中編
□■柊華憐
学校からの帰り道、いつものように、凛と杏里と一緒に買い食いしながらぶらぶらしていると、ちょうど横に入る路地裏から数人の男たちの声が聞こえて来る。
「へー、可愛いじゃねぇか」
「なぁなぁ。ちょっとお兄さんたちとその辺で遊んでいかねぇ?」
「…………」
そんな下心満載の声が聞こえて、華憐たち三人は、その路地裏の前で立ち止まる。
別に今のは華憐たちに向かって掛けられたものじゃないし、そのままスルーにして、通り過ぎても良かったのだが、何となくその下卑た声に同情心が湧いて来たのだ。
そして興味本位で覗いてみれば、そこには数人の男たちに囲まれた一人の少女の姿があった。
「…………」
何と言うか、普通に可愛い女の子だと思った。
それも、絶世の美少女と呼べるくらいには。
制服から見て、恐らく近くの学校に通う中学生だろう。
腰まで伸びた黒髪は、まるで人形みたいにサラサラしていて……そんな幼気な少女を、彼女が放っておくはずはなかった。
「華憐」
ガッツリと華憐の肩を掴みながら、凛はまるで確認するかのように訴えてくる。
要するに「あんな可愛い子を助けずに、放って行ったりしないよね?」と。
正直この時の凛は、華憐を以てしても怖いとすら思えてくる。
いくら可愛いものに目がないからと言って、気配に殺気が混じるのは勘弁してほしいところだ。
とは言え、普段何かと頼りにしている凛にここまで迫られては、ダチとして、総長としても、聞き入れないわけにはいかない。
「はぁ……わぁたよ。ったく」
華憐が頭を掻けば、凛はそれで満足したのか、ゆっくりと力を抜いて、華憐の肩から手を離す。
「行くぞ」
そうして、凛と杏里も暴走族〈獄炎蝶〉の顔になって、華憐たちは男たちの傍まで歩み寄る。
「おいお前ら! そんなところで何していやがる!」
「あぁん? なんだてめぇら」
華憐が開口一番でそう声を掛ければ、男たちは不愉快そうに華憐たちの方へと振り返る。
「その子から離れろ。そいつはあたしたちの連れだ」
本当は全く関係のない赤の他人なのだが、この場はそうしておいた方が、話が早いだろう。
「へー。こいつ、お前さんらの連れなのか。だったらそっちも一緒にどうよー? なーに、悪いようにはしねぇからよー」
「はっ! 悪いが弱い男なんざには興味はねぇ。連れて行きたきゃ力づくでやってみろよ。この腰抜け野郎ども」
「…………言ってくれるじゃねぇか」
そうして軽く挑発してやれば、見事に男たち全員を釣ることが出来た。
数は五人。
こちらは華憐も含めてたった三人だが、問題はない。
この程度の奴らに後れを取るほど、凛と杏里も軟じゃないし、当然華憐自身も負けるつもりはない。
緊迫した空気が場を支配し、どちらからともなく前に出てから数分後…………華憐たちに敗れた男たちは、足早に路地裏から逃げてどこかへと消えて行った。
「ふぅ……ん?」
パチパチパチパチ――
喧嘩が終わって一息ついると、どこからともなく小さな拍手が聞こえて来る。
その音がする方へと目を向けてみれば、そこでは華憐たちの助けた少女が、両手を叩いて賞賛を送っているように見えた。
ほとんど表情が変わらないせいで、あくまでそう見えるというだけなのだが。
「君? 大丈夫だったか? 変なことされなかったか?」
そして誰よりも早く、凛は少女が無事であるかどうかを確認する。
少女はただ、凛の質問に静かに頷き、それから綺麗な所作で頭を下げる。
「ありがとう、ございました」
しっかりと面と向かってお礼を言われたのが久しぶりなせいで、華憐は気恥ずかしさを誤魔化すように、そっぽを向いて頬を掻く。
「別にこれくらいはどうってことねぇよ」
「そうっすね。困った時はお互い様っすから」
華憐の言葉に杏里も同意するように頷いていると、どこからか携帯の着信音が聞こえて来る。
目の前の少女が鞄から携帯を取り出すと、画面を開いてメッセージを確認する。
すると少女はどういうわけか急に慌て出して、華憐たち三人を順番に見てから頭を下げると、颯爽とその場から走り去って行った。
まさに脱兎の如き逃げ足の速さに、華憐も少しだけ驚いたまま呆然としてしまう。
「変わった子だったっすね」
「そうだな」
杏里の言葉に、華憐も同意するように頷くが、いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。
「さーって。あたしらも行くかー」
軽く伸びをして体をほぐしながら、華憐たちもその場を後にした。
△▼
「なぁ、一ついいか?」
翌朝の学校、華憐がいつものように自分の席に座っていると、隣の席にいた零が不意に声を掛けて来る。
「あぁん?」
普段は滅多に零から声を掛けてこないというのに、どういう風の吹き回しだと、若干の警戒心が湧いてくる。
「昨日の放課後、この辺りで中学生を助けたりしたか?」
「…………」
簡潔な質問だった。
そしてその質問に、華憐は心当たりがあり過ぎた。
だが何故零が、そのことを知っているのかがわからない。
どこからか見ていたのかもしれないが、自分でも柄にもねぇことをしたなっていう自覚はある。
だから素直に認めるようなことはしなかった。
「はっ! てめぇには関係ねぇだろが」
「…………そうか。まぁ、一応礼は言っておくよ」
「…………」
「何でてめぇが礼なんか」とも思ったが、零もそれ以上は話すつもりがないのか、そのまま釈然としないまま、いつも通りの学校生活を過ごした。
△▼
その日の夜、華憐が率いる〈獄炎蝶〉のメンバーは、いつものように集合場所の広場へと集まっていた。
背中に大きな蝶があしらわれた戦闘服を身に纏い、これから夜の街へと繰り出して行くところだった。
「華憐、今日はどこを回る?」
ダチであり副総長でもある凛の問いに、華憐は少し考えてから口を開く。
「取り敢えず、いつもの感じでいいじゃねぇ? あそこらへんは何処も幅を利かせてねぇしな」
〈黒炎狼〉の力が増したせいで、奴らを刺激するような真似はあまりできなくなったが、〈獄炎蝶〉が今までよく使っている場所なら、何の問題もない。
「よっしゃ! ぼちぼち集まって来たみてぇだし、そろそろ…………?」
「行くか」と言おうとして、華憐は不意に、どこからかバイク音が近づいてきていることに気がつく。
それも一台や二台じゃない。
何十台ものバイクが、華憐たちのいる方へと近づいて来ている音だ。
「なんだ?」
そしてその姿が見えたのも束の間、突如現れたその集団は、まるで華憐たち〈獄炎蝶〉を包囲するかのように、ぐるりと一周してからようやく止まる。
「てめぇらは……“豹”か」
彼らが身に着けている装束から、華憐は未だに〈黒炎狼〉から吸収されずに生き残っている暴走族〈風雷豹〉だと当たりを付ける。
「ご名答。昨日は随分と内の子分たちを痛めつけてくれたみたいじゃねぇか。まさかあの“蝶”だとは思わなかったがな」
そう言って、華憐の目の前で止まったバイクからは、一人の男が降りてくる。
恐らくこいつが暴走族〈風雷豹〉の総長なのだろう。
そしてざっと、他のメンバーに目を向けてみれば、その中には昨日から見覚えのある五人組の姿があった。
「あぁ。あの女に振られた挙句に、泣きべそ掻いてあたしらから逃げ出した腰抜け野郎のことか」
華憐がそう言って煽ってみれば、当事者の五人だけでなく、他のメンバーからも不穏な気配が漂い始める。
「んで、わざわざその仕返しにでも来たってわけか。ご苦労なことだな」
「……ハッ。俺は子分には優しいからなぁ。舐められた借りはきっちりと返させてもらうぜ」
総長の言葉に、他のメンバーもまた、やる気に満ちた下卑た笑みを浮かべながら、華憐たちの逃げ場を塞いでいく。
「ハッ! だっせぇな。群れてなきゃ蝶も一匹相手に出来ねぇとか……豹ってのは随分と腰抜け揃いなんだな」
「…………」
最後に華憐がそう煽れば、その発言がこの戦いにおける決定的なものとなる。
もうどちらかが倒れるまで、この戦いが終わることはないだろう。
「華憐」
「わかってる」
凛の抱いている懸念は、当然のように華憐にもちゃんとわかっている。
相手の数は数十人なのに対して、華憐たちの方はたった十人弱しかいない。
どう考えても真面な勝負にはならないのは目に見えている。
だから……
「あたしが足止めしている間に、他の奴らは逃がせ」
この事態を招いた当事者として――
〈獄炎蝶〉を率いる総長として――
この件に関係のない他のメンバーを巻き込むわけにはいかない。
だが……
「なら内も残るよ。華憐一人だと心配だし。一応内も当事者だし」
「あたいも残るっすよ! ていうか、この場に姉貴を置いて行く奴なんて、誰もいないっす! 姉貴に売られた喧嘩は、あたいたちの喧嘩っす!」
「…………」
そんな杏里の言葉を肯定するように、他のメンバーもまた、華憐に並ぶようにして前に出て来る。
「……てめぇら」
本当にバカな連中だ。
わざわざこんなことにまで、華憐に付き合う必要なんてないというのに……
本当に……
「ハッ! どうなっても知らねぇぞ」
華憐の掛け声に、他のメンバーもまた不敵な笑みを浮かべる。
圧倒的に不利な状況だが、やってやろうじゃねぇか。
「行くぞ!」
「「「「「おぉ!」」」」」
そうして、戦いの幕は切って落とされた。
初めは華憐を筆頭にして、それなりに善戦していた〈獄炎蝶〉だが、次第に〈風雷豹〉の数に飲まれて一人、また一人と彼らの前で倒れていく。
そして最後まで立っていた華憐でさえも、一歩及ばずに膝を屈しようとしたその時――
カシャ!――
「「「「「!?」」」」」
突然どこからともなく、そんなシャッター音とフラッシュが、〈獄炎蝶〉と〈風雷豹〉の頭上より降り注ぐ。
そして……
「随分と騒がしいな」
そんな声が辺りに響き、その場にいた全員が声のした方へと視線を向ける。
見上げた階段の上にいたのは、スマホを片手に持った一人の青年。
そしてその青年の姿に、華憐は心当たりしかなかった。
(何で彼奴が!?)
華憐が見上げる階段の上にあったのは、華憐も良く知っている神楽零の姿だった。