けながら。


幾年月を経て大成した、立派な非造礁性サンゴ。

独特の深みを持ち豊かな色合いと加工に耐え得る強度を持つ事から、宝石として珍重される品種。

そんな珊瑚達を彼女は感動しながら見つめている、確かな決意と共に。


「本当に美しい……この色艶形私はきっと忘れない、必ず活かしてみせるから」

誓いの言葉と共に珊瑚の姿を心に刻み、姫乃は元居たあの賑やかな浜辺を連想する。

信じる仲間達の待つ、しおかぜ亭擁する渚へと。


すると彼女の身は泡と共に海に溶け、瞬く間に元居た浜辺の海の浅瀬に再構成された。

海から上がって波打ち際を早足で歩いていると、背後から聞こえるは風に乗るカモメ達の声。

果てしない距離を超えて一瞬で戻った彼女は、迷う事無く浜を駆けて雪色アイスパーラーに飛び込んだ。


「ただいま皆、アイデア掴んで来たよ!」

『お帰りなさい姫乃、無事で安心しました。己が信じた道を真っ直ぐに行きなさい、私はそれを見守っています』

姫乃の第一声に、カタリベは安堵したかのような声で答えた。

そして宿主たる万寿様の体へと戻っていく。


「カタリベもそう言っておる、腕の見せ所じゃぞ姫乃」

「お帰りなさい、準備出来てますよ。さぁ一緒に作りましょう」

姫乃の声に、万寿様と冴雪は笑顔でそう答えた。

仲間の温かい声を聴き、姫乃は力強く頷く。


冴雪の言う通りバンのキッチンは準備万端。

色んな果汁が各種取り揃い、早速新メニューの試作が出来る環境が整っていた。


「冴雪、力を貸して。真っ赤な珊瑚のアイスキャンディーを作るの、名付けて夏色の赤珊瑚。実演販売みたいにすればきっと見て楽しめると思う」

そう言うと姫乃は早速果汁のチョイスに入る。

彼女は赤い色合いの果汁を徹底的に探し、あれこれと見比べて吟味。

風味を考えつつピックアップしていく。


「食べられる珊瑚……とっても素敵ですね、配合色々工夫してみましょう。棒も出しておきますね」

アイス制作に直向きな姫乃を見て、冴雪は微笑みながらそう答えた。

棚からアイスキャンディー用の棒束を取り出しながら。


「あの赤さ、ザクロメインが良いかな……海を連想するようにちょっと塩も」

「いいですね、熱中症対策にもなりますし。甘くて赤いものならばアセロラも良いかも知れません」

姫乃と冴雪互いに意見を出し合いながら、果汁パックを開けて調合を開始。

ボウルの中にザクロ果汁とアセロラ果汁を加えて掻き混ぜ、隠し味に塩を僅かに加えていく。


「んー、この位かな?」

そう呟いた姫乃が念じると、磯姫の力を発動。

無重力空間の液体のように調合した果汁の球がひと滴ふわっと浮かび、彼女はそれを口にする。

すると舌に広がるは非常にあっさりとした爽やかな風味。


ザクロの奥深さとアセロラの甘酸っぱさが交じり合い、口に広がるは甘く清涼感に満ち溢れるハーモニー。

味覚計算通り夏に似合う、実に良い味わいだ。


「もうちょっとだけ……」

けれど若干塩気が足りないと感じた彼女は、そう言うと慎重に塩を追加。

もう一度改めて味見をすると、今度は満足の行く会心の仕上がり。

塩掛けスイカのような塩梅で甘さがより引き立てられて、追い求める理想の味となった。

姫乃は相棒の冴雪にも笑顔で味見を促す。


「本当に絶妙な味加減ですね、これならきっと行けます。必ず」

果汁を一口含み味を堪能した冴雪は、そう言って太鼓判を押した。

配合と試作を終えた彼女達は、いよいよ商売に向け本格的な大量生産を開始。

より大きなボウルに、二種類の果汁を注ぎ撹拌しつつ塩を入れる。

先程の配分を正確に再現しながら。


真剣な表情で新たなアイス制作に励む、二人の妖怪少女の背中。

それを万寿様は満足気な表情で見守っている。


「私が珊瑚の形を作るから、冴雪は随時凍らせて。食べやすい形を作りつつ、先端から切り離しやってみるから」

「分かりました、任せて下さい。切り離した所を棒で拾って仕上げですね」

姫乃の提案に冴雪が乗った。

端的なやり取りだけでも、やりたい事が手に取るように理解出来る。

これも長く一緒にやってきて、阿吽の呼吸が培われている正に以心伝心の仲だからこそ。


二人の妖怪少女は、心合わせて妖怪としての力を振るう。

まずは姫乃が掌を翳し、ボウルの果汁を精密にコントロール。

発揮した力により赤く水平な水面が迅速に隆起。

太い幹から枝分かれしつつ分岐を重ね、海底で見た赤珊瑚の形と力強さをそっくり象っていく。


命の躍動感と果汁の瑞々しさが融け合って、形成されるは格別の甘さを誇る珊瑚。

色艶といい存在感といい、決して海底の赤珊瑚に引けを取らない。


「本当に見事な造形ですね、次は私が……凍らせます!」

思わず感動の言葉が零れた冴雪は、集中力を高めてバイオレットのネイル擁する五指を珊瑚に這わせた。

同時に雪女の力により熱が奪われて、果汁の珊瑚だけが凍っていく。

丁寧に冷気制御し、芯までは冷やさないよう心掛けながら。


珊瑚のアイスキャンディーは性質上、先端から切り離し売っていく物。

完全に凍らせてから売り続けると、先から消えたままになって珊瑚の形が崩れてしまう。


けれど芯が凍らぬままだと、売った後も芯からボウルの果汁を吸い上げる形で珊瑚の先端を再生可能。

これは実演販売を盛り上げる意図もあり、利便性との一石二鳥も兼ねていた。


「いい感じ、切り落とすからお願いね」

「了解、行けますよ」

合図と共に姫乃はボウルから生えた珊瑚の先端を、珊瑚内部の果汁で生成した刃で内から切り離す。

ポトリと落ちる珊瑚の枝に、冴雪は横から素早く棒を差し入れてキャッチしつつ凍結させ仕上げ。

二人の目論見通り、見事珊瑚の形をした真っ赤なアイスキャンディーが完成した。

申し分のない出来栄えに、二人笑顔でハイタッチを交わす。


「じゃあ早速味見してみよう、冴雪」

「ええ」

彼女達はそう言うともう一本アイスキャンディーを作り、一緒に試食を開始。

完成品の味を試すと、舌を爽やかな冷気と極上の甘さが包み込む。

口の中に齎された幸福感に、思わず二人笑みが零れ落ちた。


色艶形に加え非常に口当たりも良く、あっさりとしている甘酸っぱさと微かな塩味。

ザクロの深みとアセロラの甘さ、塩気と冷気が絶妙に絡み市販アイスと別次元の美味が口内に咲き乱れる。

冷気に引き締められて、配合時より格段に甘味としての完成度が増していた。

独特の風味は名前通り、味覚を通して夏の海を感じさせる完璧なもの。


姫乃は感慨深い思いを抱きながら、じっくりと味を満喫する。

海底に鎮座するサンゴ達の記憶を反芻しながら。


どうしようもなく暑いこの夏に、正に打って付けの一品に仕上がった傑作アイス。

切り落とした珊瑚の先端をボウルの果汁から吸い上げ、再生させるのにも成功し憂い無し。

堂々とお客様に出せる出来に二人は自信を抱く。


「本当に完璧な出来ですね、夏色の赤珊瑚を大々的に推して挽回頑張りましょう」

そう言うと冴雪はアイスキャンディーを的確に値付けし、販売準備に取り掛かる。

彼女の表情はとても活き活きとしていて、太陽のように輝いていた。


氷菓を何よりも愛する彼女だからこそ、新作アイスの販売開始に高揚しているのだろう。

好きが高じて始めた氷菓店の主らしい反応だ。


「うん、珊瑚形成張り切って行くよ」

そんな彼女を見て姫乃もまた涼しい笑顔で答える。

心から信頼する相棒の溌剌とした姿に、勇気を貰いながら。

同時に改めて海へ赴き珊瑚と出会い、新作を作れて良かったと実感していた。


「いよいよ販売開始じゃな、盛大な呼び込みならば任せておくれ」

万寿様は大きく伸びをした後、浜辺に木霊する程の勢いで呼び掛けをする。

賑やかな呼び声に加え、カウンターに鎮座する真っ赤な珊瑚の珍しさにつられて早速女性客が来訪。

雪色アイスパーラー一同丁寧に接客し、早速一本売る事に成功した。


「わぁ、とっても不思議。珊瑚そっくりなのにこんなにも甘くて美味しいなんて! 甘酸っぱさが凄く良いわね」

「本当に有難うございます、再現頑張った甲斐がありました」

最初の客から零れる、新作アイスへの素直な感動の言葉。

姫乃は嬉しさの余り、笑顔で女性客へと心から感謝の気持ちを伝えた。

女性客の好反応に興味惹かれて、浜辺から客が一人また一人と集まって来る。


見た目に訴える"食べられる珊瑚型アイスキャンディー"というコンセプトは余りにも効果絶大。

何より販売の為切り落として一本提供された後、果汁により珊瑚の先端が再生されていく。

まるで生きた赤珊瑚のような姿は、実演販売形式に相性抜群。

再形成の様子を見て楽しめる為、待ち時間も気にならない。


姫乃が珊瑚を形成し、冴雪が凍らせる。

可憐な彼女達の懸命な姿に魅せられて、男性客も続々と訪れ賑わいを増す。

勢いを感じた万寿様も猛暑に負けず喧伝し、更に客足が加速していく。

気がつけばエアスクリーンで清潔さを保ったカウンター前に、沢山の客が訪れていた。


「これは凄く忙しくなりそう……冴雪、果汁ストックは大丈夫?」

「念の為多めに積んであるので安心して下さい、頑張って行きましょうね」

姫乃の問いに頼もしく答える冴雪。

二人は真っ直ぐ来客に向き合い、嵐のように舞い込むオーダーにてきぱきと答える。

姫乃の最初の目標であった、AIに対抗しお客様を笑顔にする事。

それを無事達成出来て、内心姫乃は安堵を覚えると共に改めて気を引き締めた。


繁盛の確かな手応えを感じた二人は、てんてこ舞いになりながらも接客・販売に尽力。

見た目に味と魅力に満ち溢れた、新作アイスキャンディー・夏色の赤珊瑚。

手頃な価格と食べ易さも手伝って、破竹の勢いでセールを重ね大成功を収めた。

新作アイスを食べる客達から一様に覗くのは、弾けるような笑顔。


姫乃も冴雪もそれを励みに、販売に邁進する。

共に抱く願いを叶えたという確かな満足感を抱きながら。



やがて慌ただしい時は流れ、浜辺に訪れる静かな夕暮れ。

太陽は水平線に触れ、日輪は優しい色に滲んでいる。

空は夜の気配を帯び始めていて、天上には一番星が誇らしげに瞬いていた。

辺りには風流な鈴虫の鳴き声が響き、まるで時が止まったかのような一時。


穏やかな潮騒に乗って海から吹く風は爽やかで、そっと心も体も癒やしてくれる。

蟠りを解くにはこの上なく良い頃合い。

客足も一段落した頃、ゆっくりとした足取りで波江が来店した。


「今日は一日本当にお疲れ様、皆のお陰でおばさんもとても助かったって」

「波江さんもお疲れ様でした、お役に立てて本当に良かったです」

心から礼を告げる彼女に、冴雪もそう言って応える。

揚揚と語らう波江に、姫乃はバンを飛び出し満を持して切り出した。


「ナミエ、待ってたよ。新作アイス・夏色の赤珊瑚一本サービスするね、これは貴女に是非食べて欲しいものだから」

「本当? 有難う、頂くわね」

彼女は心から待っていた来客に、自信作たる夏色の赤珊瑚を手渡した。

波江はそれを受け取ると、軽い礼の後食べる。

すると一口した瞬間、舌の上に広がる甘酸っぱくも極上の美味。

海のような広さと深さを併せ持つ甘味に、彼女は驚きながら言葉を発した。


「凄く魅力的な甘さ、とても美味しい……」

彼女は目を開いて、赤色の紅珊瑚を改めて味わう。

純真無垢な笑顔と共に。

満足気な波江の表情に姫乃は安堵し、冴雪に目配せ。

そしてどうしても聞きたかった事を尋ねた。


「良かったら話してくれないかな、抱えてるもの。きっと私、相談に乗れるよ」

水のように透き通った姫乃の可憐な声。

されど真剣な問い掛けは、波江の心の琴線を震わせる。

その言葉が風に融けてしまう前に、波江は口を開いた。


「そっか、やっぱり見透かされちゃってたか。……これはしおかぜ亭に居る学部の皆には内緒ね、ココだけの話」

彼女は苦笑しつつ、唇に指を当てて内緒のジェスチャーをする。

姫乃は頷いて話の続きを待つ、彼女を信じて。

波江はいくらか思巡した後に考えを纏め、直向きな言葉を紡いだ。


「小さい頃ね、"喋る機械"ってのが大好きだったんだ。AIが乗ってて心を持ったロボットとか機械とか、よく漫画とかアニメとか映画やドラマに出てくるような奴ね。機械の相棒が活躍するシーンを見ながら、目をキラキラさせてたよ」

遠い目をしたままに波江は語り出す、秘めたる心の内を。

語られる言葉を、姫乃は心で受け止めていた。

相談に乗る彼女の小さな背中を、冴雪も猫の振りをしてる万寿様も暖かく見守っている。


「アタシの夢は、ずっと心を持ったようなAIを作る事なの。暮らしを便利にしてくれる凄く賢い人工知能をね。誰だって待つのは嫌い、便利な物が好き……アタシもそうだし。だからこの夢は、きっと皆を幸せに出来るんだって無邪気に考えてた」

波江にとって掛け替えのない夢、それは熱量を帯びた言葉で語られていく。

切々と喋る彼女、姫乃は肩を並べて聞き入る。

二人で共に遠い夕日を眺め、海から吹く風を一心に受けながら。


「AIはどんどん進化して、アタシは夢を叶えてる瞬間を噛み締めながら学部の皆と日々歩いてる。でもこのまま進化して色んな機械に乗っていくと、経費節減の名の下に多くの人の居場所を奪っちゃう。世界を便利に、人を幸せにする為に作った筈のAIが」

躊躇わず本心を吐露する波江、彼女は人工知能が齎す確かな影を見据えていた。

極めて高度に効率化が進み、このまま機械に人工知能が搭載され続け普及したビジョン。

それは同時に、幸せにしたいと願った人間が愛するAIによって居場所を追われていくという事でもある。


「だから皆はAIを歓迎する一方で潜在的に恐れても居るって感じがするの、色んな作品で敵役になったりとかしてね。けれどアタシの夢だからAIを嫌いになんてなれない、でもこのままでもいけないと思うんだ」

人工知能に情熱を注ぐ波江が抱く懸念。

夢を穢すある種の恐れを拭えないままで居る気持ちを、彼女は淡々と語っていく。


より安くより便利に、人が利便性を追い続ける以上決して避けられない未来像。

そこには便利の代償に、きっと人工知能や機械に対する嫌悪感や憎しみが渦巻く。

彼女は自身の夢が齎すであろう世界の様相にジレンマを感じていた。


「教授も仲間達も日々AI研究に情熱的に頑張る姿をよく知ってる、だからこそ言い出せなかったの。皆が未来へと進んでく足を止めたくなかったから」

親しいからこそ話せない複雑な気持ち。

彼女は内に秘めた思いと迷いを曝け出した、姫乃の気持ちに応じて。

穏やかに流れゆく時間の最中、姫乃は自分なりの答えを導き出す。

そして意を決して優しく語り出した。


「切り捨てるんじゃなくて、見出す……そういう生き方が大事なんじゃないかな。私達の作った夏色の赤珊瑚も、大自然から見出した物なの。時代と共に変わった物も変わらなかった物もある、けれどこれから変えて行ける物だってきっとあるよ」

姫乃は海底の赤珊瑚を思い出しながら、未来に対する確かな希望を込めた言葉を紡ぐ。

その一つ一つを確かめるかのように、波江はじっくりと聞き入る。

真っ直ぐな気持ちを受け止めながら。


「人工知能の光と影を正しく直視出来るナミエなら、人とAIがより良く共存して行ける未来へ繋がる可能性を必ず見出して変えられると思う。私はそう信じてるから」

姫乃は導き出した答えと願いを言葉にする。

本当に大切なのは予測された未来像ではなく、人とAIを信じ未来を変えていける行動だと。

それを聞いた瞬間、波江の心から迷いが鮮やかに氷解していく。

同時に希望の大輪が花開いた。


「見出す……か、確かに。便利さに溺れて、凄く大切な物を見落としていた気がする」

彼女は思わず反芻するようにして呟く。

AIを信じ、人と人工知能をよく知る波江。


だからこそ双方の架け橋となり、変えていける未来があるという姫乃の言葉は彼女を奮起させた。

その表情から陰りが消え去り、瞳に力が宿る。

幼き日に夢見た世界へ至る為に。


「有難う、抱えていた迷いが綺麗に吹っ切れた気がする。あなたに会えて本当に良かった、ええと……」

夕日に負けない素敵な笑顔で振り返る波江。

彼女は礼を言おうとして思い出す、未だ名を知らぬままだった少女の事を。


「私は海辺の妖怪・磯姫の姫乃よ。この夏はお手伝いしているから、時間が出来たら色々話しましょう。私も人工知能に興味があるから、もっと色々教えて欲しいと思ってるの」

「姫乃ちゃんね、いいわ。色々教えてあげる、人工知能だけじゃなくてアタシ一押しの作品達もセットでね!」

姫乃と波江、その言葉と共に互いに心通わせて二人は固く握手をする。

そんな二人を祝福するかのように、夕闇を静かに月が照らし出した。

幻想的な月光に照らされて、自然と二人微笑み合う。


氷菓と人工知能……目指す先は違えど共に夢追い人たる彼女達は、手を取り合ったまま歩き出す。

確かな未来へと繋がる明日を目指して。


夏が終わる前にお届けできて本当に良かったです。

美味しくて珊瑚みたいなアイスキャンディー、あれば是非食べてみたいですね。

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[気になる点] 誤字・脱字等の報告 ①二人と一緒に居るのは人語を解する雉柄の化け猫と、彼女達を引き合わせる切欠を作った言葉に棲む妖怪・カタリベ。→…切っ掛けを…  これは以前、葛城も指摘された誤字で…
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