7 交錯する想い
笑いかける父さんに、俺は照れ臭さを隠しながら問いを投げかける。
「ところで、秋穂の方はどうなんだ? 葬式の間もずっと泣いてたし……」
「秋穂は……まだ立ち直れないようだ」
父さんは浮かべた笑顔をふっと消し、渋い表情で俯く。父さんは秋穂をかなり気にかけているようだ。彼女は自分の家族に裏切られた。新しい家族にもようやく心を開いてきたところだったのに、このようなことがあればまた心を閉ざしてしまってもおかしくない。
「……俺、ちょっと行ってくる」
俺は自分で車椅子のタイヤを回し、広間の敷居を跨ぐ。父さんは何も言わなかった。車椅子を押してくれるようなこともなかったが、それは父さんなりのメッセージなのだろう。
前をしっかり見据えて、自分の力で進め、という。
「どこへ行くの」
そんな父に見送られ、いざ秋穂の部屋に赴かんと決意した俺を、背後から鈴のように澄んだ声が引き止める。
声の発信源を見ると、そこにいたのは俺が進む方向とは反対側の壁に寄りかかる白髪の少女、如月楓だった。
「なに、少し秋穂と話をしようと思って」
俺の言葉に如月は咄嗟に目を伏せる。
「秋穂さん……私が会った時も酷く落ち込んでいたの。それでも無理矢理笑ってお礼を言ってくれた。とても苦しそうで悲しそうだったの」
俯き、しゅんとした声で語る如月。彼女は一度顔を合わせただけの相手に対しても、本当の気持ちで接してくれる。秋穂にも、俺にも。
「だから、あいつを立ち直らせる……のは無理だとしても、今日の夜、一緒にご飯を食べれるぐらいにはしてみせる」
そう言って俺は再度車椅子のタイヤに手をかける。が、一つ言い忘れたことに気づき、如月を振り返る。
「もちろん、4人でだ」
その言葉に如月は目を丸くする。しかしすぐにふふっと吹き出し、笑みを浮かべて俺に告げる。その表情は慈愛に満ちていて、少女だということを忘れさせるほどの可憐さを纏っていた。
「楽しみにしてるの」
その言葉を背に、俺は車椅子を進める。
今までの日常を取り戻すことはできないとしても、これからの日々に希望を抱くことはできると信じて。
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「秋穂がへこんだときに行く場所といえば、あそこか」
俺は1人、記憶を辿るように呟く。あそこは、確か俺が秋穂を助けてこの家に連れてきた日の夜に、秋穂が訪れていた場所。季節も時間も違う今だが、彼女ならあそこにいるに違いない。
家族だからこその自信を胸に、俺は複雑で広い母屋を進む。しかし幼い頃からこの家に慣れ親しんできた俺からすれば、少し腕の傷が痛む程度でたとえ車椅子であろうとその場所に行き着くのに大した苦労はなかった。
その場所とはすなわち、大きな桜の木が植わっている庭。俺が毎朝見ている場所だ。
案の定、今日も秋穂はそこにいた。栗色の髪を春風になびかせ、頬を伝う涙を拭うこともせずに、臆病で小さな少女はただ立ち尽くし、桜の花が散るのを眺めていた。
「……秋穂」
「魁人……君」
俺の呼びかけにビクリと揺れる肩。秋穂は瞬時に俺の方を向き、気まずそうに目をそらす。
俺は、その後に投げかける言葉に悩んでいた。家族として、中途半端であやふやなことは言えない。だからと言って極端に厳しく言えば彼女は心を閉ざしてしまうだろうし、優しく言っても更に自分のことを責めるだろうし、何より秋穂の為にならない。
「私……」
すると意外なことに、先に口を開いたのは秋穂だった。ぷるぷる唇を震わせ、何かに怯えたような目で彼女は語る。
「昔、魁人君に助けて貰った時、凄く嬉しかった。正義のヒーローが私の元に来てくれたんだって思った」
「……」
秋穂の言葉に、俺は何も言えずに押し黙る。
「それで私、今自分が怖いんです。怖くて憎くて鬱陶しくてあり得なくて——信じられない」
普段はあまり口が達者でもない秋穂が、溜めていたものを吐き出すように、許しを乞うようにまくしたてる。
「私は、今、現在進行形で、魁人君を拒絶してる。ありていに言えば、憎んでしまっている」
突き刺さる言葉。身体全体が俺の動揺を受けてか鈍い痛みを受ける。
秋穂はこんなことを言う子じゃないはずだ。いや、こんなことを言える子でもない。
確かにあの状況であれば俺を憎んでも何の不思議はない。俺が俺自身を憎んでいたように、それが普通の考え方だ。
しかし秋穂が、面と向かって人を責めるようなことを言うことは今の今までなかったはずだ。
そして、俺は悟った。
これは俺が招いた試練のようなもの。
秋穂は今、いつもの秋穂じゃない。精神が酷く乱れている。家族が死んだのだから当たり前だ。俺も如月に諭されていなければ、今これほどまで冷静にいられないだろう。
だからこれは、俺への試練。大切な家族を失った少女から、大切な家族を奪われた少年に向けての、初めて交わされる本音の戦い。
——俺は秋穂に、何をしてやれるだろうか。どうすれば如月のように、包み込んでやれるだろうか。
「私が今、見当違いで最低なことを言ってるのはわかってるんです。でも私は……どうしても魁人君を心のどこかで憎んでしまう。怨んでしまう。なんで3人を助けようとしなかったんだって……。どうして1人で逃げ出したんだって……」
続く秋穂の言葉。彼女から目を背けたい衝動に駆られる。しかしここで拒んだら、俺は前に進めない。強くは、なれない。
「私はそんな自分が許せないんです。こんな私はもう……魁人君の家族じゃ——」
「……!」
秋穂は自らを追い詰める。息苦しさを必死で堪えるように手で喉を押さえて。
そしてその口からこぼれ出そうになる言葉。俺はそのフレーズの持つ痛みに耐えきれず、
「馬鹿言うな!」
気がつくと叫んでいた。流石に大声を出すと身体が痛む。しかしそんなことに構っている余裕が今の俺にはなかった。
自分の想いを秋穂に伝えるので、精一杯だった。
「秋穂、お前は俺を怨む権利がある。憎む理由がある。そこに間違いは全くない。でも、お前が俺の家族じゃなくなる権利も理由も、俺とお前には、もっと言えば世界中の誰にも与えられてないんだよ!」
先ほどの秋穂に勝る勢いで、俺は語る。少し前までの打算などかなぐり捨てて、秋穂と同じように本心をぶつける。
「秋穂がどれだけ憎もうと、俺がどれだけ傷つこうと、俺たちは家族なんだ。だから気兼ねなく俺を憎んで傷つけて、責めていい」
それはつい数時間前、白髪の少女に貰った言葉だ。それをすぐに使ってしまう俺は、どうやらせっかちな性格らしい。
「でも、俺はそれだけじゃ終わらない 必ず強くなって、みんなの仇を取る。それが当面の目標だ」
俺は少し強がって、秋穂に笑いかける。秋穂は俺の言葉に動揺を隠しきれない様子だ。
「でも……私はきっと魁人君を傷つけてしまう! そんな私は嫌なんです!」
白く透き通った秋穂の肌を伝い、ぽろぽろと零れ落ちる想いの欠片。俯く彼女の表情を伺い知ることはできない。
——俺が今、秋穂に渡せる言葉……
「俺はお前のヒーローでいたい」
「……!」
それを聞いて、ずっと俯いていた秋穂はばっと顔を上げた。その瞳には涙が溜まり、目元は赤く腫れている。
「俺を憎んで怨んで傷つけてくれていい。だから、俺を信じてくれないか」
その言葉はとても強引で、正反対のニュアンスを同時に含んでいるものだった。言った自分でも何が言いたいのかよくわからない。
その時、強い風が吹いた。桜の花びらが一斉に空へ昇る。
「……わかりました」
風の中、聞こえてきた細い声。しかしその声には、確かに芯と呼べるものが通っていた。
「でも、やるからには私も一緒です。私も強くなりたい。もう足手まといは卒業です。私は……魁人君を信じて魁人君と前に進みたい!」
真っ直ぐな瞳、浮かぶ笑顔。
その決意に、俺は優しく微笑みを返した。