5 動向、一歩前へ
「……落ち着いた?」
俺はひとしきり泣いた後、少女は俯いたままの俺の顔を覗き込み尋ねる。
「ああ……見苦しいものを見せたな」
「気にしないでいいの。人間は涙を自由に流すことができる生き物なの」
少女は先ほどの笑顔が嘘のような、真面目なのか関心がないのかわからないような仏頂面で告げる。
「じゃあそろそろ本題に入るの。あなたはまず何から聞きたい?」
「うーむ」
少女の問いに首を捻る俺。正直な話、まだ状況が飲み込めていない節がある。
「……じゃあ、ことのあらましを。お前——如月がなぜあの場に居たのか、その後どうやって父さんたちと合流したのか。だいたいでいいから教えてくれないか」
「わかったの」
俺の布団の横に座っていた少女——如月は、俺の足元まで移動し、上半身を起こしている俺と向かい合うように位置取る。
「まず、私があそこにいた理由だけど、ある情報を手に入れたからなの」
「……情報?」
「そうなの。その情報というのは、ここ、日本の京の都で悪鬼が姿を見せたというものなの」
神妙な面持ちで、如月はそう告げる。その言葉に対して俺は。
「悪鬼……ってなんだ?」
再び質問を投げかけた。いや、実に情けない話なのだが。
俺の問い掛けに、如月は大きくため息をつく。
「悪鬼を知らないってことは、あなたまだまだ見習いってところなの」
「余計なお世話だ。それで、悪鬼ってなんなんだよ」
「悪鬼というのは、その名の通り鬼……。悪霊を含むカテゴリーである霊種の上位にあたる存在、鬼種のことを言うの」
——悪霊の……上位種。
俺の思考をよそに、如月はさらに続ける。
「鬼種、それは悪霊が霊力を大量に取り込むことによって変異した存在と言われているの。悪霊とは異なり思考能力と言語能力、五行の力を持っていて人型をしているの」
「……それ、相当厄介じゃないか? 本能で動く悪霊と違って頭で考えることができる。それに五行の力って」
如月は俺の言葉に無言で首肯する。
「そうなの。火、水、木、金、土の五つの属性の総称である五行。それに陰と陽を合わせたものを五行の力と呼ぶ。並の陰陽師じゃ習得は不可能だと言われているの」
「……そうか、俺を貫いたあの氷の棘……」
「あれは水の属性の応用なの。五行の力を上手く操っていた、強敵だったの」
深刻そうに、暗い表情でそう語る如月。相当な激戦だったことが予想される。
「そんな相手によく勝てたな。ホントに如月って何者だよ」
「実際は引き分けなの。なんでも『君たちとは万全の状態で殺り合いたい』とかなんとか。最初に腕を落としたのが功を奏したの」
俺はその言葉に反応した。如月が発した、性格には着物の男が言った、『君たち』という言葉。
俺は虚ろな記憶を頼りに、あの時見た奇妙な風貌を思い出す。
「そうだ! あの黒いマントの……鬼の仮面の……あれってなんなんだ?」
「”あれ”とは失礼なの。あの子は私の使役霊なの」
心外そうに憤慨する如月。ぷくっと頬を膨らませてプイッとそっぽを向く。
「その使役霊って……そもそも、使霊術師ってなんなんだ?」
如月はまだむくれていたが、渋々といった様子で俺の質問に答える。
「……使霊術というのは、その名の通り悪霊を使役する術のことなの。私たち使霊術師は使霊術を用いて霊を従え、共に悪霊と闘っているの」
「なるほど……ってことは、あのマントの人も元々悪霊なのか」
「……妙に物分りがいいの」
「ん?」
顎に手を添えて俯き加減だった俺は、如月の言葉に思わず顔を上げた。
「悪霊を従えてるって言ったら、気味悪がられたり怒鳴られたり怖がられたり、良い顔をされることなんてまずないの。なのにあなたは……」
「んー、別に悪いことじゃないだろ。だって俺を助けてくれたんだし。確かに見た目は怖かったけど、悪い奴には見えなかったし……って、そういえばあいつも人型だったな……つまり、あいつ鬼種なのか! 凄いな、そりゃあの男と同等に闘えるわけだ!」
興奮に任せて、もはや独り言のようにまくし立ててしまう俺。そんな俺を如月は不思議そうにぽかんと見つめていた。
「……どうした? ちょっとはしゃぎすぎたかな?」
少し気まずそうにはにかんで尋ねてみる。すると如月はおもむろに口を開き。
「いや……あなたは変な人なの。それでいて、中々面白い人なの」
そう言って穏やかに微笑する。
「……いや、それどっちにしろ馬鹿にされてないか?」
「そんなことないの。ちゃんと褒め言葉なの」
如月は更に、悪戯っぽく笑う。そんな如月に俺は頭を掻きながら苦笑いを向ける。
「さて、ちょっと話が逸れちゃったけど、続きを話すの」
前のやりとりで和やかな雰囲気を帯びたところで、如月は再度説明へと戻る。
「それで私はなんとかあの悪鬼を撃退して、その後あなたのお父さんと遭遇。戦闘になったの」
「なるほど……って戦闘!?」
話を再開した途端爆弾発言が飛んできた。
——なるほど、だからあの時状況を覆せたのは自分と父さんだけだって言えたのか。……というか、あの温厚な父さんを怒らせるなんて何をしたんだよ……。
「呆れた顔をしてるけど、だいたいの原因はあなたなの」
「へ?」
「私はあなたを使役霊に背負わせて森を歩いていたの。そしたら鬼のような形相をしたあなたのお父さんが凄いスピードでやってきて、『お前があいつらを殺ったのか! 俺の息子を離せ! 粉々にしてやるぞこの悪鬼風情がぁぁ!』って。あの悪鬼にも匹敵する強さだったの」
「それは……」
なんというか、コメントし難いシチュエーションだった。
「大丈夫なの。秋穂さんの仲介もあってちゃんと事情を説明できたし、理解もしてくれたの」
「そうか……なら良かった」
俺はホッと胸を撫で下ろす。如月は気にせず開口して。
「それで今はここで厄介になってるってわけなの」
「なるほど……だいたいは理解できたよ。ありがとう」
「別にいいの」
「あと、最後に一つ聞いていいか?」
「別にいいの」
如月の、変わらぬ声が耳を通る。俺は少し身構え、覚悟を決めるとその問いを口にした。
「3人の葬式は……やったのか?」
如月はハッと息を飲み、その表情に戸惑いの色を見せた。しかしすぐに真剣な顔を作り、凛と答える。
「……まだなの。式はこの後2時から。あなたのお父さんと秋穂さんの2人だけでやる予定みたいだけど、あなたはどうする?」
「……行くよ」
俺は一言、そう答えた。
力強く、あの3人に宣言するように。
「わかったの。まだ動けないだろうから、あなたのお父さんに言って車椅子を借りてくるの」
「……何から何まで悪いな」
俺の言葉に、如月は素っ気なく、それでいてどこか意思を込めた声で返す。
「別にいいの」