悪魔と王子と処刑人と三日後に死ぬアタシ
とある王国での出来事だ。
ひとりの乞食が、スリをした。
痩せぎすの、チビの少女だった。
すぐに捕まって、牢屋に入れられた。
臭くて冷たい、石の牢屋だ。
しかし、すぐに別の場所に移された。
何度も体を擦られて、熱いお湯を浴びせられた。
しまいには、なみなみと張ったお湯に浸けられた。
(ああ、釜茹での刑なんだ)
少女がすっかりのぼせる前に、彼女はお湯から引き揚げられた。
全身の垢は、すっかり落ちていた。
ひらひらした、きれいな服を着せられた。
そして、また別の場所に移された。
そこは、きれいな部屋だった。
じゅうたんが敷いてあり、温かい。
大きな窓から、お庭も見える。
見たことのない豪華な家具がある。
奥には、ふかふかのベッドまである。
「なあに、ここ」
少女は、戸惑った。
部屋の扉が開き、たくさん人がやってきた。
全員、ごちそうを運んできた。
香ばしく焼いたお肉に、お魚。
見たことないような山盛りの果物。
きらきら光る、たくさんのスープ。
「なあに、これ」
少女は、怖がった。
どれも、知らない食べ物だった。
だけど、お腹は空いていた。
だから、彼女が手に取ったのは、その中で唯一、知っているものだ。
白いパン。
一度だけ、盗んで食べた、おいしいパン。
ひとくち食べた。
柔らかくて、もちっとしていて、おいしかった。
「これ、本当にアタシが食べてもいいの?」
たくさんの人がうなずいた。
少女は、とても喜んだ。
以前に盗んで食べたときは、ひとくちしか食べられなかったのだ。
乱暴者の別の乞食に、残りは奪われてしまったから。
「嬉しい。でも、どうして?
アタシ、スリで乞食だよ?」
「あなた様は、王様なのです」
「王様って、えらい人?」
「はい。えらい人です」
「アタシが、えらい人?」
「はい、そうです。
王様なので、何を食べてもよいのです」
「嬉しい。アタシ、王様なんだ」
「ただし、ひとつだけ約束してください。
このお部屋からは、決して出てはなりませんよ」
少女は、ふと気がついた。
部屋の扉は、牢屋と同じ。
外から鍵が掛かる扉だ。
部屋の南の壁にある、お庭が見える大きな窓。
そこには、鉄格子が嵌まっていた。
少女は笑った。
「うん、わかった。アタシ、ここから出ない」
その夜、少女はベッドにもぐった。
こんな柔らかい寝床は、初めてだ。
路地裏でボロキレをかぶって寝ていた時とは、大違いだ。
(王様って、幸せだなあ)
少女は、にこにこして目を閉じた。
お腹は、食べすぎてはち切れそうだ。
きっと、幸せな夢が見られるに違いない。
ところが、少女が眠りに就くのを、邪魔するものがいた。
〈おい、お前。起きろよ。起きろ。
このまま寝てると、良くないぜ〉
少女は、ベッドの上で、起き上がった。
そして、部屋の中をきょろきょろ見た。
誰もいない。
「……誰? どこにいるの?」
〈ここさ、ここ。部屋の隅っこの暗がりさ〉
「どうして、そんなところにいるの?
どうやって、お部屋に入ってきたの?」
〈俺様は、悪魔なんだ。
だから、暗いところは、どこでも行けるのさ〉
「悪魔……?」
〈俺様のことは、どうでもいいよ。
お前だ、お前。
やばいぜ、お前。
このままじゃ、お前、三日後に殺されるぞ〉
「ええっ? どういうこと?」
見えない悪魔は、教えてくれた。
この国の王には、特別な力がある。
『王の力』が弱ったら、弱った王は殺される。
次の王に『王の力』を譲るために、殺される。
そういう儀式をしなくてはいけない。
〈で、『殺される王』が、お前ってわけ。
言われたんだろ? 『王様だ』って〉
「ええっ。
どうしてアタシなの?
アタシ、昨日まで、スリの乞食だよ。
今日、『王様』になったばっかりだよ」
〈確かに、どうしてお前なんだろうな?
だけど、確かにお前だよ。
神官たちが、この部屋の周りでバタバタしてるし〉
「そうなんだ。
アタシ、本当に王様なんだね。
それで、三日後には、死ぬんだね」
悪魔の声が、にやにやと笑った。
〈へへ、逃げなくていいのか?〉
「いいよ。だってアタシ、死んでいいもん」
〈なんでだよ?〉
「アタシ、スリの乞食だから」
〈え?〉
少女は、ベッドの上で、にこっと笑った。
「アタシ、スリだし、乞食だよ。
何にもできないし、チビだし。
親も兄弟もいないし。
アタシ、別に死んだっていいよ。
アタシが死んでも、誰も泣かないよ」
悪魔は、呆れて言った。
〈なんだよ、それ。死んでもいいなんてよ。
生きて、やりたいこととか、ないのかよ〉
「あるよ。でも、叶っちゃった!
白いパン、お腹いっぱい食べたい。
ふかふかのおふとんで眠りたい。
全部叶えてもらったから、アタシ、いいよ。
王様の代わりに、アタシ、死ぬよ」
〈ええっ。
お前、やりたいこと、それっぽっちかよ〉
「それにさ。
ここから逃げたって、また乞食だよ。
道端に座って、物乞いしてさ。
誰かの気まぐれで、殴られて。
夜は、路地裏で眠るだけだよ。
いいことなんか、一つもないよ。
それなら別に、死んだっていいよ」
少女は、「それじゃ、おやすみ」と、闇の中に手を振った。
そして、再びベッドにもぐりこんだ。
すぐに、すやすやと寝息が聞こえた。
一方、悪魔は、眠る少女をじっと見ている。
(なんだよ、それ。『死んでもいい』って。
人間のくせに、なまいきだぞ。
ビビらせて、からかってやろうと思ったのに。
なんだか、俺様、面白くないぞ)
悪魔は、人々が知らないことも知っている。
『王の力』は、清らかな力だ。
それとは逆に、穢れた力もある。
穢れた力を、『ケガレ』という。
(んでもって、俺様は悪魔。
つまり、『ケガレ』のかたまりってわけ。
このチビっ子のために、一肌脱いでやりますか)
悪魔は、〈むん〉と力を込めた。
少女に、闇が忍び寄った。
(『王の力』と反対の『ケガレ』がこいつに憑けば、こいつ、死なずに済んだりして。
こいつ、きっとびっくりするぞ。
『アタシ、王様じゃなくなった!』なんて。
へへ。そうなったら、面白いぞ)
すやすや眠る少女の肌を、黒い紋様が覆っていく。
ただし、ほんの端っこだけ。
悪魔は、あせった。
(……あれっ、ちょっとしか注げないぞ。
困ったな。
こいつ、『魂の器』が小さいんだ)
人には、『魂の器』というものがある。
大きい『器』には、立派な魂が入る。
隙間があれば、『王の力』や『ケガレ』も入る。
小さい『器』には、小さい魂しか入らない。
『力』が入る隙間なんて無い。
(まずいなあ。眠ってて、これかよ。
眠っている人間は、意識が無い。
魂が半分『器』から抜けてる。
だから、普段より入りやすいのに。
これじゃあ、目が覚めた時には……)
朝が来た。
少女は、うーんと伸びをした。
抜けていた魂が、『器』に戻る。
『ケガレ』は、すっかり出ていった。
悪魔は、がっくり肩を落とした。
「『生贄』は、おとなしくしています。
逃げるつもりは無いようです」
「そうか、わかった。ありがとう」
「それから、お手数ですが。
一度、『生贄』の部屋をお訪ねいただけますか。
『生贄』は、『王の代行者』。
丁重にもてなさなくてはいけません。
儀式のために、必要なのです。
本来は、陛下が自ら行くべきですが……」
「わかった。息子である私が行こう」
「お願いいたします、殿下」
神官は、礼儀正しく去っていった。
王子は、ふうっとため息をついた。
憂鬱だった。
儀式のことも、父親のことも。
王子の父親は、愚かな王だ。
税を私欲に使う。法を気ままに書き換える。
国は乱れた。
大臣たちは、神官たちと話し合った。
そして、決めた。
「国の乱れは、『王の力』が弱ったため。
儀式をおこない、王を変えよう」
それは、古い儀式だった。
今では、とうに形骸化していた。
老いや病に敗れた王を、単に介錯するだけだ。
跡継ぎの王子が、それに立ち会う。
大臣たちは、それをわざわざ持ち出したのだ。
ところが、これを聞き、王はあわてた。
必死に古い文献を漁った。
そして、見つけた。
王ではなくて『生贄』を使う方法を。
「ケチな犯罪者を見つけてこい。
そいつを、余の代わりに殺そう。
余は尊い。犯罪者は卑しい。
卑しいものが死ぬべきだ」
王子は、おのれの父を恥じた。
しかし、『生贄』でも儀式は成り立つ。
神官たちは、そう認めた。
大臣たちは、落胆した。
王子は、生贄の部屋を訪ねた。
生贄は、ちょうど食事の最中だった。
痩せっぽちの少女だった。
頬いっぱいに白パンを詰め込んでいた。
「もごご。
あれ、誰?」
「『王』よ。お初にお目にかかります。
この国の、王子でございます。
あなた様をおもてなしするために参りました」
「ええっ! 王子様!
あわわ、アタシなんかに、お辞儀はいいよ」
「そういうわけには参りません。
あなた様は、三日の間、『王』なのです。
私は、あなた様に礼を尽くさなければなりません」
「そ、そうなの?
よくわかんないけど、ありがとね」
王子は、腰を低めて、少女に申し出た。
「何か、欲しいものはございませんか。
食べたいもの。
見たいもの。
着たい服。
何でも、ご用意いたします」
「うーん。
食べ物は……もう、お腹いっぱいだし。
窓から、きれいなお庭が見られるし。
このお部屋も服も、あったかくて好き。
あっ。夜になったら、また白いパンが食べたいな」
「……それだけで、よろしいのですか」
「うん!
だってアタシ、ここに来て、生まれてから一番幸せ!
王様って、すごいんだね!」
王子は、気まずくうつむいた。
この国の本当の王は、彼女のように無欲ではない。
『王様』は、すごくなどない。
「そうだ。
教えて、王子様。
どうして、アタシが『王様』なの?
アタシ、スリだし、乞食だよ?
どうしてアタシ、『王様』として殺されるの?」
「……それは」
「悪魔さんも、言ってたよ。
『どうして、お前なんだろうな?』って。
どうして、アタシが王様なの?」
王子は、羞恥に口ごもった。
しかし、答えるよりなかった。
「……私どもは、儀式のため、『王の代行者』に偽りを申し上げることを禁じられております。
そのため、真実をお伝えしなくてはなりません」
「うん? うん!」
「あなた様が選ばれた理由は、あなた様が、スリの乞食だからです。
我が父は……。
本物の『王』は、こう申しました。
『ケチな犯罪者を見つけてこい。
そいつを、余の代わりに殺そう』と……」
少女は、ぱちぱちとまばたきした。
そして、「なあんだ」と笑った。
「そっかあ。まあ、そうだよね。
王様はえらくて、アタシはえらくないし。
アタシが死んだほうがいいもんね」
王子の胸が、激しく痛んだ。
(……彼女がスリをしたのは、飢えたからだ。
民を飢えから救うのが、王の役目だ。
なのに、役目を果たさぬ王が『えらい』のか?
王のせいで飢えた少女が『えらくない』のか?)
うつむいて顔を上げない王子に、少女はあわてて声をかけた。
「あのっ、王子様、どうしたの?
お腹空いたの?
えっと……だったら、パンあげる!
アタシ、隠しておいたんだ。
また食べられるか、わからなかったから。
でも、王子様、これ食べてもいいよっ!」
少女は、机の抽斗から、白パンを一つ出してきた。
王子は、それを両手で受け取った。
答える声が、わずかに震えた。
「……過分のご配慮、痛み入ります。
ありがたくいただきます」
かじったパンは、おいしかった。
柔らかくて、ほんのり甘かった。
それでも、後味は苦かった。
(王は、尊くなどない。
この少女は、卑しくなど、ない……)
王子が部屋から去った後、少女は悪魔に声をかけた。
「ねえ、悪魔さん。
教えてちょうだい」
〈おう、どうした?〉
「王子様、何かちょっと変だったよね?
ずっと暗い顔してるし。
アタシと、目を合わせなかったし。
なんだか、泣きそうだったし……。
どうして、あんなにつらそうなのかな?
あの人、王子様なんだよね?
王様の次に、幸せなんだよね?」
悪魔は、〈はん〉と鼻を鳴らした。
〈お前に、申し訳ないんだろ。
聞いただろ?
お前が選ばれた理由。
ひでえ話があったもんだぜ〉
「……でも、本当の事でしょ?
王様より、アタシが死んだほうがいいでしょ?」
〈あの王子様は、きっとそう思ってないんだろ。
ていうか、お前。
『殺される』の意味、わかってるか?
きっと、痛くて怖いんだぜ?〉
「『痛い』も『怖い』も、知ってるよっ!
殴られたり、蹴られたりしたら、痛いし!
大きい声で怒鳴られたら、怖いし!
それくらい、アタシ、慣れてるよっ!
だから……『殺される』も、きっと平気だよっ!」
〈あっそ。だったら、いいけどよ。
あ、あとお前。
人前で『悪魔さん』とか、言うなよな〉
「どうして?」
〈え、わかんねえのかよ?
えーと。ほら、あれ。
俺様、照れ屋なんだよ〉
「そうなんだ。気をつけるね」
〈おう〉
その夜、王子は闇の中にいた。
王家の墓所へやって来たのだ。
(儀式そのものは、中止できない。
生贄を使わずに、成立させられないか?)
王の墓碑には、王の治世が刻まれる。
最も新しい時代の王墓には、こう刻まれている。
『先王の影より、力を献じられ、王となる。』
しかし、古い王墓には、こう刻まれていた。
『先王より、力を取り出し、王となる。』
(『影』というのが、贄なのだろう)
さらに時代を遡る。
二代目の墓碑に刻まれていたのは、文字ではない。
それは、次のような絵だった。
冠を戴き、倒れる人物。
その上に立つ、若き王。
(……『新しき王』が『古き王』を、直接屠る。
これが、最古の継承の儀式……)
『古き王』か、その『影』か。
どちらかは、必ず死なねばならない。
他の方法は、最初から存在しなかった。
王子は、墓所で膝をつき、国を呪った。
王子が宮殿に戻ると、もう日は昇っていた。
一人の青年が、王子に声をかけた。
「おはようございます、殿下。
どうなさいましたか。顔色が悪うございます。
昨夜、お休みにならなかったのですか」
王子は、苦笑して答えた。
「調べたいことがあったのだ。
それと、殿下はやめてくれ。
私とお前の仲だろう」
「失礼しました。
しかし、どうか夜はお休みください。
あなたは、いつも無理ばかり。
いずれ倒れるのではと、ぼくは心配なのです」
青年は、王子の幼馴染だ。
いつも、こうして気遣ってくれる。
しかし、その彼を罵る声があった。
「ややっ。嫌な気配がすると思えば。
余の宮殿にふさわしからぬ下賤の者がおるな」
だらしない巨体を揺らして現れたのは、王だった。
王は、わざとらしく鼻をつまんだ。
「やれやれ、忌まわしいニオイがするわい。
卑しい奴め。余の前に姿を現すな」
「……申し訳ございません」
「黙らんか! 声も聞きとうないわ!」
青年は、深々と頭を下げた。
王子は、怒りに拳を震わせた。
王は、大声でわめいた。
「まったく、どうしてこんな奴がいるのだ。
尊き王を殺す小僧に、払う給料がもったいない。
大臣たちめ。予算が無い、無いと騒ぐなら、こういう奴を解雇して節約すればよいのだ。
首切り役人のクビを切る、名案ではないか。
わははは!」
笑いながら去る王の背中を、王子はにらみつけた。
そして、青年に謝った。
「……父がすまない。いつもいつも……」
「いいえ。
ぼくのような者を、お城で使ってくださるだけで、身に余る光栄です」
青年は、うつむいてほほえんだ。
彼の職業は、処刑人だ。
民に死を与える特権を持ち、それがために、民に忌み嫌われる。
彼が、親から継いだ生業だ。
処刑人は、遠慮がちに笑った。
「ぼくも、明日までの命です。
陛下も、きっとご満足なさるでしょう」
王子は、心痛に顔を歪めた。
「……『生贄』とは、もう話したのか?」
「いえ。ちょうど、これから伺います。
最後の日が良いと思ったのです。
きっと、怖がらせてしまいますから」
「……そうか」
「では、行って参ります」
去りゆく処刑人の背を、王子はじっと見送った。
処刑人が部屋を訪れたとき、その少女は窓の外を眺めていた。
鉄格子の向こう側の、色とりどりの美しい庭を。
先触れはあったはずだが、人が入ってきたことに、まだ気がついていないようだ。
処刑人は、しばらくの間、沈黙して待った。
やがて、控えめに口を開いた。
「……失礼いたします。
お声をかけてもよろしいでしょうか」
「……んっ?
あっ、えっ、あっ、こんにちは!
ごめんなさい! アタシ、気づかなくて」
「いえ、煩わせてしまい、大変申し訳ございません。
明日の儀式のことについて、お話しせねばならぬことがありまして。
お目汚しとは存じましたが、罷り越しました」
「な、なんか難しくて、わかんないけど。
そんなにエンリョしなくていいよ。
お話、聞かせてくれるの?」
「……もったいないお言葉でございます。
お気を遣わせてしまい、申し訳ございません」
処刑人は、床にひざまずいて、語り始めた。
「これより、明日の儀式の手順を説明いたします。
『王』には、あらかじめお話する決まりなのです。
お耳汚しとは存じますが……」
「もうっ、いいって、エンリョは!
教えて。明日は、何すればいいの?」
「明日の朝、神官が迎えにまいります。
あなた様は、お部屋でお待ちください。
そのまま、祭壇に向かいます」
「うん、わかった」
「祭壇では……。
私が、あなた様を殺し、その心臓を王に捧げます。
それによって『王の力』は強まり、国が保たれます」
「ひえっ、し、心臓っ?」
「……なるべく苦痛が続かぬように、尽くします。
私は、処刑人ですので」
「そ、そうなんだ。
……い、痛くないように、お願いね」
「お任せください。
そして、儀式の最後に、私も殉死いたします」
「殉死、って、何……?」
「私も、あなた様と共に、死ぬということです」
「えっ。
……ええっ!?」
少女は、がばっと立ち上がった。
「そんなの、おかしいよ!
なんで、あなたまで死んじゃうのっ!?」
「それが、長年の決まりなのです。
三日とはいえ『王』であらせられたあなた様を殺す者は、罪を負わねばなりません」
「そんな……。
だって、そんなのひどいよ!
悲しいよ!
あなたが死んだら、悲しむ人がいっぱいいるよ!」
処刑人は、うつむいて苦笑した。
「……ぼくには、家族がおりません。
恋人も。
友人は……いますが。
彼のためにも、ぼくは役目を果たさなければ」
少女に納得してもらおうと、処刑人は、さらに理由を言い添えた。
「それに……ぼくなら、うってつけです。
ぼくは、誰からも好かれません。
処刑人ですから。
民衆も、大臣たちも、王も、ぼくを恐れています。
いなくなれば、みな、安心します」
目を丸く見開く少女に、処刑人はほほえんだ。
「ぼくは……卑しい人間なのです。
だから、死んだほうがよいのです」
少女の胸が、鋭く痛んだ。
同じことを、これまで彼女も言った。
それを悪魔に呆れられても、平気だった。
だけど、今は胸が苦しかった。
目の前で誰かが「死んでもいい」と笑うことが、こんなにつらいなんて、知らなかった。
少女は、ぽつりと言った。
「……卑しくなんてないよ。
あなたは、死んだらよくないよ……」
処刑人は、わずかに首を傾げた。
少女は、必死に言い募った。
「『卑しい』って、『えらくない』ってことでしょ?
あなたは、『えらくなく』ないよ。
アタシにだって、それはわかるよ!
あなたは、すごく丁寧で、優しくて。
アタシにまで、エンリョしてくれて。
あなたは……。
あなたは、卑しくなんてないよ!」
気づけば、涙声だった。
熱いしずくも、ぽたりと落ちた。
処刑人は、うろたえた。
少女は、彼に歩み寄り、その手を握って泣いた。
「だから、そんなこと言わないで。
死んでもいいなんて、言わないで。
アタシ……。
アタシ、こんなに悲しいの、初めてだよ……」
処刑人は、動けなかった。
目の前で泣きじゃくる少女に、彼は打ちのめされていた。
(……ぼくのために。
泣いてくれる人が、いるなんて……)
少女は、処刑人の手をぎゅっと握って離さない。
無数の血と怨念が染みついた、彼の手を。
小さくて、柔らかくて、暖かかった。
だが、明日になったら、処刑人は少女を殺すのだ。
処刑人が帰った後、少女は小声で悪魔を呼んだ。
「……ねえ。悪魔さん」
〈おう。どうした?〉
「死ぬって……何だろう。
ずっと眠って、いなくなる……んじゃ、ないんだね」
〈そうかもなあ〉
「アタシ、心臓を取られるんだって。
……殴られるよりも、痛いのかな」
〈たぶん、めっちゃ痛いぜ〉
「……悪魔さん。
アタシ、怖い。
怒鳴られたときより、ずっと怖い……」
〈そうだよなあ〉
「……あの人も、怖いのかな」
〈今日来た、あの兄ちゃんか?〉
「うん。あの人も、明日、死ぬって」
〈どうだろうなあ。怖いのかもなあ〉
「……悪魔さん。
今からじゃ、もう、逃げられないよね」
少女は、ベッドの上で、膝を抱えた。
「どうしよう。
アタシ、思わなかった。
殺されるのが、こんなに怖いって。
アタシ、思ってもみなかった。
アタシのために死んじゃう人がいるなんて。
どうしよう。
悪魔さん、アタシ、どうしよう……」
悪魔は、しばし暗がりで黙った。
そして、〈どうしようなあ〉と、つぶやいた。
その夜、処刑人は、自宅の地下室にいた。
暗く、黴臭い部屋で、古びた書物をめくっていた。
(……駄目だ、これも参考にならない。
他に、何か手がかりはないのか?)
それは、何百年もの間、先祖が遺した手記だった。
処刑人の一族は、儀式の記録を残していた。
なぜ、今になって、こんな調査をしているのか、処刑人にもわからなかった。
ただ、あの少女の温もりが、彼の手から消えてくれなかった。
(……これは。
『生贄』の……欠格条項……!
これだ。彼女が、これを満たせば……!)
記録によると、こうだった。
その生贄は、『ケガレ』に憑かれていた。
『ケガレ』の正体や、憑かれた理由は不明。
しかし、この状態の生贄の心臓を王に捧げても、儀式は成り立たなかった。
『王の力』は、戻らなかった。
そのため、翌年、別の生贄でもう一度儀式をする必要があった。
『ケガレ』に憑かれた者の皮膚には、特有の斑紋が現れるという。
手記には、斑紋の図も描かれていた。
処刑人は、食い入るように図を見つめた。
体を端から蝕むような、特徴的な黒い紋様。
(今日、間近で話したが……。
彼女の肌に、こんな斑紋は、無かった……)
夜明けを告げる鐘の音が、地下室にも届いた。
時間切れだ。
処刑人は、震える両手で、顔を覆った。
暖かで清潔な、牢屋の中。
少女は、おとなしく待っていた。
昨夜は、ふかふかのベッドに潜っていた。
だけど、一睡もしなかった。
悪魔は、それを闇から見ていた。
神官たちが、部屋にぞろぞろ押し寄せた。
彼らは、少女に杯を差し出した。
「『王』よ。儀式場に参りましょう。
まずは、こちらをお飲みください」
少女は、それに従った。
そして、ひと口飲むなり、目を回した。
神官たちは、両脇に回り、ふらふらの少女を立たせた。
悪魔は、あんぐりと口を開けた。
少女が飲まされたのは、とても強い酒だ。
無理やり酩酊させられたのだ。
儀式直前に暴れさせないために。
〈こ、ここまでするかよ!
なんてひどい奴らだ!
鬼っ! 悪魔っ!
あ、悪魔は俺様か〉
しかし、同時にひらめいた。
(こいつは、意識を失ってる。
『魂』も、半分、はみ出てやがる。
今なら、こいつのちっぽけな『器』でも、俺様の『ケガレ』が入るかも……!)
悪魔は、人々の影に潜んで、儀式場へとついていった。
いっぽう、王子は、すでに儀式場にいた。
表情は浮かない。
『生贄』を助けるすべは、見つからなかった。
彼にできたのは、儀式の席次を操作し、王を祭壇の一番近くに配置することだけだった。
(彼女を助けることは、私には、できない。
……父上。
せめて、彼女の死を、よく見ろ。
自分が犠牲にする者を、その目に焼き付けろ。
そして、性根を入れ替えろ!)
朝日が、地上をじゅうぶんに温めたころ。
儀式は、無慈悲に始まった。
処刑人は、無力感に苛まれながら、祭壇に立った。
手には、剣を携えて。
祭壇に縛られた少女を見下ろす。
腕も、足も、信じられない細さだ。
そして、彼が斬り落とさねばならぬ首も。
しかし、ふと、視界の隅を、黒いものがよぎった。
処刑人は、目を見開いた。
少女の手先に、足先に、頬に。
真っ黒な紋様が、絡みついている。
(これは、『ケガレ』の……!)
処刑人は、ばっと振り向いた。
そして、声高に宣言した。
「この生贄には、『ケガレ』があります。
古文書どおりの症例です。
このまま儀式を続けても、『王の力』は戻りません。
過去に、そうした事例があります」
人々は、「なんだと……!」と、どよめいた。
その足元に隠れた悪魔は、こっそり喜んだ。
(よっしゃあ!
なんか知らんけど、うまくいったっ!)
王子は、動揺する人々を見渡した。
そして、おのれの役割を悟った。
彼は、ゆっくり立ち上がり、祭壇へ向かった。
王子の声は、凛として、よく響いた。
「継承の儀で本来死すべきは、『古き王』。
死によって『新しき王』に力を譲る。
……その『代行者』が、資格を欠いているならば、真の『王』が贄を務めるべきでしょう」
王子は、処刑人の隣に立った。
友の手から、そっと剣を奪う。
「そして、『新しき王』の役割もまた、必ずしも『代行者』である必要はない」
王子は、処刑人の肩を叩いた。
彼は、静かにささやいた。
「彼女のことは、お前に任せる。
だから、ここは私に任せろ」
王子は、ひたと王を見据えた。
予定外の出来事に、みっともなくうろたえる父を。
処刑人は、祭壇を降りて、王子にひざまずいた。
顔を伏せたので、直接は見えなかった。
王子が、父の襟首を掴み、祭壇に引き立てるのも。
剣を高々と振りかざすのも。
地に映る影でしか、見えなかった。
「継承は為された!」
宣言は、高らかに響きわたった。
歓声が、儀式場を包んだ。
神官たちは、新たなる王に祝福を叫ぶ。
大臣たちは、親王即位を歓呼で迎える。
人々は、振る舞われる酒や料理に喜ぶ。
処刑人は、喜び歌う人々にまぎれて、まだ意識の無い少女を抱きかかえ、儀式場をそっと後にした。
後日、王となった王子は、友と少女にこう告げた。
「ありがとう。
国の歪みは、正された」
若き新王は、礼として、二人の役目を解いた。
生贄は、ただの少女に。
処刑人は、ただの青年に。
「行きたいところに行くといい。
生きたいように生きてくれ」
少女は、「あったかい場所がいいな」と言った。
だから二人は、南の隣国へ向かうことにした。
隣の国には、王殺しの儀式はない。
もう、これから先、巻き込まれることはないだろう。
路銀と旅券は、王子がくれた。
少女は、一頭のロバに乗っている。
青年は、ロバの手綱を引いて歩いている。
少女は、あわあわと問いかけた。
「本当に、アタシと来てくれるの?
アタシなんかと?」
「ええ。一緒に行きましょう。
ぼくは、どうしてもあなたといたいんです」
青年は、穏やかにほほえんだ。
少女も、「そっか」と、照れて笑った。
道端の林の中の梢に、真っ黒なカラスがとまっている。
旅立つ二人の背中を眺めて、〈かあ〉とひと声鳴き、飛び立った。




