魂の岐路
夕暮れが迫る頃、木々の間を涼やかな風が吹き抜けていた。
蓮翔と美緒は、山あいの庵の縁側に腰を下ろし、穏やかな沈黙の中で並んでいた。
「……ねえ、蓮翔」
「ん?」
「この場所って……最初はちょっと怖かったけど。今はとっても、落ち着くの。
懐かしいような、不思議な感じがするの」
蓮翔はうなずくように、美緒の言葉を静かに受け止めた。
しばしの間があって、彼は柔らかな声で言葉を紡いだ。
「……美緒。話しておかねばならないことがある」
「……え?」
美緒はわずかに身を引き、彼を見上げた。
「“魂火の儀”という神事がある。
それは、人の魂を“神に準じるもの”へと昇華させるための儀式だ」
「魂……を?」
「人間のままでは、こちらの世界――神域にあたるこの地で、時を越えて生き続けることはできない。
だが、“魂火の儀”を受ければ、魂が神に準じるものとなり、ここで共に生きられるようになる」
「……そんなこと、できるの……?」
「できる。ただし、代償がある」
蓮翔の言葉は静かだった。
だがその声には、慎重な重みがあった。
「魂火の儀は、自らの魂を“天”に差し出すものだ。
俺とお前、ふたりの魂を結び、そのまま、天に晒す。
清めの火にくべられ、その魂の真実が問われる。
……耐えきれなければ、魂は崩れ、輪廻からも外れる」
「え……?崩れ?輪廻から……って?」
美緒の声がかすかに震えた。
「そ…れは……?」
「……還ることも、存在することもできなくなる。
危うい儀式だ。魂が問われる。
真に共に在るべき存在かどうか、天が裁く。
だが、耐えれば――おまえは神の加護を得て、ここで、俺と同じ時を生きられるようになる」
あまりに大きな事実だった。
言葉を失った美緒は、両手を膝の上に置いて、指を固く組んだ。
「そんな……」
「おまえに強いるつもりはない。決めるのは、美緒、お前自身だ。
ただ……俺は、ここで共に生きてほしいと願っている。今度こそ」
蓮翔は目を伏せず、美緒の瞳をまっすぐに見つめる。
「この命が尽きるまで、お前のそばにいたい。
……いや、それ以上に、魂の底から願っている。
“次の世”などではなく、“今”を共に生きたいんだ」
その言葉に、美緒の胸がぎゅっと締めつけられた。
「……儀式は、いつ……?」
「次の満月の夜。あと十日ほどある」
「……じゃあ、それまでに……」
「そう。ゆっくり考えてほしい。急がなくていい。
ただし――もし、踏み出す覚悟があるなら、俺は全力でお前を守る」
一瞬の沈黙。
そして、美緒は小さく頷いた。
けれどその瞳の奥には、言い知れぬ揺らぎがあった。
夕暮れが静かに、山を包んでいく。
ふたりの影が、並んで縁側に伸びていた。
選択の夜は、まだ遠く、けれど確かに近づいていた。