絶望その1
僕の人生は、結局のところ何の意味も無かった。
意味を見つけるのが人生だ。
とかなんとか有識者は爛々と輝く目で訴えているが、その熱量は黒く薄い板の向こう側には届かなかった。少なくとも僕にはーーだが。
僕の絶望を消してくれるのならばと、そういった所謂自己肯定の本や、哲学書なんかを読んだりもした。
その哲学書は僕にとってはあまりに難解で、一冊読むのに半年もかかった。それでも殆ど理解できなかった。1/3も理解できていれば良いほうだろうか。はっきりいって不毛な時間を過ごした。
次に自己肯定の本、'前向きになれる本'とかそんなタイトルだったと思う。
結論から言って論外だった。
あれは読み手が勘違いを起こす事で成り立っている本であり。理解はできなかった。
だがあれで救われる人間もいるのだろう。それを救いと呼べばの話だが。
見ての通り僕はそんな人間ではなかった。
正直救われればどんなインチキだって良かった。搾取されようともこの一生を幸せにできれば良かった。
自分がどんなに矮小で下劣であっても幸せになれればそれでいいと思った。だが現実は違った。
信念は邪魔なだけだった。
悪党になるな。矮小になるな。人の心を考えよ。自分に不誠実になるな。
幼い頃に刷り込まれた、その人間の信念とやらが邪魔をする。
ちょうど奴隷の様であった。幼い頃に自分は道具であると刷り込まれた奴隷の様な。
信念は邪魔な物と気づいたのは15歳、中学生の時であった。
語るのも苦行であるので、概要だけ話すとしよう。
それは掃除の時間。
体育で使用した20本程度の竹刀が教室の角に集めて置いてあった。
そして例外的に剣道を習っている者の胴や面や籠手の入った袋があるのだが、それを故意に雑に扱ったと難癖を付けられた。
その場の竹刀で、鳩尾を執拗に突かれた。
僕は抵抗としてその彼の顔面を殴ったのだ。
程なくして担任の先生が現れた。
僕は先に彼が突いたと言い、剣道を学ぶものが剣を持たぬものにしてよいことでは無いと主張した。
だが、結果で言えば僕が嘘つきの悪だとされた。
剣道で言う防具はとても大切な物であり、激昂するのは仕方がないと。
まあこんなのは体のいい理由である。
その彼の親がPTA会長であったから、糾弾や責任を逃れて僕が悪としたのだろう。
その後、僕は教師からの執拗な虐めを受け事となった。
例を上げれば、特に関係の無い事件も事故も全て僕がやったことにされた。反省文は飽きるほど書いた。
おかしいと声をあげるものもいたが、教師が証拠をでっち上げたら直ぐにそんな声は無くなった。
ちんけで粗雑な証拠に騙された訳ではないだろう。
皆きっとこう思ったのだ、ここまで執着している事に関係して内申を落とされるのはごめんだ。誰かがきっとなんとかするだろう、と。
誰かは誰もいなかった。
僕は全ての事件への関与を否定した。
だが親や他の先生は信じてはくれなかった。
その時わかった事がある。人は罵倒されるよりも人に信じられなくなることの方が辛いのだと。それが親しい仲であれば尚更。
世の中上手くできているようでそうでもない。
こんな世の中に神様が居るのなら許されないだろう。決して。
第一僕が許さない。
そんな虐めも高校入学で完全に終了した。
卒業式は脱け殻の様であった。別段喜びは沸いてこなかった。
勿論卒業式も謂れの無い窓ガラス破損事件で夕方まで帰ることを許されなかった。
勉強はとても頑張った。
勉強よりも運動の方が得意であった僕だが、あまり良くない頭を酷使した。最低の環境下でよく壊れることなく機能してくれていたと誉めてやりたいくらいだ。
400点程取ったが、志望していた高校には受からなかった。多分内申で落とされたのだろう。
そのときばかりは人生が不合理過ぎて狂いそうであった。
三日ばかり部屋に閉じ籠り精神が狂わないようにひたすら念仏を唱えた。何かして今の状況を脳に自覚させないための強行手段であった。
親はそんな僕に三日のうち5度程部屋に訪れて何やら泣き言を言って怒り狂っていたが念仏を唱えていたのでよく覚えていないのである。
二次募集で入った底辺高校でも燦々たる人生を送ることになるのだが………。
そろそろ心が折れてきたのでまた次号。