残されたもの
殺人等の事件は起きません
奇妙なマークの謎を解く物語です
残されたもの
それは突然の出来事だった。順風満帆、これからも楽しい未来が続いていくと思っていた。
彼と出会ったのはあるプロジェクトチームに配属された時だった。彼もそのプロジェクトチームに参加していた。同じ目的に向かい、資料を作成しプレゼンテーションをこなし、現場との打ち合わせ、商品の確保、物流の調整、マーケティングと、こなさなければ成らないことは山積みで、それこそ寝る間も惜しんで働いていた。
そんな中、自然と彼との距離が縮まっていった。終電に乗り遅れ一緒にタクシーに相乗りして帰宅した事もあった。お昼も近所の立ち食いで、競うように早く済ませた事も何度もある。
きっかけは彼の一言だ。
「どうだい、今度少し息抜きしないか? まだ先は長いしたまには休息も必要だろう? 」
穏やかな笑顔で微笑む彼に私は二つ返事で了承していた。休日の一日、彼と待ち合わせ電車に乗り出掛けた場所は海の見える公園だった。並んでベンチに座り、潮風に吹かれながら話をした。といってもほとんど私のお喋りで、彼は何時ものように穏やかな笑顔で私の愚痴話を聞いていた。
「元気だしなよ 今度、君の好きなプーさん買ってあげるから 」
「そんなの自分で買いますよ 」
私は口を尖らせて不満を言うが、会社の中では言えない事をぶちまけた私は、スッキリした気持ちになったのを憶えている。
それから、私たちは仕事以外でも一緒に居ることが多くなり、いつしか彼のアパートの一室で同棲を始めていた。
そろそろかな。私も彼もお互いそう思っていた矢先の出来事だった。突然、彼が倒れ呆気なく逝ってしまった。突然死。ニュースでよく目にするワードだったが、それが私のすぐ間近で起こるとは考えもしなかった。この時の私はもう放心状態で仕事も手に就かなくなり、結局彼と出会った会社も辞めてしまった。それまでが毎日楽しかった為に、全てが虚しくなりほとんど引きこもり状態になっていた。
そんな時、彼が使っていた机の引き出しの中から2つの物を見つけた。1つは今時珍しい紙マッチだった。緑地に喫茶「フリップ」と赤い文字で書かれている普通のマッチだ。開いてみても普通のマッチで1本も使っていない。煙草も吸わず、ライターも持っていない彼が何故マッチを持っているのか? 私は疑問に思ったが、この時はそれほど気にも止めなかった。もう1つは小さな鍵だった。何の鍵なのかさっぱり分からない。部屋の中を探し回ったが、この鍵に合うものはなかった。
そして、そのマッチや鍵の事などすっかり忘れ私は久しぶりに外に出て街を歩いていた。私はまだ、働きもせず部屋に籠っていたが、さすがに生活に必要な物を購入する必要があったからだ。
久しぶりに吸う外の空気は部屋の淀んだ空気と違い気持ち良かった。私は買い物を済ませ、少し回り道をして帰ろうという気分になっていた。大通りを通らず、細い路地を通り歩いていく。細い路地だが、ここにはまだ洋品店や靴屋さん、お肉屋さん等が並んでいる。お肉屋さんからはコロッケのいい匂いが漂っていた。
・・・まだ、こういうお店が残っていたんだ ・・・
私は意外な発見に嬉しくなっていた。
・・・そうだ、何でも発見がある 私もこのままじゃいけない ・・・
少し前向きになった私の目に緑色の看板が飛び込んできた。
・・・喫茶 フリップ ・・・
私は、ドキッとした。立ち止まって目を擦って何度も見直した。彼の机の引き出しに入っていた紙マッチのお店。
・・・消えてない 夢じゃないよね ・・・
私はお店の前に立つと思い切ってドアを押してみた。カランカランとベルの音がして店内にいたお客さんが一斉に私の方を見たが、意外そうな顔をしてすぐに視線を元に戻す。薄暗い店内は右側にテーブル席が3つ、左側はカウンター席になっていた。お客さんはテーブル席に男性が一人と、カウンターの奥にも男性が一人腰かけていた。見た感じあまり流行っているとは思えなかったが、私は取り敢えずカウンター席の手前の端に腰を下ろすと、すぐにマスターと思われる男性がメニューを持って注文を取りに来てくれる。私は、キリマンジャロを頼んで、店内に流れる音楽を聴いていると、あれっと思った。彼が良く聴いていた音楽だ。
「エピタフ 」
私は思わず呟いていた。すると、マスターもお客さんも、また一斉に私の方を向いた。それも、何か期待を込めた目で……。
それまでは普通に接していたマスターが私の呟きを耳にして急ににこやかな表情になり話しかけてくる。
「お客さん、まだ若いのにこの曲をご存知とはお見それしました 」
「あっいえ、キング・クリムゾンの曲ですよね デビューアルバムの 」
「いやあ、お詳しい やっぱり、私はこの初期のクリムゾンが大好きでして 特のこの「エピタフ」は格別ですね 」
・・・そうか、彼もこの店でこの曲を聴きながらコーヒーを飲んでいたんだ ・・・
確信した私は改めて店内を見回した。落ち着いた雰囲気の昭和チックなレトロな店内。このカウンターも年季の入った色合いと木目の美しいカリン材だ。彼の好みとマッチしている。
「お嬢さん、聴きたい曲があったらリクエストすると良い そうしないとマスターこの“宮殿“のアルバムだけ繰り返しかけ続けるからね 」
カウンターの奥に座った男性が声をかけてきた。私もカップを置いて会釈する。そして、よく見ると結構年配の方だと気が付いた。ネクタイはしていないがスーツ姿だったため、私は勝手に若いビジネスマンと思い込んでいたようだ。勿論、店内の証明が薄暗いというのもあるだろうが。特にカウンターの奥は暗くなっているので。
「それでは1つ良いですか? “太陽と戦慄“有りましたらお願いして良いですか 」
「“太陽と戦慄“ 」
一瞬、店内の雰囲気がざわついた。
「“太陽と戦慄“ですか もちろん、有りますよ 」
マスターは棚のズラリと並んだレコードの中から1枚のレコードを抜き出しプレーヤーに載せ代える。サーッというレコード特有のノイズの後、聴き慣れた旋律が流れてきた。
「このアルバムも名盤ですが、まずこれを選ぶ方は珍しいですね プログレには星の数ほど名盤が有りますから 二人目ですよ、お客さんが 」
マスターが驚いたように言う。
「そうなんですか? ごめんなさい、彼がこのアルバム好きだったもので 」
「いえ、すいません 別に悪いと言っているんじゃないんです お客さんのような若い女性の方が、このアルバムを選ぶかと驚いてしまったもので、こちらこそ申し訳ない…… 」
ここで、マスターは言葉を切り私の顔をジッと見つめる。
「お客さん、あなた、ひばりさんですか? 雨城ひばりさん? 」
「は、はい 」
私は驚いた。彼が私の写真でも見せていたのかと思ったが、それは思い違いだった。マスターは私のリクエストから推察したのだった。
「あなたがお一人で来たら、これを渡してくれと頼まれていました 」
マスターは私に1通の封筒を渡してきた。
「私は確かに雨城ひばりですけど、誰に頼まれていたんですか? 」
恐る恐る訊く私にマスターは、はっきりと答えた。
「あなたの彼だと思いますが、本郷龍之介さんですよ 雨城ひばりという女性がもし一人でここに来たら渡してくれと まさか、本当にあなたがお一人で来られるとは 本郷さんはもしかして……? 」
マスターの言葉に私は息が詰まった。口から言葉が出ない代わりに瞳から涙が零れていた。ちょうどレコードは「太陽と戦慄パート1」の不安を煽る恐怖の演奏が終わり、「土曜日の本」の穏やかな演奏が始まっていた。
肩を震わせている私の姿にマスターも2人のお客さんたちも察してくれて静かに音も立てずにいてくれた。私は、彼の残した白い何の変哲もない封筒の封を震える手で切ると中から出てきたのは1枚の折り畳んだ紙だった。拡げてみると紙の中央にマークが描いてあった。丸い円の中心に向かい3本の直線が描かれ、その直線が交わる円の中心に鳥のようなものが描かれている。
・・・なんだろう? ・・・
私は、彼がわざわざ残したモノだから何か意味があるのだろうと考えるが、こんなマークを見るのは初めてで皆目見当がつかなかった。
・・・私に何か言いたいの? 教えてよ ・・・
私はもう居ない彼に問いかけていた。そういえば私は自分の話ばかりして、彼の話を聞いた記憶があまりない。いつも穏やかな笑顔で私の話を聞いてくれている彼の顔が浮かび、私の瞳からまた涙が零れていた。レコードはA面最後の曲「放浪者」の演奏に入っていた。
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