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俺の死に様と死神の彼女  作者: 卯月 みつび
第四章 想いと裏切り
15/19

 夜が明けて今日は火曜日。二度目の死を免れてから二日目の朝だ。入院は一泊で済み、俺はいつも通り学校に行こうと準備をしていた。

 左足を動かす際に痛みが走るが、ゆっくり動くなら問題はない。足に当たったというよりも掠めた、という表現のほうが正しかったようで、大事には至らなかったのが救いだ。

 それはそうと、この二日間、俺は夢をみなかった。そのこと自体にはほっとしていたが、どこか拍子抜けしていた自分に気づき、すこし複雑な思いがした。

「これで終わりじゃないんだよな……」

 自分に言い聞かせるように呟いた言葉は、飲み込む食パンとともに落ちていく。それをかき消すように牛乳を飲み込み、俺は少し急ぎ足で学校に向かった。


 学校に行くと、驚く事にクラス中の人達が群がってきた。この前の銀行強盗事件のことがもう広まっているらしい。皆から質問攻めを受けるが、佐立をみるとどちらも同じ状況だ。

 嬉しいやらしんどいやら複雑だな。

 そんなことを思いつつ、俺はクラスの皆に愛想を振りまいた。今はとてもそんな気分じゃないのに。

 ようやく放課後になると、俺は、佐立と一緒に生徒会室に向かう。昨日の話は終わりじゃない。あらかじめ芳先輩の予定は聞いてあった。今日は大丈夫らしい。

「失礼します」

「あ、早かったのね。座ってて」

 そう言いながら、芳先輩は机に広げていた書類を片付ける。そのまま、奥の冷蔵庫からお茶をもってきてくれた。

 っていうか、生徒会室には冷蔵庫があるのか。さすがだな。

「はい、どうぞ」

「殊勝なこった」

「ありがとうございます。っていうか、今日はありがとうございました。ここ、貸してもらえて。あんまり人に聞かれたくない話なんで助かりましたよ」

「今日は生徒会も活動日じゃないし。雑用が少し残ってるだけだったから問題ないわよ? それよりも……スノウちゃんは? なんだか今日は学校休んだって聞いてるけど」

「一応、時間と場所は伝えてあるんで――」

「もういます」

 皆一斉に声がした方向へと顔を向ける。すると、そこには既にスノウがいた。椅子に座っており、誰もいない真正面をじっと見つめている。なぜだか死神の制服らしい黒いローブを着込んでおり、まとう雰囲気はとても重かった。俺達は皆、驚きを隠せない。

「え、えっと、じゃあ早速話をはじめようかしら? 昨日の話なんだけど、詳しく教えてもらってもいいかしら?」

 取り繕ったように、芳先輩がスノウへと問いかける。芳先輩には、スノウのことやこれまでのことを話してあるので特に差し障りはない。問いかけに無言で頷くスノウ。視線はずらさずただ前を見ている。

「昨日言った事が全てです。啓介さんは死を免れる事で運命を捻じ曲げました。そして、その捻じ曲げた運命の影響を、他の人の運命が受けてしまっているんです。些細な歪みも、時間が経つにつれ広がっていき、いずれは更なる悲劇が起こってしまうでしょう……。大きな流れの中の小さな綻びは、それほどまでに重いんです。啓介さんはそれだけのことをしてしまったんです」

「更なる悲劇って」

「今はまだ事故とかビルの倒壊で済んでいるかもしれません。それだけでも影響は著しいといえますが……しかし、徐々に影響は世界中に広がっていきます。人々の不安をあおり、その不安がまた大きな動きを生み出してしまいます。数十年後に、生き残っている人間はいなくなっているかもしれません。地上界は不毛の大地になってしまうらしいです」

「そんなことってっ――!」 

「ふざけんじゃねぇぞ! 啓介が一人死を免れたくらいで、そんなことありえねぇだろ」

 思わず立ち上がる佐立と芳先輩。その勢いに押される事なく、スノウは淡々と言葉を紡ぐ。

「事実です。じゃなかったら、グリセオール先生はここまで出張ってくることなんてありません。天界だって地上界が滅亡するのをただ見ているなんてできません。その影響はいずれ天界にまで波及してしまうんですから。ですから、損害を最小限にしてこの世界を救わなければならないんです」

 そういってスノウは初めて視線をずらした。その先には俺がいる。じっと俺を見つめるスノウの目はどこか虚ろだ。色素の薄い灰色の目が、俺を捕らえて離さない。その視線に俺は寒気を感じた。それは恐怖と同義だった。

 体をびくつかせた俺を見て、スノウは少しだけ顔をしかめる。

「昨日、グリセオール先生が行った行動の意味がわかった今、私は先生の意志を尊重します。そして、その目的を実行に移すために今日から行動していくこととします」

 冷たいスノウの言葉に俺は冷や汗をかいた。何か話さなければと思うのに言葉はでない。いつもの気軽なやり取りがしたいのに思考は止まっている。

 どういうことだ? なんなんだ? わけわかんない、わけわかんないよ!

 俺は何も考えることができず、ただ疑問を積み重ねていくだけ。そんな俺を置いて、スノウは一方的に話を進めていった。

「私は啓介さんを殺すでしょう。その権限ももらいました。あとは、啓介さんの希望を聞くだけです」

 希望って何のことだ? なんだよ、なんなんだよ!

 思考は横滑りしていく。俺達は何もできない。口を挟むこともできなかった。ただ、スノウの話す様子から、スノウの覚悟だけは伝わってきた。

「あなたの人生、思い残すことはありませんか?」

 俺達が呆然としていると、スノウは静かに立ち上がり机の上に紙を置いた。

「答えが出たら来てください。できるだけ、かなえたいと思います。期限は……そうですね、三日後はどうでしょうか。ではお待ちしています。あ、そういえば、もうそれは必要ないですよね」

 そういって、スノウは指でこちらを指すとぐっと手に力を込めた。すると、俺の鞄についていたキーホルダーがすっと透明になって消えていく。

「なっ――!」

 消えたのを確認したのか、スノウはおもむろに生徒会室の奥の壁へと向かっていく。近づくと、黒い影のようなものが現れてスノウの体が中に飲み込まれていく。

「スノウっ!」

「失礼します」

 そういうと、スノウは完全に影に飲み込まれ、後に残ったのは何の変哲もない壁と、俺達三人だけだった。佐立は力の抜けたように椅子にもたれかかり、芳先輩は顔をしかめながら立ち尽くしている。

「ふざけんなよな、事が急すぎんだろ」

「スノウちゃんのあの格好……、もうこっち側じゃないっていうことなのかな」

 芳先輩をつい見てしまう。それに気づいた先輩はすっと目を逸らした。

「大体、なんだよ! 啓介の運命が変わってそれに他の連中の運命に影響が出るって! 奇跡的に助かるやつなんていくらでもいんだろ! なんで啓介だけが問題視されんだよ! ふざけんな」

 乱暴に机を何度も叩く佐立。

「ちょっと、そんなものに当たってもなんにも――」

「うるせぇ! こんな理不尽なことあるかよ! こんな……。残酷だろ……」

 そんな佐立も段々とトーンダウンしていく。俺はその光景を見ていたが、頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。ここにいたってもう意味はない。行こう。

「啓介君?」

「おい、啓介――」

 俺は何も言わず生徒会室を後にした。後ろから何か聞こえた気がしたが、もう俺には関係のないことだった。


 ◆


 空は青かった。どこまでも青かった。そんな空を見ていると、なぜだかスノウの顔が思い浮かぶ。白い肌を赤く染めて、精一杯笑うスノウの顔が浮かんだ。けれど、すぐにその笑顔は消えうせ、冷たく堅い表情が浮かび上がる。俺を殺すと宣言したあのスノウ。なぜだか、俺の視界はぼやけて、頬を生ぬるい雫が伝わる。

 あぁ、俺は泣いているのか。

 それを自覚すると、涙はとめどなく溢れていった。嗚咽が漏れ、歩いていることさえもできない。何を期待していたんだろうか、俺は。最初から、俺とスノウはこういう関係だっただろうが。スノウは俺に死んで欲しくて、俺は死にたくはなくて。それだけの関係だったはずだろう。ならこんな悲しいことなんて何もないはずなのに。

 そうやって言い聞かせようにも、俺は立ち上がることができない。いつのまにかたどり着いていた商店街の真ん中で、俺は泣き崩れていた。周りの音もなにも俺の耳には入らない。聞こえるのは、俺の名を呼ぶスノウの声。もう二度と聞くことのないだろう「啓介さん」という、愛らしいスノウの声だけだった。


 いつの間にか俺は家にいたようだ。潜りなれたベッドの中に俺はいた。もう何も考えたくはない。もう、誰の声だって聞きたくはない。

 いや、もう一度、スノウの声がききたい。他愛のない話で笑いあっていたい。からかってむっとした表情を見せて欲しい。馬鹿みたいなコスプレを嬉々として自慢してくれてたっていい。ふわりと香る甘い匂いが恋しい。隣に、ただいて欲しい。

 そんな欲求が止め処なくあふれてきた。それを押し殺そうとしても涙がでるだけだ。外はいつの間にか暗い。俺はそのころになってようやく気づいた。

 

 俺はスノウのことが好きだったんだ。


 ◆


 次の日、俺は動物園に向かった。学校なんて行く気にはならない。何でここに来たいを思ったんだろうか。あぁ、スノウの思い出が一番新しいからだ。


 動物園に入りゆっくりと歩く。周りは親子連れやカップル、観光客があるいている。

 平日なのに、意外と人が多いんだな。

 そんなことを思いながら、俺はゆっくりと歩いた。この前の記憶を辿るように。といっても三日前のことだ。記憶に新しいはずなのに、なぜだか頭の中では色褪せていた。スノウの笑顔を思い出そうとしても、白くぼんやりとしてよくわからない。

 どんな顔して笑ってたんだっけ。

 そんなことも、もう俺にはわからない。思い出せない。思い出すのは、俺を殺すといったあの冷たい眼差しだけだ。


 しばらく歩いていると、そこには大きな象がいた。スノウが好きだといったあの象だ。俺はあの時、象の排泄物しか見ていなかったっけ。もっと見ておけばよかったよ。スノウの顔をもっと見ておけばよかった。

 ふと違和感を感じ横を見る。そこにはスノウがいた。目をキラキラさせながら象を見ているスノウ。それは三日前にいた、笑顔をまぶしいスノウだ。

 俺は、よろけながらスノウに近づいていく。足がもつれてうまく進めない。

「スノウ――」

 俺の言葉に顔を向けるスノウ。そのスノウが俺を見て口を開く。

「何こいつ、キモいんだけど」

「はぁ? なんだよ、お前」

 その言葉を聞いた瞬間、スノウだったそれは全く別の女性の顔になっていた。よくみると、髪は白くないし、肌もどちらかというと小麦色だ。スノウとは似ても似つかない。俺がスノウだと勘違いした人は、俺を白い目で見ながらどこかへ去っていった。

 何をやってんだ、俺は。

 自身を奮い立たせようにも、俺は力が抜けて立ち上がれない。昨日の商店街での醜態をもう一度さらすのか、と自分に言い聞かせても、流れ出る涙は止まることを知らなかった。そんな俺を、柵の中にいる象は、大きな瞳でじっと見つめていた。その視線が語るのは侮蔑か哀れみか。少なくとも、俺のことを好ましくは思ってはいなかった。


 ◆


 次の日も俺は学校を休んだ。スノウが指定してきた日はもう明日に迫っている。そういえばスノウはなんて言ってたっけ。そうだ。思い残すことはありませんか、だったな。

 別に、そんなのはもうないよ。もう何もやりたいだなんて思えない。もう明日を待たなくていいから、だから早く俺を殺せばいい。そうすれば、こんな苦しい時間からは解き放たれる。そしたらもう楽になれるんじゃないか。

 一昨日から何も食べてない。これならスノウに殺されるまでもなく死ねるんじゃないか。いや、その前に期日がくるか。もうどうでもいい。死ぬなら死ぬ、殺されるなら殺される。早いか遅いかだけじゃないか。そんなことのために悩むのも面倒だ。ただ……スノウに会いたい。

 そんなことを思っているとなにやら一階が騒がしい。乱暴にドアを閉める音や、けたたましい階段を上る音が響く。

 なんだ?

 寝転んでいたベッドから体を起す。その瞬間に俺の部屋のドアは開け放たれ、佐立が顔をだした。その顔は途端に泣きそうな顔になったかと思ったらすぐさま怒りの表情へと変わっていく。普段なら縮み上がるくらい恐ろしい顔なのに、今は何も感じない。

「この馬鹿が!」

 俺の胸倉を掴まれ佐立に引き寄せられた。目の前に佐立の顔がある。ああ、何にそんなに怒ってるんだよ。

「てめぇ、なにやってんだ! 腑抜けた面しやがって。何も食べねぇし飲まねぇって死ぬ気か? あぁ?」

「遅かれ早かれ殺されるんだ。どっちでも一緒だろ?」

「このっ――」

「ぶふっ――」

 ったー。痛いよ、佐立。いきなり殴ってくるなよな。ほら、血が出たじゃないか。口の中が血の味しかしない。なんだよ。

「ふざけたこといってんじゃねぇよ! 死ぬだ? 殺されても一緒だ? 何言ってんだ、おめぇはよ! お前があきらめてどうすんだ! そしたら誰も救われねぇじゃねぇか!」

 佐立が俺の胸倉を掴みながら前後にゆする。別に抵抗する気も起きない。

「運命がなんだってんだ! 地上が滅ぶとかそんなの関係ねぇだろうが! お前にはねぇのか? こうしたいっていう意志はねぇのか!? そんなんじゃ、お前は虫以下だ! 何の価値もねぇただの肉の塊だぞ!」

「別にそれでいい」

「まだ言うか――」

 ドンっという音が部屋に響く。そんな力で殴られたら頭ごとわれちゃいそうだ。痛い、痛いよ佐立。でも、このまま殺されるならそれでもいいか。

「いつまでもいじけてんじゃねぇよ! 好きな女に掌返されていじけるだなんて、どこのガキだおめぇは!」

「別にスノウのことなんか好きじゃない」

「ならなんでお前はこうなってやがる。あいつがお前にとって特別だからだろうが。あぁ?」

「好きなんかじゃない……最初と変わらない、スノウが俺に死んで欲しいのは最初からそうだったんだ」

「だからどうしたっ」

 ドンっ。

「啓介……てめぇは見てなかったのか? 啓介と話すときのあいつの顔を」

「知らない」

 ドンっ。

「死んで欲しい相手に、真摯に向き合ってたあいつを」

「知らない」

 ドンっ。

「お前を殺すって言った、あいつの泣きそうな顔を」

「……知らな――がっ!」

 ドンっ。

「そんなのもわかんねぇならお前は本当に死んだほうがいい。お前に好かれたスノウが可哀想だ」

 そういって俺をベッドに放り投げる佐立。俺は佐立の後姿を見ながら、湧き出る感情を必死で押さえつけていた。

 いいわけないだろ。死にたいわけないだろ。でも、スノウに殺すって言われて、俺はどうしたらいいんだよ。好きな人に、好きになった人だったのに、俺は信じていたのに、近づけていたと思っていたのに。でもスノウは違かったんだぞ? ただ俺に死ねばいいって思ってたんだ。それなのに、あんな笑顔を浮べて俺と笑い合って。俺の想いに寄り添って。それでも俺を殺すんだろ。なら俺はどうしようもないじゃないか。俺だってどうにかしたいんだよ。でも、俺が生きてたら俺の大事な人だってみんな死ぬんだ。なら俺が死ぬしかないじゃないか。好きな人に殺されるならって思っても仕方ないじゃないか。じゃあ、どうしたらいんだよ!

「――ざけんな」

「あぁ!?」

「ふざけんなよ! 勝手なことばっかいいやがって! 俺だって生きたいよ! でも俺が生きてたらみんな死ぬんだろ? 母さんも、姉ちゃんも、芳先輩も……佐立も!」

 俺の叫びに佐立が驚いたように振り向いた。そして俺を睨みつける。でも、俺はもう死ぬんだ。そんなのもう怖くなんてない!

「じゃあ、どうしたらいいんだよ! 俺だってスノウと一緒にいたいよ。でもそれじゃあだめなんだろ? 地上が滅びるんだろ? ならどうしようもないじゃないか! 誰にも死んで欲しくないんだよ! 俺なんかのせいで、死んで欲しくないんだ!」

「悲劇のヒーロー気取ってんじゃねぇ」

 このっ――!

 俺は佐立の顔面めがけて力一杯、拳を振りぬいた。

「ってぇな……」

「何度だって殴ってやるよ。別に佐立なんか怖くない。なぁ、教えてくれよ! 俺はどうしたらいんだよ! 俺が生き続けてスノウといられて、みんなと楽しく過ごすことができて……そんな未来がどこにあんだよ!」

 再び、俺は佐立を殴る。

「しらねぇよ! わかんねぇよ、そんなの俺にはよ!」

 佐立も負けじと俺を殴り返した。思わず、俺はベッドに倒れこむ。

「なんだよ知らないって! 勝手だろ、そんなの! 俺だってどうにかしたいんだよ! でも一人じゃどうにもならないんだ……なら、ならあきらめるしかないだろ!?」

「一人で悩んでんじゃねぇよ……」

「え?」

「俺だってあの女だっているだろうが……。一人じゃわかんなくても、誰かに頼ればなんとかなるかもしんねぇだろうが……勝手に死ぬ覚悟してあきらめてんじゃねぇよ。少なくとも俺は、啓介に死んで欲しいなんて思っちゃいねぇし、啓介が助かるならなんだってやってやる」

「佐立……」

 俺はただ佐立の言葉を聞いていた。最初は適当なこといいやがって、と思ったが、時間がたつとなぜだか涙が溢れてきた。

 助けてくれよ。

 そんな言葉が心を埋め尽くしていく。

「たぶんあの女もな……同じこと思ってるぞ。だから、なんだ……その、頼れ」

 何いってんだよ。なに男がでれてんだよ。誰得だよ。なぁ、佐立。

「助けてくれよ」

「ああ」

「死にたくないよ」

「ああ」

 あふれ出る涙を止めることなんてできない。顔中が痛むし頭はガンガンする。でも、締め付けられそうな胸の痛みは少しだけ和らいだ。少しだけ、心が楽になった気がした。


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