私は貴方の名前を知らない。
書いた本人がよくわかりません。
あいも変わらず泣きながら書いてます。
私は『 』だから、と微笑んだあなたに、何が言えただろう。
いとけない幼子のようにしがみつけばよかった?
ちいさい子供のように我が侭を言えばよかった?
経験浅い少年少女のように自分勝手な正義感で走り抜ければよかった?
世の中を渡った大人のように微笑みを浮かべて送り出せばよかった?
けれど世界が壊された私にはそのすべてができなくて、ただ棒立ちになってあなたの背中が遠ざかるのを見ていることしかできなかったんだ。
だって、すべてを決めたあの瞳に何が言えただろう。
これは私の我が侭だからと決めて、そしていってしまった貴方に、貴方の声に瞳に髪に笑顔に、どうして、なにか、いえなかったのだろう。
「 」
さりり、と足をくすぐる細かい砂と風とわずかな水と緑によって作られた、広い広い、砂漠の、私以外誰も入れず入ろうとしない真ん中の、一番きれいな泉の中心。
「 」
漣ひとつ立てず、貴方は巨大な水晶の柱の中で静かな微笑をうかべていた。……永久の、眠りに着いていた。
世界の崩壊をたった一人で阻止した貴方は、この場所でなにを見たのだろうか
世界が浄化され癒され美しくなる間際、貴方はこの場所でなにを知ったのだろうか。
世界の犠牲になっていった貴方は、この場所でなにを聞いたのだろうか。
貴方を置き去りにした私には、決してわからないことばかりで、いつもいつも、すべてが終わったあとに後悔するだけで。
ぱしゃり、ふしぎとやわらかい温かみで受け入れてくれる泉の中を歩き、大地の楔である水晶の柱の中で永遠に時をとどめた貴方。
時代遅れの色あせた安っぽいボロボロのそれは、私が昔初めて自分で手にした金で買った既製品の、高貴な身分である貴方が着るにはあまりにみすぼらしい、けれどとても喜んで、その場で着せてくれた白いワンピース。
ゆるく腕を広げ微笑を浮かべた姿は、貴方が生きていたころその膝にすがって、泣きじゃくって、そしてやわらかく歌って眠らせてくれたころと同じまま。
「 」
貴方はもう二度と私を視ない。
貴方はもう二度と私へ話しかけない。
もう二度と抱きしめてくれることもない。
もう二度と、愛しているよと囁いてくれることもない。
「 」
貴方はもう二度と、私の声に応えない。
「 」
ただ、もう一度泣きたかった。泣き方を忘れた私に大丈夫だよと頬をなでる手が恋しかった。
どうしたのと、困ったように小首をかしげ、優しく問うてほしかった。
仕方のない子と、いとおし気に撓む美しい色の瞳で私を移してほしかった。
こんな、邪魔な水晶など割ってしまいたかった。
けれど、そんなことをしたら、きっと貴方は悲しむから。
それでも、ただ一度、もう一度だけでいいから、その瞳を開けてほしい。
私を、もう一度だけでいい、
「 」
愛しているよと、囁いて。
世界中から人身御供になることを強要され、その身のうちからあふれる恐怖を無理やりねじ伏せて笑う、泣きそうな哀しい微笑を浮かべたまま、逝かないで。
(貴方、貴方、いとしい、いとしい貴方)
(ただ一人と決めた、私の「 」)
(貴方がいないと、私の世界に、色がないの)
世界が救われたその夜、世界でただ一頭の守護龍は哀しげな咆哮と共にその姿を消し、世界の救い手である彼の主人のこともまた、いつしか遠い記憶の中で忘れ去られていった。
時にエルフの爺や婆様、精霊たちの祈るようなその話を、人々はすこしずつ忘れていく。
誰も見ようとしない、埃をかぶった本に記されたそれは、確かに人外の者と何の力もない人々が何の障害もなく共存し暮らしていた、やさしい時代のお話。