二
「さあ、座って?」
「失礼します」
俺は佐立が家に乗り込んできたその日に再び生徒会室に出向いていた。なにぶんさぼっていた学校にくるのはひどく気まずかった。それも顔中傷だらけだ。それに、スノウと最後に会った場所、殺すと宣告されたこの場所に来るのはつらかったが、それでも前に進まないきゃいけないと思い俺はここに来たのだ。顔の傷については芳先輩は何も聞かずに出迎えてくれ、佐立もいつもどおり無愛想なまま一緒にいてくれていた。
「じゃあ、さっそくはじめましょうか。啓介君が生き残って、なおかつ世界の運命に影響を与えない方法を考えましょう」
俺はごくりと唾を飲みこんだ。芳先輩の話している内容を聞いて改めて荒唐無稽だと思ったのだ。それでも俺はやらなきゃならない。そうしなきゃ、俺が二人を頼った意味すらなくなってしまう。
そんな決意とともに俺はテーブルへとついた。佐立もそれに倣う。まあ、相変わらず佐立の態度はでかすぎるほどでかいが。
芳先輩はそんな俺達を横目に、ホワイトボードの前に立ちペンをとる。申し訳ないから俺がやると声をかけたが、生徒会での会議でもいつもこうなのだと。書きながらだと考えをまとめやすいらしい。そういうことならと俺も頷かざるを得ない。大人しく席につく。
「まず話をまとめるわね。スノウちゃんと、えっと、グリセオール先生だっけ? その人たちが言うには、啓介君が死を免れたことで他の人間の運命をも歪めていっている。一回目の影響は、原因不明の事故死に関して。二回目の影響は先日のビルの倒壊事件……。この歪みは徐々に世界中に広がり、人類が滅亡していってしまう。そうならないために、啓介君を……」
「っとまあ、そんなとこだな。で、生徒会長さんよ。何か打開策はあんのか?」
「いきなり聞く?」
「時間かける理由がみつからねぇ。いいからさっさと吐けよ」
「……啓介君がいる前でそんな軽く話せないでしょ? ――っもう、仕方ないわね。なら言うわよ。結論から言うと難しい、というかわけがわからないことが多すぎて仮定とかばっかりの話になるから打開策なんていえない」
「そうですか。そうですよね、打開策だなんてそんなの――」
芳先輩の答えは予想通りであった。しかし、すくなからずあった希望を打ち砕く。つい口調も暗くなってしまうが、芳先輩があわてて口を挟んだ。
「ちょっと待ってよ! まだ話は終わってないわ」
「ならさっさと話せ」
「何よ! 急かさないの! はぁ……打開策はないっていう結論は変わらない。けど、仮定の中での話でいいなら少しだけ可能性は見えてくると思うわ。もちろん具体性は全くないけどね」
俺はつい立ち上がって身を乗り出してしまった。芳先輩もその剣幕に驚いたようだけど、すぐ表情を戒めて俺を見つめる。その視線はとても真摯なものだった。
「まず、原因となる啓介君の運命は、私達の意志と運で歪められた。それはいい?」
「えっと、死を免れるためにやった対策とかってことですか?」
「そうね。啓介君は死を免れるために色々やっていたわ。結果論になってしまうかもだけど、最初は自ら飛んで落下点をずらしていたし、銀行強盗のときはお腹の雑誌なんかは生を手繰り寄せていたわよね。そういった些細なことで、運命なんて捻じ曲がってしまうってことよ」
「まあ、そうだな。それで?」
「次にね、歪んだ運命が他人に影響を与えているっていうのがどういうことか考えてみたのよ。最初、これってどういうことか全然わからなかったんだけど、一つの仮説を立ててみた」
「仮説?」
「ええ。まず、他の運命に影響を与えるって事は、啓介君の運命も他の人の運命も同じ空間、いやこの場合空間っていう表現は語弊があるかもしれないけど、同じ次元? 場所? にあるはずなのよ」
俺と佐立は無言で頷く。
「それでね、少しの変化でも他に影響が及ぶってことは、互いに干渉しやすい位置にあるってことでしょう?」
「まあ、そうですよね」
「なら、啓介君の運命も、他の人の運命と同じように影響を受けると思わない?」
「確かに……」
確かに先輩の言うことは理論的に正しい。だが、問題がある。それは――、
「具体性がねぇな」
その通りなのだ。具体性がなく仮定の話。まあ、先輩もそうやって言ってたからな。
「まあ、運命がどうやってその場に存在するかも重要になってくるけどね。それぞれが平行に伸びた線なのか、はたまた一本の縄みたいになっているのか。それは誰にもわからないし。でも、すがってみるくらいの信頼度はあると思わない?」
俺は芳先輩の言葉に大きく頷いた。
「これ以上の話は詳しい人、スノウちゃんやグリセオール先生って人に聞かなきゃわからないけど、もし向こうがこの方法論を試してみてもいいって思えたなら、道が開けると思うのよ」
「その土俵に引っ張り上げるのがキーってことだな」
俺は芳先輩と佐立の言葉に大きく頷く。
「あとは俺次第ってことかな?」
「そういうことね。こんな不確実な方法しか提案できないのは不本意なんだけど……」
「いえ、可能性が残されているってわかっただけでも俺は安心できました。ありがとうございます」
「そんなかしこまらないでよ。まあ、スノウちゃんとグリセオール先生をどうにかしてこの世から排除するって手も考えたんだけど……地上人に通じる方法が天界人にも通じるかっていうとそうとも限らないしね」
そういって芳先輩が浮べる笑顔は、どこか怖かった。
その日は、どうやって説得するか皆で話し合って家に戻った。勝負は明日だ。明日、スノウと会って話して、それで俺の生死が決まる。そう思うと手の震えが止まらない。無理やり力で抑え込もうとすると、余計に震えが増していった。
情けないな。
そう思って自嘲しても、やはり俺は情けないままだ。開き直ることもできない。でも、明日は思い残すことがないようにしたい。そう思って俺は目を閉じた。スノウの夢を見たいと思ったけれど、俺は深く深く眠りについてしまっていた。
◆
「じゃあ、いってらっしゃい」
「腑抜けんじゃねぇぞ!」
佐立が俺の肩あたりを小突く。それだけでも結構痛いのに、昨日は殴り合いなんてものをやってしまった。まだ、水飲むのもつらいんだぞ? なぜだか佐立はほとんど傷が残っていないけど。
「うん、いってくる」
話し合いの結果、俺一人で行くことになった。そのほうがスノウを説得できるかもしれない、って理由もあったが、何より俺は一人でスノウと向き合いたかったのだ。最後になるかもしれない。それでも、俺はスノウに言わなきゃならないことがある。
今日は普通に授業を受けた。一日普通に授業を受けて、そして今は放課後だ。正門のところで二人は見送ってくれた。こんなだめな俺を、なぜだか支えてくれた二人だ。感謝してもしきれない。
俺は振り返らずに歩き出した。スノウが待つ場所へと。
スノウが指定した場所は墓地だった。仏教ではなくキリスト教の墓地のため十字架が整然と並んでいた。所々花が活けてあり、清潔感のある場所だった。
こんなところにあるなんて知らなかったな。
聞いた話によると意外にキリスト教の墓地は全国にあるらしい。なんでも、日本のキリスト教徒の数はそれなりだとか。あんまり意識したことなかったけど、確かに教会とかよく見かける気がする。確かに死神はいそうだけど、こんなときにも定番なんてものを気にしてるんだろうか、スノウは。
そんなことを考えたら少しだけ笑いが漏れた。久しぶりに笑った気がした。
「楽しそうですね」
唐突に話しかけられたほうを見ると、そこにはスノウが立っていた。先日と同様、黒いローブを身にまとっている。どこか不気味な冷たい雰囲気をかもし出すその格好と、今のスノウの雰囲気はどこかあっていた。白と黒のコントラスト。無機質な印象を与えるには十分だ。
「スノウに比べたらな」
その言葉にスノウは顔をしかめるも、すぐさま表情を殺し話し始める。
「では、教えてください。啓介さんの思い残すこと、それは何ですか?」
「待ってよ。そう急かさないでくれって。少し話さない? 最後になるかもしれないんだ」
俺がぎこちなく微笑むと、スノウは言葉を濁して俯く。
「な、別に話すことなんて……ありません」
「スノウになくたって俺にはある。俺がスノウと話したいんだ。いいだろ?」
「構いませんが……」
そういってさっきより小さくなったスノウは、俯いたまま動かない。俺は意を決して話を始める。
「初めて会った時のこと、覚えてるか?」
問いかけても返事はない。それでもきっと聞こえているのだろう。俺は構わず話を続ける。
「あの時はいじめられてたから少しでも何かにすがりたかったんだろうな。あんな気持ち悪いキーホルダー受け取っちゃうなんて今じゃ考えられない。でも、それがスノウと出会うきっかけだったんだから、そんなに悪いことでもなかった」
ちらっとスノウを見るが相変わらず反応はない。仕方ない、か。
「二度目は学校で見かけたとき。あの時、俺スノウに見惚れてたんだよ? 笑っちゃうよね。その白い髪が綺麗だって思ったんだ。淡いグレーの瞳に吸い込まれそうだった。スノウが走り去っていく後姿を見ていたら、なぜだか鼓動が早くなった。目が、離せなかった」
スノウがすっと顔を上げて俺を見る。その顔はなぜだかひどくつらそうだった。
「最初はなんだこいつは! って思ったけど、スノウは俺のそばにいてくれた。俺が死んだほうがいいにも関わらず、俺が死を免れるために、納得のいく死を迎えるために一緒にいてくれた。嬉しかったんだ。高校に入ってから俺は一人だったから……。他愛のない話で笑いあってる時間が、俺は楽しかった」
思い出すとつい笑みがこぼれる。俺は一呼吸つくと、もう一度大きく息を吸い話し続けた。
「いつのまにか佐立と友達になって、芳先輩がやってきて、みんなで動物園に行って。最初は一人孤独でいじめられてただけなのに、今じゃ友達もいて楽しく遊んで本当に幸せだ。スノウもそう思わないか? ……でも、今こうして死ななければならない時になって、一つだけ足りないものに気づいたんだ。俺が手放しちゃいけないものに、ようやく気づいたんだよ。このままじゃ死ねない。このままじゃ死んでも死に切れない。それくらいに思うことに気づいたんだ。それが俺の思い残すことだよ」
震える声でスノウが口を開く。か細い声は気を抜いたら聞き漏らしてしまいそうなほどだ。
そしてここだ、ここなんだ。ここが俺の人生の勝負のとき。今ここで全てを伝えなきゃ後悔する。俺は両手を握り締めて大きく息をすった。何度か深呼吸を繰り返し、震える足は気にしないことにした。
「それって……なんですか?」
「スノウ、君だよ」
「え?」
スノウが顔をあげる。その顔は驚きで満ちていた。
「スノウが好きなんだ。ずっと一緒にいたい……それができないことが、俺の思い残すことだ」
「嘘です!」
「嘘じゃない」
「嘘に決まってます! 私は啓介さんをこれから殺すんですよ!? そんな相手を好きだなんて、そんなのありえません! 嘘です! 嘘なんです!」
スノウはいつの間にか目に涙をためていた。それでも唇を力いっぱい噛みしめて、零れ落ちる涙を必死に堪えていた。俺はそんなスノウにそっと近づくと、感情に任せて力一杯抱きしめた。今まで触れられなかった分、それを取り戻すように力一杯。
「好きなんだ、スノウ。俺は死にたくない。それは、スノウと一緒にいたいからだよ」
スノウの目から涙がぽろぽろとあふれでる。その涙はじんわりと俺の胸に染みていった。
「スノウは俺に死ではなく光を与えてくれた。腐っていた俺を助けてくれたのはスノウ、君なんだ。今までみたいに、遊んだり、話したり、笑いあったり怒ったり。そんななんでもないことを一緒にしていきたい。それが、それだけが俺の願いなんだ」
俺はただただ強くスノウを抱きしめた。そんなスノウが小さく声を絞り出す。
「……はじめてだったんですよ、同年代の人と遊んだりおしゃべりしたり、笑い合ったり怒ったり。楽しくて楽しくて仕方なかったんです……でも、それじゃだめだって思って。私は死神なんだから、啓介さんに死んでもらわなきゃならないって、そう思わなきゃならないってずっと言い聞かせてきました。でも、だめだったんです。啓介さんをグリセオール先生から守ったとき、そのとき私は思ってしまったんです。『死なないで』って。ははっ、そんなのおかしいですよね、死神が、死神がですよ? 死を届けた相手を見て死なないでなんて。おかしすぎます。笑っちゃいます」
言葉とは裏腹に、スノウの目からは涙が止めどなく溢れている。
「どうしていいかわからないんですよぉ……。私だって一緒にいたいんです……、でもそれをしたら無関係な人はどんどん死んでいくって。私は死神だから啓介さんを殺さなきゃいけなくて。でも、でもぉ、でも゛ぉ……わだしだって、げいずけざんといっしょにいたいですぅ……いだいんです」
「なら、一緒にいよう? きっとなんとかなる」
スノウは無言で俺の背中に手を回した。弱々しいその腕は、控えめながらようやく俺を受け入れてくれた。
◆
しばらくすると、ようやくスノウも落ち着いてきた。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いている。そんな様子を見て、俺はつい微笑んでしまう。
「なんで笑ってるんですか?」
「いやね、また氷柱みたいなのが垂れてこないかなって思って」
「もう! こんなときにからかって!」
そういうと、スノウはぷいとそっぽをむいてしまう。俺は苦笑いを浮かべそれを見ていた。こんなやり取りがしたかったんだ。そう思うと、急に心が満たされた気になってくるから不思議だ。
そんなことを思いながら俺がじっとスノウを見ていたら、ふとスノウの顔が険しくなる。そして、不安そうな顔で俺を見てきた。
「っていうか、そういえば啓介さん。なんとかなるって言ってましたけど何か案とかあるんですか?」
「あぁ、そのことか。案って言う案じゃないんだけど……」
そう切り出して俺は佐立と芳先輩と話し合ったことをスノウに話した。すると、スノウは難しい顔をしながら顎に手を当てる。
「不可能……じゃないと思います。理論的には可能かと。芳先輩の読みどおり、人の運命って一つの綱みたいに絡み合って存在しているんですよ。ですから、啓介さんの運命が歪んだことにより周囲に影響が出たのであって、確かにその歪みを強制できれば今の異常は回避されます。ですが……」
「何が問題?」
「そもそも、その運命の管理をしているのが天界長、こちらの言い方で言えば唯一神とでも言うのでしょうが、その天界長が行っているんです。役職みたいに聞こえますが、私達と違って天界長は全てを司る方。この世界が生まれたそのときからそこにいらっしゃる全ての始まりの方なんです」
「まさに神だな」
「その天界長が管理している人の運命ですが、どこがどう歪んでどう影響を及ぼしているか。それは天界長にしかわかりません。ですから、どこをどうやればいいのか、それが私達にもわからないんです」
「天界長には会えないのか?」
「そんな! 恐れ多いにもほどがありますよ。私なんかみたいな死神にもなりきれてない半端者が会える方ではありません」
「そんなすごい人だったら歪みくらい直してくれたらいいのに」
「そういうわけにもいかないんですよ。運命を変えるにはそれはそれは強いエネルギーが必要らしいんです。ですから、啓介さんが運命を歪めたっていうのが大事件なのであって――っていうかそもそもよく啓介さんは二度も死を免れましたよね。そんなこと、ありえるはずがないのに」
スノウはそこまで話してふと首を傾げる。何事だ? 何か今の会話で変なところあったか?
「どういうことでしょう?」
「芳先輩は対策と運だって言ってたけど」
「そんなもので運命が歪むなら、世の中のほとんどの人が自分の希望通りの人生を歩んでいますよ」
つまりどういうことだ? なんだかよくわかんないけど、俺は何かの要因で運命を歪めていたっていうことか? 思い当たる節はない。
「でも、それがよくわからないなら……結局は俺は死の運命から逃れられないっていうことか」
「そう……なってしまいますね」
二人で口を噤む。
結局、運命がどう歪んでいるのかわからなければ、打開策はないってことか。それじゃあ、芳先輩と話したときと何も変わっていない。やっぱり俺は死ぬのか。
「死んだふり……じゃ運命は納得してくれないよな」
「え?」
「はい?」
俺とスノウは顔を見合わせて変な声をあげた。
◆
その日、俺とスノウは途中まで一緒に帰った。すでに日も落ちていたが、俺の家の前に佐立と芳先輩が立っている。二人は、俺とスノウの顔を見るとほっとしたように笑ってくれた。
「とりあえず第一歩、なのかな?」
「はい。でも、やっぱり綱渡りっていうか不確実な要素が多すぎる状況は変わっていませんよ?」
「でも、スノウちゃんを説得できたんだもの。大きな一歩だと思うわよ」
芳先輩はそういってスノウを見る。スノウはその視線に気づき、隠れていた俺の後ろからおずおずと出てきた。
「芳先輩、佐立さん、すみませんでした。ご心配、おかけして」
「気にしてんじゃねぇよ。こうして二人で帰ってきたんだからよ」
「はい!」
そういって微笑むスノウはやっぱり可愛かった。この顔が見れただけで、なんだか俺は満足だ。俺とスノウが話した事を皆で共有していると、不意に背筋に寒気を感じた。皆も同じだったらしく、一斉に後ろを振り向いた。
街灯に照らされた道の奥からは、見覚えのある黒いローブの女がやってきた。その女はゆっくりとこちらに近づいてくる。グリセオールだ。
「楽しそうじゃないか、スノウ。一体何のまねだ? 今日が期限だったはずだろう? 早くそいつを殺せ」
「先生……私、啓介さんを殺しません。一緒に生きる道を選びたいと思います」
「なんだと?」
「わずかだけど、啓介さんが生きながら他の運命に影響がでない道があるのかもしれないんです。もしそれがあるなら、私はその道に賭けてみたい。その道が開けるよう、全てを賭けたいって思ったんです」
スノウの言葉にグリセオールは露骨に顔を歪ませた。その顔は怒りか哀れみか、言いようのない表情をしていた。
「つまりそれは……私の敵になるっていうことでいいんだな?」
「…………はい」
「わかった。なら覚悟しておけよ? 私は世界の安寧のためには躊躇しない。お前でさえも、私は殺すことを誓おう。それでもいいんだな?」
「はい」
スノウは凛としていた。真っ直ぐ立つその姿はどこか神々しかった。死神というよりも天使や女神といったほうが似合う立ち姿を、俺は目に焼き付けようとじっと見つめる。
グリセオールは来た道をゆっくりと去っていく。俺達はその後姿をじっと見つめていた。グリセオールが見えなくなったところでスノウがどさり、と地面に崩れ落ちる。
「スノウ!?」
あわてて俺が駆け寄ると、スノウは苦笑いを浮べていた。
「大丈夫です。なんか急に気が抜けちゃって……。グリセオール先生が保護者みたいな人だって言ったじゃないですか? ずっと小さいころからお世話になっていて学校でも私に親身になってくれてたんです。その先生にこんな真正面から反抗したのなんて初めてで。すっごいどきどきしてます」
無理やり笑っている顔は、どこか引きつっている。
「それはいいんですけど、実はグリセオール先生って死神で一番権力があって強い人なんです。死神課の長ですから……そんな人にあんな風に宣戦布告しちゃいましたよ。どうしましょう」
よく見るとスノウの顔は青ざめている。それだけ恐怖なのだろう。あのグリセオールという女に楯突くことは。
「言っちゃったもんはしょうがない。やれることをやるまでだ」
「そ。じたばたするしかできないならじたばたしましょう? ね、スノウちゃん!」
「は、はい……」
「まあ、いざとなったら啓介がどうにかしてくれんだろ? なぁ、大将」
佐立がどん、と俺を小突く。段々、その小突き方が強くなってるのは気にしないほうがいいのだろうか。
「げほっ、げほっ……まあ、がんばるよ」
「だ、そうだ。安心してればいいんだよ」
「はい」
力なく頷いたスノウは、何かを決意したように、グリセオールが去っていった道を見つめていた。
◆
俺はその夜、一人ベッドに入る。少しずつ夢を見ない夜に慣れてきたのはいいことなのだろう。だが、明日からのことを考えると気分が沈む。だってそうだろう? スノウを説得できたのは大きいが、それでも俺達の未来は綱渡り同然だ。成功する確率を考えることすら無駄な労力といってもいいだろう。それほどまでに、俺の明日は暗く閉ざされている。
やはり寝付けず俺は体を起した。気分もすっきりしなかったため、俺は顔を洗いに洗面所へと向かった。
「あら、啓介」
洗面所へ行くと、母さんがいた。
「もうこんな時間だけど? 寝ないの?」
「なんだか寝付けなくってね。朝の家事を片付けちゃおうと思って」
そういって微笑む母さんは、洗濯物をまとめていた。そのままどこかへ行こうとする母さんを、俺は無意識に呼び止めた。
「母さん」
「ん? 何?」
穏やかな顔を見ても、とくに話すことは思いつかない。無言でいる俺を怪訝な顔で見つめていた母さんだったが、しびれを切らし再び足を進めた。
「何もないなら行くよ?」
「待って!」
再びの制止。訝しむような顔で俺をみる母さん。とっさに俺は、頭に浮かんだことを聞いていた。
「父さんってさ……。何か思い悩むことってなかったの?」
「どうしたのさ、急に」
「いや、気になって。父さんってなんだかいつも無茶してたっていうか、我が道を進むってかんじだったからさ。あんなめちゃくちゃな人でも、何か悩んだりしたのかなって」
とってつけたような理由に触れもせずに、母さんは驚いたような顔をしていた。そしてすぐに笑みをこぼすと、優しく諭すように話し始める。
「あの人はいつも悩んでいたわよ? 好き勝手やった結果に思い悩むこともあったし、あんたたちに嫌われはしないかってびくびくしてたんだから。でも、自分の生き方は曲げない人だった。本当は、すごい小心者だったのかもね」
思いも寄らない答えに俺が呆然としていると、母さんは用は済んだとばかりに歩きだす。
「その時の顔……今のあんたの顔とそっくりよ」
そう言って母さんは、まだ暗いなか、再び家事をこなしに暗がりへ歩いていった。
俺が父さんと似てる? 父さんと違って、俺は何もできやしないのに。
首を傾げながら俺も部屋へと戻る。いつのまにか、優れなかった気分もすっきりしていた。
まあ、言われて悪い気はしないな。俺にも、父さんみたいなこと、できるかな。
そんなことを思っていたら俺はいつの間にか寝ていた。ここ最近で、一番ぐっすり眠れた夜だった。




