表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/25

天翔ける

ある日のこと。

静かな風が山を撫で、木々の葉がささやく午後、美緒は蓮翔と縁側に腰掛けていた。


湯呑から立ち上る白い湯気。

庵のまわりには野の花が咲き、遠くで鳥がさえずる。


「ねぇ、蓮翔」


「ん?」


「天狗って……空、飛べるんだよね?」


蓮翔は少しだけ目を細め、美緒を見やる。


「飛べる。だが、今の俺の力では長くは保たん」


「そっか……」


美緒は空を見上げた。

夏の終わり、薄く白い雲が浮かぶ高い空。

胸の奥にふっと湧いた想いを、そのまま呟く。


「一度でいいから、空を飛んでみたいな……。

鳥みたいに――風を感じてみたい」


その一言に、蓮翔はしばし黙っていた。

そして、ゆっくりと立ち上がると、美緒の前にしゃがみ込む。


「……腕を貸せ。抱える」


「え? い、今?」


「お前の願いは、叶えてやりたい」


強い眼差しが、美緒の瞳をまっすぐに射抜いた。


「ま、待って……!」


何かを言う間もなく、蓮翔は美緒の体を横抱きに抱えた。

その腕は驚くほどしっかりとしていて、けれど優しい。


「しっかり掴まっていろ。風にさらわれるなよ」


次の瞬間、風がぐるりと周囲を巻き込み、地面がすっと遠ざかる。


「きゃ……!」


声にならない驚きとともに、美緒の身体が空へと浮かび上がる。

木々の先、雲の間、山の稜線を越えて――


風が頬を撫でる。

蓮翔の体温と、彼の心臓の音が、近くにある。


「わ……すごい……!」


美緒は目を見開いた。

足元には森が広がり、遥か下を川が流れていく。


風を裂いて翔ぶ蓮翔の姿は、まるで物語の中の神のようだった。

黒髪が風に舞い、鋭く整った横顔は、どこまでも凛として美しかった。


「――これが、お前の願った空だ」


「……うん。ありがとう、蓮翔……!」


涙が滲むような感動だった。

人間の力では決して手が届かない風景。


けれど、それを彼は、美緒に与えてくれた。


「ずっと……飛んでいられるの?」


「いや。もうすぐ限界だ。俺の力は、まだ……不完全だからな」


「それでも、ここまで……」


「……お前を、笑顔にしてやりたい」


蓮翔はそう言って、口元をわずかに緩める。

その言葉が、心の奥まで染み渡る。


風に乗って空を翔けたふたりは、しばらくして、とある高い山の上へとたどり着いた。

その頂には、一本の大きな木が静かに立っていた。

まるで天空に向かって手を伸ばすように。


「しがみついていろ」


蓮翔はそのまま、木のてっぺん近くの太い枝へと舞い降りた。

枝は二人を支えるほどにたくましく、眼下には遥かな山並みと、赤く染まり始めた空が広がっていた。


「……すごい。こんな場所、あるんだね」


美緒は、息を呑んで景色を見渡した。

視界を遮るものは何もない。空と山と風、そして傾き始めた夕日。


蓮翔は、美緒の隣に腰を下ろした。

その金の瞳が、落ちていく陽光を映し、琥珀のように輝いている。


「綺麗……」


美緒は、彼の横顔を見つめながら呟いた。


蓮翔は静かに目を閉じた。

風に髪がなびき、陽の光が輪郭を柔らかく照らしている。


「……昔も、こうして空を見たことがある気がする」


「澪の、記憶か」


「うん。……でも、今は私が“美緒”として見てる。あなたと、ここで」


蓮翔はその言葉に、わずかに笑った。

そして、美緒の手を取り、やさしく指を絡める。


「――俺の想いは、変わらぬ」


その声に、熱がこもっていた。


「もう、離さない。何があっても。……いつまでも、一緒にいると誓う」


「私も……」


美緒は小さくうなずいた。

気づけば、顔が近づいている。


そして、唇と唇がふれあう―。

失われた記憶も、届かなかった想いも、すべてを包み込むような温かさだった。


「……ありがとう、蓮翔」


「いや。俺が、ありがとうを言う側だ」


美緒の肩をそっと引き寄せながら、蓮翔は静かに目を伏せた。

風が、ふたりの間を優しく撫でてゆく。


太陽はゆっくりと沈み、空は茜から深い群青へと変わっていった。

そして、金の瞳がふたたび美緒を見つめる。


「……戻ろうか。力が、そろそろ尽きる」


「うん。……また、来ようね」


美緒はそっと彼の首に腕を回し、肩に額を預けた。


「……蓮翔」


「なんだ」


「また飛びたい。次は……もっと長く、ずっと一緒に空を翔けたい」


「ならば、もっと力を取り戻さねばな」


蓮翔はふっと微笑むと、美緒を再び抱き上げた。

そして、ふたりの影は、落ちていく夕陽の中を、再び空へと翔けていった。


しゃりん――。


鈴の音が、夕闇に溶けていった。

それは風の中で、ふたりの願いを静かに祝福するかのようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ