四
気づくと、俺は真っ白な天井を見上げていた。周囲を見回すと見慣れないベッドやテレビがある。枕元には俺の名前と、主治医とか担当看護師などとかかれたプレートが引っかかっていた。窓の外は既に暗く、ここがどこだかわからなかったが……、
あぁ、病院か。
とりあえず、身体を起こしてみると、程なくして看護師が俺の元に飛んできた。
「あ、起きられたんですね。そのまま起きないで、ちょっと寝てくれますか?」
「ああ、はい……」
そう言いながら、俺の名前を聞いたり日付や場所などを聞かれる。俺は逆に知らないことを聞き返しながら俺はようやく現状を認識できた。どうやら、俺は屋上から落ちたが、木々がクッションになり、ほぼかすり傷だけでここに運ばれてきたらしい。CT検査も問題なく、脳へのダメージも今のところは見られないらしい。
看護師は俺の現状を簡単に説明しながら、俺の瞳孔をみたり体の動きを確認したりと忙しない。その後医師がやってきて診察され、病院で待機していたらしい母親と姉もやって来て、あれよあれよという間に退院となってしまった。治療する所がないから帰っていいとのことだった。
俺としても家に帰っていいならと、診察してくれた医者にお礼をいいつつ病院を後にする。
病院から出ると、それまで静かにしていた母や姉が一斉に喋りだした。
「あんたね、心配させんじゃないわよ! 何もないなら何もないって言ってくれたらよかったのに。せっかく遊び行こうって思ってたとこだったのに、おかげで全部キャンセルじゃない!」
俺の姉ちゃんが、ぷりぷりと怒りながら俺へ不満をぶつけてくる。俺はその言葉を受け止めることしかできない。
「ちょっと。そんな言い方はないでしょ、なつめ。この子だって大変だったんだから……。それはそうと、啓介。あんた、どうして屋上から飛び降りたり――」
「ああっと! 二人ともありがとね。心配かけてごめん。でも異常もなにもないみたいだし、大丈夫だからさ」
触れて欲しくないところをかわすため、俺は母さんの言葉に俺の言葉をかぶせて誤魔化した。何故と言われてもどう答えていいかわからない。母さんはそんな俺の態度に顔をしかめつつも、
「大丈夫って言ってもね。私はあんたの母親なんだから、心配するのも当然でしょ」
そう言って優しげな視線を向けてくる。そんな母さんの目を、俺はまっすぐ見ることができなかった。いじめられているだなんて知ったら、どれだけ悲しませるか。
ただでさえ、父さんを、自分の夫を事故で亡くしているのだ。屋上から落ちただなんて聞いたら、最悪の事態が頭をよぎるだろう。
「うん、わかってる。ありがと」
俺は、そんな母の想いにぶっきらぼうにそう答えることしかできない。そして会話がぴたりと止まる。少しの間、無言で歩いていると、姉ちゃんが唐突に指をさし声をあげた。
「あ! ねぇ、コンビニ行こうよ、コンビニ! 啓介は私たちを心配させたんだから何かおごりなさいよ。いい? わかった?」
「え!? ちょっと待ってよ、勝手に――」
「ほら、母さん、行こう!」
そう言って姉ちゃんは母さんの手を引っ張っていく。仕方なくついていく母さんと引っ張っていく姉ちゃんの後姿を見ながら、俺は思わず笑みがこぼれていた。
やっぱり家族って優しいよな。
姉ちゃんの強引さと母さんの優しさに癒されながら、俺は二人の後を追う。そしてぽつりとひとりごちた。
「でも、俺、ほとんど金ないんだけど」
姉ちゃんと母さんができるだけ安いものを選んでくるようにと、俺はひそかに空に祈った。その空では、幾つもの星が俺の懸念を鼻で笑うかのように、きらきらと瞬いていた。
◆
――ふと脇を見ると、そこには血を流して倒れている人がいた。腹のあたりだろうか。そこを中心に、どす黒く赤い水溜りが少しずつ広がっていく。そこから匂う血なま臭さが俺の鼻孔をくすぐった。途端に吐き気が沸き起こるが、それをさせまいと、俺は必死で唾を飲み込む。
目の前を見ると、そこには幾人もの覆面の男たちが立っていた。そして、その覆面の男の一人は、俺に向かって何かを構えていた。黒い、金属の、筒のようなものだ。俺はそれが何なのかわからずに呆然と見つめていた。
「やめてっ!」
叫び声が響く。咄嗟に声がしたほうを向くと、そこには床に座り込みながら泣きじゃくり、俺のことを必死で見つめてくる女の子がいる。よく見ると、俺が通っている学校と同じ制服を着ていた。誰だか知らないが、どうしてこんな状況になっているか教えてくれないか。
そう口を開こうとした刹那――乾いた音がその場に響く。それと同時に俺は胸のあたりが燃え上がるような、そんな感覚におちいっていた。その場所に触れる。ぬるりとした感触がしたため見てみると、俺の右手は真っ赤に染まっていた。胸のあたりも同じように赤い液体が噴き出しており、それが自身の血液だと理解するには、多少の時間が必要だった。
その事実を理解したときには、俺は床に寝転んでいた。身体を起こすことも、手を動かすことさえも徐々に出来なくなっていく。
霞んでいく視界の先にいたのは、見知らぬ同じ学校の女の子。どこかで見た顔だと思いながら、俺は意識を手放した。
俺は、ここで死んだ。
◆
「ん、うっ――」
唐突に襲ってきた吐き気に目を覚まし、俺は一目散にトイレに向かう。
「う、うげぇ……げぼっ」
昨日の晩御飯の残りと黄色い胃液を吐き出しながら、俺は、さきほどの夢について考えていた。
圧倒的な現実感。視覚も感触も匂いさえも感じる夢。そんな夢、俺は今までに一度しか見たことがない。
「はぁ、はぁ、はぁ……あの夢と一緒だ」
そう、俺が昨日見た、俺が死ぬ夢。それと同じような感覚、そして結末。昨日の今日でその内容が変わっていたが、あんな夢を連日みるなんてどうかしてる。ありえない。
俺は、口元を右手で拭いながら洗面所へと歩いていく。口をすすぐと、ようやく胃のあたりの不快感もなくなってくる。鏡の中にいる俺は、どこかやつれているようにも見えた。
「なんなんだよ、一体」
そう言って俺は自分の部屋へと戻る。時計をみると、まだ五時半だった。ベッドに寝転がるが、眠気は一切ふきとんでいる。
「銃で撃たれるとか、漫画の見すぎだろ」
そう言いながら、自身が見た夢を一蹴する。しかし、そんな俺の脳裏にある考えがふと湧き出てきた。
「ちょっと待てよ……」
そうだ。昨日の夢は結末こそ違ったがほぼ同じ状況に俺は陥った。それを偶然だと信じたい気持ちがあるが、そんな一致、ありえるのだろうか。そして今日見た、昨日の夢と同じような夢。自分が死ぬという不吉な夢を、二日連続で見るものだろうか。これを、偶然だと片付けていいものだろうか。
昨日の屋上での状況でさえ、一歩間違えば死んでいたのだ。そして、昨日の現実は夢で見たものだ。なら、今回の夢も、現実にならないとは限らない。
そう思った途端に、俺は寒気に襲われた。背筋全体が氷に触れているかのような、そんな感覚だった。
「俺っ銃で……打たれちまうのか――」
そんなオカルト的な考えを捨て去ることもできず、恐怖に駆られ布団を頭から被った。




