9 月夜に二人
高い天井にいくつも並ぶ大きなシャンデリア、重厚な作りによって荘厳さが増す壁には汚れひとつない。床でさえ、シャンデリアに反射してツヤを放っている。テーブルの上には豪華な料理が並べられているが、ここで食べられるのはほんの少し。会場には、すでに多くの貴族たちがいた。
(来てしまった……ランドに何も言わずに来たけど、まあ帰って言えばいいよね)
その部屋へ足を踏み入れたリリは、スティアの侍女に着せられた上等なドレスを着ていた。
「さあ、行きますわよ」
堂々とした風格を醸し出して歩き出したスティアは同じ方の手と足がぎこちなく同時に出ていた。
「……スティア、一旦落ち着きましょう」
スティアとともに歩き出した。今日は王国東地域の貴族たちが多く集まっているようで、リリのいた西地域に住む見知った顔はいなかった。しかし、リリも西地域の貴族とばかり交流していたわけではない。だから、リリを知る者はいたようだ。
不意に、視線がリリに突き刺さってきた。
———あれってリリ・エドワーズ嬢じゃない?
———どうして彼女がここに?
———駆け落ちした筈では……
(駆け落ちなんてしてないわよ)
否定したかったが、今日はスティアの付き人として大人しくいなければならないので心の中で留めておいた。
リリは並べられた料理を取り、美味しそうに食べていた。スティアのことは心配だが、何も取り繕わなくてもいい社交界はこうも気がラクなのかと、次から次に料理を口に運んでいた。
隣にいるスティアは不安な表情を浮かべていた。
「スティアさん、ごきげんよう」
急に、リリたちの前に着飾った令嬢が現れた。
するとスティアは彼女を見た瞬間、体がこわばった。
その令嬢は取って付けたような恭しい口調で高らかな声を出した。
「スティアさん、今日こそは踊るのかしら?」
「……」
「それともまだ踊れないのかしら? ダメじゃない、貴族の嗜みですわよ。それなのに、一度の失敗で踊らないなんて、いけませんわ。折角誘ってくれた殿方に失礼じゃなくって?」
俯くスティアに、リリはどうして彼女がダンスをここまで苦手になったかを分かった気がした。
(この令嬢のせいか)
「あなたのせいで、お家に迷惑がかかってしまいますわよ」
それを聞いたリリが令嬢以上に恭しく顔を上げた。
「あらあら、令嬢様。スティア様を心配してくださっているのですね。でもご自分の心配をされる方がよろしいのではないでしょうか」
「……どういう意味かしら」
「令嬢とは外へ出れば家を背負って立つ者。慎ましくあるべきと、そう教育されなかったのでしょうか。今ここで、お家に迷惑をかけているのがどちらか……お教えしないと分かりませんか?」
「……っ!」
「これ以上、スティアを侮辱することはミハイ家を侮辱したことと思いなさい」
「なっ、何よ! フンッ! 失礼するわ!」
肩を揺らして令嬢が去った後、我に返ったリリは頭を抱えた。
(またやってしまった……ていうか、私が言えたことじゃないのに。スティアを馬鹿にされているような気がして、つい……)
「リリ!」
急にスティアが抱きついてきた。
「わっ」
「ありがとうリリ。私、頑張るわ」
顔を上げたスティアに先程までの不安の表情はなくなっていた。
「では私と踊ってくださいますか」
突然聞こえたその声の人物を見て、目を見張った。
「ケイファさん!?」
そこには正装をしたケイファの姿があった。
(どうしてここにケイファが? しかもその格好……)
スティアも驚いている様子で、ケイファを見詰めたまま固まっていた。
この時を待っていたかのように、会場内に音楽が流れ出した。
ケイファはスティアへ手を差し出した。
「私と踊ってくれますか、スティア嬢」
すると、頰をピンクに染めたスティアがその手を取った。
「ええ。もちろんよ、ケイファ卿」
二人は音楽に合わせて、踊り出した。
スティアは、以前のようなぎこちない動きは無くなっていて、ケイファに合わせて軽やかなステップを踏んでいく。
踊りながら、ケイファが口を開いた。
「スティア、上手になったね」
スティアの胸が高鳴った。それを悟られないよう、目を逸らす。
「当たり前よ。たくさん練習したんだもの」
(あなたと踊るために……)
その様子を見ていたリリは何が起きているのが分からず、立ち尽くしていた。
(え!? どうしてケイファがここに? 誰かの警護? なんで正装して踊ってるの?)
頭の中で考え過ぎて、険しい顔になっていると、知らない男が近寄ってきた。
「お嬢さん、よかったら僕と踊らないかい?」
「え? い、いえ、私は」
「遠慮することはない。僕がちゃんとリードしてあげるよ」
「いや、本当に」
目の前の男をどう追い払おうかと考えていた時、誰かに肩を抱き寄せられた。
「すみません、この人ただの付き人なので」
見上げると、ここにいる筈のない人物がいた。
「なんで……」
リリを抱き寄せたのはランドだった。
「なんだい、君は。君みたいな格好の人が立ち入れる場所じゃないよ、ここは」
「いいんだよ。付き人の付き人だから」
するとランドは徐にリリの手を握り、大広間の外へ歩き出した。
「ちょっと、ランドっ……」
ランドに手を引かれて、着いたのは大広間から離れたバルコニーだった。
大広間で流れる音楽が微かに聞こえる。
「ねえ、どうしてあなたが? それにケイファもいたわ」
状況が掴めない様子で早口で言うリリにランドが教えた。
「ケイファはああ見えて子爵なんですよ」
「ええ?!」
「しかもスティアの婚約者です」
あまりの事実に唖然として何も言えなくなった。
そして、ケイファが現れた時、スティアは顔を赤らめていたことを思い出した。
「俺は店でリリ様が友達と出かけたって聞いたので、ミハイ家に行ったらケイファと会ったんですよ。それで、ここに行ったって聞きました」
「……いつからいたの?」
「そうですね。リリ様が令嬢を説教してる時にはいました」
(一番見られたくない人に見られた……)
「かっこよかったですよ」
「またからかって……」
「いえ、本当に」
ランドは思いを馳せるように、微かに笑って続けた。
「リリ様はかっこいいですよ、昔から」
(昔?)
「今日は満月ですね」
ランドの視線の先を辿ると、大きな満月が辺りを照らしていた。
その時、大広間で流れる音楽が変わった。
「リリ様」
呼ばれてランドを見ると、彼は手を差し出してきた。
「折角だから、俺と一曲踊りませんか」
差し出された手を見てリリは少し照れ、そっと手を置いた。
「……そうね。仕方ないから、一緒に踊ってあげるわ」
その日、微かな音楽とともに、月夜に照らされて二人は踊った。
その様子を影から見られていることにこの時はまだ、気づいていなかった。