後編
◇◆
突然現れた乱入者の存在に、その場にいた全て者たちの動きが止まる。
これだけの乱闘騒ぎが起きていて、本来なら人一人現れたところで、誰も気に留めるようなことはなかっただろう。
だがその青年は、その場に現れた瞬間に言いようのない存在感を放ち、一瞬でその場の空気全てを飲み込んでいった。
「誰だ、お前は」
最初にそう声を出したのは、〈風雷豹〉を率いる総長の男だった。
突然単身で現れたその青年――零に向かって警戒心を滲ませながら呟く。
「ただの通りすがりだよ。ちょっとそこにいる奴に見覚えがあってな……それで、お前らはこんなところで何してるんだ?」
何をしているかと言えば、〈風雷豹〉が一方的に〈獄炎蝶〉を殴り潰しているところだが、わざわざ部外者に教えるようなことでもない。
「お前みたいなお坊ちゃんには関係のねぇ話だ。痛い目に会いたくなけりゃ、とっとと失せな」
総長は暴力をチラつかせながら零を脅すが、零は一向にその場を離れようとはしない。
「悪いけど、それは遠慮させてもらうよ。こんな現場を見せられた以上は、黙って帰るわけにはいかないからな」
そう言って、零は不意に手元のスマホに目を落としながら操作を始める。
その場にいた全員は、咄嗟に零が警察を呼ぼうとしているのだと理解して、〈風雷豹〉はそれを阻止しようと階段を駆け上がろうとするが、それよりも速く、零が静止するように声を掛ける。
「安心しろ。別に警察を呼ぼうってわけじゃない。ちょっと帰りが遅くなるって連絡するだけだ。何せ俺は、門限に厳しいお坊ちゃんだからな」
そして冗談を交じえながら、スマホを顔の横へと持ってくると、零はさっきまでの冗談が嘘だったかのように表情から笑みが消えていた。
「俺だ。今すぐ動ける奴ら全員を連れて広場まで来い。ちょっとお灸を据えたい奴らがいる……あぁ、急げよ。俺が屍を積み上げる前にな」
そんな零の言葉に、その場にいた全員は誰も反応することは出来なかった。
零はそんな場の空気なんて関係ないとでも言うかのように、悠々と階段から降りてくる。
「お待たせ」
「……お前、さっきの電話は何だ?」
明らかにさっきの電話は、門限云々なんて関係のない話だった。
仮にその前提を抜きにしたとしても、〈風雷豹〉の総長としては、今の零の発言が気にならないはずはなかった。
「別に気にしなくていい。それよりも、出来ればこいつらを離してほしいんだけどな」
今は華憐も含めて、〈獄炎蝶〉のメンバーは全員、〈風雷豹〉によって動けなくなっている。
そんな彼女たちを解放しろと言う要請に、〈風雷豹〉の総長は鼻で笑って零へと返す。
「ハッ。悪いが、それは出来ねぇ相談だな。第一、お前はこいつらの何だ? いきなりしゃしゃり出てきた分際で何様のつもりだ、あん?」
「ただのクラスメイト、と言ったところだな。それよりも、離してくれないのなら、俺も実力行使に出るしかないんだがな」
実力行使に出る――
そんな言葉が出てきた瞬間、総長は我慢できずに腹を抱えて笑い出す。
「クッ、クク、クハハハハハ――」
「「「「「ハハハ――」」」」」
そしてそれは〈風雷豹〉の他のメンバーにとっても同じで、総長は何とか笑いを堪えると、零のことを見下す。
「実力行使か。まさかこれだけの人数を相手にして、勝てるとでも思っているのか?」
当然と言えば当然の質問に、零は自分でも納得とでも言うかのように頷く。
「確かにな。一度に相手にすれば、流石に俺でも骨が折れそうだな。だから一つゲームでもしないか?」
「ゲーム?」
「あぁ、俺とお前らで勝ち抜き制のタイマン勝負。一人でも俺に勝てれば、お前らの勝ち。俺がお前ら全員を倒せば俺の勝ち、ってことでどうだ? 俺が勝てばこいつらには二度と手を出すな」
「俺たちが勝てば?」
「その時は俺を好きにしろ。これでも一応それなりのお坊ちゃんなのは事実だからな。それなりに使い道はあるぞ?」
そのあまりにも献身的な態度に、総長の男はまたしても腹を抱えて笑いこむ。
「クハハハハハ! お前面白れぇな! そんなにこの女たちが大事か?」
「まさか。ただそこにいる三人には少し借りがあるみたいだからな。それを返しに来ただけだ」
「ハハ。いいぜ、乗ってやる。おい! まずこいつと戦いてぇ奴はいるか!」
総長の男がそう声を掛ければ、〈風雷豹〉の中で何人かが立候補して手を上げる。
その内の一人が指名され、指名された男は前に出て零と正面で向かい合う。
「おら!」
型に嵌らず、喧嘩で培われたそのパンチを、零は半歩後ろに下がることで回避する。
そのまま零は反対から放たれたパンチを手で軽く反らしながら、突き出しで相手の顔面を捉える。
眼前に迫った零の掌を、男はまともに食らうことになったが、手加減されていたお陰でほとんどダメージはなく、男は果敢に零へと攻めかかる。
零はその全てをいなすか躱すかしながら、たまに攻撃を当てるようなことをするが、その全てで、男が真面なダメージを追うようなことはなかった。
「待て」
そしてその違和感に最初に気づいたのは、ずっと近くで戦いを見ていた〈風雷豹〉の総長だった。
「お前、いったいどういうつもりだ?」
「どう? っていうと?」
「惚けるな。お前、さっきから全く攻める気がねぇな。いったい何を…………いや、さっきの電話はそういうことか」
ここに来てようやく、総長の男は零が今までずっと時間稼ぎをしていたのだということに気がつく。
いったい何を待っているのかはわからなかったが、少なくともこのゲームで、零が本気を出していないことだけは明らかだった。
「興覚めだ。もうこいつのゲームに付き合う必要はねぇ。お前ら、一斉に掛かれ」
そして総長の号令で、〈風雷豹〉のメンバーはじりじりと零へと近づいて行き……
「やれやれ」
一人と大勢がぶつかった後で立っていたのは、何てことないように全てをなぎ倒した零、ただ一人だけだった。
□■柊華憐
華憐は最初、自分の目の前で何が起きたのか理解できなかった。
突然この場に零が現れたことにも驚いたが、今目の前で起きていることはそれ以上だ。
零が何気ないように拳を振るえば、その一撃はまるで吸い込まれるように当たっていき、相手の攻撃が当たるかと思えば、まるで自分から外れていくみたいに空を切る。
その戦いはまるで、華憐の目には、零が舞を踊っているようにすら見えた。
そして気づいた時には、零の周りで立っている奴は、もう誰もいなくなっていた。
「お前、いったい何者だ?」
〈風雷豹〉の総長が言いたいことは、華憐にもわかる。
なにせ同じ学校の華憐ですら、零がここまで強いなんて知らなかったのだから。
だがよくよく思い出してみれば、一つだけ、零に纏わる噂でそんなものがあったような気が……
「あ、あぁぁあ!」
「! おい! どうした?」
突然一人の〈風雷豹〉のメンバーが、声を張り上げながら零のことを指さす。
「こ、こいつ、あれっすよ。間違いないっす」
「何がだ!」
「三年くらい前に、有名な格闘大会で最年少の世界チャンピオンになった伝説の格闘家――“不可侵の神楽”っすよ!」
「格闘家だ!?」
そこまで言われてようやく、華憐も零のそんな噂があったことを思い出す。
てっきりどこかで尾ひれがついて、誇張された噂だとばかり思っていたが、まさか全部本当だったとは驚きだ。
「なんだか懐かしい呼び名だな……まぁでも、もう俺の出る幕はないかな」
〈風雷豹〉の半数以上を一人で倒した零は、不意に華憐たちから目を離して、広場の外へと目を向ける。
そしてその時になってようやく、華憐たちは広場に向かってきているバイクの集団があることに気がつく。
それも、〈風雷豹〉なんて比じゃない程の、百台近いバイクの集団だ。
それだけの規模を出せる同業を、華憐は一つしか知らない。
「まさか……」
〈風雷豹〉の総長も同じことを思ったのか、信じられないように声が震えている。
そして実際にその集団が見えてくれば、もう疑う余地はなかった。
華憐たちの前に現れたのは、この辺りで最大の暴走族――〈黒炎狼〉だった。
〈黒炎狼〉のメンバーはそれぞれがバイクから降りると、まるで訓練された兵士のように、横四列に整列する。
百人近い人数が一糸乱れぬ動きでそれをやってのけるのだから、最早圧巻だと言うほかない。
そして……
「お待たせしやした。ボス!」
「「「「「ボス!」」」」」
「…………」
彼らが発した「ボス」という単語に、その場にいた全員が固まる。
だってそうだろう?
彼奴らは今、確かにこの場で「ボス」と言ったのだ。
前々から〈黒炎狼〉には総長の他に、裏ボス的な存在がいるという噂は確かにあった。
そしてもし、それが本当だったとしたら、今この場にそのボスがいるということになる。
いったい誰が……
「毎回ボスって呼び方はちょっとあれだけど、まぁいいや」
誰一人として反応できなかったこの状況下で、ただ一人――零だけが、何てことないかのように、普通に受け答えを返す。
つまりはそういうことだ。
「さて、状況は理解しているか?」
周囲の困惑なんて他所にして、零と〈黒炎狼〉の総長はそのまま話を続ける。
「〈獄炎蝶〉と〈風雷豹〉の抗争のようですな!」
ざっくりと辺りを見回してから、〈黒炎狼〉の総長は声を張り上げて答える。
「あぁ。どうもナンパを邪魔された仕返しに来たらしい。それで俺は〈獄炎蝶〉についた。質問は?」
まるで「もうそれだけで十分だろ」とでも言うかのように零が告げれば、〈黒炎狼〉の総長も問題がないように頷く。
「ありません!」
「よろしい。なら蹂躙の時間だ……やれ」
そして零はボスとして、この地域最大規模の暴走族に命令を下した。
「は! いくぞ野郎ども!」
「「「「「おぉ!」」」」」
そこから先は、文字通りの一方的な蹂躙だった。
〈風雷豹〉は何の成す術もなく、〈黒炎狼〉に飲み込まれていき、逆に〈獄炎蝶〉の面々は、そんな〈黒炎狼〉に救出されていく。
「じゃあ俺はもう帰るよ。後のことはよろしく」
「は! お任せを!」
そして零は、もう用は済んだとでも言うかのように、足早にその場から立ち去っていく。
「おい、待て! ッ!」
そんな零を、華憐は引き留めようとするが、突然目眩がして、華憐はその場に倒れ込んでしまう。
「ちくしょう……」
もう真面に体を動かすこともできずに、華憐はそのまま、意識を暗闇へと沈めて行った。