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山神の花嫁

山が、泣いている――。


そう思ったのは、祠の前に立ったときだった。

霧深い山道を登りきり、ひときわ大きな杉の根元に据えられた古い社。


その佇まいは、静かすぎるほど静かで、風ひとつ吹いていないというのに、

どこか、震えるような気配が満ちていた。


少女の名は、(みお)

十七の年、山間の寒村に暮らしていた。


今年もまた、作物が育たず、疫病が流行った。

人々は「山神の怒りだ」と囁き合い、鎮めの儀を行うことを決めた。


その対象に選ばれたのが――澪だった。


「……大丈夫だよ、母様。怖くないから」


泣きじゃくる母の手を、澪はそっと握り返した。


この村に生まれた時から、ずっとわかっていたのだ。

誰かが、いつか、山に捧げられる日が来ると。


そして自分が、きっとその“誰か”になるだろうと。


白布に身を包まれ、ひとりで祠に置いていかれる。

戻ってくることは許されず、名を呼ばれることもない。


それが、山神の“花嫁”という役割だった。


――もし本当に、神がいるのなら。


(どうか、この村を守ってあげてください)


澪は小さく手を合わせ、目を閉じた。


その瞬間だった。


しゃりん――


澄んだ鈴の音が、霧の中から響いた。


どこからともなく聞こえてくる音。

それは、耳で聞くというよりも、胸の奥に“落ちて”くるような音だった。


そして。


「……来たのか。俺の、花嫁が」


低く、凛とした声が霧の向こうから届いた。


澪が目を開けたとき、そこにいたのは――

黒羽を背にたたえ、天狗の面をした男だった。


金の瞳が、面越しにまっすぐ澪を見据える。

その存在は人とも鬼とも違っていて……けれど、恐ろしいとは思わなかった。


むしろ、なぜだろう。


初めて見るはずのその姿に、澪の胸は――

ひどく懐かしさで震えていた。


「……あなたが、山神様……?」


「いや。俺は天狗だ。名を、蓮翔(れんしょう)という」


男は近づく。

黒羽が霧の中でふわりと舞い、澪の頬に冷たい風が触れた。


「恐れるな。お前を喰らいはしない。

俺は――ただお前を迎えに来ただけだ」


「……迎えに?」


「ようやく、お前がここに来た。それで十分だ」


その言葉の意味も、重さも、澪にはわからなかった。


けれどその瞬間。

心の奥で、言葉にならない何かが揺れた。


(ようやく……?私は……)


ただ、はっきりとわかったのは――

この夜から、自分の人生が変わるということ。


そしてその変化が、もう後戻りできない運命の始まりなのだということだった。


そして澪は、ゆっくり意識を手放した――。

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