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2話

 ユースは、アカツキに案内された客室で一休みしていた。

 親衛隊の宿舎でもあるらしく、設備は申し分ない。真っ白で清潔な柔らかいベッド、アンティーク調の衣装棚、ウォールナット材の机と椅子、ぴかぴかに磨き上げられた透明な窓、どれをとっても非の打ち所がない。

 アカツキは、王都を拠点にして行動するつもりだと話していた。王都で過ごすときは、この部屋を好きに使っても良いとのことであった。

 ユースはベッドに仰向けになって考える。

 少し出来すぎた話ではないか。

 盗みを働いて捕まった人間が、罪も償わず、もてなされているのだ。

 もし、王宮に侵入していなければ、彼は貧民街の自宅で貧相な生活を送っていたはずだ。壊れかけの窓から入る隙間風と、すっかり固くなったベッドに悩まされながら。

 これは夢なのかもしれない。

 現実のユースは、まだ牢屋にいて、劣悪な環境に疲弊しながら、眠りこけているだけなのかもしれない。

 しかし、それを確かめる術はない。

 よく、夢か現実かを、頬を抓ったときの痛覚で判断するという話があるが、ユースはそれを信じていなかった。

 人間は思い込みの強い動物なのだ。

 ユースは、盗賊の仲間が拷問を受けたときの話を思い出していた。


 その盗賊は椅子に座らされ、腕を縛られていた。目の前では、調理用に火が焚かれていたそうだ。

 ある兵士がこう言った。

「面白い話を聞いたことがあるんだ。この悪党で試してみないか」

 興味を持った仲間たちが、その兵士に集まった。捕らえた盗賊には聞こえないように、ひそひそ声で話した。兵士たちは、おおっ、と盛り上がっていたという。

 話し終えたその兵士が、腰から剣を抜いた。盗賊は、ああ、これで斬られてお終いなのだと思ったそうだ。

 しかし、盗賊の予想は外れた。

 兵士は剣を火に入れて、熱し始めたのである。そして、赤く輝く剣の腹を盗賊の右腕に押し当てた。

 肉の焦げる音がした。直後に激痛が走った。

 思わず、盗賊の口から小さな悲鳴が漏れた。

 兵士はそれを見て、剣を盗賊の腕から離すと、再び火に入れた。この繰り返しか、と考えていた盗賊に、別の兵士が近づいてきて、目隠しをさせた。

 直後、左腕に剣が押し当てられる感覚がした。

「ぐっ……」

 盗賊は、熱いと感じたそうだ。臭いもしたと言っていた。右腕のときと同じように。

 盗賊がくぐもった声をあげると、兵士たちの間で笑いが起きた。

 そして、不意に視界が開けた。目隠しが取られたのだった。

 左腕に当てられた剣を見て、盗賊は驚いた。その剣は、先ほどの熱されたものではなかった。

 剣を見た途端に、痛みが引いていく。

 兵士たちは、熱いと勘違いした盗賊を見て笑っていたのだ、という話である。


 つまり、たとえ夢の中であっても、それが夢だと確信できなければ、痛みを感じてしまう可能性があるということだ。あるいは、ベッドに横たわっている自分が、本当に頬を抓り、痛いと感じる可能性もある。

 ユースは試しに頬を抓ってみる。やはり、痛かった。

「馬鹿馬鹿しい」

 ユースはぼやく。

 彼はベッドから立ちあがり、快適な部屋を後にする。

 目的地は貧民街であった。

 親衛隊の宿舎近くの市場を抜け、住宅街へ向かう。貧民街はそこから小さな路地に入り、少し歩いた場所にある。

 徐々に狭くなっていく道幅と、徐々に増えていくごみの山。ひどい臭いが立ち込めている。

 古びた木の壁の民家が増え始めた。建てられたのはいつだろうか。ろくに手入れもされていない。朽ちた木の壁には虫が湧いており、叩くどころか寄りかかっただけでも崩壊してしまいそうだ。

 道端には人が寝転がっている。ごみと同化していて、とても分かりづらい。生きているのか、死んでいるのかも分かりづらい。

 ユースはそんな道を手慣れた様子で進んでいく。彼にとって、これは日常の一風景なのだ。両親を亡くしたあの日から。

「ユース!!」

 聞き慣れた声。上方からだ。そちらに目をやると、民家の屋根からひょっこりと頭だけのぞかせている少女が見えた。

「やあ、ケイト」

「ここんところ見ないから、兵士に捕まったのかと思ってた。よかった」

「すごいねケイト。大正解だよ」

「あら? えへへ。当たっちゃった?」

 ケイトはするりと樋をつたって地面に降りる。相変わらず身のこなしが軽い。

 ケイトは貧民街に住んでいる少女である。半年前から姿を見せるようになり、今ではユースが面倒を見ている。身の上話をしたがらない少女であった。孤児には珍しくないし、ユースも無理に聞き出そうとはしなかった。彼女がユースを信用する日が来るまで待てばよいだけの話なのだ。

「すまない。ご飯はちゃんと食べてるか?」

「私だって、ユースがいなくたってちゃんとできるんだから。市場のおじさんたちって、けっこうちょろいからね。すすっと寄って、こうよ」

 ケイトは猫のように手を丸め、俊敏に何度も動かす。

「顔を覚えられたら、盗るのが難しくなるぞ。ケイトみたいな小さな女の子が、一人で市場にいるのは珍しいからな」

「まだ盗られたことにも気づいてないでしょ。小麦とかりんごって、袋の中に沢山入ってるんだもん。お肉とかお魚なら話は別かも。それで、ユースはどこに行っていたの?」

「ああ。今日はそれを話すために来たんだ」

 ユースはケイトに手招きをする。ケイトはぴったりとユースの後ろについて歩調を合わせた。

 貧民街の自分の家に入る。隙間風のたえない、騒がしい家だ。彼はその耳障りな音が好きであった。好きになった、好きにならざるをえなかったという方が正しいだろうか。

 ユースはぎしぎしと悲鳴をあげる椅子に座った。その横で、ケイトがベッドに腰掛ける。そこが彼女の定位置だ。

「少しここを離れることになった」

「そうだと思った。なんだか変な顔してたもん。言いにくいことがあるときのユースって、分かりやすいし」

 ケイトは驚きもしない。ベッドの上で跳ねながら、反発を楽しんでいた。彼女にとっては、この固いベッドも極上の寝床だ。彼女には、住む家すらないのだから。

「今すぐこの街を出ていくわけはないけどね。しばらく、この家はケイトに預けたいと思う。それと、他の子どもたちのこともお願いしたいんだ」

「えっ!? この家、私が使ってもいいの? ほんとに言ってる?」

「ああ、本当だとも。その代わり、僕が面倒見てる他の子どもたちのことも頼みたい」

「そんなの分かってるわよ。というか、ここ数日は私があの子たちのご飯とか、用意してるんだけど?」

 ケイトは胸をはって、ふふんと鼻を鳴らした。それを見たユースが、笑みをこぼす。

「頼もしいね」

「それで、何しに行くの?」

「ちょっと戦争のいざこざに巻き込まれて」

「戦争?」ケイトの顔がくもる。「戦争って? ユースも参加するってこと?」

「うーん。戦争に直接参加するわけではないと思うけど。僕は工作部隊らしいし、裏方かな」

「でも、死ぬかもしれないってことでしょ? ダメ。行くべきじゃないよ、断ろうよ」

 ケイトは、ユースの袖を引っ張る。いつもは天真爛漫な彼女が、こうしてか弱い姿を見せるのは久しぶりであった。出会った頃の、衰弱した彼女を見ているようで、ユースは心苦しさを感じる。

「これは貧民街にも関係してる話なんだ。うまくいけば、貧民街もなくなって、ここの人たちも普通に暮らせるかもしれない」

「とにかく、ユースが死ぬのはダメなの。私はここで楽しく暮らしていければ、それでいいから。それ以上は望んでない」

「決定事項なんだ。ごめんよ、ケイト」

 ユースはくしゃくしゃとケイトの頭を撫でる。どうして彼女はここまで反発するのだろう。

 違和感。あのとき――自分の名前がユースだと言い渡されたとき――とは別の違和感だ。だが、根本は一緒のように思えた。自分の足元をそっくりそのままひっくり返されて、世界が反転してしまったことに気付かないまま歩いているかのような違和感。いや、そんな経験をしたことはないから、結局のところは分からずじまいなのだが。

「じゃあ、これだけは約束して。絶対に死なないって」

「ああ、約束するよ」

 ユースはケイトと指切りをした。

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