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追想の揺り籠

作者: うっかりメイ

 電灯に照らされ、白い糸が落下する。随分冷たい雨だ。静かに降り続けるそれは天の恵みと呼べるほど温かみに満ちたものではない。木の葉、叢、石の祠を打つ雨は幾重にも音を重ね、木の陰で雨宿りする少女の耳に届く。彼女は濡れたセーラー服を抱きしめ、地面に当たって跳ねる水滴から逃げるように身体をすくめる。しかし限界まで折り曲げた足もそれを抱きかかえる腕も冷たい。

 高く澄んだ音が彼女の耳の奥に響いたのは果たして天啓か。戸惑い、辺りを見渡す彼女を誘うようにもう一度鈴の音が聞こえる。

 今度は星の瞬きよりもはっきりとしている。

 体温の低い杖のような足を必死に動かし、ものを掴む感覚すら覚束ない手で探りながら音の方向へ進む。隠れていた大木の背後にまわり、深い叢をかき分け、音を辿る。耳に残った残響は蛍の光だ。電灯の光から逃れるように羽ばたき、ぼんやりと道を照らし、無邪気に飛び回る。

 再び音が響く。玉の転がる音はすぐそこだ。彼女は藪の中に手を差し出した。誰かがそっと握り返してくる。吹き渡る風が温かく彼女を包む。

「よくきたね」

 優しげな声。姿形は全く見えないがなぜか安心する。

「お母さん?」

 記憶の奥底から同じ声が聞こえてくる。なぜ忘れていたのだろうか?

「おもいだしなさい」

 何を? 暗闇に向かって誰何する。少女は戸惑いつつも座り込み、目を閉じる。先程と変わらない風景に懐かしい光景が浮かぶ。生きている母と父だ。彼らは笑っている。ふわりと浮き上がる感覚が身体を包む。

『たかいたかーい』

 物心ついたときから父に身体ごと高く持ち上げられるのが好きだった。母が少し心配そうにその後ろから見ているのもいつもの光景だ。陶工の父と主婦の母、彼らは穏やかで優しく、そして子供の成長に気をもむ普通の親だった。

 そんな彼らとの生活はあっさりと終わった。彼女が三歳の頃、家が火事に遭った。隣家から少し離れた高台にあったことが災いし、発見が遅れたそうだ。彼女は焼け落ちる邸宅の中から辛くも生き延び、助け出された。当時のことはよく覚えておらず後から聞かされた話だ。

「おもいだしなさい」

 一寸先も見えない闇が彼女の記憶を際立たせる。


 あれは今のような梅雨の終わりの晴れた日だった。

 連日雨続きで地面はぬかるみ、初夏の終わりを告げる厳しい日差しが降り注ぐ。そして涼しい風が開け放たれた雨戸から広い土間に入り、家中を駆け巡る。父は町内の手伝いに行き、母は山の畑を見に行った。家には独りぼっちだが、手元には小さな陶器の人形が二体ある。ひとりを家の中央の柱付近に立たせ、もうひとりを手に持ち、“かくれんぼ”をするのだ。家具の影に一緒に隠れ、そっと覗き込む。柱の人形がこちらを向いていたら負け。背を向けていたり別の方向を向いていたら勝ち。

 小一時間程遊んでいると、庭先に誰かの気配があった。振り向くと、誰かが立っていた。日差しを避けるために目深に被った笠、紺色の古びた野良着。右手には鉈を持っている。

「高津のおじさん?」

 彼は笠を持ち上げ、笑った。

「バレちったか。ひとりで遊んどった?」

「うん!」

 彼は家の庇の影に入り、縁側に腰を下ろす。笠を取り外し、首にかけたタオルで汗を拭く。少女は玄関の井戸から水を汲み、彼に差し出す。

「おじさん今日は何してたの?」

「田んぼさ見回っとった。流されてた箇所もあったけど大方無事じゃった」

「今年もお米食べられる?」

「ああ、もちろん」

 彼は笑って彼女の頭をなで回す。ゴワゴワした大きな手で乱雑に髪の毛をかき回される感覚は大好きだった。

「すまんが、トイレ借りるぞ」

 彼女の柔らかい髪の毛をひとしきり撫で回した後、彼は縁側から立ち上がった。しかしすぐに立ち止まった。少女が不思議に思ってその視線の先に目をやると、先程まで遊んでいた人形の片割れがいた。柱の下においたのは彼女自身だが、身体の向きが高津に向いていた。遊んでいたときは柱を向いていたはずなのに。

 彼の方を見ると左手にある便所へ入っていくところだ。しかしどこか焦った表情を浮かべていた。その額には玉の汗がにじみ出ている。


 ポケットから人形を取り出す。片割れはいない。小学生の頃、先生に取り上げられた。厳しい先生で、他の子もメンコとかお菓子などを没収されていた。その頃からこの人形は動かなくなった。両親をなくし、形見も半分失った彼女は学校をサボった。学校に行く途中の山で時間を潰し、家に帰る。そして一日目でバレた。

「辛いのはわかるけど学校には行かにゃならん」

 引き取ってくれた高津のおじさんにそう言われたのを覚えている。おばさんはどこかに出かけていった。

 翌々日、山を越えた小さな村に連れて行かれた。子供がひとりもいないことが印象的だった。家々の中のひときわ大きな屋敷に通され、老婆と出会った。ホトギと呼ばれた彼女は満面の笑みで少女を迎え入れた。彼女に五匹の猫がまとわりついていた。そのうち生きていると感じられるのは一匹のみだった。

「これは天の使いじゃ」

 高津のおじさんとおばさんは全く顔をあげることなく、会話も最低限だった。

 しばらく彼女はその奇妙な村で過ごした。勉強しなくて良いので学校より楽だったが、同世代の子供と話すことができなくなったのは退屈だった。家にいても猫と遊ぶか、おはじきを弾くのみ。しかし時々男の子が家に遊びに来た。その時は家の中ではなく、山へ入り、釣りなどをした。暗くなる前にはいつも帰っていたが、最後に会ったとき、「ウチへこないか」と誘われたのは覚えている。彼はいま何をしているのだろう。

 反対に嫌な思い出もある。お経のようなものを読まされることが度々あった。きれいな半紙にホトギが丁寧に書くのだが、文字が崩れていたりしてうまく読めない。詰まるたびに彼女に叩かれ、読み方を教えられた。おまけに文章の半分くらいになると背筋に悪寒を感じた。終わると夏は外へ、冬は布団に飛び込んだ。

 二年ほど経つと、彼女は高津の家に戻された。学校で久々にあった友達とは少しぎこちなかったが、一ヶ月もすれば元のように一緒に遊ぶ日々だった。しかし、変わったこともあった。夏休みになるとお祭りがあるのだが、その祭事に呼ばれるようになった。神主さんの後ろで例のお経のようなものを読まされたが、夏休み以降呼ばれることが多くなった。

 翌年の春になるとお堂の中で村人数人の前で話すことになった。蝋燭一本のみの薄暗い室内で神主の滔々としたお経─ノリト、というらしい─を読み上げている中、頭に浮かんだ風景を言葉にしていく。

「黄金色の野原が見えます。子供が数人遊んでいるのも」

「太陽が真っ暗です。海は怒り狂っています。牛が数頭流されているのが見えます」

 そんなことを口走ったと思う。当時のことを明確に思い出すことはできない。ただし、その時見た風景はまだ記憶に残っている。それは既視感を伴ってその年のうちに起こった。夏休みの頃、日食の際には暗闇で輝く太陽が観測され、高潮によって厩舎が流された。飼っていた牛は別の場所に避難しており、実害は出なかった。しかしあのとき見た風景が眼の前で繰り広げられ、不思議に思ったことは覚えている。

 その年は田畑は例年以上の恵みをもたらした。そして四人の乳幼児が無事に三歳の誕生日を迎えた。私は未来が見通せるのだと気がついた。


 硬いもの同士がぶつかる音がして、目の前に小さいものが転がってきた。月明かりを頼りに手のひらに乗せると、それは小学生の頃没収された人形だった。なぜここにあるのか? 手元に残ったものより新しく見えた。

「大切にするんだぞ」

 父の言葉が脳裏を横切った。彼は彼女が仕事場の陶器を割ったり、物を失くすと叱った。そして最後はその言葉を呟き、ぐずる私を母屋まで抱きかかえて運んでくれたっけ。

「お父さん?」

「もうなくすんじゃないぞ」

 それだけ言われ、頭を無遠慮に撫で回される。その感覚は高津のおじさんだった。


 彼は去年の夏亡くなった。一時村を襲った流行り病だった。彼のしわがれた指をよく覚えている。

「すまんなあ、最後にはひとりにして」

 そう力なく呟いていた彼の言葉も。

 何年もの歳月を重ね、自信をつけた彼女は去年の春、予言を告げた。幾人かの年老いた女性が病の犠牲になると。暗いビジョンだったが、自分が告げた言葉が歴史を作るものだと思い上がっていたのかもしれない。できるだけ明確な説明を紡ぐ。だが、それがいけなかった。数ヶ月前、流行り病が村を吹き抜け、高津のおばさんが倒れた。山を越えた隣村も同じ状況らしく、村に医者は来なかった。病に選ばれたものは命を刈り取られた。

 その影響は当然のごとく周りの者に振りまかれる。病は人伝に移り、そのうちのひとりがおじさんだった。

 村の働き手の世代までも襲った病気を予見できなかった彼女は親も引き取り手もいない。完全に孤立した。いつの間にか巫女ではなく魔女と見做され、つい先日ホトギを呼ぶという大人たちの話し合いを聞いた。彼女は何か予感めいたものに動かされ、村から逃げた。

 そして今に至る。

 闇の中の主は一頻り彼女を撫で回した後、再び口を開いた。

「おもいだしなさい」

 穏やかな母の声が彼女の記憶をかき乱す。火事の時の情景が浮かび上がる。煙と熱に起こされ、目を覚ましたとき辺りは真っ赤だった。父は夜遅くまで作業するのが常だったので、火が廻ったのは夜遅く。月が頭上を過ぎ去った頃だろう。

 再び火の海の中を探る。父は火のついた布団にくるまっている。よく見るとあまり燃えてない部分がある。そこだけなぜか黒い染みができている。母は延々と続く娘の泣き叫ぶ声に半狂乱になりながら部屋中を歩いている。しかし彼女の探し求める出口は火に閉ざされ、どこにもない。少女は家の中央の柱に走り寄り、周囲を見渡す。手の中には陶器の人形が二体、しっかりと握られていた。

 しばらくすると居間の床にまで燃え広がり、母と少女は身動きできなくなった。少女のもたれている柱の周辺は辛うじて燃えていないが、母はジワジワと広がる炎の床に追いやられるように少女と完全に分断される。壁は徐々に倒れ込み、ついには母の上に覆いかぶさる。長い断末魔のあとは記憶が白濁していく。熱気と両親がその場にいない孤独感が少女を苛み、泣き叫んだ後の疲労が意識を刈り取ろうとしていた。そのぼんやりとした視界の中に違和感があった。

 焼け落ちた壁板の隙間から見えた庭。数人の大人が立っている。月明かりにぼんやりと浮かぶ彼らは身動ぎひとつなく立っている。何をしていたのかは不明だが、彼らは灰になりつつある家を観察していた。

おもいだせ。

 割れそうな頭を宥めながら、少女の視界の中で目を凝らす。薄闇の中でぼんやりと浮かぶ顔には全て見覚えがあった。村長、神主、そして高津のおじさん。

 窯の火の不始末などと言い聞かされたが、それは嘘だったらしい。村人たちは協力して家を燃やし、両親を死に追いやった。

 だが、何のためだろうか。不意に手の中の人形が手応えを返してくる。両手を開くと一対の陶器の人形がこちらを見ている。人形と言っても手足は丸く、顔にはふたつの点がついているだけの簡単なものだ。片方は頭の天辺から麻で結われた髪の毛が伸びており、女の子だと分かる。もう片方はなにもない。男の子だろうか? もしかしたら何者でもないのかもしれない。そういえば“かくれんぼ”のときはこの男の子がいつもオニだった。女の子を置いてもいつの間にか入れ替わっていた。

「おもいだした?」

 知らない女の子の声だ。いいや、違う。ホトギの家にあった蓄音機で聞いた自分の声だ。クリアであるにも関わらず違和感を感じるそれは叢の中から彼女に語りかける。

「あの村の人達はあなたの両親を殺した。家を焼いた。あなたと私の予知を利用しようとしたの」

「何のために?」

「自分たちの生活を維持するためよ。彼らの身勝手な想いのために私は産まれ、捨てられる」

「でも、高津のおじさんは私を育ててくれた! あの人が火をつけただなんて」

「さっきも言ったじゃない。生活を保つために生かされてただけのこと。私たちの犠牲の上に彼らの暮らしは成り立っているの」

 彼女は耳を塞ぐ。しかし、その効果は薄いようだ。

「私は力になりたいの。彼らは予見を外した貴方を殺すつもりだわ」

「私を?」

 そんなはずはない。脳裏に見えた光景を述べただけである。それに一喜一憂しているのは彼らではないのか。

「なんで私が? 大切な人を亡くしたのは私も同じなのに」

「彼らに自分たちの力で未来を手にする考えなんてないのよ。人に災いをもたらす予言はいらない。命を奪うなんて尚更、ね」

 手がそっと握られる。背の高い草の間から伸びる白い腕はゾッとするほど冷たく見える。しかし、感触は見た目に反して温かい。

「私は貴方を見守ってきた。あの火事のときだって、ホトギの村で山に連れて行かれそうなときだって。もう遊べるほどの元気はないけど、力を貸すことはできる」

「その力ていうのをあの人たちに向けろ、というの?」

 彼女は手を振りほどく。

「私は彼らの仕打ちを許せない。けど、仕返しなんて考えてない。村に戻ってわざとじゃないって言えば許してもらえるはず!」

 腕を振り払い、叢を駆け抜け、先程まで隠れていた大木に戻る。雨はいつの間にか降り止んでいた。脇の祠に数秒頭を下げ、階段を駆け上がって村へと走り出す。


 村は異様に静まり返っていた。陽が沈み、月明かりしか頼れる光源がないので当然のことだろう。しかし、揺らめく松明がそこかしこに蠢いているのはなぜだろうか?

 近寄ると、松明を持った男が彼女に気づいた。

「柏原のおじさん?」

 白髪の彼は声をかけられると、ぎょっとした表情で声を上げた。

「帰ってきたぞ!」

 その手には農作業で使う鉈が握られている。いつかの高津のおじさんの姿が重なる。しかし、夏の日に見たあの姿とはかけ離れた所作だ。怯えとむき出しの敵意が鉈の切っ先を僅かに揺らしている。

「この疫病神め!」

「山へ帰れ!」

 駆け付けた二人の年老いた男が口々に彼女を罵る。そして、理解が追いつかない彼女に詰め寄り、突き飛ばす。尻もちをついた彼女に彼らは容赦なく罵詈雑言を浴びせる。

「お前がタエを殺した! お前も死ねばええんじゃ!」

「俺の息子も殺した! お前が病を呼んだんじゃ!」

「この死神!」

「こんなやつこうしちゃる!」

 誰かが鉈を目一杯あげ、少女の頭めがけて振り下ろす。唸りを上げる重い刃物がゆっくりに見えた。彼女は目を瞑り、掌を向けて凶器を遮ろうとする。

 短く、くぐもった音がした。

 不思議と痛みはない。彼女が恐る恐る目を開けると、そこには誰もいなかった。しかし、腕をゆっくりと下げると別のものが見える。

 引きつった空気の塊が彼女の喉の奥から押し上がる。

 そこには人間の腰から下が三人分あった。その上はどこにあるのだろうか。あるべき上半身はどこに? 焼け焦げた断面を見ながらぼんやりと考える。ふと、喉の奥から熱いものがせり上がってくるのを感じた。慌てて起き上がり、近くの家の壁に手をつく。顔を地面に向けると同時に口から胃の中身が出てくる。口の中が気持ち悪い。

「死神だ」

「荒魂だ」

「神の使いなんかじゃない。こいつは鬼だ」

 えづきながら周囲を見渡すと、数人の男が彼女を取り囲んでいた。ようやく彼女は自身が置かれている状況を理解した。あの子の言った通りだ。走り寄ってくる彼らに掌をかざす。炎の塊が虚空から飛び出し、彼らの身体を包み込む。そして大きな獣に食いちぎられたように消散する。胸に当たったものは上半身を、足に当たったものは下半身を。

「どうして? 全部私が悪いの?」

 答える者のいない中で座り込み、彼女は尋ねる。地面に転がった松明が虚しく爆ぜる。

「ここにおったか」

 記憶の奥底で聞いたことのある声が耳に届く。かすれた老婆の声だ。

「ホトギ、さん?」

「おお、覚えてくれとったか。大きくなったのぉ」

 彼女はにこやかに村の奥からゆっくりと歩んでくる。しかし、彼女もまた小刻みに震えている。

「私は村の人を幾人も殺してしまいました。でも彼らも悪いのです。私の両親を奪ったのだから」

「そうか。それは辛かったのぉ。しかし人を殺めるのは良くないのはわかるじゃろう?」

 彼女は頷いた。

「なら、お主は罪人というわけじゃ。放火と殺人はとりわけ罪が重い。お主は今からその罪を償わねばならん」

 老婆はどこからか取り出した刀剣の鞘を抜き払う。月光の下で鈍く光るそれは返り血すら振り払うのではないだろうか。剣を八相に構えた彼女は生き生きとしていた。そこには狂気を纏った女性がいた。艷やかな黒髪の下で輝く眼光は赤い。

「巫女の血は不老不死の妙薬さ。これでまた生き永らえられる」

 滑らかな足運びと共にホトギが突進する。少女は掌から火球を吐き出し、走る。

「ぬるい!」

 袈裟切りの一撃で炎の塊は霧散し、振り切った剣圧が刃となって頬を掠める。全力で手近な家に駆け込み、扉につっかえ棒をかけ、重たい壺を置く。土間にあがり、脱出口を探していると、甲高い衝撃音が二度響いた。振り返ると、玄関の戸板が壺ごと切り捨てられ、蹴破られていた。

「来ないで!」

 暖炉にかけられていた鍋を投げつけ、炎を吐き出す。鍋は切り捨てられたが、中身に火がつきホトギを襲う。

「ハッ!」

 目についた裏口らしき戸板を蹴破ると、後ろから短い気合が聞こえた。直後、衝撃波が少女の背中に襲いかかり、たまらなく家の外に投げ出される。

「もう観念するんだね」

 瓦解する家の中から黒髪を振り乱した女が現れる。揺らめく闘気が額から上る。あれは鬼だ。

「あなた、死ぬわよ」

 頭の中に自分の声が聞こえる。それはゆっくりと歩み寄るホトギには聞こえていないようだった。

「死にたくない」

「そうよね。なら私の力を受け取って」

「嫌だ!」

「どっちか選びなさい。生きるか、死ぬか」

 少女は唇を噛み、身体を起こす。頭を振り、ぼんやりとした視界をはっきりさせる。手にはいつの間にか一振りの弓があった。ザラザラとしたそれは弦を引っ張るとよくしなる。矢はない。何かに導かれるように少女は弓を引き絞った。

「何だそれは。弓だけでは敵を射抜くことなど出来はせぬぞ」

 彼女の声を聞いているのかいないのか。少女は先程までの追われる者の眼をしていないかった。次の一撃に全てを賭けるような真っ直ぐな視線だ。ホトギは苛立ちを覚え、足の運びを速める。その時だった。空気を震わせる弦の音と、眩い光が尾を引く。物質的でない何かが射出された。ホトギは咄嗟に剣を振り下ろし、迎え撃つ。しかし、光はそれを押し返す。彼女は雄叫びを上げ、均衡が続いた。その間、光は後方に流れ、村の建物を破壊していく。民家も、蔵も、厩舎も、神社も全て。光の槍は壁を壊し、柱を燃やす。やがて致命的な音が響き、剣が砕け散る。行き場を失った力は彼女を貫き、弾ける。踏ん張っていた足は地面を離れ、その肢体は質量に押され遥か背後の崩れた家に突き刺さる。

 少女がホトギの前に立つ。彼女は折れた柱のひとつに突き刺ささっている。

「ワシの村を支えていたのは鬼じゃったのかのぉ」

 振り乱した髪の毛は真っ白に染まっており、肌は深い皺が幾筋にも刻まれている。初めてみたときの彼女だった。その手から柄と鍔のみになった剣だった物が滑り落ちる。

「お主は誰じゃ? 双子のうちのどちらじゃ?」

「何よそれ」

 少女は目を見開く。そんな話など一度も聞いていない。

「何にせよ情けない話じゃ。巫女が鬼に負けるとは」

「違うよ。私が巫女で、鬼を討ち取ったの」

 少女の眼がホトギの真っ赤な瞳を見返す。

「勝てばなんとやら、じゃな。ひとりで生きていくが良い」

 彼女は血を吐き、押し黙った。

 少女は手を合わせ、背を向けた。もう誰の声も聞こえなかった。ようやく静かな夜が訪れたのだ。彼女は破壊し尽くされた村を見て回ることにした。痛みで悲鳴を上げる身体に鞭打ち、僅かに煙を上げる家の間を歩いた。どこにも誰もいない。

 最後に神社に辿り着いた。本堂は焼け落ちていたが、その奥の小さな祠は無事に残ったようだ。木製の頼りない扉を開けると、そこには十人ほどの子供がいた。彼らは少女を一斉に見た。どの瞳にも困惑と恐怖が浮かんでいた。少女は笑い、手を広げた。

「鬼はもういないわ!」

新年あけましておめでとうございます。

書き始めたのは12月の中旬ですが、ついつい長くなってしまいました。

よろしければ評価・感想などいただけると嬉しいです。

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