兄弟対峙
「……愚か者が」
それだけを絞るように言うと、蒼蓮は背を向ける。
蓮翔は黙って土下座を続けていた。
背筋を伸ばし、声も発さず、ただひとつの願いのためだけに地に額をつける。
──しばしの沈黙の後、蒼蓮が静かに口を開いた。
「……おまえが本気で“人”と生きるというのならば、道は一つしかない」
蓮翔がはっと顔を上げる。
蒼蓮は振り返らないまま、社の奥にある木箱に手をかけ、
ひとつの古びた巻物を取り出した。
「……どうしても、あの娘と共に在りたいというのなら、
“魂火の儀”を行え」
その名が告げられた瞬間、社の中の空気がぴたりと止まる。
まるでその言葉そのものが禁忌であるかのように。
蒼蓮は振り返り、古の言葉を口にするその目に、深い影を宿していた。
「それは、かつて天と地が繋がっていた頃、人が神に近づくために許された唯一の道。
魂を火にくべ、天に受け入れられる器へと昇華する。
選ばれし者でなければ、その身も魂も焼かれて、二度と輪廻にも戻れぬ」
蓮翔の眉がわずかに動く。
「……魂を、神に準じるものに……と?」
蒼蓮は小さく頷いた。
「我ら天狗は天の末裔。だが人は地に縛られている。
そのままでは“こちら”で共に生きることは叶わぬ。
彼女がこちら側で生きるためには、魂そのものを天に認めさせる必要がある」
「――そのための儀式が、魂火の儀……」
「そうだ。儀に耐えうるほどの強き魂と、真の絆がなければ成立しない。
それが叶わねば、彼女の魂は消える。永久にだ」
社の中の空気が張りつめる。
「……おまえに、そこまで背負う覚悟はあるのか」
蒼蓮の問いに、蓮翔は立ち上あがると、
その金の瞳で蒼蓮を真っすぐに見返した。
「……彼女の命を奪わせるくらいなら、俺が焼かれよう。
けれど、もう何も奪わせたくない。たとえ天であろうと。
彼女とともに生きたい。ただそれだけが、俺のすべてだ」
その目に偽りはなかった。
蒼蓮はしばらく蓮翔の瞳を見つめ――深く、静かに息を吐いた。
「……次の満月の晩、“火結の岩座”に向かえ。
すべては、そこからだ」
そう言うと、蒼蓮は再び背を向けた。
だがその背は、さっきよりも僅かに、優しさを帯びているように見えた。