君のためならいくらでも時間を作るよ(神村律子さんへのクリスマスプレゼント)
毎年恒例、我が社の忘年会。奥さんにも子供にも相手にされなくなったオヤジどもの陰謀としか思えない。よりによってクリスマスイヴの日にやるなんて信じられない。一年のうちでこれほど苦痛な日は他にない。どんなに用事があるのだと言っても強制参加させられる。
「こんな会社辞めてやる!」
何度そう思ったことか。けれど辞められなかった。なんと言ってもお給料がいいのだ。けれど、今年はそんな忘年会に出なくてもいい方法を思いついた。
朝6時30分。いつものように目覚まし時計のアラームが鳴る。布団の中から右手を伸ばして解除する。いつもならここでベッドから抜け出るのだけれど、今日はもう一度布団の中で丸くなる。ここで寝過したら会社に遅刻する。でも、かまわない。今日は会社を休むのだ。そう!忘年会に出たくなければ、最初から会社に行かなければいいのだ。こんな簡単なことにどうして今まで気が付かなかったんだろう。
“ピンポーン”
「こんな朝っぱらから誰だ?」
玄関でドアスコープから外の様子を窺う。
「ハッ!」
嫌なものを見てしまった。優子だ。なんであの子が居るの?まさか…。まさか、私を迎えに来たの?居留守だ!絶対に出るもんか!無視してベッドに引き返す。すると、ドアノブを回す音が聞こえてきた。
“ガチャッ”
「えっ?どうして?」
なんと優子はドアを開けて部屋に入って来た。
「りったーん、休んじゃ駄目だよ。今日は忘年会なんだからね。一緒に会社行こう」
優子はそう言って私の布団をはぎとった。
「ダメ!昨日から具合が悪いの」
「そうなの?じゃあ、私が介抱してあげるから。それで、良くなったら一緒に会社行こう」
「それじゃあ、あんたが遅刻するよ」
「いいの。忘年会に間に合えば」
「あんた、会社に何しに行ってるの?」
「そりゃあ、お給料を貰うためよ」
「いや、それはわかるけど…。あー、もういい!」
私は仕方なくベッドから出た。この子を相手にしていたら、まともな会話が成り立つわけがない。
「あれっ?りったん、具合は良くなったの?」
「しらばっくれないでよ。どうせオヤジどもに頼まれたんでしょう?」
まあいい。会社に着くまでにどこかでまいてやる。
昼休み…。って言うか、昼。うちの台所で優子が昼食の支度をしている。
「なんでこうなるのかな?」
「だって、忘年会までにりったんを連れて行けばいいのよ。それが今日の使命だもの。だったら、それまでゆっくりした方がお得でしょう?はい!出来たわよ」
優子がトレーに乗せて運んできたのはカップ麺。わざわざ、このために買って来たのだという。
「わざわざ材料を用意してきたと言うから少し期待していたのに、これ?」
「もう!りったんったら。3分経ってふたを開けたら分かるわよ」
3分経った。ふたを開けてみた。特に変わったところはない。普通のカップ麺だ。何かトッピングしたのかと思ったけれど、何もない。
「ほら!カップの中から愛情があふれてきたでしょう?」
「分からんわ!」
結局、その後、近所の食堂で定食を食べた。優子と一緒に居たのでは会社に居るのと変わらない。なので、そのまま会社に行くことにした。
「えーっ!もう、行くの?」
「そうよ。やりかけの仕事もあるし」
「つまんなーい。あっ!映画観ようよ」
優子は駅前の映画館に掲げられた看板を指して言った。○○ウォーズ。私も見たいとは思っていた。けれど、この子と一緒じゃ映画どころではなくなってしまう。
「観ない!」
私はさっさと駅の改札を通過した。ところが、優子は残高不足で引っかかった。
「りったん、ちょっとチャージしてくるから待っててね」
券売機の方へ駆けていく優子。チャンスだ!私は駅のホームを走った。階段を駆け上がり、反対側のホームに回ると発車直前の電車に飛び乗った。電車の窓からそっと向かい側のホームを見る。辺りをキョロキョロ見渡している優子の姿が目に入った。
「ごめんね、優子。私、やっぱりあの忘年会にだけは行きたくないの」
最初は次の駅で降りようと思っていたのだけれど、考え直して、少し遠出をすることにした。念には念だ。そもそも、会社を休むと決めた時点で、家でのんびりなんかしていないで最初からこうすればよかった。そうすれば、優子に捕まることもなかったはず。途中でメールを1本入れた。すぐに返信が返ってきた。そのメールを見て私は恥ずかしくなったけれど、嬉しかった。
電車が上野に到着した。そこから地下鉄と私鉄を乗り継いで目的地に到着した。とうきょうスカイツリー駅。彼は改札口を出たところに居た。
「お疲れ様」
軽く手を振って迎えてくれた。
「急な連絡をしてしまってごめんなさい」
「大丈夫だよ。律子さんに会えるのなら家が燃えていても駆けつけるよ…」
いや、それはダメでしょう!
「まあ、それだけ嬉しいっていう喩だよ。」
そんな喩、聞いたことがない。
「そう言えば、お仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ、仕事なんて家が燃えていることに比べたら、“屁”みたいなもんさ」
そんな“屁”みたいなもので、あなたはどれだけ稼いでいるの?
「そ、そうなんですか?それなら、いいんですけど…」
「とりあえず、ゆっくりできるところに行こうよ。疲れたでしょう?」
えっ?いきなりですか?でも、そういう強引なところは好きだわ。でも、どうしよう…。そこで、あんなことやこんなことを…。もっとかわいい下着をつけてくれば良かった!
彼が連れてきてくれたのはファーストフードのお店だった。
「ここのラテは最高なんだ」
「ラテ?ですか…」
勘違いも甚だしい。普通そうだろう。あんなことやこんなことを想像してしまった自分が恥ずかしい…。
「そうだよ…。ん、どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
確かにラテは美味しかった。体も十分に温まった。
「ちょっとは落ち着いた?」
「はい」
「じゃあ、メインに行こう!何とか予約が取れたから」
予約…。そうよね。こういう時期だから必要よね。
店を出るとその建物は目の前にあった。『リッチモンドホテル』彼がその建物を見上げながら微笑んだ。
「ラッキーだったよ。ちょうどキャンセルが出たらしくて」
彼は私の手を取って歩き出した。
「いよいよなのね…」
私は少しずつ心の準備をした。けれど、彼はその建物の前を通り過ぎた。あれっ?ここじゃないの…。そして、そのままスカイツリーのエレベーター乗り場へ。
東京スカイツリー展望デッキ内の『スカイレストラン634』。窓からは東京の夜景を一望できる。これはこれで感動した。けれど、何かもやもやした気持ちがくすぶっている。私のメールに彼はこんな返事をよこしたのに…。
『今日、時間ありますか?どうしてもこっちに居たくないので、そちらに向かっているところです』
『訳ありみたいだね。律子さんのためならいくらでも時間を作るよ。せっかくだから今日は帰さないからね。その覚悟があるのなら、おいで。津子さんのためにあんなことやこんなことをして楽しませてあげるから』
食事を終えた後、展望ラウンジから東京の夜景を眺めていた。彼の手がそっと私の肩に。
「そろそろホテルまで送るよ」
来た!私、ここへ来る電車の中で既に覚悟は決めているの。断る理由はない。
「はい」
ホテルは先ほどの『リッチモンドホテル』だった。彼がここを見上げて微笑んだのはそういうことだったに違いない。
「メリークリスマス!おやすみなさい」
「えっ?」
「鉄人は?」
「ボクは帰るけど」
「そ、そうですよね…」