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短編集

冥界への招待状 -ペルセフォネの骨- 観劇しました。

作者: 龍
掲載日:2021/03/20

*この記事は、2020/09/22にブログ「無限堂」にて掲載されたものです。


挿絵(By みてみん)


 行ってきました。「Theater新宿スターフィールド(仲通り)」。

 会場まで、JR新宿駅東口から、徒歩十五分程度なんですよ。たぶん。でもまあ、私は四十分かかったんですけどね。たどり着くまでに。毎回道に迷うの、いつも通り過ぎて辛い。この仲通りにある小劇場には、三回くらい行った事があるんですよ。←何でもうろ覚え


 まず、新宿に着いたのがお昼の十二時頃。公演は一時からなので、大丈夫ですね。←何が

 で、よせばいいのに、西口出たとこで黒糖タピオミルクティを買う。真っ直ぐ東口に行くべきだった。そんで、ウロウロしているうちに「やべえ、開演五分前だよ!」って状態に。


 入り口で熱を測り、チケットの半券を千切って(感染症対策のため自分で千切る)受付の方に渡し、階段を降りようとしたら……


「ひっくり返るといけないので、お手持ちのお飲み物は……」との事。

 急いで隣のたばこ屋の脇でジャスミンタピオカミルクティーを飲み切り、空の容器をエコバッグの中に。そしていざ地下へ。階段を降りたところでアルコール消毒。


 席は自由なのですが、通常なら百席あるところを三十席に減らし「荷物は床に置かないように」との事、空いている席に手荷物を置きます。人がまばらに座っているおかげで、ステージまで見晴らし良好。(何だかすいません)


 四列目の真ん中で、開演を待ちます。敬老の日とは言え今日(2020/09/21)は月曜。にもかかわらず、あっという間に満席に近い状態になり、皆さんお仕事お休みなのかしら、大丈夫? などと思う。←余計なお世話

 観客席、出演者ともにマスク着用。スモークの流れが、会場内の空気の循環を示しています。


 とまあ、前置きはここらでお終いにして、本題。劇の感想ですね。

 ちなみに私は、ただの無名の物書きです。ごくありふれた中年。ギリシャ神話、古事記等、古典などの知識が豊富でも無いし、単純に、何か思った事をつらつら述べるだけなので、ご了承ください。


 日疋(ひびき)士郎氏の世界との出会いは、昨年九月の公演「月読(つくよみ)の扉」が初めてでした。で、今回の「ペルセフォネの骨」と、両作ともに興味深い内容でした。

 両作品ともに共通しているのは、「かもしれない」世界の表現。例えば月読の扉は「死ななくなった人々の街(1)」の少女が主人公です。

 作中でも触れられていたのですが、不死といえば、子孫を増やすための一つのシステム(2)がなくなる、または薄まる、という事です。このテーマは私にとって、興味深いものなのです。


(余談ですが、私は以前から、将来ヒトは生殖しなくなるのではないか、または生殖をする人間としない人間による対立、というよりも”経済的事情の異なる人同士の分断のようなもの”が起きるのでは無いか、という、何だろなあ。危惧ないし妄想を抱いているのです。)

 それで、日疋氏の提案する物語にどうしても惹かれ、劇場に足を運んだ次第なのです。


(1)演劇誌 小劇場 創刊2号 2019,September 2pより


(2)演劇誌 小劇場 創刊2号 2019,September 5p「性を描く」より


***


 で、ペルセフォネの骨はどんなお話かといいますと。←やっと本題か

 一言では言い表し辛いので、パンフレットの文言から抜粋しますね。


「人喰いには必ず精神的な制約がかかるが、あくまでそれは社会的なまたは慣習的なものだ。-中略-今だから描ける、今だから描きたい、近未来とこの時代とをつなぐ、愛と命の物語。」


 劇を実際に観るまで、何となくディストピアっぽいお話なのかな、という風に思っていたのです。しかし、そこは、日疋士郎氏の表現なんですよ。必ず、日疋氏の体を通して「語られる」何かがあるのです。私は、こう捉えました。カナリアだな、と。何と言いますか、オウム真理教の毒ガス製造施設への突入の際、警察が、カナリアを「毒ガス探知機」として使用した事を思い出しまして。(カナリアは人間より毒ガスに弱い)


 日疋士郎氏は自らの体を通して「聴こえた」詩(音楽)を歌うように叫ぶのであります。そしてその姿は、いち早く毒に侵され衰弱してゆくカナリアのようなのです。カナリアが入った籠を手にする人間はまだ気が付いていないけれど、近いうちに、多くの人が「そうなんだ」と知ることになる、ある何かを知らせようとしている。いや、叫んでいる。しかしヒトには、鳥の啼き声に聞こえる。もの悲し気で、美しい、自然界の音として。それを分かっていてもなお、カナリアは啼くのであります。それは紛れもなく、ヒトに対する愛情の表現ではないだろうか。命がけの。


……冥界について語る時、語り部は呑まれないように注意しなくてはならない。したがって、今日はこれまでといたします。


***


 あとがき!

 それにしても、ぷろじぇくと☆ぷらねっと(ぷろぷら)の舞台やイベントは何て言うのか、レジスタンス活動に参加しているような気分になるんですよ、私の場合。それは、コロナウイルスが世界中で猛威をふるうようになる以前から。この感覚、中延のイベントに初めて参加した時からですね。何となく、あやしげ、といいますか。いい意味で。好きですよ。


 あんまり大きな声では言えないんだけど、四月のオンラインライブ(zoomによる)などは、「おっと、ライブハウス……じゃなくて、自宅。自宅だよね。背景の画像は合成ね、了解っす!」みたいな感じで。こんな事感じるのは私だけなのかもしれないのですが、「いつメン」の日疋士郎氏、川名千秋さん、森田智子さんの、悲壮感に近いような強い決意を感じました。「自粛」が始まった頃など特に。表現者にとって、生きるか死ぬか、という問題なんだな、という事を感じました。


 何だろうなあ。私はまあ、責任を負う立場に無いので、気楽に「レジスタンス活動に参加」気分を語れるのですけど、実際、この時期に公演とか、色々な反応があるんだろうなとは思うんです。日疋氏の挨拶文を読むと、何だかなあ……と思うところもありましたのよ。もうね。観に行きますよー、としか言えない。観に行く事しかできない。


 以下、ぷろじぇくと☆ぷらねっと代表、日疋士郎氏の「ご挨拶」文から抜粋します。


「各方面から、なぜ今やるのかと不思議そうに言われました。観客席の減少や、イベントの規制は既に予想ができました-中略-『ペルセフォネの骨』は、愛と命と、希望の物語です。しかし、生半可な希望は描きたくなかった。。希望は、断たれたように見えても、繰り返し繰り返し立ち上がり、消えない。」


 いやー、それにしても。おばあさんメイクにもかかわらず、森田智子さん、かっこ良かったですね。劇中歌が良かった。好きになりそう。←話変わり過ぎ

 何かね。男性の弱さと、女性の強さ(強すぎる)も、見どころの一つだな、と思いました。ええ。

 え、作品の内容を全然語っていない、とな?

 うん。多分、本とか、DVDが発売されるんじゃないですかね。そのうち。だからまあ、営業妨害みたいな事はやんないでおきます。この余分な文章が既に妨害行為じゃろうとか言われたら、もう何も言えねえって感じですけど……


~余計な一言~


 川名千秋さんの「かっぴー君」と、日疋士郎さんの漫才が、すごい好きですね。またやって欲しいです。


 あと、何で仲通り行くと毎回、誰かが職務質問されてるの。道で倒れていた、物凄く美しい、女装の青年とか。あとは、叫んでる若い女性。バッグの中身を路上にぶちまけてた。で、今回は、物凄くラフな格好の年配の男性。「やられた事は必ずやり返す」などと、ポリスに向かって呟いていました。謎。

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