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1話

 気がつくと、独房の中にいた。

 空気が不快な湿気を帯びている。所々に菌の生えた、不衛生な石壁と石床。藁を敷いただけの寝床。目の前には、錆びた鉄柵。

 体を動かすと、全身に痛みを感じた。ぼろ布の服をめくると、あちこちに痣ができているのが見えた。

「目が覚めたか。食事だ」

 独房の外から、パンが投げ込まれた。ぼそぼそとした、安そうなパンだ。家畜の方がよほど品質の良いパンを食べている。

「食べろ」

 青年は痛みに耐えながら床を這う。ここに入れられる前に、かなり暴力を受けたのだろう。何があったのかは思い出せない。それが、もどかしかった。

 パンを口に入れる。不味い。しかし、一口食べると、胃がぐるぐると鳴り始めた。そして、もう一口食べる。やはり、不味い。

 パンを食べきると、飲み物を渡された。これも酷い臭いであった。それでも、飲まないわけにはいかない。吐き気を抑え、胃に流す。

「何をしたか覚えているか」

「……いや」

「思い出すまでそうしていろ」

 看守は檻を一蹴りして、闇の中へ消えていく。

 青年は記憶を探る。

 思い出そうとしたが、記憶の中の映像にもやがかかっていて、肝心なことが分からない。

「おい、貴様! 何をしている!」

 看守の声がした。

 青年は自分が叱られたのかと体を震わせたが、そうではないらしい。

 看守の怒号とともに、かつかつ、という足音が近づいてくる。

「勝手なまねをするな! 聞こえているのか!」

 看守の言葉を無視しているのだろうか。足音は止まらない。

「おい! そこまでするなら、俺にも考えが……ひっ」

 情けない声と同時に、金属音が聞こえた。

「黙っていろ。これは国王直々の命令であるぞ」

 看守よりも一段低い、威圧感のある声だ。看守はその一声ですっかり大人しくなってしまった。

 さらに足音が大きくなる。

 闇の中から、一人の男がぬっと現れた。

 厚い鎧で全身を覆っている。兜のせいで、顔は見えない。鎧の金属がランタンに照らされ、妖しく光っていた。

 男は兜を外す。整えられた顎髭が特徴の、中年男性だった。

「初めまして。私はアカツキ・クロウ」

「あ、えっと、僕は……」

 突然の男の自己紹介に戸惑いながら、青年は自分の名を名乗ろうとする。

 そこで気付く。自分の名前が思い出せない。必死に思い出そうと、眉間に皺を寄せてみる。思い出せない。口をだらしなく開いたまま、上の方を見てみる。それでも、思い出せない。

 解せない。青年が首を傾げていると、男が助け舟を差し出した。

「思い出せないか。君は、ユース・ベリアル。噂は聞いているよ」

「ユース? それが、僕の名前……?」

 ユースという名を何度か口にしてみる。繰り返している内に、しっくりと来ることに気が付いた。

 そうだ。僕の名前はユースだった。ユース・ベリアル。

 名前を思い出すと、次々と自分の情報が頭の中に雪崩れ込んできた。

 王都では有名な盗賊。

 高級品を奪い、闇市に流し、生計を立てている悪人。

 王宮に侵入し、金杯を盗もうとしたところで、近衛兵に捕らえられ、牢屋に入れられたのだ。

「そう。君はユースだ」

「僕が?」

 まだ少しだけ、違和感があった。

 記憶の自分と現実の自分が乖離してしまっているかのような感覚。

 自分はユースなのだろう。それは間違いない。だが、この感覚は何だろう?

 ユースは、体験したことのない違和感に混乱していた。足を立てて曲げ、手で抱え込み、できた腕の輪に頭を沈める。見かねたアカツキはしゃがみこんで、ユースの頭に自らの目線を合わせた。

「あまり調子が良くないようだが、落ち着いて話を聞いて欲しい。君にとっても損はない話だ」

「……なんだ」

 ユースの口調が変わった。おどおどと怯えた様子の青年は、もういない。まるで、ユースが大盗賊を演じているかのようであった。

「君はユース。それで間違いないね?」

「ああ」

 肯定の言葉が、彼の中の違和感を打ち消していく。

「君は王宮から金杯を盗み出そうとした。だが、失敗してここにいる」

「そうだ。僕は盗賊。高級品を盗んで、売り捌くのが生業なんだ」

「本来なら打首になってもおかしくない重罪だ。このままだと、君は殺されることになるだろう」

「何とかして逃げるさ」

「いいのか?」

「は?」

 ユースは素っ頓狂な声を上げた。

「真っ当に生きるチャンスをやると言っているんだ」

 アカツキは立ち上がり、腕を後ろで組み、わざとらしくその場を歩き回る。

「率直に言おう。俺の仕事に協力して欲しい。賛同してくれるなら、ここから出してやる」

 ユースはきょとんとした顔になる。だが、すぐにため息をつき、呆れた様子で首を振った。

「何の権限があって……」

「おっと。自己紹介が終わっていなかったな」

 アカツキは咳払いをして、踵を合わせて姿勢を正す。凛とした美しい立ち姿だ。

「国王親衛隊第一部隊、隊長。アカツキ・クロウだ」

 アカツキは爽やかな笑顔で、檻の柵越しに握手を求めた。


「それで、こいつが噂の」

 ユースはアカツキに連れられ、会議室に来ていた。牢屋から合法的に抜け出せる上、仕事まで斡旋してくれるというのだ。乗らない手はない。

 看守は猛反対していたが、アカツキが話をつけてくれた。やはり、親衛隊長という肩書きが効いたようであった。

 会議室の中央には円形の机があった。そこに四つの椅子が備えられている。それ以外に設備はない。

 ユースの対面には、アカツキがどっしりと構えていた。その左右には見知らぬ人間が二人。

 一人は男である。屈強な大男。傍らには布でぐるぐる巻きにされた得物がある。形状を見るに、斧であろう。外見通りの得物だ。

 そして、もう一人は女。こちらは射手のようである。長い金髪を後ろで束ねている。はっきりとした目鼻立ちで、美人だが、気が強そうに見える。

「こいつ、使えるの?」

 女がユースを指差す。

「ああ。ユース・ベリアル。かの有名な大盗賊だ」

「ええっ、こいつが? 間抜けそうな顔してるけど」

 女は目を見開く。

「先に紹介しておこう。この女性はカナリア。それで、こっちの大男がポックだ」

 ユースとポックは軽く会釈をする。カナリアはユースを値踏みするように見るだけで、頭は下げなかった。

「それで、僕は何のために? まだ何をするか聞いていないが」

「あんた、何をするか聞かずに付いてきたの? やっぱり頭は良くないのね」

「カナリア。話が進まないから、黙っていてくれるか」

「はいはい」

 カナリアは足を机の上に投げ出すと、腕を組んで口をつぐむ。不服そうな表情だ。

「最近の王都の状況を知っているか?」

 仕切り直して、アカツキが口を開いた。

「さあな。僕はお前たちと違って、生きるのに必死だったからな」

「君は、結構な額の盗品を捌いていたと聞いたが」

「貧民街の奴らに飯を分けるので精一杯さ。さっき、王都の状況を知っているかと僕に尋ねたな。逆に聞くが、お前らは貧民街の状況を知っているのか?」

「もちろん、知っている。孤児が増えていることもな」

「富豪と貧民の差は広がるばかりだ。お前がこうやって、ご高説を垂れている間にも、貧民たちは次々と餓死している」

「それで盗みを正当化しているつもりなの? あなたの行為は最低よ。たとえ、貧民の子どもたちを救っていたとしても、犯罪は犯罪」

 カナリアが口を挟む。それを制したのは、ポックであった。

「どうでもいい話だ。感情論に持ち込もうとするな。アカツキ、早く本題に入れ」

 ポックは言い終わると、腕を組んで目を閉じた。興味がないのだろう。その素振りを隠そうともしない。

「ポックの言うとおりだ。君は王都の状況など知らないと言っていたが、よく分かっているじゃないか。孤児が増え、民の間に格差が広がっている。それが現状だ。問題は、その理由」

「戦争ね」

 カナリアが再び口を挟む。

「そう。戦争に必要な物資を売る商人に金が流れ続けている。しかも、ごく一部の商人だけに。格差が生まれているのはそのためだ」

「じゃあ、そいつらを殺せば良いんだな?」

「そう簡単な話じゃない。まず、殺めるという発想を正して欲しいところだが、この際目を瞑ろう。仮に、彼らを検挙したとしても、戦争が続く限り、第二、第三の存在が現れる。いたちごっこだよ。そこで、だ」

 アカツキは一旦区切り、息を吸い込んだ。

「戦争を終わらせる。そして、街の格差を是正する。それが俺たち工作部隊の任務だ」

 工作部隊。

 ユースは、改めて部屋を見回す。

 アカツキはまっすぐユースを見据えている。ポックは目を閉じたまま、足を小刻みに動かしている。カナリアはいつの間にか弓の手入れを始めていた。

 この四人が、工作部隊だというのか。

 ユースは眉間に皺を寄せる。アカツキはともかく、他の二人は信用ならなかった。他の二人も、同じように考えているだろう。

「戦争を終わらせると言ったな。作戦は?」

「決まっていない」

 アカツキは即答した。

 ユースは頭を抱えて、ため息をつく。

「作戦なし? じゃあ何故、僕を呼んだ?」

「君が牢屋にいるという情報を掴んだからだ。それ以上でも、それ以下でもない」

「理由になっていないが」

「君には理解できない話だ。色々とあるのさ。それで、引き受けてくれるのか? 引き受けてくれないのなら、また牢屋に戻ってもらうだけだ」

「任務が終わったあと、僕はどうなる?」

「君が生きていれば、そのまま親衛隊で雇用することになっている。今の盗賊業よりも、稼ぎは良いはずだ」

「ふむ……それなら、引き受けよう」

「そう言ってくれると思っていたよ。ありがとう。改めて、よろしく」

 アカツキが手を差し出した。二度目の握手だ。今度は、二人を隔てる冷たい柵などない、対等な握手のように思えた。

 ユースはその手を握り返すと、「よろしく」と短く返した。

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