1 堂々巡りのイタチごっこ
世界には、生と死がある。
生けるものはやがて死に、死ねるものは土へと還る。
それは当たり前のこと。世界の秩序、この世のルール。
そして人間とは、そんな秩序ある世界に放り出された優れた知恵と煩雑な感情を持つ生き物だ。そしてその知恵は、ときにこの世のルールをも打ち砕く。
地球という惑星は、一種の実験施設なのかもしれない。そんな人間という生物を、この上なく出来損ないな生物を、一つの世界に監禁するとどのようなイレギュラーを生み出すのか、そんなどうでもいいようなことを調べるがための収容所。
現に人間は、時代を重ねるにつれて故人が思いも寄らないような変化を生み出してきた。終いにはロケットに載って地球を飛び出す始末だ。そのことを古代バビロニア文明の人間たちが聞いたらどうなるのだろうかと考えると、少し愉快な気持ちになる。
このように、世界は人間によって変化する。それには科学技術の進歩や産業化、様々な要因が挙げられるだろう。
しかし一つ、忘れてはいけないことがある。
前に挙げた例は、時代の変遷における人類の進歩だが、これはその逆。
人間の優れた知恵ではなく、煩雑な感情の部分。
今からおよそ1万年前、日本にある思想が誕生した。今日アニミズムと呼ばれている、あらゆる自然現象には霊威が宿るという考え方だ。そして2500年前、中国春秋戦国時代にある思想が誕生した。それは海を渡り日本へ、そしてアニミズムとの融合など、独自の変化を遂げ1500年は経った未だなお、人々の生活を支えている。
その名は陰陽道。
中国の陰陽五行思想が変貌し、日本で大成した思想である。
その思想こそが、世界にとってのイレギュラーたり得ることを、彼はまだ知らない。
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俺は廊下を歩いている。
他所の家と比べたらかなり長いであろう木製の廊下。ギシギシと軋む音を響かせながら、外から差し込む朝日を受けながら。
ふと庭に目をやると、そこでは薄桃色に色づいた花を枝いっぱいに敷き詰めた桜の木が華々しく存在感を放っていた。ここ最近は毎朝、そしてこの季節は毎年見ている景色だが、やはりいつ見ても息を飲む姿だ。しかしそんな悠然とした桜の木も、あと2週間もしたら緑生い茂る葉桜になってしまうと思うと、平家物語の冒頭なんかを思い出す。
まあ、沙羅双樹と桜では文字通り根本から違うんだが。
そんなくだらないことを考えながら、俺は更に歩を進める。曲がり角を曲がり、少し進んだあたりで足を止めた。
俺の目の前にある、龍と泉が描かれたいかにも高級そうな襖に手をかけ開くと、その先に広がっていたのは畳一面の床。そしてその上には折り畳み式の長机が1つ立てられており、その周りを4つの人影が囲んでいる。焼き魚の香ばしい香りに鼻腔をくすぐられながら、俺は一言挨拶をする。
「みんな、おはよ」
軽く手を挙げ欠伸混じりにそう言うと、周りの人々も次々口を開く。
「あぁ、おはよう魁人」
「締まらねえツラしてるなぁ、坊主」
「おはようございます、魁人様」
「お、おはようです、魁人君」
精悍な顔つきの青年、無精髭を生やした中年の男、眼鏡が印象的な女性、おどおどした様子の少女。そんな面々の挨拶を受けながら、俺は自分の席へ向かう。長机の一番端に腰を下ろすと、俺の前に座る男と目が合った。
綺麗に整った白髪混じりの頭髪、優しげな雰囲気を醸し出す双眸、顔に細かく刻まれた細かい皺。そこそこの歳だと推測できるが、老いを感じさせない佇まいだ。
「ようやく来たか。もう少し早く起きてきたらどうなんだ?」
男は苦笑いを浮かべ、そう告げる。その声音からは俺に対する呆れと、温かさを感じた。
「そんなこと言ってもさ、俺が朝弱いこと父さんも知ってるだろ? それに、ちゃんと朝食には間に合う様に来てるんだし」
頭を掻きながら答える。すると男は——俺の父親、篠月慎は、苦笑いを崩すことなく、親しげに返してくる。
「まあ家則を破っているわけではないんだが、とはいえお前ももう二十歳だ。少しはしっかりしないとできる彼女もできんぞ」
「余計なお世話だ」
「そうだぞ坊主、漢ってのはいつだって手前の足で立ってなきゃだぜ。例えそれが無茶な大見栄でもな」
父さんの無遠慮な言葉に、無精髭の男こと真島和茂が同調する。
「和茂さん、この家に住まわせて貰ってる貴方がそれを言っても説得力が皆無ですよ?」
和茂さんの言葉に、精悍な顔つきの青年、直江斗真が爽やかな表情で毒づく。
「そうですよ。我々は篠月家、ひいては恵那神社に仕える神職としてこの家に住まわせて頂いているのですから、相応の敬意を払ってください」
斗真の言葉に被せるように、柏木三郷が眼鏡を押し上げ和茂に言い放つ。
「そ、そうですよね、私なんかが住み込みで働かせて頂けるなんて奇跡みたいなことなんだから、もっと頑張らなくちゃ……」
「いやいや、秋穂は十分頑張ってくれてるから、あんまり思いつめないでくれよ?」
俺は、おどおどした様子の少女、美園秋穂の、空回りすることが目に見えている発言を諌める。
彼らが我が家のメンバー。俺の家族たち。一般家庭とは少々異なる事情があるが、全員俺のかけがえのない家族だ。
「まあ、とりあえず魁人はできるだけ早起きを心がけるってことで、そろそろご飯にしようか」
父さんは逸れつつあった話題をまとめ、号令をとる。みんなそれに異論はないようで、父さんの方をジッと見つめている。
「それじゃあ、頂きます」
『頂きます!』
合図とともにみんな一斉に箸を取り、そろぞれ思い思いのおかずへと箸を伸ばしかけた——その時。
警報音が鳴り響いた。
地震が発生した時に携帯からなるような、言い表し難いおどろおどろしさすら感じる音。
俺は咄嗟に箸を止め、発信源に目を向ける。意識せずとも身体に力が入り、鼓動が速くなる。
その音を聞いた他のみんなも、先程までの和やかな様子からは一変、真剣な面持ちだ。
父さんは懐から携帯電話を取り出しその着信に応答する。すると警報音はプツリと消えた。あの音の発信源は、父さんの携帯電話なのだ。
父さんは携帯を使い分けている。一つは私用、もう一つは緊急時のみに使用する仕事用——
「そうか、わかった。お前は至急避難を」
父さんは電話の相手にそれだけ支持すると通話を切り、親しみやすい父から厳格なリーダーへと表情を変える。
「南方500m地点に10を超える悪霊が出現。これより我々は悪霊の討伐に向かう!」
『了解』
父さんの厳しい声に俺たちは口を揃えて答える。各々違った表情を浮かべて。
直江斗真。
真島和茂。
柏木三郷。
美園秋穂。
篠月慎。
そして俺、篠月魁人。
俺たちは一つの家族、そして一つのチーム——
恵那神社所属の陰陽師集団、『白鷺』
課せられた任務はただ一つ。
此の世に蔓延る悪霊を、1体でも多く祓うこと。