社畜カップルここに降り立つ
今日も徹夜だ…もう3日連続家に帰っていない。
俺は眠い目をこすりながらもモニタを見つめマウスを操作する。
隣では同じく徹夜作業をしていた後輩が机に突っ伏して寝息を立てている。
俺の名前は足立無我。不動産を扱う会社に勤務する典型的な社畜だ。
隣で寝ている後輩は井畑武美。2期下の後輩で金髪の美人だが徹夜続きで今はその面影もない。
俺がモニタで確認しているのは設計事務所から納品された設計図。
この物件は規模が大きいため排水や貯水など、水回りに慎重な設計が求められている。
前回送った問題点の修正を含め入念な確認作業を行い、
問題が無いことを確かめると設計元に確認完了を伝えるメールを送った。
これで俺の担当分は終了だ。
そう思った俺は家に帰る気力も無くそのまま机で仮眠を取ることにした。
目が覚めると、当然いつもの職場。
「おはようございます。先輩。」
声を掛けられて振り向くと井畑がカップを差し出してきた。
あくびをしてカップを受け取ると、黒い液体を飲みながらメールチェックを始める。
「先輩、働き過ぎですよ。」
「お前もな。」
「私はまだ若いですから。」
「2個しか違わないだろ。」
軽口をたたきながらメールを見ていると、今朝完了報告をした物件に関する予定が送られてきていた。
来週から建設を開始。同時に入居者募集を行い、1年後に完成の予定となっている。
「いよいよ来週から建設開始ですね。」
「そうだな。土地も広いしすぐに売り切れるだろ。」
「日当たりもいいですしね。
私も住みたいぐらいですよ。」
「お前も申し込めばいいじゃないか。
社内先行で申し込めば確実だぞ。」
「さすがにあの広さに一人じゃ寂しいですよ。」
「彼氏と住めばいいじゃないか。」
「そんな人いません!」
「そうなのか、お前ちゃんとすれば美人だから
寄ってくる男は多いだろ?」
「私にも選ぶ権利があるんですよ。」
「たしかにそうだな。
…じゃあ、俺と一緒に住むか?」
「え!?そ、それって…同棲…ですか?
そんな、いきなり…順序ってものが。」
「馬鹿。勘違いするな。
ルームシェアでもするかってことだ。」
「あ、ああそういうことですか。
てっきりプロポーズかと…」
「そんなことより、
たまには休みでも取って美容院でも行ったらどうだ。
徹夜続きだから枝毛も増えてきてるぞ。」
せっかくの美人が台無しだ。
「余計なお世話です!
…もう、人の気も知らないで。」
その日は仕事を終えて久しぶりに家に帰ることができた。
入居してから結構経つが、あまり帰れないこともあって殺風景なままだ。今度休みが取れたら模様替えでもしようか。
そんなことを思っていると井畑から連絡がきた。
「先輩、今いいですか?」
「おお、どうした。」
「今日言ってた話なんですけど。」
「話?なんだっけ?」
「もう!ルームシェアの件ですよ!」
「ああ、あれか。
冗談半分だから気にしなくていいぞ。」
「いえ、先輩さえ良かったらルームシェアもいいかなって。」
「そうか?じゃあ検討するか。」
「はい!よろしくお願いします。」
それから俺と井畑は仕事帰りや休みの日など、ルームシェアに向けての打ち合わせを繰り返した。
生活面や家での作業など、一緒に生活するにあたってのルールを決め、社内先行申し込みの手続きも無事完了。
物件の完成を待つだけとなった。
完成を待つ間の1年。必要な道具の買い物や打ち合わせを繰り返していくうちに、俺と井畑は恋人同士になっていた。
デートを繰り返していくうちにお互いの好みなども把握するようになった。井畑はとにかく良く食べる。小食な俺の倍の量は食べるだろう。
しかし、スタイルが崩れないのは野菜や果物などヘルシーな食べ物を多くとっているかららしい。意外と料理も上手く、俺の健康に配慮して野菜を中心とした手料理を
作ってくれるのだ。
そんな幸せな生活を送っていくうちに時は過ぎ、いよいよ明日は物件が完成する。そんな時に事件が起こった。
「ちょっと足立君!」
「神山部長、お呼びですか?」
朝、会社に行くと社内はバタバタしていた。そんな中で俺は部長室に呼ばれた。
部長室に行くと泣きそうな顔をした井畑が立っていた。
「君達が担当した物件だが、水回りに重大な欠陥が見つかった。」
「えっ!そんな…」
「きちんと確認したのかね?」
「はい、それはもちろん入念に確認を行いました。」
「現地調査を行った担当者の報告では
設計段階でおかしい個所があるとのことだが。」
そう言われて設計図を見ると、井畑の担当個所に見落としがあることに気付いた。
「大変申し訳ありません!
至急対策案を考えて提出いたします!」
「もう遅いんだよ!!
申し込みをされた方は全てキャンセルされているんだ!」
「そ、そんな…」
「2名ともしばらく出勤停止処分となる。
その後のことは追って伝えるからそのつもりで。」
「「……はい…申し訳ありませんでした。」」
俺と井畑は落ち込みながら部長室を後にする。
「…ははっ…まいったな」
「どうしましょう…」
「まずは物件のキャンセルか。」
「仕方ないですね…」
営業部へ向かうと、今回の件でキャンセルやクレームの対応に追われていた。
対応の合間を見計らって俺と井畑はキャンセルの旨を伝える。
「えっ?何言ってるんですか?」
「だから、キャンセルをしたいんだけど。」
「申し込み時の規約読んでないんですか?
社内先行はキャンセルできませんよ!」
「そ、そんな…」
「忙しいんだから帰ってください。
誰のせいでこんな羽目になってると思ってるんですか!」
トボトボと会社を後にする。2人とも無言のままだ。
近所にある公園のベンチに座りため息をつくが、何も考えることができない。
横に座る井畑の様子をみると必死で涙をこらえていた。
「さて、どうしようかな。」
「…私のせいで…すいません。」
「気づかなかった俺も悪いんだ。気にするな。」
「でも…」
「過ぎたことを言っても仕方ない。
これからのことを考えよう。」
「はい…」
「たぶん会社もクビだな。」
「そうですね…。」
また無言の時間が続く。どのぐらい時間が経っただろう。
突然、井畑が俺の方を向いてこう言った。
「別れないんですか?」
「別れたいのか?」
「だって、迷惑かけたし…」
「それとこれとは話が違うだろ。
俺はお前と別れるつもりはない。」
「先輩…ありがとうございます。」
井畑に笑顔が戻る。俺はその笑顔をみてふと思いついた。
「いっそ、予定通り同棲するか。」
「同棲って、あの物件にですか?」
「ああ。よく考えたらあの物件って土地が広いだろ。
緑も多くいから野菜や果物もできるんじゃないか?
そうしたら食べることには困らないだろ。」
「たしかに…たしかにそうですね。
自給自足で生活すれば何とかなるかもしれないです。」
「ただ、お前はそれでいいのか?」
「はい!先輩と一緒ならどこででも生きていけます!」
「そうか、それじゃあ」
3日後、会社から解雇通知が届いた。しかし、悲しくも悔しくもなかった。
俺は井畑と共に生きていくことを決めたのだ。彼女さえいれば俺は生きていけるのだから。
幸い、働くことには慣れている。俺も彼女も社畜だったのだから。
そして、きっと生まれるであろう俺たちの子供もそんな環境にすぐ慣れるに違いない。
1週間後。俺と井畑は同棲を始めた。
ここが今日から俺たちの住む楽園だ。
楽園の名は エデンの園
俺の名は足立無我。通称アダム。
彼女の名は井畑武美。通称イブ。
今日からは神の手を離れて2人で生きていくのだ。