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エンドロールの短い人生

作者: 冬夜風 真愛(ふゆよかぜ まな)

初めまして。冬夜風ふゆよかぜ 真愛まなと申します。

はっきり言って前書きなどございません。

ただ、読んで欲しい気持ちでいっぱいなのです。

私は別に、誰かに好かれる作品を作りたいわけではない。

この作品を通じて、誰かに何かを感じ取って頂けたら、それ以上の幸せはないでしょう。


どうか、時間があれば読んでみて欲しい。


 映写機が止まった。画面に映っている白い文字と共に僕は静かに消えた。

 微かに拍手の音が聞こえた気がした。


 僕の名前は渡辺祐。近年の青春映画に多い『友達の少ない根暗な主人公』と同じタイプで、まさにニュースタンダードな高校二年生だ。部活に所属していないのも主人公気質を匂わせる為の演出である。放課後は学校の屋上から校庭を見下ろし、必死にボールを追いかけている奴らを嘲笑っている。悪趣味な主人公とでも言ってくれたまえ。

 趣味を聞かれれば映画鑑賞と答えるだろう。男の子ならスリリングなアクション系を好む習性があるのだが、僕に至っては日本映画特有の起伏の少ない映画を好む。役者の繊細な表現と美しい映像美で物語が展開されていく温かみのある作品が堪らなく好きなのだ。

 成績は当たり障りのないザ・平均。満点を量産するほど頭が良いわけでも、赤点を量産するほど頭が悪いわけでもない。授業中はちゃんと先生の話を聞き、ノートもきちんと書くのだが、テスト期間中にわざわざ夜遅くまで勉強することは一度もなかった。

 そんな僕にも少なからず友達はいる。同じクラスの和田七飛。仲良くなったきっかけは名前順で前後になったからでもなければ、共通の趣味があったわけでもない。とある出来事が僕と彼を引き合わせて、今もなおその関係は順調に続いている。

 しかし彼も少し訳アリで、僕と同じように友達が少ない。入学当初はクラスメイトからいじめに遭っていたことを僕は知っている。いじめと言っても、殴るや蹴るなどの暴力的なものではなく、彼の持ち物が隠されたり、面倒な役割を無理やり押し付けられたりと陰湿的なものばかりで、先生も彼の家族も気付くことはなかった。彼自身も誰かに助けを求めようとはせず、そのいじめから目を逸らし続けていたし、それが返って負の連鎖を招いていることにも気付いていない様子だった。

 そんな彼へのいじめが無くなったのは、紛れもなく僕の存在だった。紛れもなく、だ。

 何故そこまで言い切れるかって?

 それは、僕の計算通りに物事が進み、尚且つ、いじめが止まるという目に見える結果を残したからである。

 高校一年生の頃に行われた初めての文化祭。この学校の文化祭は一年生が舞台演劇、二年生と三年生がお化け屋敷や屋台などを運営するということになっている。各クラスで何をするのか話し合い、夏休みを使って準備、練習をしなければならない。僕達のクラスは『令和版シンデレラ』という明らかに危険な匂いのするストーリーに決まった。大半のクラスメイトは乗り気ではなく、一部の騒がしい奴らが半ば強引に決めたと言っても過言ではない。ゾンビ映画で例えるなら、序盤でゾンビに噛まれるタイプのしょうもない奴らだ。

「誰かシンデレラ役をやりたい人いますか?」

 学級委員長の問いかけに手を挙げる奴は一人もいない。常識人なら誰もがこの展開を予測していたはずだ。学生の自作演劇、しかもシンデレラのリメイク、その主役。間違いなく地雷である。ましてやストーリーの方向性すら決まっていない状態でシンデレラ役に立候補する奴なんて、自分が目立つことしか頭にない痛い奴だ。そういう奴もすぐゾンビになる。

 この演劇を成立させるには大きく分けて二つの方向性があると僕は思う。笑いに振り切った面白い系と、ストーリーと演出にこだわった感動系。それによってシンデレラ役の性別が変わってくる。

 その日はそこまでで終わり、次回の話し合いまでに自分のやりたい役を決めておくことになった。みんなが荷物をまとめて帰宅し始める中、黒板の前に立っている学級委員長の姿が目についた。彼の視線の先では和田七飛が帰る準備をしていた。この学級委員長こそが和田七飛をいじめる主犯格なのだ。まさに映画でありそうなシチュエーション。先生も信頼していた学級委員長に実は裏の顔があり、クラスメイトを自殺にまで追い込んでいた、なんて映画を観たことある気がする。

 ふと僕は自分が持っているキャラクターの能力を試したくなった。もう一度言っておくが、僕は近年の青春映画に多い『友達の少ない根暗な主人公』タイプだと自覚している。しかも、最近の映画においてそういうタイプはいじめられることがあまりない。和田七飛にも近しいものは感じるのだが、彼は主人公に向いていないが故にいじめが発生する。

 僕と彼の差は一体何なのか。

 これから僕の見解を述べるが、これは統計上の話だ。間違っているかは責任をもって僕が確かめる。だから、とりあえず落ち着いて聞いてほしい。

 僕と彼の間にある差、それは『顔』だ。

 再三に渡って言っている『友達の少ない根暗な主人公』は十中八九、塩顔のイケメン俳優が演じている。誤解を恐れずに言うが、僕はまさにそっち側の人間なのだ。万人受けする顔立ちに、細身のスタイル。それでいて過剰にモテることもないし、誰かから過干渉されることもない。統計通りというより、近年の青春映画が僕をモチーフにしているのではないかと疑ってしまうほどである。

 それに比べて彼は少し肥満体系であり、イケメンとは程遠い顔立ちで、到底主役を任されるようなキャラクターではなかった。

 だから僕はその青春映画から見出した統計を利用して、和田七飛を助けてやろうと思ったのだ。僕の予想通りにストーリーを展開できれば、必ず彼を救い出せる。ダラダラと主役を演じているくらいなら、僕自身がこの物語をデザインしてやる。

 主演兼監督。僕は満を持してメガホンを取った。


「和田くん」

 学級委員長からの鋭い視線を遮るように、僕は彼の前に立って名前を呼んだ。

「は、はい……」

 返事は返ってきたが、なかなか目が合わない。入学してから五か月、これが僕と和田七飛との初めての会話だった。

 僕の視点から彼の俯いた顔にカメラを向けて、表情が見えるのを待つ。監督とはいえ、表情や細かいタイミングまでは指示できない。

「一緒に帰ろっか」

 言い慣れていない言葉だったが、何とか自然に演じる。

「えっ? 僕とですか?」

 撮りたかった彼の表情は案外あっさりと手に入った。このシーンは彼の驚いた顔をアップで映すよりも、お互いの横顔が一緒に映るような引きの画角の方が映えそうだ。背景に映る窓の外の景色もいい味を出してくれるだろう。

「うん。さぁ行こう」

 僕はそう言って、教室の前側の扉に向かって歩き始めた。

「あ、えっ、ちょ、ちょっと……」

 彼は慌てて椅子から立ち上がると、持っていたリュックを背負い、僕の後を小走りでついてきた。一人立ち尽くす学級委員長の前をわざと二人で通ったが、何か言ってくるわけでもなく、ただ僕達の動きを目で追っているだけだった。

 下駄箱で靴を履き替えて、一緒に校門を抜ける。さっきまで居た三階の教室の窓から、僕達を映すカメラとは別の乾いた視線を感じた。今日から少しの間、面倒なことが度々僕の身に降りかかってくるかもしれない。ゾンビが襲ってくるかもしれない。それでも僕は立ち向かうしかないのだ。隣で不安そうにリュックのショルダーベルトを握る和田七飛を助けるために……。いや、違う。全て自分のためだ。僕は本当に主人公気質なのか確かめる、ただそれだけのために彼を利用するのだ。許してくれ。絶対に助けてやるから。


 その帰り道。特に収穫のないまま彼と別れた。進展と言えば、お互いの呼び方と文化祭での役割を決めたことくらいだった。僕は彼のことを「ななと」と呼び、彼は僕のことを「ゆう」と呼ぶ。少し変わった呼び名を考えるなんて陽キャのすることだ。僕達には必要ない。

 文化祭の役割は二人揃って裏方をすることにした。文化祭の演劇とはいえ本物の表舞台に立つことは気が重いし、心底嫌だった。腕のないやつが演出、脚本をした舞台など出る価値もない。出演NGだ。七飛に「一緒に裏方やろう」と誘い、快く了承を得た。

 実際、誰もが希望通りの役割に決まり、本番も大きなミス無く無事に幕が下りた。

 それだけではない。この一か月間、七飛は誰からもいじめに遭うことはなかった。ほぼ毎日、彼と一緒にいた僕がその証言者である。徐々に彼の笑顔が増え、明らかに心情の変化が窺える。正直これほどにも上手く物事が進むとは思っていなかった。

 しかし、さすがにこれではカットを掛けることができない。こんなところでクランクアップしてしまったら、内容の薄い作品が出来上がってしまう。確かに結末は『いじめから助けた』というハッピーエンドではあるが、あまりにも尺が短すぎるし、展開にも欠ける。もう少しだけ撮影を続けようと思う。

 結局その後も特に盛り上がりのないまま、ただ時間とカメラの容量が減っていくだけだった。気付けば僕達は最高学年の三年生になっていた。

 バッテリーランプが赤く点滅し始め「そろそろ強制的に打ち切るぞ」とカメラが僕に警告する。本来の目的であった、僕に主役の素質があることは充分に確認できたのだが、監督としてはやりきれない気持ちでいっぱいだった。

 堂々とエンドロールを流せるほどのクライマックスはまだ撮れていない……。

 この映画を完成させたいと思う気持ちは日に日に強くなっていく。それと同時に、受験生という言葉が頭の中をぐるぐると回って、僕のやる気を削ごうとするのだ。学校に行けば、どの先生も「今年は受験や就職が控えているから遊んでいる暇はないぞ」と釘を刺してくるし、家に帰れば両親が「勉強しなさい」と口を揃えて連呼する。まるで夏休みの宿題のように後回しにすればするほど心身共に追い込まれ、その度に自分が置かれた環境やタイミングのせいにして現実逃避に走るのがお決まりである。

「起立。気を付け。お願いします」

「お願いしまーす」


 今日も授業が始まった。

 僕の前の席に座っているのは七飛だ。三年間、彼とは同じクラスだった。名前順で僕と彼の間に割って入ってくる奴は一人もおらず、毎日のように彼の背中を見続けてきた。この学校は席替えをしないという意味の分からない風習があり、クラスが変わるまで同じ席で授業を受ける。

「はーい、皆さんおはようございまーす」

 眼鏡をかけたおばちゃんの先生が、まだ頭の冴えていない一限目から嫌なテンションで話し始めた。これが高校生役を演じられる最後の年だと言うのに、こいつが担任とは僕も運が悪い。

「では早速授業始めたいと思いまーす。今日の内容は何と!」

 教室中に充満している白けた空気の元凶はいつも先生だった。生徒と先生の間に流れる周波数が合っていないようだ。

「皆さんに自己アピールを考えてもらいまーす」

 先生はそう言って、四百字の原稿用紙を配り始めた。七飛から紙を受け取ると、机の真ん中に置いて、その上に組んだ両腕を乗せた。ガサゴソと筆箱を準備する音が周りから聞こえる。

「えー、もうすぐ皆さんにも就職試験や大学入試、専門学校の特待生試験などの大一番がやってきますね。筆記の試験はもちろん、作文や面接の対策もしっかりとやっておかないと本番で致命的なミスをしてしまい、不合格なんてことも全然あり得る話ですよ。というわけでですね、まずは面接の中でもすごく定番の質問をやってみようじゃないかということで、自分で自己アピールを考えてもらって、最終的には一人ずつ発表してもらいます」

 先生は抑揚もつけずに淡々と言い切ったが、最後の言葉に誰もが引っ掛かった。そして誰もが露骨に嫌がり、遂には誰かが声を上げた。

「え、発表までやるんですか?」

 その誰かの声がこのクラスの全員の総意となり、先生に問いかける。

「もちろんです」

 即答だった。あまりの速さに僕達も反論することさえさせてもらえなかった。

「とりあえずこの一時間は自分自身と向き合ってみなさい。自分の優れていると思うこと。これまで経験したこと。努力したこと。そして、相手に自分を知ってもらう為に何を伝えるべきなのか……。うん、そうですね、とりあえずやってみましょう」

 途中で話を切り上げて、強引に作業を促した。そんな先生の言葉に突き動かされたかのように、周りの生徒たちは配られた紙と向き合い始める。もうすでにシャープペンを走らせている奴もいた。

「少しくらい話を大袈裟にしてもいいですよ。今回は発表会ですから伝える相手はクラスの友達や私ですが、本番の相手は初対面の面接官です。あなた達のことは書類と面接でしか知る術がないんです。だから多少の着色はテクニックでもあるんですよ。ただし、バレてしまうような嘘はいけませんけどね」

 机と机の間の狭い通路をゆっくりと歩きながら、先生はそう付け加えた。左手にシャープペンを持ったまま動かなかった、僕の斜め前に座る女の子が、何かを思い付いたように左手を動かし始める。さっきまで真っ白だった紙は、大して偉くもない大人に乗せられて書いた『偽りの自己評価』と『無責任な野望』で黒く埋まっていく。

 多分みんなは気付いていない。未だに『自分のことは自分が一番分かっている』と本気で思っているのだろう。なりたい自分と現実の自分との区別が出来ず、結局本当の自分を見失ってしまう。しかし、それすらも気付かないのだ。いつの間にか理想の自分になった気分に陥って、自信満々にそれを語ろうとしている。

 聞こえてくる黒鉛のすり減る音が気持ち悪かった。

「発表会は来週のこの時間にしますから、それまでに書いてきて下さいね」

 一限目の終了を知らせるチャイムが鳴り終わると先生がそう言った。僕の机に置いてある紙はまだ真っ白で、汚れ一つない。

 タイミング的にもこれがラストチャンスだと思った。バッテリーの赤い点滅も心なしか早く感じる。この発表会をもってクランクアップにしよう。ゾンビと化すモブキャラ達の目の前で、主役の輝きを見せつけ、全てを一掃する壮絶なクライマックス。主演男優賞と監督賞が手に入るのもそう遠い未来ではない。


 六限目が終わりを迎える頃に降り出した嫌がらせの雨は、傘無しでは帰れないほどに雨脚が強くなっていく。僕はロッカーから黒色の折り畳み傘を取り出すと、足早に学校を出て家路に就いていた。

「祐、ちょっと待ってよ!」

 水の跳ねる音と重たい足音が後ろから近づいてくる。僕を下の名前で呼ぶのは七飛しかいない。わざわざ後ろを振り返って顔を確認する必要もなく、ほんの少しだけ歩くスピードを落とした。

「はぁはぁ。一人で勝手に帰らないでよ!」

 まだ校門を出たばかりで教室からそこまで距離はないはずだが、ゾンビから逃げ切ったかのように彼は激しく息を切らしていた。

「あー、ごめんごめん。雨は視界が悪くなるからゾンビが見にく、あ、いや、何でもない」

「あはは、何を言ってるの? ゾンビ? そんなの現実世界にはいないよ?」

 僕は彼を笑わせる為に言ったつもりはなく、無意識のうちに口が動いていた。僕の折り畳み傘よりも大きいビニール傘が視界に入る。ビニール越しに見える彼の笑顔が雨の雫でぼやけていた。

 合流して十分ほどが経った頃、僕達は緩やかな傾斜の坂道を歩いていた。すると前方から何かが転がってきて、七飛の薄汚れたスニーカーに当たって止まった。その正体はリンゴだった。まるで恋愛映画の冒頭のようだ。もしそのリンゴを拾ってしまえば、突然恋の歯車が動き始めるのではないだろうか。七飛は恐る恐るそれを手に取った。そして僕達は顔を見合わせた後、視線をゆっくりと透明感のある綺麗な女の子?の方に向けていく。

 しかしそこに立っていたのは、手押し車を引く腰の曲がったおばあちゃんだった。

「ご、ごめんなさいね。ありがとう」

 おばあちゃんは、愕然とした表情でリンゴを持っている七飛からそれを受け取るとすぐに去っていった。さっきより雨が強くなってきた。

 十メートルほど前にカメラをセットして、そこに向かって僕達は歩いていく。映画に出てくる雨の降っているシーンはどこか暗く、ネガティブな心情や雰囲気を醸し出しているように感じる。しかし、今撮影しているシーンはそんなあからさまな狙いも演出もなかった。雨は徐々に強くなり、傘の中の僕達に向かって吹き付けてくる。出来るだけ防ごうと傘を前に倒して体を小さくすると、映画にとって大切な演者の表情が全く映らなくなってしまったが、さほど問題ではない。

「そうい、ばさぁ、明日、発…う…だ…っ」

 傘を叩く雨の音が強すぎて、七飛が何を言っているのか分からなかった。

「え、何て?」

「……明日…、発表会だ…っ」

 彼の言葉は途切れ途切れで、断片的にワードだけが届く。言いたいことは何とか理解できた気がする。

「七飛は何か書けたの?」

「まだ! だって…なに…も、思い付なっ」

 やはり彼は僕に似ている。

「僕も一緒だよ」

「……え? 祐も?」

「うん」

「嘘だっ、祐はアピー、し……放題で…ょ」

「そんなことないよ」

 彼は僕の何を知っているつもりなのだろうか。確かに自分では主人公気質だと本気で思っているが、もちろん「僕は主役で、みんなはゾンビです」なんて言えるはずがない。共演者を追い込んだところで、ただ反感を買うだけだ。彼らがそのままでいてくれるからこそ、カメラが僕を追いかけ、スポットライトが当たり続ける。まさに持ちつ持たれつの関係なのだ。しかし、監督を兼任している身としてはエンディングのこだわりはちゃんとある。例えば、最近の恋愛映画は最後に別れて終わることがある。結婚してハッピーエンドなんて今の若者には荷が重いのだ。部活系の青春映画も同様に、最後の試合で負けて終わるなんてことも少なくない。難病系の映画も最後は涙を流しながら静かに死んでいくし、刑事系のサスペンス映画も事件が綺麗に片付かないまま終わったりもする。バッドエンドとはいかないにしても、観る者を最後に裏切る展開は監督としては狙いたいものなのだ。

「じゃあさ、七飛……」

 二本の傘で遮られていた彼の顔が今度ははっきりと見えた。

「せめて僕達だけはさ、正直者でいようよ」

 僕達は『禁断の果実』に手を出さないと約束して、手を振った。


 発表会当日。

「それでは名前順に始めますよー。じゃあ伊藤くんから前に出てきて読んで下さーい」

 書いてきた紙をただ読むだけなのだが、発表会と言われると緊張感がある。みんなの顔が強張っているように見えるが、そんなことよりも伊藤くんってこんな顔だったんだと思った。

 順調すぎるほどに発表会は進んでいった。人前に立つ恥ずかしさが口の動きに表れ、恥じらいのある人ほど早口になる。このクラスは恥ずかしがり屋が多いのかもしれない。

「えーっと、じゃあ次は中村くん」

「はい」

 中村くんはニヤニヤしながら僕達の前に出てきて、気怠そうに音読し始めた。

「僕は小学校の時からサッカーをしていて、高校の時には地区の選抜にも選ばれました。それは毎日欠かさず練習をしたからだと思います。チームメイトが帰った後も一人でボールを蹴り続けました」

 すると、聞いていた一人の男の子からツッコミが入った。

「おい中村、お前練習終わった後、誰よりも先に帰るじゃねーかよ! てゆうか、お前選抜に選ばれてたっけ?」

 前例のない辛辣なタレコミに、彼は顔を真っ赤にして「あ、バレた?」と言った。教室に笑いが溢れる。先生も一緒になって笑っていた。目の前で見せられている茶番に僕はついていくことが出来ず、ただ右足を小刻みに揺らしながら中村くんの顔をぼんやりと眺めていた。

「よーし、残り三人まで来ました。吉田さん、和田くん、そして最後に渡辺くんで発表も終わるので、皆さんちゃんと聞くようにね!」

 無神経というか無責任というか…。先生なら残っている発表者の気持ちも考えてほしい。

「じゃあ吉田さん、前に出てきて下さーい」

 僕の二つ前の席に座る吉田さんは小さな声で「はい」と言って立ち上がった。ここまでありとあらゆる嘘や勘違いを聞かされてきたが、もうすぐ僕と七飛の番が回ってくる。彼らは正直者の登場にどう思うのだろうか。罪悪感に苛まれてくれたらまだ救いようはあるが、開き直られてしまった時にはもうお手上げだ。

「七飛、緊張しなくて大丈夫だよ」

 前の席でソワソワとしている七飛に僕は優しく声を掛けた。後ろから覗き込むと、彼の机には紙が置かれていなかった。

「お、もしかして紙持ってきてないの? まぁそうだよね。僕達は何もアピール出来ることがないって言うだけだもんね」

 僕の机に置かれた紙には【 僕がアピールできることは一つもありません 】と書いてあるだけで、ほとんどが空白だった。何ならわざわざ書く必要もなかったし、学校に持ってくる必要もなかった。七飛の覚悟みたいなものが見えた気がして、少しだけ尊敬した。

 まばらな拍手の音が教室に響いた。

「はい、吉田さんも素晴らしい発表でした。ポジティブなことは本当に大切なことですからね。その強みをどんどんと磨いて、これからに繋げて下さーい」

 気持ちのこもっていない先生の軽い感想がこの自己アピールの価値を下げているのだ。生徒の事を親身になって考えてくれているとは到底思えなかった。

「それじゃあ次は和田くん。前に出てきて下さーい」

 いよいよ七飛の番だ。しかし、彼は下を向いたままで一向に立ち上がろうとしなかった。心配になった僕は彼の背中を指で突くと、ゆっくりと顔を上げて立ち上がった。そして、席の右側の通路から黒板の方に歩いていく。彼の手の中にも机の上にも紙はなかった。

 大丈夫だ。七飛は約束通り、正直者になってくれる。僕と一緒に禁断の果実に群がるゾンビから逃げよう。

 助演男優賞は君のものだ。

 彼が教卓の前に辿り着いた。僕だけではなく、多くの視線が彼に向いていた。

「ん、えっと……あの……」

 七飛は俯いたまま、言葉を詰まらせる。すると、ポケットからクシャクシャになった紙を出して、震えた声でそれを読み始めた。

「ぼ、僕は……思いやりが人一倍あります…」

 僕は無意識のうちに目を見開いていた。長年必死に追い続けていた事件の黒幕が、実はバディーを組んで捜査していた自分の相棒だったと知った時のような、まさにそんな気持ちだった。

 七飛は『禁断の果実』に手を出した。『ゾンビ』に捕まった。『助演男優賞』を手放した。信じたくない。見ていない。聞いていない。そう思いたかった。

 脳内に七飛と初めて話した時の情景が思い浮かぶ。

 あの時、僕は苦しんでいる彼に手を差し伸べたはずだ。確か彼は嬉しそうに手を伸ばして、僕の手を握ったよな。そして、それからはずっと手を繋いだまま一緒に過ごしできたじゃないか。それなのに、なぜ僕の手を離そうとするんだ。一緒にゾンビから逃げ切ろうって約束したのに。

「先日……、腰を曲げたおばあちゃんが道端に果物を落として困っていたので、ぼ、僕は率先して助けました……。よろ、喜ぶおばあちゃんの笑顔が僕も嬉しくて……」

 もうやめてくれ。いつの間にか僕は立ち上がっていた。彼に向いていた視線が一斉に僕へ向けられる。僕は逃げるように教室を飛び出した。僕の名前を呼ぶ先生の声が渇いた廊下に響いたが、振り返ることはなかった。

 首筋がズキズキと痛む。多分、勢いよく椅子から立ち上がったからだと思う。


 バッテリーランプの赤い点滅が光を弱め、ついには消えてしまった。暗くなった画面にエンドロールが流れ始める。今まで観た映画の中で一番短いエンドロールだ。光沢のない黒色の背景に白い文字がゆっくりと上に流れていく。僕が覚えている範囲内の出演者の名前を流し終えると、最後に映画のタイトルを画面いっぱいに映し出した。作品の名は物語を要約していなければならない。

 【 孤独な主役 】


 全ての編集を終えた僕はひとまずパソコンを閉じて、大きく息を吐いた。慣れない場所での生活は息が詰まる。ベッドの上で一日を過ごすことがこれほどにも辛いとは思ってもいなかった。僕は病気を患ってしまった。それも結構重いやつ。余命は一年というあまりにも短いものだった。僕はまだ大学二年生だ。ついこの間二十歳になったばかりで、お酒もほとんど飲めていない。人生まだまだこれからって時にこの有り様だ。主人公気質にも程がある。

 死が現実味を帯びてくると、今何をするべきなのかがはっきりと見えてくるものだ。僕はすぐに母へ連絡した。「押し入れにしまってあるパソコンとカメラを持ってきてほしい」と。

 誰も望んでいない映画の完成に、僕は残りの余生を使いたいと思った。贅沢な時間の使い方だと自覚しているし、他にもやらなければいけないことは山ほどある。それでも妥協することはなかった。この映画が完成しなければ、僕の生きた証が残らないと思ったからだ。

 死が現実味を帯びてくると、過去の思い出を振り返りたくなるものだ。僕はすぐに母へ連絡した。「押し入れにしまってあるアルバムを持ってきてほしい」と。

 特に心当たりのない思い出を探しに、僕は残りの余生を使いたいと思った。勿体ない時間の使い方だと自覚しているし、他にも見たいものは山ほどある。それでもページをめくる手は止めなかった。自分の過去を知っておかなければ、僕の生きた時間が無駄になると思ったからだ。

 死が現実になった時、冷たくなった僕の周りでどれだけの人が涙を流してくれるだろうか。どれだけの人が思い出を語ってくれるだろうか。その日、僕の撮った映画を公開しようと思う。

 理解されなくたっていい。笑われたっていい。たとえこの映画の評価が低くても、最後まで観てくれるのならどうだっていい。エンドロールが全て流れ終わり、映画のタイトルが画面から消えるまで、僕は主役を名乗り続けることが出来るのだから。

 もう一度パソコンを開いた。

 【 孤独な主役 】という白い文字が真っ暗な背景に浮かび上がっている。僕は一文字ずつ噛み締めるように、その文字を消した。そして、震える手でキーボードを打ち直す。涙が頬を伝い、手の甲にこぼれ落ちた。

 【 エンドロールの短い人生 】


 首筋がズキズキと痛む。なぜか無性にリンゴが食べたくなった。

この作品は映画のメイキングに過ぎません。

渡辺祐がどのような編集をして、どのような結末にしたのか。

私、冬夜風真愛ふゆよかぜまなは彼の映画を楽しみにしています。


彼が聞いた「微かな拍手」の中に私がいることを心から願っています。


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