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エピローグ

 時は七月。今、通学路にいる少年の通う学校では、期末試験の時期だった。少年はしかめっ面を浮かべながらゆっくりと学校に向かっていた。その目つきはとても鋭く、体は屈強だ。見るからに腕っ節が強そうなその少年は、後ろから彼を呼ぶ声に気だるそうに振り返る。

「猛君! おはよ」

「おぅ」

 猛と呼ばれた少年、佐立猛さだちたけるは、芳が横に並ぶのを当然のように受け入れる。

「ちゃんと勉強したの? せっかく生徒会長の私が教えてあげたんだからちゃんといい点、とってよね」

「それなりでいいんだよ、それなりで」

「何よそれ。それじゃあ教えた甲斐がないじゃない!」

 そういってつん、と澄ます芳を見て、佐立は少し困ったかのように苦笑いを浮かべる。

「まあ、それなりにはがんばってやるっつうの」

 そんな釣れない態度が佐立の照れ隠しだとわかっているのだろう。芳は満面の笑みを浮かべた。

「わかればいいのよ、わかれば」

 そう言ってドヤ顔を浮かべる芳をみて佐立も微かに表情を、緩ませる。そんな穏やかな時間を過ごすなか、佐立はおもむろに空を仰ぐ。その目線の先には、雲が浮かんでおり、やがてばらばらになってすぐ消えた。

「啓介……お前、今頃どうしてんのかな」

「きっと楽しくやってるわよ……」

 そういって二人は微笑み、学校へと向かう。 


 ◆


「お母さん! あの服しらない!? ほら、あの白いやつ!」

「白いやつじゃわからないわよ。最近着たの?」

「久しぶりに着たかったんだけど……、あぁ、もう!」

 高橋家では、啓介の母と姉がリビングと二階という、なんとも会話がしづらい距離で、大声で話していた。

 おそらく、服が見つからないのだろう。姉はひどくいらついている。そんなのはいつものことだと、母は苦笑いを浮かべながら卵焼きを焼いていた。砂糖をいつもより多めにいれる。啓介のお気に入りの味だった。

「あら、やだ……また作りすぎちゃった」

 そう呟いて、そっとフライ返しを置く母。小さくため息をつくが、それを聞くものは誰もいない。

「お母さん……」

「ん? どうしたの? もう準備できた?」

「ううん……白いの、思い出したの。スノウちゃんにあげたんだった」

「ああ、そうね。そうだったのね」

 母と姉、二人は見つめあいながら同じことを思っていた。

「啓介、ちゃんとやってるかな」

「当たり前よ、父さんの息子よ?」

「それもそうね」

 そういって姉は支度に戻り、母は再びフライパンと向かいあう。

 日常は、淡々と過ぎていった。


 ◆


 誰もが呟く啓介という少年。彼は、家にも学校にもいなかった。

 今彼がいるところは、白でうめつくされたところ。好きになった少女の髪の色と同じ、白でうめつくされたところだった。

 そこは死と生が入り交じる場所。選ばれたものしか来ることができない、日常とは切り離された場所。


 病院だ。


「いだだだだだだだ!」

「高橋さん、ほらがんばって! このままじゃ腕、うごかなくなっちゃうから。ほら、痛くても伸ばす、伸ばす!」

「いや、無理ですから! 無理ですからー!」

「何いってんの。学校の屋上から二度も飛び降りる度胸があるんだから、リハビリくらいちゃっちゃとこなしちゃって」

「いや、先生、そんなの関係ないっていうかぁぁぁあああああああ! 助けてえええぇぇぇぇぇ!」

 啓介は楽しくもちゃんともやっていなかった。つらいつらいリハビリから逃げようと日々画策し、そして結局リハビリの先生につかまってはスパルタの毎日。

 今では、こうして冗談も言い合っているが、屋上から飛び降りた直後は、こんな状態ではなかったのだ。


 ――――

「大丈夫かい? わかる? 聞こえる?」

 うっすらと目を開ける啓介。目を覚ました啓介を見て、佐立も芳も慌てて声をあげる。

「だいじょうぶか! 啓介!」

「啓介君! しっかりして!」

 啓介は二人の言葉を聞こえてはいたのだろう。しかし、すぐに何かに気づくと、きょろきょろと周囲を見渡し始めた。

「スノウは?」

 その質問に誰も答えない。

「佐立! スノウはどこだよ! 俺の腕の中にいたのに。スノウは? スノウは!?」

「ちょっと、君落ち着いて。君のほかに怪我人はいないよ。いいから安心して落ち着いて、ほら」

「落ち着いてられるかって……いっ――! なんだよ、いってぇ……」

「あたりまえだ。両腕も両足も骨折してる。もしかしたら骨盤もだ。そこから出血すれば命はないよ? いいからおとなしくして」

 救急隊の言葉に、佐立と芳の顔が蒼白に染まる。

「啓介。今はとにかく治療を受けろ」

「答えてよ! スノウはどこにいるんだよ! 教えてくれよ! 頼むから」

 唯一動かせる首を必死で動かしながら、啓介は叫び続けた。その様子をみていられなかったのか、佐立は悲痛な顔で啓介に告げる。

「いなかった」

「え?」

「俺たちが気がついてここに着たときには、もうスノウはいなかった」

「どういう……」

「啓介が落ちたのを見たやつがいてな、そいつが言うには、すさまじい光が二人を包んだって。それで、その光が落ち着いた頃には啓介だけが横たわってて、スノウの姿はどこにもなかったらしい。俺が聞いたのはそれだけだ」

 佐立の言葉を聞くと、啓介は脱力して救急隊にすべてをまかせた。

「じゃあ、スノウは……」

「わからねぇ。でも今はどこにもスノウはいねぇ。それが、現実だ。それ以外のことはわからねぇ」

「そっか……」

 啓介はそう呟くと、そのまま救急車に乗せられた。佐立と芳はその行方を後ろから見守っている。

 救急車の中では、今も応急処置がおこなわれていた。腕が動かされるたびに、足が動かされるたびに痛みが全身にひびいたが、啓介はそれよりもただ胸が痛んだ。ひどく痛んだのだ。

「スノウ……」

 そのつぶやきを最後に、啓介は決してその名を呼ばなかった。もうここにはいない想い人。その思い出をそっとしまうかのように、心に蓋をした。


 ――――


 両腕と両足の手術をし(骨盤骨折は免れていた)、今では車椅子で移動できるまでになっていた。毎日のリハビリがつらいようだったが、それでもすこしずつよくなっているのは啓介も実感していた。しかし、ぽっかりと、胸に穴があいたような感覚はずっと拭えない。その事実を見ないようにしようと、啓介はいつも明るく振る舞っていた。

 けれど、ふとしたときに思い出す。

 あの白い髪の透き通った美しさを。

 白磁のような肌が紅色に染まるかわいらしさを。

 はじけるような笑みを浮かべるまぶしさを。

 自分の想いに答えてくれたなんともいえないうれしさを。

 啓介は、病院の中庭で空を見上げながら、その思い出を噛みしめている。ここは入院患者が集う憩いの場だ。外の空気が吸える場所。啓介はリハビリ後、いつもここにきて一休みをし、看護師の迎えを待っている。

「俺が今生きてるってことは、どうにかなったんだよな」

 啓介は、気づいてからずっとテレビのニュースを気にしていた。だから、妙な事件は起きていないこと、大規模な事故もないことを認識していた。おそらく、自分の運命の歪みはなんとかなったのかもしれないと、そんな結論に至ったのもよくわかる。

 けれど、啓介の隣には誰もいない。啓介に死が迫っていないからなのか、今回の騒動のせいなのかわからないが、啓介は大事なものを失った。

 代わりのない、大事なものを。


 グリセオールに操られていた人たちは特に目撃者もいなかったため、お咎めはなく、沼田もようやく学校に復帰しているようだ。あの日、啓介に謝ってきたのだけは本心だったらしい。今では、特に問題を起すことなく学校に来ているそうだ。グリセオールは、いつの間にか姿を消していた。

 啓介は頭の中にうごめく思考を捨て去ろうとかぶりを振る。

 そんな時、ふと啓介の視線の端に黒い何かが現れた。何の気なしに視線を向けると、そこには、いつもの黒猫が歩いていた。

 ゆったりとした歩調で近づいてきており、啓介の前までくると、おもむろにその場に寝転がる。

「久しぶりだな」

 啓介が話しかけるが黒猫は応えない。しきりに顔をなで腕を舐めている。

「こんなだからな……食パンないんだよ、ごめんな」

 啓介が声をかけると、黒猫はすっと顔を上げ啓介に視線を向けた。その目はしっかりと開かれている。

「おもえばさ……全部のはじまりはお前だったんだな。お前がいなきゃ、佐立とも芳先輩とも会えなかったのかもしれないな」

 黒猫は応えない。

「いじめられてたときも、お前がいてくれたから少し前向きになれたんだ……その後だって、お前がいてくれたから一歩を踏み出せたときもあったし、お前が――」

 啓介の言葉は後に続かない。

「ありがとな」

 その言葉に、黒猫は一鳴きだけ応え、くるりと踵を返す。そして、左右に背を揺らしながら、ゆっくりと、ゆっくりと啓介から遠ざかって行った。

「ありがとう――」

 いつしか黒猫の姿は見えなくなった。


 啓介は空を仰ぐ。

 白一つない青は、まるで啓介の心を表しているかのようだった。その青を見ながら啓介は想いを馳せる。少しだけ、胸が痛む。

 最近、啓介がよく考えているのが、啓介の運命に働いていた強い力、それは啓介の父親がもたらしたものではないか、というある種の与太話についてだ。どうせ、あの世で啓介の不甲斐なさに父親が手を貸していたのではないか、と。まあ、それはあまりにも突拍子のないことなのだが、善行を積み重ねてきた父親の息子である啓介は、天界長の覚えも悪くはないのではないか。そんな妄想を浮べながら、いつも啓介は亡き父を思い出しては感謝を重ねていた。

 そんなことを考えながら物思いに耽っていた啓介は――昼間の空に、光る星を見つけた。

「なんだ? 飛行機か?」

 その星はだんだんと光を増していき、こっちに近づいているように見える。

「ちょ、なんだよあれ」

 車椅子の上で、身動きがとれない啓介。一人で動かすほどには、まだ腕は動かない。

 空を見上げると、明らかに光は啓介に向かってきている。啓介は「ここまで運がないのかよ……」と小さくつぶやきながら自身の運命を呪った。

 啓介が再び死を覚悟したその時、光は啓介の目の前にゆっくりと止まる。そして、その光の奥から何かが飛び出してきた。

「啓介さん!」

 どんっ、と勢いよく啓介に落ちてきたのは、白い髪を振り乱すスノウだった。

「うあぁぁ」

「啓介さん! よかった! 無事だったんですね!?」

 スノウは満面の笑みを浮かべながら、啓介の肩を掴んだ。

「実は私、この前の騒動の責任をとるために天界に戻されちゃったんですよ! それで、死神になる権利は剥奪されちゃって……あ、でもですね、実は天使になる素養がすごくあったみたいなんです! 聞いた時はびっくりしたんですけど、『その髪の毛の色でどうして気づかない』って馬鹿にされちゃったくらいで。よく考えると、二度も死が訪れるような運が悪い啓介さんが生き延びたんですから、そばにいた私が運を向上させてたっていう話も納得できますよね!」

 啓介の肩を激しく揺さぶるスノウ。そのスノウの下で、啓介は口を閉ざしたままだ。

「それで! 今度は私、そんな運が悪すぎる啓介さんの運を向上させる仕事を与えられたんです! 一緒にいて運気を向上させて幸せにするっていう仕事を任されてきたんです! だから一緒にいれますよ! 啓介さん!」

 スノウが、啓介に跨ったまま矢継ぎ早に話す傍ら、啓介は下を向いてなにやら唸っている。その様子をみて不安になったのか、スノウはさっきまでのハイテンションを押し殺して、啓介に問いかけた。

「あの……迷惑でしたか?」

 だが、返事は返ってこない。スノウの頭には嫌な予感が浮かび上がり、さっきまでの浮かれていた自分を恥じる。そして、どうにかしてそれを取り戻せないかと、啓介の様子を伺った。

「啓介さん……?」

「――んだよ」

「はい?」

「痛いんだって言ったんだ! 俺は全身骨折しててまだ治療中なんだよ! すぐ降りろ! 重い! 痛い!」

「すすすす、すみません!」

 慌てて謝るスノウは啓介の目尻が光っているのに気づいた。それをスノウはじっと見ていると、啓介はすぐさま顔を拭って取り繕う。

「もしかして……泣いてます?」

「馬鹿! 何いってんだ! 痛かったんだよ。死ぬほど痛いんだよ!」

「本当ですか? もしかして……また会えて、嬉しくて泣いちゃってたりしました?」

 からかうようにスノウが言うが、啓介はそっぽを向いて顔をしかめる。

「やっぱり……。照れなくていいんですよ? なにも言わずに天界に戻されちゃいましたけど、戻ってきましたよ。啓介さん……」

「うん」

「啓介さんもこうして生きてます。またお互い、会えました……」

「うん」

「啓介さん……」

 さっきまでからかっていたスノウだったが、今はもう嗚咽を押し殺して言葉さえ紡げない。啓介はそんなスノウをみて、思わずもらい泣きしそうになる。

 見つめあいながら、スノウの涙腺は崩壊していた。あふれでる涙を止めることもできず、スノウはふたたび啓介へとのしかかる。そして、互いに強く抱きしめあうと、顔を近づけて笑顔でみつめあった。

「大好きです、啓介さん」

「ああ……俺もだ。でも、なんだな。結局、死神にはなれなかったんだな。ごめんな、俺のせいで」

「いえ……今はこうして仕事もありますし、その……啓介さんと一緒にいれれば、それだけでいいと言いますか、なんと言いますか」

 真っ赤に染まるスノウの顔をみて、啓介は抑えようにも笑みを押さえきれない。それをからかわれていると勘違いしたのか、スノウはすこしだけ頬を膨らませると、啓介を上目遣いで見上げた。

「啓介さんは違うんですか?」

「ん?」

「啓介さんはどうなんですか? って聞いたんです! 私ばっかり、ずるいです。私ばっかりで、さびしいです」

「俺も、スノウが傍にいればそれでいい。いや、それだけでいいんだ」

 その言葉を聞いて、スノウは満面の笑みを浮べた。

「へへっ、なんだか幸せですね」

「そうだな」

「どうします? 私がまた、『思い残すことはありませんか?』なんて言ったら」

 啓介は驚いたように、スノウを見る。その表情の変化に、スノウは少しだけうろたえていた。

「いや、あの……冗談ですからね? そんなびっくりしないで――」

「ないよ」

「へ?」

「思い残すことなんてない。スノウが傍にいてくれれば、それだけでいいんだ。だから、だからさ……」

 啓介はやわらかい笑顔を浮べてスノウを見つめる。そして、おもむろに口を開いた。

「今までどおり、今までみたいにさ、俺が何も思い残すことがない状態で死ぬために、一緒にいてくれないか?」

 今度はスノウが驚いていた。口は半開きですこし間抜けだ。

「ずっとずっと、一緒にいて、大往生で幸せな俺の死に様を、傍で見ていてくれないか?」

 ようやく理解したのか、スノウは小さく吹き出す。そして、啓介と同じように柔らかな笑みで応えた。

「何言ってるんですか……ちゃんと見るに決まってるじゃないですか……その時まで、一緒にいさせてくださいね」

「今までと変わらないけど……それも俺達らしいな」

「はい! 私はずぅっとずっと啓介さん担当の、天界天使課所属の死神ですよ」

 そういって、二人は笑い合った。


 ――完――


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