【回想】美緒
幼い頃の記憶は、なぜだかいつも曇っていた。
それは本当にあった日々なのに、
まるで霧の中に閉じ込められたように、色も音も輪郭もぼやけている。
唯一、はっきりと覚えているのは――
父と母の手のぬくもり。
それが、あまりにも短い時間だったということ。
美緒が六歳のとき、両親が亡くなった。
代わりにやって来たのは、涙を堪えた祖母だった。
「……ご両親は、もう戻らないのよ」
そう言われても、何が起きたのか理解できなかった。
美緒は声をあげずに泣いた。
祖母は優しかったが、もう年老いていて、すぐに体を壊した。
そこから美緒は「誰かの都合」で動かされる人生を歩き始めた。
親戚は誰も引き取りを望まず、
「かわいそうねえ」と言いながら、美緒を次々に他の家へと送った。
「いい子にしてなさいね」
「ほら、お荷物にならないように」
「おばさんの言うこと、ちゃんと聞いてね」
ひとつの家に長く留まれない。
名前を呼ばれることは、少なかった。
代わりに、“あの子”と呼ばれることが増えていった。
いつしか、美緒は誰かに期待するのをやめた。
「よそ者」として扱われることに、慣れていった。
誰かの家の片隅で、居場所を探すことに疲れた頃、
美緒は児童養護施設に送られた。
そこでは、同じように家のない子どもたちが暮らしていた。
施設は清潔で、職員はきちんと対応してくれたし、学校にも通えた。
でも――誰もが、自分の孤独を他人に預けることをしなかった。
人の距離に、慣れすぎていた。
「頼っていいよ」と言われても、それを信じる術を、美緒は知らなかった。
――誰かに必要とされたい。
――心のどこかで、誰かを、待っている。
そんな思いだけが、歳月と共に胸の奥で膨らんでいった。
美緒は努力した。
勉強をし、部活をし、バイトをし、誰よりも「真面目で優等生」であり続けた。
それが、生き残るための唯一の武器だったから。
誰かに「頑張っているね」と言われることで、
ようやく自分が存在しているように思えた。
だけど、夜になると、どうしようもなく孤独だった。
部屋の隅に膝を抱え、誰にも聞こえぬように泣いた夜は数えきれない。
大学に進学できたのは、奨学金と努力のおかげだった。
だけど、心の底にある空洞は、何年経っても埋まらなかった。
誰かの横に立つことを、夢見てはいけないと思っていた。
誰かに「大切だ」と言われたら、それは幻だと信じ込もうとしていた。
――そんな彼女の心に、蓮翔の声が、触れた。
「ようやく……お前に、会えた……」
「好きだ……ミオ……」
その瞬間、美緒の中で何かが壊れた。
そして、同時に――はじめて、心の奥が温かくなった。