世間知らずな公爵令嬢と、一途な王子様
ここはギルス公爵家の客間。レイチェルはとりあえず色々話してみないとわからないからと、レイチェルに全くもって自分の思いが届いていなかったと知り、地の底まで凹んでいたハリス殿下を追い立てるようにして連れてきた…いや、丁重にご案内してきたのだ。
客間の前まで来た頃には、地の底から少し這い上がってきていたハリスだったのだが…。客間には先客がいた。レイチェルにとっては嬉しい、ハリスにとっては嬉しくない先客が。
「おじさま! あ…えーっと…国王陛下にはご機嫌麗しく…」
そう、そこにいたのは時折公爵家にふらりとお忍びで訪れる国王陛下であった。レイチェルはいつものように『おじさま』と呼びかけた後、今日は家族だけでなく殿下もいるのだったと、公爵家令嬢にふさわしい挨拶に切り替えたのだった。普通の令嬢であれば、最初からそうしていたであろうが。レイチェルは静養を終えてからも、基本的には領地で過ごしており、周りにもレイチェルを窘めるものはいなかったので、『陛下=陽気なおじさま』のままで大丈夫だったのだ。
「レイチェル! 元気だったか? そんなよそよそしい挨拶は必要ないのに。あぁ、そこにうちのバカ息子(レイチェルに関してだけウダウダな我が息子)がいるから遠慮しているのだな! そんなのは気にせずに、いつものように挨拶しておくれ!」
「おじさま! お久しぶりね! しばらく来てくださらなかったから、寂しかったのよ!」
すぐにいつものレイチェルに戻り…ハリスの存在が忘れられること暫し。ハリスは楽しそうに笑うレイチェル(相手が親父なのは気に入らないが…)を、飽きることなく眺めていたので、存在を忘れられている気はしていたが、そう虚しさは感じなかった。親父がとんでもないことを言い出すまでは。
「ところで、うちのバカ息子がレイチェルに求婚したんだって? レイチェルがわたしの娘になってくれれば、もちろん嬉しいのだが。レイチェル! 世の中にはあんなのよりもっと良い男がたくさんいるのだ! 早々に決断しなくて良いからな! なに? そんなに待たせても良いのかだって? いくらでも待たせておけばいい。6年待ったのだ。何年か増えても変わらんだろう! なぁ、バカ息子?」
「な…! そんなわけあるか! 返事は待つ! でも、俺は今までの6年間を埋めなきゃいけないんだ! なんでそこに他の男をいれなきゃいけないんだ!」
「いやぁ、お前にレイチェルはもったいないだろう?」
唐突に始まった親子喧嘩。レイチェルは静かにお茶を飲んでいた父のもとに避難し、その様子を眺めていた。レイチェルには、これまで誰かと強く言い合うということもなかったので、珍しい光景だったのだ。そんなレイチェルに父が話しかけてきた。
「珍しいかい? あの2人は似たもの同士なのだよ。だからああして、しょっちゅうぶつかり合うのだ。まぁ、お互い後に引きずることはないし、しばらく言い合えばおさまるさ。それより、レイチェル。返事はまだしていないのかい?」
「返事というのは殿下によね? えぇ、だって突然だったのだもの。殿下は大いに勘違いされておられるようだし。でも…(さっきの涙目の殿下はやっぱり可愛らしい…)」
「嫌いではない?」
「なんでわかるの!? お父様!」
「レイチェルのことは、たいていわかるさ。わたしはね、さっきも話したが殿下の求婚に待ったをかけている間は、他の求婚者をレイチェルに寄せ付けなかった。まぁ、レイチェルはまだ社交界デビューしたばかりだし、慌てて婚約する必要もないのだからね。今日、殿下の求婚は許したが、別にこれからは他の求婚者がいても、相手に問題がなければ止めはしないよ。レイチェルが好きになれる相手が1番だからね」
「私が好きになった相手なら、殿下でなくてもどなたでも良いの?」
「相手に特段問題がなければね。国外の王族や貴族は良くないな。レイチェルが遠くに行ってしまうからね。国内でも出来るだけ、わたしの領地か王都の近くに住む者だな。といっても嫁に出すのも寂しいから、うちに来てくれる相手が良いねぇ…」
…お父様の語りが終わらない。どうやら、私の結婚相手に求めるものは、結構多いようだ。これ、誰でも良いって言えないのでは…?
レイチェルが自分の世界に入りかけた頃、どうやら公爵の語りも、陛下と殿下の言い合いも終わったようだった。
「レイチェル? どうしたんだい?」
陛下に問われ、はっ! と気づくと皆が自分を見ているという状況。なんかこの状況も気まずいと、なんて言おうか考えていて、ふと思い出す。
(あら? 私はたしか殿下とお話しようと思って、ここにご案内したのよね? 殿下とお話したかしら?)
ここにきてようやく当初の目的を思い出したレイチェルによって、陛下と公爵は追い出され…いや、別室を勧められた。そして、侍女によって淹れ直されたお茶を前に、ようやく殿下と向き合ったレイチェルだった。
突然の求婚を受けたのが今日のお昼過ぎ。今は既に夕方である。果たして…求婚の話に進展はあるのだろうか…。レイチェルはまずは一口お茶を飲み、それからハリスに話しかけた。
「おじさま…いえ、陛下がいらしてるとは思わなくて。殿下とゆっくりお話ししようと思って、こちらにご案内しましたのに…申し訳ありません」
「いや、レイチェルが謝ることはないよ。そんなことよりも…わたしはレイチェルと話がしたい。聞こえていただろうけど、返事は…急がなくてもいいからね。だけど、何もせずじっと待とうとも思っていない。ようやくレイチェルの父上に認められたのだ。今まで会えなかった時間を埋めていきたい」
「そうですわね。時々、お手紙はいただいていましたけど…愛称しか書かれていないのですもの。『ハリー』がハリス殿下だとは思っていませんでしたわ。ハリー様と呼んでもよろしいのかしら?」
「…もちろん! この6年間…レイチェルを守る力を得ようと必死で…でも、レイチェルのことを考えない時は、一時もなかったよ。手紙では…その…うまく伝わってなかったかもしれないが…」
「そうですわね。ハリー様のお手紙は、ほとんどが近況報告でしたものね。お友達から聞いた恋文というものは、もっとお互いに愛をささやきあうもののようでしたから…ハリー様のお手紙が恋文だとは気づきませんでしたわ」
「そのことは…忘れてくれないかな? わたしは手紙というもの自体が…おそらく苦手なのだ」
「ふふっ。わかりましたわ。お手紙でなければ、大丈夫ですのね?」
「……(赤面)」
少し世間知らずに育った公爵令嬢と、その公爵令嬢の前でのみヘタレになってしまいがちな王子様。この2人の関係に進展があるとすれば、それは遠慮を知らない公爵令嬢が王子様をぐいぐいと引っ張っていくことで起こりえるのだろう。