5話
『世界』のどこか 15:15
鎧武者を追っていたジェラルドは今現在追跡対象を見失っている真っ最中だった。彼は力を使って様々な場所を見ていたが、それでも鎧武者が見つかる事は無かった。ジェラルドはある程度予想していたらしく、そこまで落ち込んでは居なかったがそれでも溜息をついて肩を落とす。
彼の居る場所はどこかの薄暗い空き地だ。周囲には誰も居ない、ジェラルドは少し太陽に目をやった。この『世界』には惑星など存在しない。あれもまたエィスト辺りが作ったのだろうなと彼はなんとなく考えていた。
「この太陽がエィストによるものだとすれば……月もまたそうなんだろうな……という事は私はエィストを拝んでいるのか? ……笑えん話だ」
そこまで考えて、彼は首を何度か勢い良く振った。あまりにも笑えない話に彼自身が暗い気分になっていたのだ、見つかる物も見つからないだろうと彼は自分を奮い立たせ、再び鎧武者を捜索し始めた。
が、そんなジェラルドは空き地から出る寸前に足を止めた。完全な静止だ。そして、彼は振り向いて空き地を見つめた。そこには何も無い、だが彼にはやはり見えていた。見慣れているのだから、当たり前だ。
誰も居ないはずの空き地に現れたのはジェラルドの予想した通りの存在だった。それが現れた瞬間、辺りは深い霧で包まれ、ジェラルドは面倒臭そうな顔をして、いつも通りの登場の仕方に呆れかえる。
「ようジェラルド、いやあ、お前さんも頑張るね。でもよ、ちょっとばっかし他の事も気にするべきじゃないか?」
ジェラルドの想像通り現れた『夢』はいつも通りの態度で話していた。あまりにも普段通りすぎて嘘臭さすら感じていたジェラルドは彼の言葉を素直に聞かなかった。だがそんな態度を見た『夢』は言い返すでもなく、呆れるように肩をすくめるような動きを見せている。
よくよく見ると、いつも通りのようでいて何か重要な事を教えようとしているようにも見える態度だ。どうにもその態度に疑問を持ったジェラルドはとりあえず周囲の事を見た。そして、自分を男女が追っている事に気づいたのか『夢』の方へと目を運んだ。
「……あー、わかったよ。わかったさ、教えてくれてありがとう。お前が何を言いたいのかは理解できた。で、他には何が言いたい?」
口調こそいかにも嫌そうだったが、その中にはきちんとした礼の気持ちが込められていた。その点では彼は信じられる男だと知っている『夢』はその気持ちを受け取った。そして、飛びきり邪悪な笑みを浮かべていた。
とはいえ霧で隠されていた彼の顔を知る事はできない。だが、ジェラルドは感じていた。彼から感じる、どこか興奮するような嫌な気配を。そのような気配を感じた為かジェラルドの顔は先ほどまでより一層嫌そうな物になっている。そんな彼の反応を知りつつも『夢』は口を開いて、言葉を発する直前でジェラルドに止められていた。
「待て、これ以上お前の事を軽蔑したくない。喋るな」
その拒絶の言葉を聞いた『夢』は大人しく口を閉じた。が、言いたそうな雰囲気は放ったままだ。ジェラルドはそんな雰囲気を完全に無視した。そして、二人は沈黙する。が、それはしばらくすると破られた。
ジェラルドはしばらくの間自分を追ってくる男女の事を考えていたが、そんな彼の思考を無視して『夢』は彼に話しかけていた。
「なあおい、お前あの女をどうするつもりよ?」
「……死なせるわけが無いだろう。まあ別に死ななかったが、一応命の恩人だぞ? みすみす死なれてたまるか」
「お前の命の恩人になるとはあいつも運が無かったんだろうなあ」
とびきり人の悪い雰囲気で『夢』が笑っていた。そんな態度に内心ジェラルドは面倒な奴に見つかったと溜息をついていたが、『夢』はそんな事は構わず話かけてくる。まるでジェラルドで遊んでいるようだ。
「ああいう手合いはただ助けるだけじゃ駄目なんだぞ? 思い留まらせるか、一思いに逝かせてやるかの二択だ」
その言葉に思わずジェラルドは蝙蝠を一匹弾丸のように『夢』に向かって撃ち込んで居た、だが、弾丸の如き蝙蝠は『夢』に触れた瞬間鳩に変わり、少し辺りを飛んだかと思うと次の瞬間には消えていた。
だがそうなる事はジェラルドにも予想ができていた事だった。その一発で怒りを押さえ込んだのか、ジェラルドは壁に寄りかかって大げさなほど溜息をついた。だがその目には強い意志の光がある。
「それでも、だ。本当にまずいとなったら全部無視して助ける。確定事項だ覚えとけ」
苛立ちを込めた声で叩きつけられた内容に『夢』は面白がるように笑った。明らかにジェラルドを怒らせる為の笑い声だ。だが、それは彼の神経を逆撫でする事は無かった。どうやらそう笑う事を読んでいたらしく、面倒そうな顔で『夢』を見つめている。
が、唐突にジェラルドは『夢』から視線を外して外を見た。どこか遠くを見ているような目だ、それに気づいた『夢』もまた遠くをみる目となった。二人は視線の彼方に見える駿我と奇矯という名の男女がこちらへともうすぐ現れる事を悟った。
ジェラルドは面倒そうな表情を引っ込ませ、機嫌の良さそうな表情を出してきた。そんな様子に『夢』は笑うでもなく二人の男女の姿を目に焼き付けると少しずつ消えていった。いつもと同じ消え方だ。ジェラルドもいつも通りその存在が何者であるのか理解できていない。
しかしいつも通りとは少し違った。『夢』は消える寸前に先ほど見せた飛びきり邪悪な笑みを浮かべて言ったのだ。よほど言いたかったのだなとジェラルドは考え、軽蔑する事も視野に入れてその言葉を聞いた、そして、その瞬間『夢』を吹き飛ばす勢いで攻撃していた。『夢』は言ったのだ。
「奇矯って女がくたばったらその顔を見るのが楽しみだ」と。攻撃した後にジェラルドは『夢』が少しばかり自分の願望を大げさに言ったような気がして、ほんの少し彼を本気で嫌悪した事を後悔したが、軽蔑はしたままだった。
そして、彼はその表情を崩して目の前の男女二人へと挨拶をする。絶対に死なせるかという、決意を込めて。
駿我と奇矯は鎧武者を追う『怪物』を追って凄まじい速度で走っていた。最初は奇矯の焦るような素早い動きに少しだけ戸惑った駿我だったが、それでも当たり前のように付いていっていた。彼は鎧武者の事以上に奇矯が気になっていた。彼女の動きには焦り以上に怒りがあるのだ。
なぜそこまで怒っているのかと考えていたが、まったく答えはでない。恐らくは奇矯の悩みから来る物なのだろうなと思ってはいたが、結論には至れて居なかった。ニルならばともかく、やはり仲良くなって間もない駿我では彼女の精神性を全て把握する事が出来ていなかったのだ。
そう考えている内にも奇矯は素早い動きで道を走っていく、途中で何人かの『怪物』やそれ以外の生き物と接触しそうになっていたが、絶妙な動きでそれを避け、時間の遅れを防いでいた。駿我は思わず感嘆の息を吐いた。彼はそのような丁寧な動きはあまり得意ではない。やろうと思えば出来るのだろうが、やろうとしなかった。
ならばと彼は人を避ける事無く壁の方へ向かい、壁を走り出した。まるで壁が地面であると主張するような、落ちる雰囲気の全く無い自然な動きで走っているのだ。奇矯は怒りを抑えきれずとも駿我を気にする程度には抑えていたのか、置いてきてはいないかと背後を見て彼が居ないことに気づき、その次の瞬間には壁を走る彼を見つけた。
奇矯もまた駿我の行動に対して思わず感嘆の息を吐いていた。彼女は駿我とは違い、そのような力ずくの行動が苦手なのだ、勿論、駿我と同じでやろうと思えば出来ないことは無いのだが。そんな奇矯の視線を理解した駿我は視線を返していた、曰く、「早く行こう」と。それを受け取った奇矯はまた速度を上げた。
それでも接触はする事無く、先ほどと同じように器用に避けていく。駿我もまた速度を上げて彼女について行った。やはり、落ちる様子は無かった。
しばらく二人はその状態で走り続けていたが、やがて人通りが少なく薄暗い道に出た所で駿我は人通りの少ない場所でなら避ける必要も無い為に壁から地面へと走る場所を移していた。
地面でも彼の走る速度は変わらない、奇矯もまた彼とまったく同じ速度で走っていた。長い間走って風に当たった為か、それとも別の何かがあったのか彼女の怒りはかなり沈静していた。駿我は疲れていないだろうかと僅かに目を駿我へやったが、彼は疲れるどころか楽しそうに走っていた。
何がそう楽しそうなのかと彼女は疑問だったが、そんな視線に気づいた駿我は足を止めずに疑問符を頭に浮かべて見せた。彼女がこちらを見る理由が分からなかったようだ。奇矯は思わず疑問を投げかけていた。
「どうしました? 凄く楽しそうですよ?」
「ん? ああ、拙者な、こうやって誰かと一緒に走るのはニル以外とでは初めてでござるよ、だから、なんというか、いいものでござるなぁーとか」
「……楽しいと思っていただけたならば私も嬉しいです。あの、疲れていたりしませんか?」
「いや拙者は大丈夫でござるよ? まあ多分拙者が疲れ果てて倒れる時は奇矯さんも同じタイミングで倒れると思うでござるが」
走りながらの会話だったが、二人の声は走っている揺れや息づかいを感じさせないほど自然な物だ。まだまだ余裕があるのか、二人は笑いあってすらいた。だが駿我は内心で何故奇矯はこんなにも落ち着いているのかと考えていた。
先ほどまでは怒りと焦りを込めて走っていたのが今では自分と話したりする余裕があるほど落ち着いているのだ。なぜそうなったのかを彼は話をしながらも考えていた。
奇矯がこんなにも落ち着いている理由は簡単だった。風に当たっていたのも理由の一つだが、最大の理由は気配の先にいる『怪物』が動きを止めていたからだ。戦っている雰囲気も無い事からどうやら『怪物』も鎧武者を逃がしてしまったようだと奇矯は判断していた。
走りながらも内心諦めていた奇矯は落ち着き払っていた。それに気づかず付いて走る駿我には申し訳ない気持ちを覚えていたが、駿我本人は実に喜んでいるので鎧武者がその先に居ないであろう事は黙っていた。そして、諦めつつも『怪物』を追う理由が彼女にはあった。
あの吸血鬼のような『怪物』は彼女の最大の後悔そのものだった、『あの』鎧武者の被害者にしてしまったのだ。また、それは彼女が自分の心を追い詰めている理由の一つでもあった。
だが奇矯は駿我にはそんなそぶりはまったく見せない。あくまで明るい調子で振舞っていた。だが、駿我にはなんとなく奇矯が内心では暗い雰囲気を漂わせている事を勘付いていた。だが、あえて何も言わなかった。
そしてそんな二人が変わらない速さでどんどんと走っていったその時、凄まじい霧が彼らを包んだ。彼らは知らなかったが、それは『夢』が放つ霧だ。だが、それは一瞬にして消え去り、後には嫌そうな顔をする吸血鬼の姿をした『怪物』が居た。
「やあ、私の名前はジェラルド。まあ、いわゆる、吸血鬼マニアだよ。よろしく頼む」
だが、数瞬の後にはその『怪物』は自分が見せられる精一杯と言いたげな笑顔と、何かの決意を込めた雰囲気で彼らに対して名乗り、挨拶の言葉を言って一礼した。その礼はまさに完璧な挙動で行われた物ではあったが、どことなく演技臭さを感じさせる。
そんな『怪物』、いやジェラルドを奇矯は緊張した面持ちで見つめていた。その姿は自分の罪を突きつけられた者のようだったが、それを理解していた駿我とジェラルドは首を傾げた。駿我にとってはジェラルドは見知らぬ『怪物』で、ジェラルドにとってはなぜ命の恩人が自分に対してそんなに辛そうな顔をするのかが分からなかったのだ。
しかし数秒するとジェラルドはエィストから聞いた話を元に奇矯の緊張した面持ちの理由を察し、いつも通りのそれとは程遠い雰囲気を放って彼女の目を見つめた。
奇矯は緊張していた。目の前の『怪物』の態度がもしも怒りや無関心だったなら、彼女は緊張はしなかっただろう。だが、彼の目にはむしろ尊敬の念すら見えた。どのような事を言われても、自身の決意が揺らがないようにと彼女は身構えていた。だが、『怪物』の言葉によってその決意は吹き飛ばされていた。
「助けてもらって礼も無しは私の主義に反するのでね、ありがとう。君は素晴らしい人だ、そんな風に自分を責めるのはやめなさい」
「わ、私は、私は別にあなたを助けようとしたわけではなくて……あの鎧武者が許せなかっただけで……」
「例えそうだとしても、君が生きるべき素晴らしい人だという事には変わらないさ。いや本当にね、助けてもらった時は感動したものだよ。君のような人がいるならまだまだ『世界』はおかしくないのだろうさ」
尊敬の念と感謝以外の感情を内心で封殺し、奇矯には気づかれないようにジェラルドは言うべき言葉だけを告げていた。嘘ではなく本心だ。なのでそこに隠された事には気づかれること無く、言葉はそのままの意味で奇矯へと伝わった。
駿我は奇矯の隣でジェラルドの言葉を聞き、首を傾げた。奇矯が彼を鎧武者から助けたという事は駿我にもわかったが、奇矯の表情はよくわからない。彼女は緊張と苦しみが混ざり合ったような顔をしている。礼を言われたにも関わらず、だ。
そんな疑問はジェラルドの所まで届いたのか、彼は駿我の方をチラリと見た。視線には何かを伝えるような色がある。なんとなくだが、駿我にはそれが何かを頼み込むような、何かを託すような、そんな内容を感じていた。
駿我が考え込むような表情をしている時、奇矯は内心では苦しげにしていた。目の前の『怪物』は何と言ったのか、自分に生きているべきと言ったのかと考え、吐き気がこみ上げてくるような感覚を覚えていたのだ。
彼女は死ぬつもりだ、その意思は変わらない。だが、目の前の『怪物』に『生きるべき人』だと言われてしまったのだ。自分の意思が全て砕かれてしまうような錯覚だった。だが、ジェラルドの礼は素直に受け取った。この辺は彼女の生来の性格だ。たとえ自分の中でどれほど衝撃的で辛い言葉でも、礼として言われたのだ。受け取らないのは失礼だと彼女は考えていた。
奇矯が礼の言葉を受け取った事を感じたジェラルドは満足げに微笑んでいた。だが、それだけでは駄目だとも考えていた。このくらいで何かが変わるならば、彼女も自分をここまで追い詰めることは無かっただろう。それならばニルが既に止めさせている筈なのだ。
「まあ、そんなわけだがね……あー、その、私と友人になってくれないかな?」
どこか照れくさそうに告げられた言葉に、奇矯は目を丸くして、駿我は思わず何か裏があるのではないかと探りだした。だが、ジェラルドの言葉にはただただ純粋な好意が見え、裏がまったく感じられない。
駿我の疑いの眼が消えた事を確認したジェラルドは少しだけ調子を上げた。彼も好意を抱いている相手と友人になりたいなどと言う事に緊張していたのだ。自然と普段よりも声が早口になっていた。
「いやそのだな、君のあの扇の技は凄かった。見とれてしまったよ。だからな、まあ、また見せてもらいたいわけだしな。うん、私としても君とはお近づきになりた……いやこれはおかしいかまるで告白だ、今のは無かった事にしてくれ。総括すると、君と友達になりたい、いや心から許しあえる親友でなくてもいいんだ。普通の友達に、な」
多少怪しげな発言もあったが、ジェラルドは自身の気持ちを伝えきる事ができていた。特に裏があるわけではない、紛れもない本心だ。そんな彼の発言を聞いた奇矯は目を丸くしたまま、固まっていた。話の内容から何を言うのかはなんとなく予想できていたが、これほど必死に心を込めて「友達になりたい」と言われるのは初めてなのだ。彼女は戸惑っていた。
だが、それでも何か言葉を返さないといけないと思ったのか奇矯はその時思った事を口にしていた。
「ええと……友達になるのは……その……」
「ああ、いいんだいいんだ。気にしないでくれ。断られたくらいで怒ったりはしないよ、うん。そうさ、私は落ち込んでなどいない」
話す内容では暗い雰囲気を感じさせず、表情も笑顔だったが、雰囲気は明らかに落ち込んでいて口調にも元気は無かった。奇矯は慌てた、そう言いたかったわけではないのだから。
「いえ、そういうわけではないんです。友達になるのは大歓迎ですよ。ですが……私は……」
「私は?」
奇矯はどこか言いよどんでいたがジェラルドの言葉で我に返るように咳払いをし、微笑んでいた。どこかごまかす様な色がある事をジェラルドと駿我は見抜いていたが、奇矯は気づいていなかった。
「なんでもないです。それで、友達になります?」
その言葉を聞いたジェラルドは思わず奇矯の手を取っていた。だが一瞬で我に返ると謝罪を入れて手を離そうとしたが、その前に奇矯がその手を握り締めていた。
ジェラルドは少し焦ったが、それが彼女の友達になろうという感情から来る行動だと気づいた彼は握られている手をきちんと握り返し、互いに顔を見合わせた。
「では、これからよろしくお願いします……いつまでかはわかりませんが」
「よろしくお願いする。長い付き合いになるといいな」
そうやって挨拶する二人の横で、会話についていけなかった駿我は退屈そうに二人を眺めていた。そもそも目の前の『怪物』を先ほど名乗った名前以外まったくは知らない彼はその存在がどういう物なのかを見抜く事に務めていた。
ジェラルドからは嘘や偽りは無い。邪な感情があるのかと探っていたが、それも見られない。だが、どうにも彼はジェラルドを疑っていた。何かがあると彼の勘が告げているのだ。
それが何なのかは彼には分かってはいなかったが、恐らくは奇矯に関わる事なのだろうなとだけ漠然と感じていた。
そんな彼の様子に気づいた奇矯は慌てて駿我の手を取って引き寄せた。駿我がジェラルドを知らないようにジェラルドも駿我を知らないのだ。駿我もまた自己紹介のタイミングを見計らっていた為に都合が良かったのか、ジェラルドに挨拶をして名乗る。
「拙者は駿我でござる、ジェラルド殿は奇矯さんに命を救われたらしいが、一体どのような事が?」
「ふふ、私が体を三等分されそうになった時に助けてくれたのさ、あまりのかっこよさにシビレたね」
「ちょ、ちょっと止めて下さいジェラルドさん。恥ずかしいです」
ほんの少し頬を赤く染めて奇矯がジェラルドの口へと手をやっていた。慌てていたのか先ほどまでは使っていなかった鎧武者に斬られた方の手だ。
ジェラルドの口へと柔らかい手の感触や香りが運ばれて一瞬ジェラルドは目的を忘れかけていたが、その香りの中に血を感じた彼は慌ててその手を取った。先ほど鎧武者に彼女が斬られた事を思い出したのだ。
手を取られた奇矯は思わず眉をひそめた。少し痛かったらしく、ジェラルドをほんの少し睨む、すると彼は静かに手を離した。どこか心配そうな彼に奇矯は微笑みかけた。大丈夫だと言いたいらしい。
その気持ちが伝わったジェラルドは少々不満そうに手を見つめていたが、やがて諦めて視線を奇矯の顔へとやった。駿我も同じように手を見つめていたが、同じように奇矯の視線を受けてやめていた。
そこでジェラルドと駿我は気づいた。まだ、奇矯は自己紹介をしていないのだ。その事を奇矯に告げると彼女はうっかりしていたと自分の頭に手をやり、ジェラルドの方を見て口を開く。
「私は奇矯と言います、鎧武者を追っている……まあ、ちょっと服装がこんな感じなだけの女です」
一通りの自己紹介を終えた三人は元居た場所に戻ろうとエィストの居る家を目指していた。行きとは違い、三人はゆっくりと歩いている。
だが、三人はあまり話はしなかった。いや、一応していた。互いの話や最近起きた出来事を話していた。
途中でジェラルドが吸血鬼作品の話をしてそれが偶然奇矯と駿我が見たことのある物だった為に三人全員で盛り上がったりもしたが、全体的に見ればあまり会話する事無く足を進めていた。
会話しない理由は簡単だった、三人は内心で考え事をしていたのだ。駿我は考えていた。頭の中にニルの姿を思い浮かべながら腰の刀を手慰みに弄りつつ。
「奇矯さんの様子がおかしい、ニル、何をしろというのだ?」と、残り二人の考え事の内容に気づかないままで。
ジェラルドは考えていた。頭の中にエィストの言葉や企みを浮かべ、彼の言葉の真意を確かめようと考えていた。だが答えは出ない、『まるで意識を操作されているように』
彼は考えていた。「本当にこれだけでいいのか? エィストが言うにはこれで彼女の気が変わるらしいが……そうとは思えないぞ……」と。
他の二人が彼女の事で考え込んでいる間。彼女もまた自分自身の事で悩んでいた。駿我とジェラルドに気づかれないように刀の鞘を握り締めて、考え込んでいた。
---あああ、また友達が増えてしまった……それも、私に生きているべきなんて……
---いいえ、駄目です。私は死ななければならない……そうしないともう限界です……
---エィストさん……早く、早く私が死ぬタイミングをください……
数日前、奇矯はエィストへ頼んでいたのだ。「自分の望みの為に、死ぬべき場所をください」と。
彼女は知らない、エィストがジェラルドへ「奇矯が死なない為に」行動する事を頼んだことも、ニルが「彼女が死なない為に」駿我と仲良くなるように仕向けた事も。
彼女は、知らなかった。
ニルと恭助は何時の間にか居なくなっていた二人を探して『世界』を動き回っていた。不思議な事に、彼女らは足を一歩踏み出すごとに場所が変わるのだ。これもまた彼女らの使う力によるものである。
二人は足を踏み出すごとに違う場所を歩いていた。駿我と奇矯はそのような移動手段は使わないために間違いなくこの周辺に居るという確信はあった。その為最初の頃はあまり焦る事は無かったのだが、今現在は恭助が苛立ちを隠せない表情で移動していた。
ニルと恭助はエィストと恭助の住む場所からどんどんと移動を重ね、二人を見つけようとしている。だが、それをしばらく続けていても彼らが見つかる気配は無かったのだ。
どこをどう探しても居ない、探している間に感じる何かを隠すような感覚はまるで深い霧がかかったようだと恭助は感じていた。そんな時、ふいにニルが恭助の方を見ていた。
「どうしたの?」
「……ああ、なんだかよくわからないんだが嫌な予感がする。この霧みたいな感覚からだ。君にもわかるだろう?」
どうやらニルも同じ感覚を覚えていたようだ。言われた恭助は周辺にある全てを見渡すかのように集中してその霧のような物を無視してその先を見ることに務めた。
だが、霧のような感覚は変わらず恭助の視線を遮り続けている。彼は驚いた、家族であるエィスト同様、彼もまた強い力を持つ者の一人である。その彼が霧を見る事ができないのだ。
恭助は驚いていたが、どこか納得してもいた。なんとなくだが、霧からは恐ろしほど強い遮断の意思が感じられた。まるで、彼らにはこの先手を出させないという意志が見えるような感覚だった。
「まずいな、このままだと奇矯の奴、何時抑えが効かなくなるかわからないぞ」
「まずいよね、駿我さんの頭脳に期待するしかなくなるからね。あの人、気づくと思う?」
「思わない。気づいたとしても多分そのままやるねあいつなら」
「だよね。僕もそういう感じがしてならないよ」
「だからそうなる前に似たもの同士で奇矯に思いとどまって欲しいんだが……期待できないな」
ニルと恭助が悩んだ末に最終的に立てた計画は、駿我と恭助とニルの三人で説得し続ければ奇矯は折れるだろうというかなり大雑把な物だった。だが、うまくいくという確信もあった。
実際、彼女は意思こそ鋼の様に硬いが同時に仲の良い者を傷つけたり苦しめたりするくらいであれば自分が死ぬ方を選ぶ女でもあるのだ。駿我に共感され、ニルに説得され、恭助に泣いて止められれば奇矯は自身が死ぬという決意を曲げるだろう。
これは恭助の考えだった。ニルは駿我と奇矯が仲良くなれば同類同士で自然に奇矯は死ぬ事をやめる道を選択するだろう、という確信もあった為にそちらの方法を取っていた。奇しくもエィストと同じような思考をしていたが、彼女はそれを知らない。
前知識が無い方が嘘を付けない類の駿我にとっては奇矯とより良い仲を築けるだろうと思い駿我には話さなかった。それが今、裏目に出ている。
「こうなるなら奇矯の事、言っておけばよかったね。まったくどこへ行ったんだあいつらは、最悪の事態になる前に見つけなくちゃいけないな」
「本当にね、急がないとまずい」
二人はそこまで言うと神経を集中させて霧のような感覚を打ち破る為に全力を尽くし始めた。だが、その感覚は一向に消える事無く広がり続けている。恭助が目に見えて焦り始め、ニルが笑みこそ崩さずとも眉をひそめていた。
が、その時、どこかから現れた凄まじい力が霧のような何かに大きな穴を開けていった。始めからそこには穴があったように。
恭助とニルは思わず集中を解いて力を感じた方向を見た。凄まじい力が現れた方向には既に何も無い。だが、恭助はそれが何なのか理解してその方向へと一礼した。
ニルは恭助がそれの正体を知っていると判断し、それが何なのか聞こうと口を開いたが、言葉が出る寸前にふと思い至った。この力は、普段彼女が使う物と同じそれではないだろうか。
そこまで思い至った彼女は力を感じた方向を睨むように見た、だが、そこには既に誰も居ない。やがて無意味な事と悟り、ニルと恭助は凄まじい勢いで駿我と奇矯の元へ向かっていった。
それを阻むかのようにまた霧のような物が現れていたが、それを作り出した物も急いでいたのか今度はニルと恭助が数十秒で消し去れる程度の物でしかなかった。
そんな二人が姿を消したその時、そこに男が立っていた。そう、ニルが想像した通り、力で霧のような何かに穴を開けたのはカイムだった。知人との会話を終えた彼は様々な場所へ行き、現状を確かめていた。
通りかかった彼は遠方にニルと恭助が居る事を知り、彼女達が霧のような何かを突破しようとしている事に気づくと彼は即座に力を使って霧に巨大な穴を開けて、次の瞬間に恭助とニルがこちらを見る事を予測してその場を離れる。
が、彼はその結果に満足していなかった。本来ならば霧は完全に消え去っている所なのだ、ただの大穴で終えてしまった事は彼にとって疑問を覚えるに値する事だった。数瞬その事を考えた彼だったが、すぐに結論が出たのか娘と同じ不敵な笑みを浮かべる。
「何笑ってんだお前、なんだ、娘があんまり美人に育ったんでビビってるのか、だろうな」
そんな彼を見ている者が居た。全身機械で出来た『怪物』だ、彼はエィストが留守だった為に帰路についていたが、途中でカイムを見つけて立ち止まり、声をかけた。その口調は嘲るようだったが、カイムはそれが挨拶のような物だと理解した。
『怪物』の面白がるような態度にカイムは笑って応じた、そんな彼の対応に『怪物』は疑問符を頭に浮かべた。昔の彼であればこの時点で嫌そうな顔をしてもおかしくない言葉をかけたつもりだったが、彼の目に負の感情は無い。どうやら月日は『怪物』すらも変えるようだと『怪物』は納得した。
納得した顔で笑いながらこちらを見る彼に今度はカイムが疑問の表情を浮かべる番だった。何故目の前のこいつは笑っているんだろうかと考えていたのだ。目の前の『怪物』は人を馬鹿にするような言葉をかける存在だったが、あまり笑うことは無かった。やはり彼も『怪物』と同じく月日はこいつの笑う頻度も少しくらいなら変えるのかと納得している。
どちらも納得した顔で笑みを浮かべる二人。だが、二人の考えはほぼ間違っていた。
カイムは別に変わったわけではない、ただ久しぶりに会った知人といつもしていた会話の仕方を忘れていた為にとりあえず普段通りの口調で話していただけで、『怪物』が笑った理由はもっと単純だ、ただ、彼にとって笑うに値する事だったというただそれだけの理由である。
二人は相手の事を誤解しつつもそれに気づくことは無く、あくまで普段通りの調子で居た。 『怪物』は先ほどは勢いで移動してしまった為に聞けなかった事を聞こうとして口を開いた。その意思はカイムに伝わったのか、彼はどんな質問でも答えてやるとばかりに彼の言葉を待った。
「なあ、お前よ、なんか強くなってないか? いや、力自体が変わった感じは無いが……やっぱり強くなってるよなお前」
その言葉を聞いたカイムは嬉しそうな顔をした。彼は自分が強くなったという実感はあったが、実際に昔からの知人にそう言われるなら錯覚ではないのだろうなと判断したのだ。そんな上機嫌な彼がつい漏らした力を感じ取って『怪物』はこいつ強くなりすぎてないかと内心で驚愕していた。
過去の彼も確かに強かった、まさしくもっとも最高に近い力を持つ『怪物』だっただろう。だが、目の前のカイムは桁外れだった。今の彼ならばこの『世界』を一瞬で消し去る事も可能だろう、そこまで考えて彼は眉をしかめたが、それならすぐにエィストが元通りにするかと結論を出して元の調子に戻った。
眉をしかめたかと思うとすぐに普段通りの表情に戻った『怪物』にカイムは不思議そうな目を向けていた。どうやら自分の力が桁外れに強くなったとは思っていないらしい、そう感じた『怪物』は、ふと、思い出した。
先ほどカイムが放った力によって大穴を明けられた霧のようなイメージの何かは今の彼の力でなら規模的にも充分に消し去れる物だった筈だ。だがそこには大穴が開いたのみだった。
もしかしたら大穴が出来るように力を使ったのかもしれないとその疑問をカイムに対して聞くと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。どうも、彼は消し去るつもりで力を使ったようだ。それに気づいた『怪物』はあえてそれ以上聞かなかった。
カイムもそれ以上の事は教えたくないらしく、何も言わない。しばらく沈黙を続けていたが、それでは埒が明かないとカイムの方から『怪物』へと話しかけていた。
「で、お前は俺の事をエィストに言ったのか? 言わなかったのか? お前にだけは教えないように言うの忘れてたんだ」
「まあ、お前はいつも通りエィストには気づかれないようにしてるだろうと思ってな、教えてやろうと思ってあいつの家に行ったら」
「行ったら、どうだったんだ?」
「留守だったよ、代わりにお前の娘とエィストの家族が居たけどな。まあ、そいつらにはお前の事を教えてやったよ、ま、あいつらは今別件で忙しいみたいだけどな」
その言葉を聞いて、カイムは何事かを考え始め、やがて何かを思い出したのか口を開いた。それはどこか、何かを知っていてそれをわざとらしく披露したがるような色があったが、それに気づきつつも『怪物』は耳を傾けた。
「なあ、お前今噂になってる鎧武者の話は聞いたか?」
「……鎧武者? ああ、会った会った。ちょっと前だけどな。でもあれ、本当に噂どおり斬ってきたりするのか?」
「ん? なんだなんだ、お前アレにあったのか。で、どうだった?」
その言葉に『怪物』は首をまたかしげた。エィストにもまだ会っていない帰ってきたばかりであろうカイムが何故そんな話を知っているのだろうかという疑問と、何故この男は自分が知っていると言ったその時残念そうな顔をしたのか、という疑問だ。
そんな疑問を抱きつつも、彼は脳裏に鎧武者とであった時の事を思い出しながら話し出した。
「どうだったかって……あー、なんつーか、不思議だったなあれは。まあ、鎧武者って呼ばれてるだけあって外見はああいう感じだったけど……絶対悪い奴じゃねえよ」
やはりカイムは至極残念そうな顔をしていた。披露したかった事を相手が先に知っていたからか、とても詰まらなそうだ。そんな姿に思わず苛立ちを覚えた『怪物』は彼に文句を言った。すると、彼は面倒臭そうな顔をして言葉を返す。
「お前なあ……空気読めよ、お前、人がせっかく今話題の噂の間違ってる点と真実を教えてやろーと思ったのにな……いや、まだお前に暴露してやりたい事は残ってるかもな」
言葉の最後で何故か彼は機嫌を取り戻し、再度『怪物』に続きを話すように促した。そんな彼の姿に一瞬『怪物』は殴りたい衝動に駆られ、抑えようとしたが抑えきれず殴り飛ばしていた。カイムは水平に吹き飛んだが、空中で即座に姿勢を直して当たり前のように地面に降り立った。
非難めいたカイムの視線を受けたが、一度殴った事で気分を落ち着かせる事ができたのか、話を続けた。鎧武者の正体に繋がる、駿我と奇矯にとっては重大な話を。
「実際会って思ったんだが、噂は間違ってる。正しくは、『斬られる寸前で鎧武者が逃げる』んだよ」
カイムは、話を聞きながら楽しそうに笑っていた。脳裏に娘とその親友の三人と恭助の姿を浮かべ、最後にエィストの姿を浮かべたかと思うと頭の中で殴っていた。何度も、何度も。
一ヶ月間程で私がこんなに物を書いたのは初めてです。途中で展開がおかしくなったり、面白くないんじゃないかと自分の構成力を疑うことは数知れず。こんなに大変な思いをするとは思いませんでした。しかしここまで書けたのは……まあ、感傷に浸るのは完結させてからでも遅くないですね。多分、後2,3話で終わります。
本作品は今これを書いている現在は検索除外設定で公開しています。なぜかというと、まず途中で話の軌道修正のために過去の話をこっそり改変する事が多く、完結していない不完全な本作(段落を入れ忘れるという文章として致命的な不完全さは置いといて)を人に晒すのは抵抗があったという点、もう一つは感想を頂くとそこで満足してしまうんじゃないかというモチベーションの問題です。完結してしまえばこれは解決する問題なので、完結と共に設定を変更します。
……あれ? 段落……入れるの忘れてた? ぎゃー!




