1 いざ、街へ
広大なルセイユ王国の西、カーモン地方に建つ、それはそれは大きな邸宅。
そこにはこの領地を治める伯爵の家族が暮らしていた。
その中にある大広間で玉座に座った男が厳しい顔で、目の前の娘を見下ろしている。
娘は顔を伏せて畏まった体勢で立っていた。
「今すぐこの家から出て行くといい。お前を勘当する」
男の冷たい声が娘に突き刺さる。
その言葉を聞き、俯いて立つ娘の表情がピクリと動いたように見えた。
「伯爵! それはあまりにも……!」
男の隣に立っている老男が声を上げた。
玉座に座る伯爵と呼ばれた男は老男の言葉に聞く耳を持たずに続ける。
「良いな」
その問いに娘は俯いたまま答えた。
「……分かりました」
やっと顔を上げた娘は悲痛な表情を浮かべながら、部屋を後にした。
青空の空の下、田園風景が続くルセイユ王国の西から東へ続くのどかな道を、一台の馬車が揺られながら走っている。
馬車の中には金色の長く艶のある髪を手で払う伯爵令嬢、リリ・エドワーズ。
数日前、父に勘当を言い渡されたばかりの娘である。
しかしリリの表情は、勘当されたばかりの者とは思えないほど……輝いていた。
(んー! やっとあの窮屈な暮らしとおさらばできるのね!)
ワクワクした感情を抑えきれずに、口元を緩ませた。
(にしても、我ながら完璧な演技だったわ。顔緩んでなかったよね?)
リリはあの大広間での出来事を思い出した。
× × ×
『今すぐこの家から出て行くといい。お前を勘当する』
そう父から言い渡された時、心の中は終始……踊りっぱなしだった……!
(え? 本当!? 本当に勘当してくださるんですか!? この屋敷から出て行っていいってことよね!? 今すぐ用意しなくては!)
一瞬、顔が緩みそうになったが、なんとか堪えていた。ずっと俯いた状態でいたことが、幸いしてなんとか顔を上げるまでに、あの悲痛な表情を作り上げることができたのだった。
× × ×
馬の蹄の音が軽快に鳴る。
(そう……私は長年、この時を待っていた。いいえ、待ち焦がれていた)
幼い頃から一人前の令嬢として生きていくための厳しい教育を毎日毎日、寝る間も惜しんで受けてきた。いつの日か良い殿方と巡り合うためだと、それらを頭の中に叩き込まれた。結局、それが訪れることはなかったが。
でもこれからは、知らないどこかのお坊っちゃまに愛想を振り撒かなければいけない社交界も、令嬢たちが集まって遠回しにけなし合いをするお茶会も、面倒な花嫁修行も……
何もかも、ない!
あの空間は、リリにはあまりにも退屈で窮屈だった。
(ああ、なんていい気分なの。これからは自由気ままに生きていく!)
馬車を引く男がリリに声をかけた。
「おーい、お嬢ちゃん。見えてきたよー」
その声に飛びつくように窓の外を見ると、飛び込んできた光景に息を飲んだ。
窓の外には大小多くの建物が立ち並び、遠くからでも思わず圧倒される存在感を放つ大きな街が見えた。
ルセイユ王国の東に位置するファンラル地方の大きな街、ドリカ。
そこは父の治める領地から離れた遠く場所。
リリがこれから暮らす街だ。
(ここなら私が令嬢であったことを知る人はいない)
街の前で馬車を降りたリリは、連れてきてくれた男に礼を言い、札束を渡した。
「え!?」
それを渡された男は固まった。
男の反応に首を傾げたリリは、
「足りませんか?」
と言って、また札束を重ねた。
「いやいや、これじゃ多すぎるぜ、嬢ちゃん。あんた一体何者……」
男が顔を上げると、もうすでにリリはいなくなっていた。
久しぶりにきた街という風景に、リリは内心胸を躍らせっぱなしだった。
多くの人々が行き交い、賑わいを見せる街道は、たくさんの匂いが立ち込めていた。
「スゥ……」
深呼吸をして街の空気をいっぱい吸い込むと、街に来たのだという気持ちで胸が熱くなった。
(来た! ついに来た!)
リリが以前暮らしていた領地にも街はあったが、危険だからと行かせてはもらえなかった。でも、幼い頃から父も母もそして兄弟さえも日々を忙しく過ごしていたため、一人でいることが多かったリリはそれをいいことに一度だけ、家を抜け出して街へ行ったことがあった。それが彼女の運命を大きく変えたのだ。
家に連れ戻された時は物凄く怒られ、二度と行かせてはもらえなかったが、その時みた街で暮らす人々の様子を今日までずっと忘れることができず、そしてひどく憧れた。
その頃から、リリは街で暮らすことが夢となった。
しかし伯爵令嬢が街で暮らすなど、できるわけがないと諦めていた。
でもリリは今、街に立っている。街で暮らすのだ。
街の中心部から離れた場所に着くと、リリはひとり、ほくそ笑んでいた。
ここが念願の一人暮らしの家……
記念すべき、街暮らしの家……
今日一日中緩んだ顔を更に緩ませるリリの目の前にあるのは……
ドーンと横に大きく立派な重厚感のある二階建ての建物があった。
家の周りは柵で囲まれ、芝生が敷き詰められた庭は綺麗な緑色をしていることが、より一層家の壮観さを引き立てていた。
(ここで始まるのね! 私の新たな人生が!)
早速、家の中へ入るべく、意気揚々と荷物を持ち上げたその時……
「一人暮らしに一軒家って」
背後で突然聞こえたその声に、嫌な予感がして動きを止めた。
(この声はまさか……)
恐る恐る振り返ると、そこには王国騎士団の一人、ランド・ノーサンが立っていた。
「さすがはご令嬢様」
生まれ持った色白い肌とツヤのある黒髪が特徴的なその男は不敵な笑みを浮かべた。