家族の肖像 1
家族の肖像 1
少年が寝ているのは、涼やかな風を感じる見晴らしの良い高原の草原だった。
容姿端麗な者達による幾世代にも亘る品種改良の積み重ねの結果として生まれた、品格と美の極致とも言える瑕疵の付け様が無い美青年である。
名前をクラウスと言う。
少し先には芦毛の愛馬のブリュンヒルデがのんびりと草を食み、青から紫に近い色合いの空に、夏の兆しの大きな雲が湧いている。
クラウスお気に入りの場所であった。
政務の無い日は朝も暗い内から愛馬を駆って森を抜け、この場所で素振りをしてから思うさま寝転ぶのだ。
高原に響く小鳥のさえずりやカッコーの声。
近くを流れる小川のせせらぎ。
火照った身体を冷ます風を楽しみ、優しい日差しに目を閉じる。
と、不意に左の腕輪が小刻みに震え始めた。
一人になれる貴重な時間であったが、今日はどうやら無粋ば闖入者に邪魔される事になるらしい。
「クラウス様、誰か来るかも?」
一緒に寝ていた妖精族の道化師であるリトが、小さな羽音を響かせふわりと浮いて声をかけてくる。
同時に遠くから小型の風霊車が風を切る音が響いて来た。
腕輪に触れると幾つかの魔法陣が煌き、数種類の情報窓が周囲の空間に展開する。
「んー、予定は何も無かったはずだけどな……?」
情報窓を寝転んだまま指先で操り、予定の変更や緊急情報の有無を確認し、念のため接近中の機体の種類や武装の有無についても遠隔で走査する。
もちろん危険度は皆無。
「なんだろう?」
「なんでしょうね? 不甲斐ない領主に愛想が尽きた領民の刺客かも?」
「冗談でもやめてくれ」
リトの台詞に眉を顰めて「それにしても一体誰だろう?」などと考えてみるが、この時間を邪魔する家臣など居ないはずである。
どうしてもクラウスを必要とする面倒事なら、領主の愛馬も収容して帰還を促す筈で、一機なら大型機で迎えに来るし、小型なら最低でも二機で来るだろう。
「つまりは他領の無粋な貴族の謁見希望者か……?」
「平民なら手打ちにして犬の餌ですね。犬は家族に食わせてやりましょう」
「ははは、冗談でもやめて――」
「本気です。さぁ火精銃を抜いて攻撃です!」
「……無茶を言うなよ……」
何もかもが面倒になり「このまま寝たふりでもしておこう」そう考えた所で風霊車の扉が開く音と声が聞こえた。
「にいさまぁ!」
聞き覚えのあるその声に慌てて立ち上がると、慌てて浄化の魔法をかけて汗と匂いを消し去るクラウス。
「フィーナ!」
可憐で豪華なドレスの裾を掴んで駆けて来る美少女。
少女の呼びかけ通り、彼女はもちろんクラウスの妹、フィーナ・テレーゼ・ユーディットである。
満面の笑みを浮かべてクラウスの胸に飛び込むフィーナ。
短距離走で乱れた髪を整えてやりながら、こちらも満面の笑みで声をかけるクラウスである。
「久しぶりだね! 元気そうでなにより!」
「にいさまも!」
「姫様お久しぶりです」
「うん! リトも久しぶり!」
美しく波打つ淡い栗色の髪に、南国の海を思わせる透き通った翠の瞳。
当然実家の公爵家には彼女を迎えたいという数十件の申し込みがある。
末娘で徹底的に甘やかされながらも、素直で良い子に育っているのはクラウスの尽力によるものであった。
まぁ多少気の強いところや我儘をいう事があっても、大公の孫姫、公爵家の姫としては可愛いものであろう。
「フィー、随分早かったね? 到着は明日って聞いてたけど?」
「にいさまに会いたくてお祖父様のお船を借りたの」
疑問を口にした所で予想はついたが、予想通り大公国軍の艦艇を借りて来たらしい。
帝国の最先端技術を使えば最高七階位の転移魔法の展開が可能だと聞くが、他は軍艦だろうが民間船だろうが跳躍距離は六階位の転移魔法で最大およそ6パーセク(一階位で1パーセク。1パーセクは約三・二六光年)と変わらず、しかも機械式転移魔法は重力源から一定以上の距離でしか安定的には発動せず、転移時のエネルギー状態を保持してしまうため、転移距離が大きくなればなるほど転移後の速度も大きくなる傾向があり、当然ながら転移した空間から目的地までは通常空間を延々と移動しなくてはならない。
そして軍艦の通常機関出力は、当然ながら一般船舶とは桁が違う。
急ぐのであれば軍艦を利用するのは良い手であるが、いくら公爵家の姫とて大公国軍の軍艦を私的に使うのは筋違いである。
「フィー……!」
「にいさまお願い怒らないで! 新造艦の試験航行の行き先を変えただけ! 日程も変わって無いしお祖父様もお父様も艦長さんも迷惑じゃないって言ってくれたの!」
大公家の中でも恐らく最もフィーナを溺愛しているクラウスであったが、フィーナを真正面から叱る事の出来る唯一の存在でもある。
フィーナにとって最も親しみやすく最も恐ろしい相手なのだが、太公その人でもあるお祖父様と、寄親であり次期大公でもある父親の公爵自身が許した事について、両手合わせてお願いされたクラウスが叱る事など不可能だろう。
「まったく。変な知恵ばかりつけて……。どうせマグ姉の入れ知恵だろう?」
テヘヘ、と頭を掻く振りで誤魔化すフィーナである。
「マグ姉には一度きっちり話をつける必要があるな……」
「折檻ですね。鞭とロウソクは屋敷に戻り次第用意させましょう」
クラウスの独り言に、さりげなく口を挟んで来たのはもちろんリトである。
「なるほど、そういう方向性も有りか?」
「姉を縛り上げて裸に剥き、笑いながら鞭を振るう弟……クル!」
一瞬でも気を許したクラウスが悪い。
「却下だ」
「なんですとぉ?!」
などと物騒な顔付きで呟くクラウスとリトを見て、放置すれば巡り巡って自分にも被害が及ぶであろう事に気付いたフィーナが話を逸らす。
「そう言えばマグナレーダ姉様がまた婚約したって」
「は?」
「出発直前に仕入れた最新情報だよ?」
フィーナの台詞で固まったクラウスであったがなんとか再起動に成功すると、どこか沈痛な面持ちで問いかける。
「今度は誰が罠に掛かったのかな?」
「リファールさんとこのドニ君?」
「ドニって、リファール男爵家のドニ・エルワン?」
「そうそう! あのドニ・エルワン君!」
「あいつは未だ十六才だろ! マグ姉より六つも年下じゃないか!」
思わず声が大きくなってしまったクラウスだったが、フィーナは事前に耳を塞いで被害を免れおている。
「流石はマグナレーダ姉様だよねぇ。狙った獲物は逃がさない。狩人?」
ニコニコしながら言うフィーナの様子に気がそがれたのか、大きく溜息を吐くクラウス。
「……お父様はなんて?」
「うーん、黙ってたかな?」
威厳ある帝国元帥にして公爵である父が、虚ろな目をして肩を落とす姿が目に浮かぶ。
「お祖父様は?」
「笑ってた」
強大な銀河帝国にあっても皇帝を除けば最高位の老貴族がワイン片手にバカ笑いをしている姿を幻視した。
「ジーク兄は?」
「笑ってた……かな?」
貴公子然とした兄のジークムントが、虚ろな目をして乾いた笑いを漏らす姿が目に浮かぶ。
「あの腐れショタめ……。無垢な青少年を何人毒牙に掛ければ気が済むんだ……」
と、整い過ぎて美しい以外の特徴が無いほど整った中性的容貌の超絶美青年が、思わず肩を落として首を振る。
いつも通りのパターンであれば、婚約して散々貢がせ弄んだ挙句にほんの数週間で、年上である事その他無数の理由を口実に身を引く形で放り出すのだ。
何も知らない初心な少年は涙ながらにそれを受け入れ、また一歩大人になったと涙を拭って立ち上がるのである。
いずれはマグナレーダの真の姿を知るのであるが、どういう訳か一度も大きな問題になった事は無く、近隣領主の令嬢達にはマグナレーダの恋人だったというのが一つのブランド化してさえいるらしい。
もちろん平民達には格好のゴシップである。
帝室に連なる大公家の令嬢を尻軽女呼ばわりする命知らずは居ないが騒がれると大公家の威信にも関わるため、毎度毎度莫大な金を使って美談を生み出しては誤魔化して来た。
が、揶揄する声が聞こえて来ないわけでも無いのだ。
「なぁ、フィー」
「なあに?」
「マグ姉、どうしたら少年趣味から足を洗ってくれるかな?」
「…………にいさま、お腹空かない?」
「空いたかな……?」
「帰ろう。ブリュンヒルデに乗せてくれる?」
「いいよ。おいで」
そうしてフィーナを横乗りにして前に乗せたクラウスは、愛馬に駆って屋敷へと戻るのであった。
高原の草原を渡る涼やかな風に微笑みを乗せ、久しぶりで楽しそうだが余り聞きたくはないフィーナとリトのガールズトークに身震いしながら屋敷へ向うクラウスだったが、フィーナの乗って来た新造艦というのは興味がある。
グランツェル大公国は帝国でも最高位に近い17レベルの技術力を誇る先進国ではあったが、クラウスのヴランドル子爵領は13レベル程の技術力でしかない。
クラウスが領主となって以来、必死で領民生活の向上と技術力の向上に勤めてはいたが、良い物は星系外から輸入するしかないのが現状であり、グランツェル大公家の支援で建造している軍艦も、技術的にはせいぜい15レベル程度でしかない。
この星系に来て以来、クラウスも最新技術の塊である新造艦を見る機会など皆無だったのだ。
早速領主にして子爵である大公家の第三公子という身分と、ヴランドル子爵軍の最高司令官という地位を利用した表敬訪問を申し込む。
「にいさまが悪い顔してる」
「凛々しいです」
「……ほっとけ」
それにしても……。
と、クラウスは考え込んでしまう。
自分は一体なんの為に転生したのか?
折角転生したというのに自由など欠片も無いまま、齢十二にして超強大な銀河帝国の支配体制に、完膚なきまでに組み込まれてしまった。
最初の二年は祖父である大公が手配した家宰と官僚団、そして領民の代表者達に全てを任せて、クラウス本人はサロンを開いて集まって来た近隣領主の三男四男次女三女達や、有力な領民達の子弟からこれはと思う者達を選んでは家臣団を形成する作業だけで終わり、三年目からは太公家の家宰や官僚団から徐々に集まった家臣団へと引き継いで、六年目の今では立派な子爵家の当主ではある。
悲しい事に譜代の家臣など一人も居らず、最初は大公家から付けられた家宰以外に信用出来る者も居ない状況で、胃に穴が空くほど神経をすり減らしたものだった。
実際にクラウスは二度とほど血を吐いており、医療用ナノマシンと回復魔法のお世話になっている。
「あの頃は辛かったな……」
「なんか急ににいさまが黄昏て――」
「しっ、姫様、ダメです。親しい人が来たので甘えてるんです。こういう時はそっとしておいて下さい。他人の精神的自慰行為に付き合わされるとか真っ平御免です」
「そうなの? 自慰行為手伝って欲しいの?」
「ヤメロ。頼む。失言だったやめてくれ」
「ふっふっふ……」
――因みに未だに開かれているヴランドル子爵のサロンには、いつの間にか有能でやる気のあるもの達が増えている。
この星系にも近隣星系にも、それこそ無数のサロンが存在しているが、大半は何処ぞのボンクラ子弟の遊び場だったり、下手をすると娼館紛いの場所まである。
ヴランドル子爵のサロンの様に、サロンがサロン本来の目的で利用されている所は稀なのであった。
そんなこんなで高原の草原から森を抜けて山道を下り、牧場やご領農場を通って屋敷へと向う。
何処までも牧歌的な景色に癒されつつ、リトの口撃に凹んだり笑ったりフィーナの近況報告に和まされたりしながら、片道三〇分ほどの散歩を楽しむクラウス達。
しばらくクラウスの心は何処か湿った曇り気味の状態であったのだが、それがまるで嘘のように晴れていた。
三歳で前世の記憶が蘇り、いつか自由に宇宙を旅してみたいと思い続けて早十五年である。
十二歳で領主となった後は、有能な家臣団を形成して任せてしまえばきっと自由な時間も出来ると、そう信じて頑張ってきたクラウスであったが、頑張れば頑張るほどその責任と仕事の量は増え続け、最近では自ら生み出した蜘蛛の糸に雁字搦めにされた気分だったのである。
リトはどうやらそれに気付いているらしく、かなり過激にクラウスを突ついては落としたり持ち上げたりしているのだが、クラウス自身がリトの思惑に気付いているため空回り気味だったのだ。
当然ながらクラウスが溺愛する妹の登場は、クラウスにとってもリトにとっても、ここ数ヶ月の鬱屈した気分を一転させ得る大きな機会であった。
クラウスはフィーナを屋敷で降ろした後、愛馬を厩舎へと導きながら呟く様な声でリトに言う。
「リト、明日からまた忙しくなるな……」
「クラウス様が、です。私が忙しいのは嫌です。暗黒領主です。服務規程違反です。訴訟です。妖精族の哀れな道化師を酷使した外道の領主として糾弾されます。これ以上は働かないのです!」
「あー、わかった、悪かった、だから黙れ」
「黙れですか、喋ることが仕事の道化師に向かって黙れですか、それでも貴族ですか、そうですか、それがクラウス様の本性ですか、まさにクズ、この甲斐性無しのヘタレ子爵め!」
「だぁー! もう! 違うから!」
「ほうほう? 何が違うんです? 海よりも広い心で聞いてあげても良いかもしれませんけど先程の黙れという暴言だけは許し難いと私の足が、手が、心臓と魂が全力で叫んでいるの――」
「何時もありがとう、感謝してる」
「――でぇえええっ?!」
と、真っ赤になって空中で停止してしまったリトを放置し、愛馬を馬丁に任せて厩舎を出てゆくクラウスであった。
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