逃げるための努力-2
第1話、Bパートです。
草々が壁に絡みつく、自然の中の小さな神殿。
外に出れば、大自然が僕らを包み込んでくれると言うのに。
そんな、自然に囲まれた小さな場所で、僕は地獄に遭遇した。
今、その神殿の一部分は、まるで氷河期が来たかのように凍りついていた。
何かの演出か、いや……これは一人のプレイヤーがやったのだ。
神殿フィールドと同時に、僕らを地獄に陥れた謎のモンスターも凍って身動きを封じられている。
そして、全てを氷の世界に誘った本人――浴衣姿の少女が、謎のモンスターの正面に立つ。
僕は、安心しているのか。
素直に助けが来てくれたことに。
それとも、僕だけがまだ無事であることに。
それを、安心するということが、どれだけ簡単で……喜ばしくて。
どれだけ、愚かなことなのか。
今の僕に、それを考える余裕などない。
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スオォォォォォォ……。
凍りついた死神が、息吹を吐きながら僕と少女を見つめていた。
目などない、あるのは腕と鎌だけだ。だが感じられる圧倒的な威圧感。
だが、それ以上に目の前にいる少女の方が、威圧的に感じられた。
「ナチュリアに潜んでいるとは、ゴレムの情報は本当だったってわけか……あ~ぁ」
凍りついている死神を目にやると、少女は一つため息をついた。
そして握っている二つの銃をクルクル回し、周りを探る。
周りには壁しかない、逃げているうちに最初の方の大広間に出てしまったのだ。
あと2~3の広間を越えれば出口、そこで街に戻るワープを出現させれば生き延びることが出来る。
でも、どうしてだろうか。
これは"ゲーム"だ。モンスターに殺されようと最初の街に戻るだけなのに。
だけど、何かが"おかしい"。
まるでその死神に殺されると、本当に死んでしまうような。
バカみたいな話なのだが、その死神が放つ独特な感覚が、その恐怖を増大させる。
これはゲームじゃない、そう言っているような。
スオォォォォォォ……。
死神がまた息吹を吐くと、空間を破り姿を消した。
これは、ひょっとしてまたどこかに姿を表し一瞬で……やばい!
僕が頭を抱え込んで地ベタに身をひそめる、瞬間。
パキン!
突如何かが割れたような音がし、音の方向を見る。
すると、そこには巨大な氷のオブジェクトが割れており、それを手がかりに氷の少女が目の前で銃を乱射していた。
銃弾は間違いなく死神の体力を削っており、先ほどまで圧倒的だったのが一転、その少女はまさにモンスターと戦っていた。
それは間違いなく戦いになっている。僕らとはまるで違う。
その後も少女は死神の鎌の圏内に入らないよう、間近で銃を撃ち、完全に押していた。
「何者……なんだ……」
気が付けば僕は観戦者になっていた。
一つの勝負事を見ているだけ、そこに参加などしていない。
全くなかった余裕が戻ってくるようにも思えた。だが……その余裕はすぐに無くなる。
スオォォォォォォォ……。
また死神が空間から姿を消した。
と思った、次の瞬間。
「っ!右によけろ!!」
少女は間違いなく僕に言っていた。
だがいきなりすぎて反応できない、後ろを見ると目の前に消えた死神がいた。
「な……!?」
やられる……っ!
あまりの速さ、素直にやられることを覚悟してしまうほどに。
だが、すんでのところで少女が出した氷の盾に阻まれ、攻撃を受けたものの一撃死は免れる。
が、やられた反動と衝撃はすさまじく、思いっきり吹き飛ばされる。
「うわ!」
そして吹き飛ばされるだけじゃない、攻撃を受けたその刹那、不思議な感覚が僕を襲った。
声にならない声が僕の脳内に響き渡り、それが吐き気に繋がる。
ドリームゲートの信号に接続しネットワークに意識を繋げているその中で、今座っているはずの机の上に嘔吐してしまいそうになる。
「う……なんだ、これ……」
例えるなら"脳内ドラッグ"、体力が残ってこれだ。
もし、今の一撃で死んでいたら……。
「はぁ……あ……あうぁ!」
なんとか意識を保つ、命だけは助かった。その結果を改めて認識する。
死神は、どこへ行ってしまったのか。周りを見渡してもいない。
まさか、また空間を突き破って僕らを襲いに……僕が必死に身構える。
「し……死神は!?」
辺りを必死に見渡す。出てきても多分反応できないだろうけど。
と、必死になっている僕を見兼ね、氷の少女が僕の傍へやってきて言った。
「逃げたけど、あなたのせいで……」
なぁーーにーー!?
逃げたの?あの死神が……?
確かに、さきほどまであった殺伐とした感覚が一気に抜け落ちていた。
重苦しい空気が無くなり、ナチュリア独特の自然の空気が僕を癒す。
「た、助かったの?」
死神が逃げた、ということは助かったということだ。
僕がそう聞くと、少女はこくりとうなずいた。
そして、こんなところに長居はしていられないと、とりあえず街に繋がるゲートまで送って行ってもらうことに。
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ナチュリアクエスト発注所。
街について、とりあえずひと安心。
だけど落ち着いてばかりはいられない、少女はまだ近くにいる。
色々聞かないと、何が、どうなっているのかを。
「ね、ねぇ!さっきのはなに!?いったいどうなってんの!?あの死神はなんなんだよ!?」
「出会って早々いちいちの質問が多いなぁ……」
少女は半分めんどくさそうな顔をして答えた。
確かに出会いがしら質問攻めはよくない、けど……始めたばかりの僕には情報が少ない。
「えっと、ごめん。まずは自己紹介から……かな」
そういって、僕は自分の名前――ゲーム内の"ハイド"を名乗る。
「私は"アイス"。とりあえずよろしく」
少女の名前はアイスというらしい。
先ほどの氷主体の攻撃、雪女を連想させる格好に似合う名前だ。
「よ、よろしく。それでアイスさん、さっきのはいったいなんなん……ですか?」
「……君、初心者?初めてどれくらい?」
「さ、さっき始めたばかり……です」
「うっわめんどくせー」
僕の経歴を話すとすぐさま、文句のように言い垂らすアイス。
確かにまぁ僕はただの被害者で、めんどくさいだろうけども……。
「確かに初心者じゃ、"心怪"の情報なんて知る由もないか……」
少女が出した"心怪"という単語。
それが、さっきの死神のことなのだろうか。
僕はこのゲームを始める時、急なことだったからとりせつも読まずにいきなり初めてしまった。
操作方法とかは途中途中で聞けばいいと思っていたし、一段落ついたら固有の単語を覚えようと思っていた。
「心怪って、さっきの死神の事?」
「そう、通称:狂乱の死神。まぁ本当はバグ文字で数字とか変な単語が羅列してんだけど……」
狂乱の死神。
バグ文字ってことは、やっぱりバグなのだろうか。
「心怪……か。でもバグモンスターだからって、なんかこう……めちゃくちゃ危ないっていうか」
そう、あれはただのバグモンスターじゃなかった。
攻撃するたびに、何かある度に脳内に響く嫌な音。
いや、あれは何かの言葉だった。声……と言った方が正しいのか。
そして、そのうちの一つにあったヒロナリの本性とも言うべき言葉の数々。
演出だと思いたいが、本人の声であんなことを言われしまえば演出としては出来すぎている。
そもそも、どうしてあんなものが僕の頭の中に。と、色々考えている最中、今度はアイスが僕に質問調で話しかけてきた。
「……色々考えているところ悪いんだけど、さっきあの場所、あなた一人でいたの?」
「いや、友達と3人で。2人は"さっきのモンスターにやられた"」
その死神にやられた。
この言葉を聞いた瞬間、急にアイスは黙りこんでしまった。なにかおかしいことを言っただろうか。
と、次にアイスは忠告じみた口調で僕に言った。
「……その友達に、ドリームゲートで一回連絡とってみたら?」
「え?どういう意味……」
いいから、と。僕はアイスに言われるがままに一度スリープをかけログアウト。
そしてすぐさま、ドリームゲートの通話機能をタッチし、ヒロナリに電話をかける。
プルルルル!プルルルル!
……。
何度かけても繋がらない。
ヒロナリが死神にやられてから10分も経っていない。
なのにどうして電話に出られないのだろうか、次第に僕の顔色から不安が滲み出始めた。
ひょっとしたら、何かあったのではないかと。僕はすぐさま心世界オンラインの方に戻り、アイスに状況を伝える。
「……友達と、連絡が取れない」
そう話すと、アイスは急に悩みを顔に浮かべた。
何かを言おうとしているのだが、躊躇しているようにも思えた。
ひょっとしたら、何かを知っているかもしれない。僕はそれを言うように急かす。
「おねがい、何か知っているなら言って……」
「……心世界オンラインには、とある噂があるの」
そう言って、アイスは重苦しく口を開き始めた。
「心世界オンラインで最初に異常が見られたのは、2年前のサービス開始直後、ver1にて」
「異常……?」
「今でこそそれは最初の心怪と呼ばれている。そのモンスターと戦ったプレイヤーは何かしらの吐き気、頭痛を催し病院に運ばれたという」
吐き気、頭痛。
それは間違いない、さっき僕が死神に攻撃を受けた時に感じたものと同じだ。
続けて、アイスは語りを続けた。
「そして1年前、謎の心怪が出現し、心世界オンラインの最初にして、最悪の事件が起きた」
「最悪の……事件?」
「その心怪にやられたプレイヤーは、意識を失い病院に搬送された」
…………。
僕は、その話を聞いて、突如身体が硬直した。
話を聞いた瞬間に、様々な憶測が僕の頭の中をよぎった。
まさか、まさか……。ヒロナリとアイは。先ほどの死神によって。
「………嘘、だろ?」
「そして今もなお、心怪の目撃情報は相次いでいる。私はその心怪を倒すのを目的としている」
そんな。
これはゲームのはずだ。ゲームはみんなで楽しむものだ。
なのに、特定のモンスターにやられたら、意識を失うだって。
そんなふざけた話、あってたまるものか。
僕の中から、急激に不安と恐怖があふれ出る。
だって考えても見ろ、僕は今、そんな恐怖の場所の一片に立っているんだ。
他の人たちだって、どうしてこんな危ないところで平気にゲームなんてやってるんだ。
僕は頭がおかしくなりそうだった。そんな僕を見兼ね、アイスは語りかけてくる。
「……少しおちついたら?」
「こ、これで落ち着けっていうの!?無理だよ!!」
そうだ。僕自身は運よく助かったからいいとしても、僕は立派な被害者だ。
「ちょっと待ってよ、国はなにやってるの……こんな大それたことニュースとかでやってなかったよ!?」
「だから、それが問題なの」
アイスは僕の戸惑いを見て、冷静にものを返す。
「あくまでこの話は掲示板や噂でしか流れていない。今のverX3には古参プレイヤーも多いけど、被害に会ったのはごく一部の人間だけ」
「そ、そんな……」
「確かに1年前、その心怪はとあるプレイヤーに倒され意識不明者も徐々に回復したらしい。けど、まだ目覚めていない者もいる」
冷静に、怒りも何もない。
ただそれが普通のことのように、アイスは説明調で言ってくる。
「も、元に戻す方法は……ないの?」
「う~ん、仮説じゃあその心怪を倒せば元に戻るらしいけど」
「実際に、元に戻った例は?」
「私の身内には心怪による被害者は出てないし、これまで4~5体ほど心怪倒したけど元に戻ったかは定かじゃない。正直ガセ濃厚」
あ、あんなとんでもないやつを倒すのが前提で、その上可能性の話でしかないなんて。
そんなの、遠すぎるって話じゃない。一部の人間にしかできないことじゃないか。
大体あんなのに、ダメージ一つ負わせられなかった僕が、ヒロナリのかたき討ちをしろっていうのか。
そもそもダメージは通るのか、いやでもアイスの攻撃は間違いなく通ってたし。
……いや、よく考えろ僕。
ヒロナリは、僕がそこまでして助けるべき人間なのか。
友達なのか、もし……あの時僕の心の中に流れたあれが、ヒロナリの本性だとしたら。
今、僕はここにいる。
意識を失っていない、助かったのは僕だけ。
そしてやられたのはヒロナリともう一人、僕を利用しようとしてあそこの地に訪れた……バカだけ。
だったらそんなの……自業自得じゃないか。
僕は……悪くない。
「んで何?かたき討ちをしたいから手伝ってほしいとか?確かに私はあれ倒すのが今の目標だけど、あなたが隣にいてもなぁ……」
「……うん、そうだね。僕は素直に引き下がるよ」
僕は命惜しさに、ただ当たり前のようにそう言った。
アイスは無関係だ。あれを倒すのを目的としているようだけど僕とは関係ない。
だから、黙っていればアイスがきっと。
「……いいの?友達がやられたんでしょ?」
「で、でもほら!僕は初心者だし、力ないし。付いて行っても迷惑かなって」
「………」
「し、仕方なかったんだよきっと。しょうがないことだよ。あんなの身近で見て、それでなおあれに挑めって方が難しいでしょ?」
「………」
「さ、最低だとは思うよ!けどこんな危ないゲームはもうやりたくないし、それに……僕さ、その友達にちょっとひどいこと」
「……クソガキが、黙れよ」
言い訳がましい僕の言葉を、アイスの重い一言がせき止める。
あまりの威圧感に、僕は後ずさりし言葉を失った。
「あ……あ……」
「初心者……力がない……仕方がなかった……それを当たり前だとして、ただ理由づけて逃げてるだけでしょ?」
「だ、だって……」
「私は別にかまわなかったよ、あなたが付いてこようがパーティ組もうが、あなたがその意思さえあれば一緒にあれを倒しても」
「い、いやでも……」
「……笑ってんじゃねぇよ、今のあなた……気持ち悪いくらいにやけてるよ」
……笑ってる?
僕の、どこが。笑う暇なんてないよ。
だって、だってさ。
「……聞こえたんだよ」
「なにが?」
「あの心怪に友達がやられる刹那、その友達の本心が。正直最低そのものだったよ。僕を利用するとか、怖がっているとかさ」
「……じゃああんたも同じだよね?そいつを見捨てようとしてるんだから」
「おな……じ……じゃない!!だってもし、もし助けられたとして何も変わらなかったら、あんなやつ……助ける価値があるのk」
「だから……そうやって"理由"作って逃げてるだけじゃん」
アイスの口調が徐々に尖っていく、僕の深層意識に針を刺すように迫っていく。
すると、突如アイスが話題を変え始めた。だが怒りは消えそうにない。
「……ニュースでやってた。いじめで死んだ子の……知ってる?」
「し……知ってるけど」
「どう思った?」
「正直……ひどいかなって」
「そうでしょうね。遊び半分で人を傷つけて、死に至った時には必死に"逃げるための努力"をして……」
逃げるための努力。
まさに、今の僕と同じだ。
「そうやって、『そんなつもりはなかった』『仕方がない』『だから悪くない』って。逃げるための理由なんていくらでも作れるのよ」
「……僕は、それと同じだとでも言うつもり……なの?」
僕は聞く。
だがアイスは答えず、淡々とただ、怒りがこもる重い口調で語り続ける。
「――あなただけじゃない、"みんな同じ"よ。楽な方に、簡単な方に努力をする。力がないと言って、力をつける努力をしない」
「――力がないから助けられない。だから自分は関係ないって、他人の不幸をただ見るだけ」
「――そして、それを見て快感を覚える自分。他人の不幸を啜って、自分はそうされないようにまた努力をする」
「――他人の不幸を笑った自分が今度笑われた時、助けを求める勇気もなく、立ち向かう勇気もなく」
「――死ぬという、"逃げるために努力"をする」
「違う……僕は……」
違う、と……僕は言葉を呟くが、はっきりと言い返すことが出来なかった。
人の不幸を笑ったことなんてない。むしろ不幸なのは僕だ。
両親を失い、右足と片目を失い、不幸がどれだけ辛いか僕が一番よく知ってる。
でも、待てよ。
いや、違う。そんなの違う。
僕と同じような環境のやつを見て、あの時の僕は笑ってた?
両足がない人を見て、僕よりひどい奴がいるって知った時、安心した?
違う、違う違う違う!!
「……もういいよ、怖いならこんなゲームやめれば?私は引き止めたりしないし」
「違う……違うんだよ……」
「怖い目にあった。だからやめる。友達なら待っていれば目を覚ますんだから――」
「――こそこそ隠れて、見てれば?」
「……う……うあ……ああぁぁああぁぁああぁ!!」
何も言い返せぬまま、アイスは僕の目の前から消えて言った。
最後に見せた、軽蔑と失望の眼差しを僕はしばし忘れることが出来なかった。
どうすればいいかわからなくなった。素直に逃げればいいのか、今なら逃げれる。だから逃げてひたすら隠れるのか。
いや、違う。さっき僕は自分の業を否定したんだ。
だったら、やらないと。けど……なにも考えられない。
なにも、考えられない……。
なにも信じられず、方法もなく、努力することすらできなくて。
「―――僕は」
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誰かが傷つき、僕は笑った。
笑ったつもりはなかった。けど……心の中では笑っていた。
今度は笑わないようにしよう、けど……できなかった。
他人が傷ついているのを見ると安心してしまう、仕方がないとか言って、逃げ道を作るのは簡単だ。
でも、それも許せないって思った。逃げてはいけないんだ。
自分の愚かしさからも、それを許してしまう心の弱さも。
そういう自分が一度でも、それらを"許せない"と感じたのなら。
その時の僕は―――"逃げないための努力"をするのだろう。