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現実とバーチャルの狭間で・・

作者: 倉本保志

ご無沙汰しています。倉本保志です。先日使わなくなったメモリーを整理していたら、10年以上前に

書いた小説がでてきました。おそらくはじめて書いたものだと思います。テーマは、バーチャルについて

だと思いますが、いったい何を書きたかったのかよくわかりませんし、なにやら形式(小説という形式を破るという形式)にばかりこだわっていて、場面がめちゃくちゃにぶっとんでいて、それでいて、自分の思い描く小説の雰囲気に呑まれてしまっているような・・?読み返してみると恥ずかしさに赤面してしまいそうな文体です。(加筆しようかと思いましたが、そのまま投稿させていただきました。)ひとつ思ったのは、登場人物の智子という女性、これは、私倉本の拙作・魔法少女ボトルンにでてくる主人公とあまりかわらない感じの女子でありまして、倉本が、深層心理の中で憧れる女性像なのかもしれませんが、10年も前から同じだったということに少し驚いています。


現実とバーチャルの狭間で・・

 靖男は海岸に近い国道沿いのパーキングに車を止めると、外に出て自動販売機に向かい一本の缶コーヒーを買った。プエ島コーヒー 彼は学生時代からなぜかこのコーヒーにこだわっていた。別段何が美味いのかよくは分からなかったが、飲むときは、自然とこれを選んで自販機のボタンを押していた。一口飲みながら一通り、辺りの景色と潮の匂いの清々しさに慣れてくると今度は目を静かに閉じて自分を少しずつ自己の中心へと凝縮させていった。目を閉じると普段気付かないような辺りの臭気が、突然自分に飛びかかってくることがある。靖男にっとっては、もうそれも楽しみのひとつなのだ。 

視界を遮断すると、視覚から得られる3次元の世界とは違う4次元の世界が、瞼の奥に広がってくる。このことにある種の楽しさを覚えるようになってから、靖男は一人ふらりと郊外の海岸にやってくるようになった。純粋とでも言うべきか、人を清々しい気持ちにさせるこの潮の匂いは、実は海の近くではあるが砂浜だとか、海水に触れらるような浜辺の側近に自分がいないことをしっかりと意識させてくれる。あの海藻やら、流木やら、廃船の腐った板きれや、ふじつぼのついた生乾きの魚網やら何やらが醸し出す腐臭の入り混ざった、どこか懐かしいあの有機的な臭いがここにはない。沖の方から打ち寄せる波に乗せられてやってくる、ただただ、純粋な潮のにおいと、直ぐわきの松の木が出す松脂の香りが、普段の都会での生活でついた諸々の垢をすっかり洗い流してくれるような気がした。

靖男は目を閉じて自身をその心象風景に没入させた。現実にそこにある海の風景とはそれは必ずしも一致していないかもしれない。それが、果たして良いことかどうかは考えずに、ときどき吹いてくる緩やかな浜風を肌にかんじながら、少しずつ体がゼロになるのを、空間と一体化するのを靖男は楽しんでいく。

暫くしてエンジンの音がなりひびき車はパーキングを去って行った。一体どれくらいの時が経ったのだろう。おそらく現実には5分も過ぎてはいまい。しかし、その空間への逃避行はどれくらいだったのか外部からはそれは測り知ることは不可能である。靖男がこの地に何時間かけてきたのかも分からないし、それがたとえ半日がかりであったとしても、何ら構わない。ここに来たという証、持ち帰るものが全くなくても、帰途で大渋滞に巻き込まれてもそれはそれで仕方がない。要はこの潮風漂う4次元空間のバーチャルな世界と、この空間でのみ一体化できたという事実である。すべてはそれを導き出すための異次元のカテゴリーである。そしてそれが存在したかどうかも、外部からは一切はかり知ることのできないものなのである。知り得るはただ、靖男本人のみである。

「どうだった。」不意に投げられた質問に靖男は少しびっくりしたが、それが恋人の智子からのものだと知ると、少し照れたように笑いながら、「ああ、海がきれいだった。」と愛想のない決まり文句を取って返した。「うそ、海なんか見てないくせに。」智子の言葉に靖男は少しぎょっとした。まるで内心を見透かされているように感じたが、それが気のせいだということを自分に言い聞かせながら、また照れるように彼女を見て微笑した。「嘘なもんか良く晴れていたからね、波打ち際の波音は厭なことをすっかり忘れさせてくれるほど清々しかった。」「いいわよ、そんな言い訳しなくたって、別にあなたが本当に海に行ったかどうか疑っているわけじゃないもの。」靖男の言葉を遮りながら智子はつづけた。「それで、本当はどうだったの。」どうやらすべてお見通しのようだ。言い逃れはできないことを悟ると靖男はあの異次元の世界についてゆっくりと話し始めた。


彼女の髪からは、潮風のあの清々しさをふんわりと閉じ込めたような甘い匂いがした。

そしてそれは、オリーブを太陽の光でジリジリと焦がしたようなパッシブなカリブの匂いに似ていた。そして赤道近くの日差しの強さに負けず、強かに微笑むひまわりのあの人懐こさにもどこか似ていた。彼女はひまわりだ。ぼくのひまわりだ。脳内に瞬間的にパトスがあふれる。ぼくは彼女を追いかけた。彼女はこちらを少し振り向いてそしてすぐに煉瓦の隙間の暗黒に姿を消した。暫くの間僕は辺りを徘徊した。酔狂さながらのその様子を、地元の住人達は静かに眺めていたが内心ひどく訝しげに窺っていたに違いない。燦然と輝く南国の日差しもようやく陰り、時折吹く港からの浜風を少し肌寒く感じながら、僕は港へと引き返した。船着き場のやけに体格のいい男が苦々しくこちらを見ていた。最後の船が港を出るので、僕がこの船に乗るのかどうかを窺っていたらしい。そのことに、ぎりぎりのところで気づいた僕に、口早に何かを叫んでいた。

「ずいぶん、ユニークな話ね。」智子の言葉にふと我に帰った僕は、いままでどんな顔をして話をしていたのかが気になって顔を赤らめた。「私より美人だったの。」智子の口調がすこし刺々しい、いや、まあ、僕はどうにでも取れるようなあいまいな返事をした。「まあその女が私ってことも、可能性はあるわけだから、怪訝を装うこともないわけだけど・・」そういって彼女は僕の顔をまじまじと見つめた。ぼくは彼女の真意を確かめるように瞳を覗きこむ。少し慌てたのは彼女の方で、「やっぱり気になるわね。」そう言い残してその場を去ろうとした。いいのか、結末を知らなくて。今度は僕が少し苛立たしそうに言った。こんな中途半端なところで止めては自分も何か後味の悪い感じがした。「それってハッピーエンドになるの。」智子が訊くと、まあ自分のバーチャルの世界だからな、そう言って笑って答えた。「へえ、あなたって少しマゾっ毛があるから悲しい結末を自演することも、いやむしろそっちの方が本筋かなって思ったけど。」そう言い切ると彼女は、足を留めずに仕事場に戻った。またあとできかせていつもの場所で・・歩きながら彼女は自分の机に向かった、靖男はすこしその後ろ姿を眺めていたが、お気に入りのあのコーヒーに口をやった。彼女の残り香は休憩室に残っていたが、やはりあの甘い匂いと同じだった。

午後7時の渋谷、行きつけのショットバーに靖男は来ていた。少し早めに仕事を切り上げてお気に入りのカクテルをちびちびと飲んでいる。週明けでもある今日は、いつもより客の入りが少ないような気がした。約束の時間まではまだ時間があるし、一人で楽しんでいよう。そういって休日のことを少し思い返していた。

靖男は、ホルム行きの船に乗るはずであった。しかし彼は今、人も少なくなった、寂しく水銀灯の光る船着き場にいた。近くで老人が夜光ウキをつけて夜釣りを楽しんでいたが、様子を伺う気にもなれないほど落ち込んでいた。がっくりと肩を落とした異人の様子はさすがに老人にも察することが出来たのか、向こうから静かに声をかけてきた。

「何かあったかい、お若いの。」やっとのことで靖男は返事をした。「ええ、実はお金を、財布を落としてしまって、帰る船にも乗れずこうしているんです。」釣り人の老人はこちらを振り返って、じいっと靖男の顔を見ると、「それは気の毒に、ここいらは手癖の悪いのがいるからな」慰めにも取れる言葉を靖男にかけた。「自分を見失ってしまってはもはや誰のせいだなんていっても始まらないんです。すべては僕の落ち度だ。」吐き捨てるように靖男は言った。自分への怒りをなんとか静めるために敢えて自棄的になっていることがそのようからは見て取れた。ふと暗黒の水面をキラキラと水しぶきをあげて魚が躍った。魚はそのまま老人の厚い掌に包みこまれた。今年はまだ型がちいさいのう。ぽつりと老人が呟いたことばが、夜の水面に反射してすうっと沖のほうに逃げて行った。

「何が釣れるんですか。」

靖男は気を紛らわせるかのように訊いた。「んん、ああ、アジだよ、夜になるとこの明かりに集まってくるんじゃ、今年は水温が少し低くてまだ型が小さいが・・」そう言いながら新しい餌をつけて仕掛けを海に放り込んだ。餌か何かの有機的な臭いが彼の鼻を掠める。 「旅行かい、こんなうらぶれたところに一人で・・?」 「ええまあ、そんなところです。」靖男は少し無愛想に応えた。しかし言葉とは裏腹に冷静になろうとしてもどうにもうまくいかない自分がそこにいるのを靖男は自覚していた。異国の地で初めて靖男は窮地に立っていた。普段自分の仕事は卒なく且つスマートにこなすことをモットーにしていたはずだが、こうなってはもうそんなことはどうでもよかった。発狂しそうなくらい思いきり叫んだとして、もしこの窮地から救われるのならば、無条件に何の臆面もなくそうしただろう。靖男は目の前に広がる夜の暗黒の水面をまるで無限の空間のように感じたそしてそこに自分の意識が吸い込まれそうになるのを必死に堪えるように頭を抱えて項垂れていた。

「どうかした。気分でも悪いの」・・? 吐き捨てるようでいて相手を思いやる明るい響きを持つ彼女独特の言葉に靖男は振り向いた。「遅かったな」靖男の言葉には少しだけ明るさが戻っていた。「えっそう、?でも約束は7時半のはずでしょう。」靖男は時計を見た。7時20分 あれからまだ20分しかたっていなかった。「ごめん、なんか随分ここにいた気がしてね。」靖男はすんなりと自分の勘違いを認め彼女に誤った。「どうせまたトランスしてたんでしょう。」今度の言葉には先ほどの思いやりの気持ちは感じられなかったが、彼女の優しさに靖男は思わずにやけていた。「なあ、心象風景ってどうしてこんなに鮮明なんだろうか、実際にそこに行った訳でもないのにその場所の風景をはっきりと思い描けるんだぜ。」智子は少し考えていたが、「さあね、わからないわ、あなたが妄想症にかかっているからじゃないかしら。」笑いながらこう呟いた。靖男は、はぐらかされたようなからかわれた様な彼女の言葉に少し苛立って切り返した。「ちっ、身も蓋もないことを言うなよ、お前はどうなんだ。」「なにが・・?」頼んだドライマテイニが来たので彼女は少し飲みながら訊いた。「自分の心象風景を描くことはないのか、」「まあ、ないこともないけれど・・」「たとえば、セックスのとき・・」靖男はわざとにやけて見せた。「止してよくだらない。」今度は智子が苛立ちをストレートに靖男にぶつけた。二人の間になにか不穏なした雰囲気が漂うのを靖男はすぐに察知した。「ごめん、気に障ったのなら謝るよ。」それほど酷いことを言ったのだろか、少し疑問に思いながらも、靖男はとりあえず誤った。「私も少し厭な言い方をしたかもね・・ごめんなさい。」「でも私は大学も理系だし、心理学は専攻しなかったから、本当にわからないの、あなたの言うその心象風景という言葉の意味の本質もね。」暫く沈黙が二人を包んだ。先ほどまでは聞こえなかった辺りの客の笑い声やらが急に耳に入ってきた。「もう止そう」「だけど、君も気に入っているんじゃないのかい、僕のそれに・・」

智子は笑みを讃え相槌をうった、言葉にもいつもの明るさが戻る。「そうねそれは確かにそうかも、だってなんか小説を読み聞かせされているようで楽しいの。」「あなたはストリーテラーの才能があるかもね。」「一度試してみればいいんじゃない。」

「ふうんまあ、自分としては、それほどのものじゃあない気がするけどね。」照れ隠しもあったのか靖男は感情を込めず、さらりと言ってのけた。「じゃあ聞かせてよ私にだけあなたのその心象風景を・・」子供のような嬉しそうな目をして彼女は靖男の目を見つめた。智子は機嫌を直し、先ほどの不穏な空気はいつの間にか霧消していた。


数時間が過ぎただろうか、老人は静かに立ち上がり釣りの仕掛けをかたずけ始めた。釣った魚を入れたびくを海から引き揚げ箱の中に無造作に放り込むと、海水を汲み汚れた手を洗った。暗闇のなかの海をぼんやりと眺めたまま、じっと動かない靖男の方をちらりと見て、荷物を担ぎ船着き場の桟橋を後にした。少し先の小さな階段に足をかけたときふと老人は立ち止まって再び靖男のほうを見た。「若いの、腹が減っているじゃろう、うちに来ないか。」靖男は思わず振り返った。そして、声にならないほどの小さな声で、ええ、と小さく返事をして老人の後について行った。先ほど歩いた煉瓦色の通りの坂を少し歩いて小さな作業場の前に着くと老人は中に入り電球を灯す。ごちゃごちゃした見慣れない木製の道具が目に飛び込んでくるが、それが何であるのかはそれほど気にならなかった。それよりも靖男には、そこに漂う、酸い独特のにおいが気になった。海で使う道具を洗わずに放置するとこの臭いが辺りに染み付く。靖男は自分の父が釣り好きでよく釣りに出かけたこと、しかも父は大層不精で釣り道具を洗わずにいたため物置がこの匂いで充満し、母が愚痴を零していた小さい時の記憶を蘇らせた。老人は釣り道具をそこに無造作に置くと、こちらに― と靖男をとなりの部屋に手招きして読んだ。薄暗くて細部は分からないがこのキャビンからは古い木造のアンチークな雰囲気があちこちから、ふんだんに薫ってくる、やはりここが日本ではないことを靖男は改めて意識させられた。

老人はテーブルに数個のパンを置き、ヤカンに水を入れて湯を沸かした。御馳走はないが腹の足しにはなるだろう。そう言って自分もテーブルに置かれたパンをつかみちぎって口に放り込んだ。ほら、靖男にその切れ端を渡すと沸いたコーヒーををコップに注ぎ入れた

「ほれ、飲みな、」 体があったまる そう言って靖男にも注いだばかりのコーヒーを勧めた。

「明日近くの観光案内書に行ってみるといい。紛失した財布が届いているかも知れん。」

老人の気休めの言葉に、靖男は愛想笑いを浮かべまた下を向いた。絶望的な境遇に気持ちがどうにも落ち着かない。その気になれば一瞬であの清々しい風景に戻れるにも関わらず靖男は、じっと首を項垂れていた。さてどうしたものか 二人の口から同時に言葉が漏れた。しかしこの同じ言葉の意味は二人にとって全く違う意味をあらわしていたのは意外である。


「えっどういうこと・・?」智子がここで口をはさむ。我に帰る靖男は不思議そうな智子の顔を覗き込んだ。「この老人はあなたの身を思案してくれているんでしょう?だったら意味が違うなんておかしいじゃない。」「ふん、大まかにいえばそうなんだけど、実はこのとき僕は自分のこととは別にあることを思案していたんだよ。」「えっ・・?なにそれ?」「こんだけ深刻ぶっておいて、それはないでしょう、あなた、このじいさん (じいさんはないだろう・・思わず靖男は心の中でつっこんだ)見ず知らずのあなたのことを心配してくれてるんでしょう・・?」「あなた何を考えてたって言うの・・?」智子が少し興奮気味に靖男に詰め寄った。靖男は意に反して少し顔を赤らめてしまった。「あっ・・・あなた・・まさか」智子は信じられないというような顔をして靖男を見た。靖男のほうも智子が用意した答えが間違っていないことを暗に目で伝えようとしていた。「バっかじゃないの」 智子の出した声に店の中の客がびっくりしたのか、辺りがしんと静かになった。


「すいません、見ず知らずの旅人にこんなに親切にしてもらって、本当に助かります。」靖男は、相手を気遣うときに出す人懐こさを、満面に出して老人に行った。「少し落ち着いたようだな、まあ困った時はお互い様だ」「今日はもう遅い、こんなところで悪いが、朝まで休んでいきなさい。」「毛布くらいはかしてやれるよ。」老人は靖男が、相手を気遣う言葉を発するのを見て、やや無愛想だが、決して悪い人間ではないということを感じ静かに言った。靖男のほうも異国での緊張感がすこしほぐれたのか、「すいません、ほかに行くところがないので、そうさせていただきます。ありがとうございます。」丁寧にそう言って老人のほうを見た。奥から毛布をとってこようそこのソファーにでも横になるといい。そういって部屋の奥の階段に向かった。「あの、」靖男はふいに言葉をかけた。「うん、なにか?」靖男は次の言葉を切りだすのを少し躊躇した。「なんだい?」「遠慮なくいってくれ、わしにできることはするよ。」老人は靖男を労い少し笑って答えた。「あの、昼間ここらへんで、女のひとを見たんです、長い髪で、オリーブのいいにおいがしていました。」「ご存じないですか?」老人はすこし訝しそうな顔をして、靖男のほうを見た。「若い娘かい?」「この近くには別荘が多いからな、そこのお嬢さんじゃないのかい・・?」そう言って足早に奥へと向かった。靖男は少し気まずかった。やはりこんなことを聞くんじゃなかった、そういった後悔の念が身体をやんわりと包んでいくのが感じられた。暫くして老人は靖男のいるキッチンのような場所に戻り、毛布を置くと奥のほうへまた踵を返した。

「普通訊くかあ・・?こんなところで」「しかもこんな状況で」そっけない口調で智子が口を挟んだ。

「なんかここらは、ちょっとリアリテイに欠けるわね」「まあ、あなたのワールドだからあまり口は挟みたくないけれど・・」「で、ここでは何を表現したいわけ?」すこし生意気そうな顔をして智子は訊いた。

「表現ってそんな大層に言われても困るけれども・・」口を尖らせて不満げな顔を靖男は見せた。「これが僕にとってのリアリテイのつもりなんだ」「人間身体的な危機というか、不幸の淵をさまよって絶望感に打ちひしがれているときは、他のことなんか考え付かないけれど。「少しその状況が緩和されて、ゆとりができたとき、今までの心的な危機の状況を、ぶり返してしまうというか・・・」「まあ俺だけの心象かも知れないけれど・・・」智子は自分の経験をあれこれと頭の中で模索しているのか上目づかいになっていた目をまた靖男のほうにむけて訊いた。「ふうん、そういうものなの?」「それで、続きは・・?」両肘でテーブルを少し押すような感じで身を乗り出して、智子は靖男の顔を覗きこんだ。靖男は智子のわがままで話の腰を折られたことを少し不愉快に感じていたが何も言わずに話を続けた。


窓のカーテンの隙間から洩れる日差しで、靖男は目を覚ました。昨日のいざこざで疲れたのか、自分でも驚くほど熟睡していたようだ。寝起きのためか半分自由の利かない重い身体でソファーから立ちあがると靖男は大きく伸びをした。何時だろうか。時計を探したが見当たらない。あまり落ち着いてもいられないが、焦ったところで仕方ない靖男は再びソファーに腰をおろした。丁度間合いをはかったかのように、奥のドアが開いた。靖男は昨夜の老人に一宿のお礼を言おうと振り返った。「ありがとうございます、おかげでゆっくりと・・」そう言いかけて目をみはった。祖父からこれを運ぶように言われて、「どうぞ遠慮なく」 娘はそう言うとテーブルにパンとスープを置くと静かにまた奥へ戻ろうとした。あ、あの、靖男は立ち上がりその娘に声をかけたが、何を話していいのか分からず呆然と立ち尽くしたままだった。娘は静かに目を伏せると、ドアを閉めていなくなった。

なんという偶然だろう現実ではおそらくこんなことは起こりえない。しかしそのくせ、舘振る舞いはやけにリアリテイがある。靖男は昨日のあの潮風の匂いを纏わせた娘を、目の前にして、一言も話すことができなかった。


君は僕の太陽だ、君の笑顔は、潮風に身を任せ、揺れながら、驚くほど透明な太陽の日差しを受けて大きく微笑むひまわりそのものだ。ぼくは君を一目見て、体中に電気が走るの感じた。いままで感じたことのないこの衝撃、この一瞬のために、この出会いにために僕は今まで生きてきたのだろうか。ああ、なんという衝動だ。言葉では言い尽くせない熱情が身体の中心から沸々と込み上げてくる。その源はなにか、君との出会えたことに間違いない。世界中の事象が全て虚空であったとしても、このことだけは、決して間違いのない事実であると僕は確証する。


「なあんつってねー」智子が笑いながら、ドライマテーニを口にした。「ねえ、あなたのバーチャルワールドなんでしょう。」「これくらい言えないの・・?」「くっくく・・」 智子はまだ笑いをこらえきれないようすで思わず下を向いた。「なんだよその三文オペラみたいなせりふ」靖男は眉をしかめて智子を睨んだ。「だって、せっかく地中海の港町風の異国情緒が漂うようなお話なんでしょ。」「主人公がそれじゃあ、ほんとにアジアの端の島国の、ウェットな三文小説じゃないの。」

「いいんだよ、おれのバーチャルなんだからさ。」「何だよさっきから、話の腰ばっかり折って・・」

「おれの話を聞きたいって言ってたけど、茶化すのが目的なのか」靖男は声を荒げた。・・・(やばっ、まじで怒った・・?)「ごめんなさい、そんなつもりはないんだけど・・」上目づかいで靖男を見る智子の目には、まだいたずらを目論む仔猫のような微笑がかすかに残っていた。「帰るわ、おれ、」そう言って靖男は席を立った。「ね、まって、」靖男は立ち止まって振り返り、テーブル横のオーダーのタブレットをとるとレジに向かった。「機嫌直してよ、ねえ」 智子の声を背中で聞きながら、靖男は店を足早に出て行った。

「なんだよほんとうに」「結局は俺を馬鹿にしてるんじゃないか、才能があるとか言っておきながら」

「ああ、俺も馬鹿だよな、上手いように乗せられて、あいつ、同僚のあいだでおれのことをお笑い草にしてるんじゃないのか?」「ほんとムカツク。靖男はやはり矢継ぎ早に今の状況を心象風景として思いめぐらしていたが、それは間違いなく彼の独特のマイナーコードに変調されていた。

「なんだか、現実のほうが喧騒的で、いつもぐだぐだしてんだよな」「本当のリアリテイってなんなんだろ・・?」交差点で信号待ちをしている間、靖男の呟きはまだ肌寒い夜の気温に溶け込めず、暫く、靖男の頭上で、くぐもっていたが信号が青になったとたん、都会のざわめきに瞬時に搔き消されてしまった。

靖男は、智子と暫く口をきいていない。あれから、職場では何度も顔を合わせるが、怒った手前、どうにも自分から話を切り出すことができずにいた。智子は智子で、何事もなかったかのように平静を装い、自分のほうからあえて靖男に近づくようなこともなかった。そんな二人の様子をいち早く察知したのが智子の同僚奈美子である。いつもの社員食堂で昼食をとりながら、奈美子はあたりさわりのない言い方で美奈子に訊いた。

「ねえ、最近どうなの?」「どうって、何が・・?」口調とは真逆の意地悪い目で尋ねる美奈子の本意を、すぐに察したが、智子はさらりと受け流した。「ほら、彼よ、彼、」ちょうど社員食堂で2列向こうでランチを食べていた靖男を小さく指さして言った。「別に、いつもと変わりないけど、・・」「えーっそうかなあ、なんか、以前と違うんだよね、お互いの雰囲気が・・・」奈美子は二人の異変にいち早く気付いていたが、智子は手を止めることもなくすんなりと彼女に応えた。「まあ、もともと どうこう言うほどの仲でもないし・・」奈美子は目を丸くして智子に訊いた。「えっ、どういうこと?「付き合ってるんでしょ? 「えっなに・・? 別れたの・・」奈美子の大げさな反応に今度は智子が、笑いをこらえきれずに言い返した。「別に分かれたわけじゃないけど、ちょっとあってね」「冷戦状態なの・・・」

「ふうん そうなんだ。」奈美子は肩を竦ませて、何やら悪戯っぽい顔をして見せた。「でもあんまり感心しないな・・」意味ありげな奈美子の言葉に智子は少し怪訝そうな青をして訊いた。・・

「どういうこと・・?」「案外彼ってもてるみたいだからね、放っておくのもどうかと思うけど・・」そう言って奈美子は席を立った。「あの、妄想癖が・・?」「まさか・・?」智子は思わず苦笑した。しかし奈美子の言葉がなにかひっかるのを智子はあれからずっと感じていた。

携帯の着信履歴を靖男が見たのは、仕事が終わって駅の改札を過ぎる少し前だった。 智子からの夕食の誘いのメールが一件、靖男はすこし安堵した。ケンカ別れのようになっている今の状況を靖男もやはり気になっていた。ただこちらから切り出すのがいやで、ずるずると気まずい雰囲気を仕方なく続けていたのだ。智子からの指定の場所はいつものショットバーであったが、この間のこともあってなんだか気が進まない、靖男は違う店を合う場所に決め智子にメールを送った。暫くして智子から、その店を知らないとの返事が返ってきたため、靖男は最寄りの駅で待ち合わせることにしてホームに向かった。

階段を下りて、ちょうど止まっていた電車に飛び込むと独特なにおいが靖男を包みこんだ。それはちょうどサラリーマンの身体から発せられるもの、彼らの体内に鬱積した倦怠感、疲労、焦燥感、虚無感そういったものから、無意識に発せられる、異臭というべきであろうか。もちろんいつもこの臭いが気になるわけではない。この匂いに気付かないときは、逆に靖男自身が、それの元凶になっているのかも知れない。そう考えると、この匂いにとりわけ被害者意識的な不快感を感じる訳でもないが今日、靖男は生憎その毒気に当たる方の立場になってしまっていた。まずいな、・・・焦る気持ちを落ち着かせながら、靖男は忙しなく閉まる電車のドアに持たれかけて目を閉じた。


「おはようございます、昨夜は本当に助かりました。」靖男は娘と入れ替わるようにして部屋の中に入ってきた老人に声をかけたが、老人は返事をせずに自分の朝食の用意を始めた。「きれいな娘さんですね」靖男は話のとっかかりを見つけようと、先ほど部屋に自分の朝食を届けてくれた娘について話した。老人は応えずに黙っていたが、靖男がさらにしつこく彼女のことを尋ねるのを、危惧するかのように、少し強い口調で、言った。「さあ、これで、自分なりに施しはしたつもりだ。」「お若いの、あんたも、大人なら、人の善意にすがりっぱなしもどうかと思うが、・・」揶揄を含んだような言い方に、靖男はハッとした。「すみません、お礼をしたいのはやまやまですが、昨晩話した通り、何せ一文無しで・・」靖男が慌てて応えると、老人は靖男の言葉に、自分の気持ちが曲解されたことに気付きさらに語気を強めて応えた。「そんなことじゃない、あんたのその不可解な人懐こさが、気に障るんじゃ」「わしは無一文の哀れな異邦人を、わしの心意気で施しをしてやっただけじゃ。食ったらさっさと出て行くがいい。」「本当に異人は何を考えておるのかさっぱり分からん」「自分が無一文で施しを受けておるというのに、人さまの娘を気にかけるなんて、一体どういう了見じゃろう・・」老人の言葉が、どんどんエスカレーとしていくのを聞いて靖男は、追いだされるようにそそくさと部屋を出た。石畳の坂道を、早足で降りると、老人に教えられた観光案内所へと向かった。途中、靖男は何度も老人の家を見ては、呟いた。

「なんだ、智子の言った通りじゃないか・・」「あいつの意識がおれの中に入ってきたのかな、それとも これが常識だということを改めて俺が受け入れたせいなのだろうか・・」

靖男は、すでに自分があのバーチャルの世界から抜け出して窮屈な電車のなかにいるのを感じながら、智子のことを考えていた。

2つほど駅を過ぎ、靖男は九段下の駅で降りた。改札の横の丸い柱の陰に智子の姿を見つけて、近づくと靖男は、少し緊張した面持ちで声をかけた。

「ずいぶん早いじゃないか。」

智子はメールを打っていたのでうつむき加減だったが、すぐに顔をあげて、「あら、もう 約束の時間は過ぎてますけど・・」例のいたずらそうな上目づかいで靖男に言った。「そうかい、おれも駅には時間どおりについたはずなんだけど、最近歩くのが遅くなってね」「もう年かな」 靖男が、笑いながら切り返すと 「まったく、懲りない人ね」「まあいいわ、行きましょ」 そう言って智子のほうもすんなりと受け流した。仲直りの機会を敢えて作ったのだから、些細なことで雰囲気がまずくなるのは避けたかった。それは靖男にとっても同じだった。二人はいつもよりハイテンションで店までの道を歩いていた。「ここだよ、少し前に見つけたんだ。」そう言って靖男はドアを開けすこし薄暗い店の中に先に入っていった。テーブルにつくと、智子はドライマテ―ニを頼み、辺りの様子をゆっくりと眺めた。

「なにか、アクアリウム、水族館の中みたいなところね」「前に行ったクラゲの水族館があったろう・・・コンセプトが、同じだと思うんだ、この店と・・」「ふうん、そうなの?」 智子は靖男の言葉にあまり興味を示さないかのような、無愛想な返事をした。少しの沈黙が二人を包んだ、智子はいつものカクテルをすっと口に運び口元を潤してから、靖男に訊いた。「ねえ、まだ怒ってるの・・?」

靖男はちらりと智子を見たが、視線をそらして言った。「いいや、いつまでもくだらないことを引きずるつもりはないよ」「そう、なら良かった。」智子の顔にあの人懐こい笑顔が戻った。「じゃあ、また、前と同じようにあなたのお話を聞けるのね。」「うん、まあそうなんだけど・・」

「どうしたの・・?」「あ、いやその、この際言っておこうかと思うんだけど、もう・・よそうかと思っているんだ・・例のやつ。」「えっ どうして・・?」智子は驚いて靖男に訊き返した。「もしかして私のせい・・」「いや、そういうわけじゃないんだ。」「ただ、なんかちょっと分からなくなってきちゃってね」「何が・・?」「その・・なんというか、自分の心象風景があまりにこう現実離れしているというか、リアリテイがないというか・・」「いいんじゃないの・・?」「あなたのバーチャルなんだから、」

「うんはじめは僕もそう思っていたんだ」「だけどやっぱり単なる空想ではなく、超現実のバーチャルを目指したいんだ」「そのためにはもっともっと現実を理解しなければいけないことがよーく解った。経験という裏づけのないバーチャルなんてやっぱただの空想だからね。」「現実の世界で、もっとリアルを、楽しもうと思うんだ。・・・」

「じゃあもうお話は終わりなの・・?」「まあね、でも君にまだ話していないところは今日話すよ、実は、ここに来る前の電車の中で、いろいろ考えていたんだ。」智子は少し悲しそうに、下を向いていた。靖男の心象風景をもう聞けないということがやはり残念だったのと、自分の行為が彼の決断に少なからず影響を与えてしまったことを、なんとも申し訳なく思っていたからだった。「ね、もう絶対に話に口を挟まないから・・・だから・・」そう言いかけた智子の言葉を遮るように靖男は、「さあ、あの老人のへやで僕が目を覚ましたところから始めるよ」「いいかい。これが最後のストーリーだからね。」そう言って靖男はあの話の続きを始めた。

2ヶ月後・・智子とは結局別れてしまった。あの心象風景のなかでも靖男は港町で生活するのだが、あの娘を見かけることはあったが二度と話をすることもなかった。ただ海へはいまもドライブによく出かけている。         オワリ


先日Googleで、倉本保志 と検索したら、前から4面目くらいに自分の投稿した小説(小説家になろう)が4つばかりヒットしました。閲覧履歴が他の作品に比べて桁が違っていたのはそのせいだったのかと謎が解けたことと、単なるデイレッタント小説家の倉本保志が、名前を検索したら出てくるということに驚きました。Google 万歳 一生ついていきますからどうか倉本保志をサポートしてください。

どうかよろしくお願いいたします。

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