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8 クール?令嬢の悩み


ドリカの北側にある邸宅の外通路を、ケイファは歩いていた。

白い柱が並んでいる外通路の床は、陽の光で白と黒の縞模様のようになっていた。それを白だけ、と決めて歩いていく。

ケイファはここに住む伯爵へ、任務報告を終えたばかりだった。


ふと、庭に置かれている椅子に座って本を読む小柄な女が目に入り、声をかけた。


「おーい! スティア嬢ー!」


スティア嬢と呼ばれた女は、聞こえてきたその声の主を見ると迷惑そうな表情を浮かべた。


「今日も相変わらずうるさいわ」


彼女はこの屋敷に住む伯爵の娘、スティア・ミハイだった。小柄なせいで子供に見られることが多いのだが、歳はリリと同じくらいだった。


スティアは赤みがかった茶色い髪を耳にかけた。


「何してるんです?」

「見ての通り、本を読んでいるわ。今いいところだから邪魔しないで」


するとケイファはその本を指差した。


「でもそれ、逆さですよ?」


スティアの読んでいた本は上下が逆さになっていたのだ。逆さで読む練習でもしているのか、と言おうとして辞めた。


スティアは自分の失態に顔を赤らめると、ため息を吐いて、手に持っている本を閉じた。


「浮かない顔ですね。何かあったんですか?」


その問いに、スティアは深刻そうな顔をした。


(今日はいつになく、表情が豊かだな)


クールで有名な彼女がここまで表情を変えるのは珍しいことだった。だが、本当はそうでないことをケイファは知っていた。


徐にスティアが口を開く。


「また社交界が開かれるらしいの……」


社交界、という言葉でスティアが何を言いたいのかを察した。


「どうしよう……前の社交界でお母様に怒られたから、流石にもう逃げられない……ダンスなんてできないのに……!」


目の前で頭を抱えているスティアは社交ダンスが途轍もなく苦手だった。

社交界といえば会話や振る舞いを見られるだけでなく、男女でダンスを踊らなくてはならない。だが、スティアにはそれがどうしても苦手で、今まで影に隠れて場を凌いできた。


その様子を見兼ねたケイファが言う。


「だから、練習相手するって何度も言ってるじゃないですか」


すると、スティアは即答した。


「あなたはダメよ!」

「どうしてです? こう見えて結構得意なんですよ」

「それでもダメ!」


(そんなに拒否しなくても……)


「ああーっ、もうダメ。きっと、いい晒し者よ。絶対そうなるのよ」


スティアは泣いているように顔を伏せてしまった。



× × ×



「で?」


そう言ったのは腕を組み、珍しく怒った雰囲気を醸し出すランド。


目の前には居心地が悪そうに立つケイファと、その背後で警戒しながらこちらを覗き込むスティアがいる。


リリはランドの隣で、そんなスティアをぽかんと立ち尽くしたまま見詰めていた。


今日はラッテリアが休みなため、珍しく家で過ごしていたら急にケイファが訪ねてきたのだ。

家の出入り口で四人で向かい合う異様な光景が続いていた。


先ほどのランドの問いに、ケイファが無理やり笑顔を作って答えた。


「だ、だからリリさんに教えてもらえないかなー、と思ってさ、ダンスを」

「帰れ」


ランドが扉を閉めようとすると、ケイファが止めた。


「ちょ、本当に悪かったって! リリさんのこと言っちゃったのは悪いと思ってるよー!」

「やっぱりお前は信用できない。もう話しかけるな」

「そんな寂しいこと言うなよー!」


ランドとケイファの長い押し問答を終え、部屋のソファへ腰掛けたケイファとスティアにリリが尋ねた。


「つまり、スティアさんにダンスを教えてほしいということですか?」

「そうなんですよ。スティア嬢はダンスが苦手で」

「全くもってリリ様には関係ない話だな」


怒りながらもスティアに紅茶を出すランド。

スティアは落ち着かない様子で俯いていた。


リリはスティアのことを知っていた。社交界で何度か顔を見たことがあったからだ。彼女はいつも誰の誘いにも乗らずに、部屋の隅でいつも外を眺めて立っていた。誰とも馴れ合わずに、話しかけても無愛想な態度を取ることで有名だったのだ。


ずっと俯いていたスティアがいきなり口を開けた。


「私、あなたのことは知っているわ。今、貴族たちの間で噂になっているもの」

「噂?」


リリは勘当されて以来、貴族たちと関わることがなかったため、噂をされていること自体知らなかった。


「駆け落ち相手と家を出たとか」


(……全然違う)


先ほどまで怒っていた筈のランドが、口に手を当てて吹き出した。

スティアは笑っているランドを一瞥した。


「その方が駆け落ち相手?」

「え?」


リリと同様、珍しくランドも驚いて止まった。

リリが慌てて否定する。


「ちっ、違います! この男はただの付き人でっ……!」

「そうなの?」

「そうです!」


(全く、こんな男と駆け落ちなんてする筈ないじゃない)


改めて、スティアが肩を落として話し出す。


「いきなり訪ねて、ダンスを教えてほしいだなんて失礼だとは分かっているのですが、いつまでも逃げている訳にはいかないのです……ああいう場での立ち振る舞いはどうしても一家の名誉に関わってきますから……」


それは痛いほど知っていた。


「もしかしてダンスを踊らないように、いつも一人でいたのですか?」


スティアはギクッとしたように固まった。図星のようだ。

固まったスティアの代わりに、ケイファが言った。


「スティア嬢はそもそも人と話すことが苦手なんですよ」


(なるほど……)


「でも私も特別ダンスが上手い訳ではありませんけど」

「そうですね。リリ様は特別上手くないですね。特別個性的ではありましたけど」

「黙らないと殴るわよ」


スティアが不思議そうな顔をした。


「リリさんのダンスは社交界の中でも、とてもお上手でしたわ。だからケイファにあなたがこの街にいると聞いた時、すぐにここへ来ることを決めたんですもの」


(上手だなんて初めて言われた)


厳しい教育係に立ち振る舞いやダンスをしこたま叩き込まれたが、褒められたことは一度もなかった。そしてリリの中の社交界というのは、ダンスを踊った記憶よりも、令嬢たちの闘争に巻き込まれて疲れた記憶しかなかった。


黙っていると、スティアが立ち上がり、頭を下げた。


「お願いします。私にダンスを教えてもらえませんか」

「ちょっとスティアさんっ。頭を上げてくださいっ」

「あなたしかいないのです。お願いします」

「……わ、分かりました。私でよろしければ」


令嬢が頭を下げるなんて、余程のことだと思ったリリはその頼みを飲むことにした。



リリはスティアの邸宅へと向かった。

以前、住んでいた邸宅よりもやや小さいが立派な屋敷だった。


庭の柔らかい草の上で、スティアへダンスを教えるために、手を取り合って踊っていた。


「スティアさん、その調子です。ほら、顔も上げましょう」

「は、はいっ……」


スティアが必死にダンスを踊る姿に、昔の自分を重ねた。昔は動きを覚えられずに怒られて、よく泣いていたものだ。


すると、遠くでその様子を眺める一人の男が声をかけてきた。


「リリ様、腕が下がってますよー。動きも固いですねー」

「うるっさいわね! どうしてランドまでいるのよ!」


ランドは庭の端で、微笑ましそうな表情を浮かべるケイファとともに座って、こちらを見ていた。一人で行くと言ったのに付いてきて、わざわざ邪魔をしにきたに違いない。


「もっと背筋を伸ばしてっ」


それから、時間ができると邸宅へ向かい、時にはスティアが訪ねてきて、ダンスを教える日々が続いた。


ある日、練習を終えたリリは庭でお菓子をご馳走になっていた。

久しぶりに見る綺麗な装飾の施されたお菓子はとても手がかかっていそうだった。


「あと三日でちゃんと踊れるようになれるのかしら……」


目の前のお菓子に全く手を付けていないスティアがため息を吐いた。


「スティアさんは以前に比べれば、とても上手になってますよ。動きも完璧です」


本当のことだった。初めの頃のスティアはいつも自信がなさそうに下を向き、失敗することを恐れて思うように踊れていないようだった。でも今は、顔はちゃんと前を向いて、足の運びも軽くなっていた。少しずつ自信がついてきたようだった。


「スティアでいいわ」

「え?」


照れ臭そうにスティアはリリを見た。


「だから……リリ、って呼んでもいいかしら」

「! もちろん! スティア!」


スティアに言ってもらえたことが嬉しくて、思った以上に大きな声を出してしまい、今度はリリが顔を赤くした。リリには声を交わす知り合いの令嬢はいたが、その中に特別親しい人はいなかった。ましてや、呼び捨てで呼びあえる友達のような人も。


スティアはそんなリリを見て驚いた後、やっぱり照れ臭そうに笑った。

そして、つられてリリも笑っていた。




そして社交界当日……事件は起こる。



「リリお願い! 一緒に付いてきて!」


今日は社交界だというのに、突然リリが働いているラッテリアに訪ねてきたスティアは必死な形相で迫ってきた。


「お、落ち着いて、スティア。今日社交界じゃ……」


丁度ランチタイムが落ち着いた店には客が疎らに入っていたので、リリは周りに聞こえないように小声で言った。

しかしスティアはそれに気付かず、大きな声で詰め寄った。


「お願い! 私一人じゃ不安なの!」

「でも私、今は家を追い出されて令嬢じゃないから入れないよ」

「大丈夫! 私の付き人として来てくれれば!」


(付き人? 付き人はランドで、今は私が付き人? あれ? 付き人ってなんだっけ?)


店の入り口で騒ぐ二人に、流石に気付いたクランがやってきた。


「おやリリ、お友達かい?」

「あ、はい、そうなんですけど……」


スティアは、今度はクランに詰め寄った。


「リリをお貸しいただけませんか!?」

「なんだいリリ、今日何か用事があったのかい?」

「え? いや……」


すると、この店のもう一人のウエイトレスもやってきた。サバン・ナイだ。彼女は店の階段で横転して骨折していたらしい。リリと仲良くしてくれるとてもいい人だ。


「リリちゃん! ここは私に任せて行ってきなよ!」

「そうだよリリ。あんたほとんど入ってくれてるんだから、偶には友達と出かけておいで」

「急いでリリ! 時間がないわ!」


この状況じゃなければ、嬉しかっただろうその言葉により、リリはスティアの付き人として社交界へ行くことになってしまった。


(なぜこんなことに……)


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