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最終話2

『世界』のどこか 終わった後の話




 それだけ呟くと、エィストは持っていた本を閉じ、薄暗い道の片隅のゴミ箱に腰を下ろしたまま口を開く。奇矯の姿ではなく、普段のよくわからない風貌の何者かの姿を取っている。


「訂正しておくと、私は別に奇矯さんを死なせる気があったわけじゃないよ? まあ確かにニル君の計画の邪魔をしたのは事実だけど」


 誰も居ないというのに彼は何物かに話しかけるような口調だった。エィストの独り言はそれなりに周囲にも聞こえる声量だったが、それに反応する者はいない。誰も居ないのだから当然だが、エィストはそれをまったく気にした風でもなく言葉を続ける。


「まあ、確かに? 私は奇矯さんを辛い目に合わせたし、彼女の忌避する『誰かを斬る』という行為をやらせた。というのは認めるけどね、だからってあの子を死なせるわけないじゃないか」


 時には言い訳がましい態度で、時には面倒臭そうにしながら、時には幸せそうな笑みを混ぜしつつ彼の独り言は続く。今日1日で自分がやってきた事を独り言として呟く彼は、表情は様々だったが、雰囲気は楽しげだった。


 まるで今この瞬間までに何が起きて、何があったのか完全に理解しているような口調だ。彼は片手に持った本を宝物を扱うように胸の所まで持って行くとなぜか恍惚とした笑みを浮かべて赤面し、頬へと片手をあてる。やはり、直前に恭助がした事とまったく同じだった。


 だが、その意味合いはまったく違う物だ。恭助は奇矯と手を繋いだ事で赤面したが、エィストは彼女に斬られた事を思い出して赤面していた。ただ、その時の内心を一切言葉にしなかったために彼が何故赤面したのかを知るものは本人以外には居ない。


「やあ変態。君のおかげで駿我は大怪我、奇矯も心に傷を負う結果になったが?」


 しかし、そんな彼の姿を見てその赤面の意味を完全に理解した者が居た。それは何時の間にか彼から少し離れた場所に立っている、長髪で、軍服のような形だが軍服ではない赤い飾りを沢山付けた服を着た、ニルだった。


 口調こそ朗らかだったが、その中には何か恐ろしい物を含んでいる事がエィストにはわかった。彼でなければ震え上がるほどの恐ろしい声だ。だが、彼はその声の中身にまったく反応せず、むしろ嬉しそうな笑みを彼女へと向ける。


「やっニル君。大丈夫大丈夫、あの子達があれくらいでどうにかなったりするほど弱い子じゃないのは君が一番よく知ってる、よね?」


 何故か確認するような口調のエィストへ視線をやりつつニルは笑う。だがその笑みはエィストに向けられた物ではない。それは嘲笑だった、今日一日、彼の行動をほとんど意識しなかった、彼女自身への。


 彼女は、霧を突破する最中にジェラルドから話を聞いていた。その瞬間までに至った経緯を。それを聞いた彼女は自分がそこに至った経緯と総合して考え、倒れる奇矯の姿をしたエィストをちらりと視野に入れた時、彼の計画の内容に気づいた。


 その後すぐに彼女は駿我と奇矯の方へと意識をやっていた為にそれを問い詰める事は出来なかったが、それを終えた彼女はすぐに彼を追う事を決めていたのだ。


「で、お前は結局奇矯にどうして欲しかったんだ?」


「……まったくもう、わかってるくせに言わせるんだ、このサディストさんめ!」


 エィストはやけに高く、ニルをあざ笑うかのような調子で話していた。だがニルにはそれが冗談である事も理解できた。その為に、エィストを一睨みするだけでその言葉に反応する事はまったくない。


 そんなニルの反応がつまらなかったのか不満そうな顔になるエィストだったが、ニルの睨みに負けたのか、それともニルに話す気になったのかそれを引っ込めるとわずかにだが真剣さを含めた表情になった。


「まあ、あれだよ。奇矯さん、いやこの場合は奇矯ちゃんって呼ぶ方がいいかな、ともかく、あの子が苦しむ所が見たかった、とでも言っておこうか」


 エィストはその話をあまり楽しそうではない顔で話していた。自分の汚点を晒すような、先ほどとは違う意味で恥ずかしそうな表情だ。あまり見る事の無いその態度に、ニルは内心で少しばかり驚いていた。演技を疑ったが、どうやらそうではないようだ。


 そんな彼が話した理由はどう聞いても悪意にまみれた物だった。が、目には奇矯へ向けた愛情がある。ニルは表情も含めてそれを確認し、エィストの心情を理解すると、自分の中の恐ろしい物をほんの僅かに和らげた。


 ニルは一応納得していた。エィストが家族の恭助に行った事を考えればありえる話だ、と。もっとも、エィストを許す気など、彼女にはまったく無かったのだが。




 二人はしばらく黙り込んでいた、エィストはニルの納得した顔と、彼女から感じられた恐ろしい物がほんの僅かでも和らいだ事に内心安堵していた。その物自体は彼にまったく影響を与えなかったし、むしろ彼はニルの冷たい視線を喜んでいたが、それでも嫌な気配を向けられ続けるのは彼にとってもあまり気分の良い物ではなかったらしい。


 そんなエィストをしばらく見つめていたニルだったが、ふと、何かに気づいてエィストに話しかけた。


「……まあ、それは置いておこう。ところでな、ジェラルドに頼まれてる事があるんだが」


「んん? 何かな?」


 急に出たジェラルドという名前にエィストは困惑していた。確かに、彼は自分の企みに気づいたようだが、今は関係の無い名前だと認識していたのだ。そんなエィストの困惑がおかしかったのか、ニルは笑みを浮かべる。


 『そんな事もわからないのか』と言いたげなその笑みはエィストに届いていた。


「そうだな、多分これを聞けば君は喜ぶか楽しそうな顔になるか、そうじゃなければ……ああ、考えたくも無い」


 その言葉を聞いてさらにエィストは興味深げな顔をした。ニルが嫌そうな顔をして、エィストが関わっていて、なおかつジェラルドの頼みごとと言えばと彼は想像し、即座に頭に浮かんだ言葉を発する。


「そうかそうかい、ニル君からキスでも貰えるのかそれは素敵だ。いや、むしろ最高だ。ジェラルド君ありがとう」


「……今すぐこの『世界』から消えた方がいいぞお前、そもそもそんな事を頼まれたら私がジェラルドを叩き潰してる所だ」


 極寒の地を連想させるニルの冷たい視線を向けられたエィストはそれを受け取って楽しそうに笑った。ニルは内心、ジェラルドに頼まれたことを実行する事が半ば面倒になっていた。それどころか実行すれば逆にエィストを喜ばせてしまう結果になるのではないかという疑問すら浮かびつつある。


「いやあ消えない消えない。消えるわけないでしょう。まあまあそれはともかくとして、キスとかそういうのじゃないなら彼の頼みってなあに?」


 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、エィストがニルにその回答を求めていた。興味深げで、どんな頼みなのか教えてくれと全身で訴えかけてくる雰囲気だ。それを感じ取ったニルは本当に面倒くさがりつつも、諦めた。


 まあ仕方ないかと自分を納得させ、溜息をつきつつもエィストの側に近寄っていくと彼から一歩離れた場所で歩みを止める。二人は首を全く動かさなかったが、現在同じくらいの背丈だった為に互いの顔を見つめあう結果となっていた。


「う、うーん。なんか恥ずかしい……」


 エィストが恥ずかしそうにニルから視線を外していたが、ニルはそれに構わなかった。いや、タイミングを見極めていた。それを実行する最も良いタイミングを。エィストはそれを分かっていたがまったく気に留めなかった。


 ただ、やはり見詰め合うのが恥ずかしいとばかりにニルから視線を外し続け、最後にはニルにわざとらしい態度で背を向け、彼女の反応を待つ姿勢に入っている事を示し始める。


 エィストはそれを言葉にはしなかったが、ニルにはそれが伝わっていた。同時に、彼女は理解する。ジェラルドの頼みを実行するタイミングは今だ、と。


「ジェラルドからの頼みはな……」


 それだけ言うや否やニルはエィストの片手、丁度、奇矯が鎧武者に斬られた場所と同じ部分だけを狙って拳を叩き込んだ。


 片手のみに当たった拳とはいえその勢いは凄まじく、瞬時にエィストを壁に叩きつけるほどの物だった。それを確認したニルは口を開く。


「『一発殴っておいてくれ』だ。狙った箇所は私の考えだが、ね」


 ニルの表情には殴った事への感情など一切見られない。事務的と言っていい態度だ。だが殴られたエィストは違う、吹き飛んだ彼はすぐに立ち上がり、ニルに対して楽しそうな笑顔を向ける。まるで殴られた事を喜ぶように。


 だがそんな彼の態度に対し、ニルは何の反応も示さなかった。それよりも、彼女が気を向けたのはその時の自身の状態だったのだ。そう、彼女の腕はエィストを殴った部分のみ綺麗に消え去っていた。


「やっぱり君は人間じゃないよ、確かに母親は人間だが、君は絶対に人間じゃない」


 エィストの真剣な言葉がニルの耳に届いていた。彼女の片腕のほぼ半分が消え去っていたが、血は一滴も落ちていない。いや、落ちるはずも無いのだ。なぜなら彼女の消えた腕から見える中身など、無いのだから。


 常人には彼女の腕の中は暗闇で見通せなかっただろうが、エィストはそうではない。腕の中に何も入っていない事を彼は理解できた。


 その彼の真剣な言葉を受け取ったニルは微笑んでいた。先ほどまでの面倒臭そうでエィストの反応を嫌がっていた彼女とは違う、透明感のある笑みだった。


「それでも私は一応人間なんだろうさ、きっと、ね」


「……そうかい」


「そうとも」


 エィストは彼女の微笑みを受けて居心地が悪そうにしていた。その笑みは彼女の容姿だけで考えればよく似合うのだが、性格を知る彼にとっては凄まじい違和感を覚える物だ。特に、彼は彼女の父親の事もよく知っているのだから余計に不自然に思えていた。


 そんな彼の態度を受け取ったのか、それとも自分の中でその笑みを止めようと考えたのか、彼女はそれを消し去り次いで発端となった半分が消えている腕を即座に元に戻すと普段通りの不敵で楽しげな笑みを浮かべる。


「まあ、それはいい。それはともかく、私はお前に色々と邪魔をされた上に親友一人に傷を負わされて、もう一人の親友も間接的に傷つけられたわけなんだがその辺の怒りは、どう処理すればいいのかな?」


 エィストは普段の彼女が戻ってきた事を喜び、彼女の質問に気分良く答える。


「ああ、あれは保険保険。駿我君が奇矯さんに気づくように傷をつけたのさ。ジェラルドが抱きしめちゃうのは予想外もいい所だったけど羨ましい」


「……良い。後半は聞かなかった事にしておく。じゃあお前、なぜ駿我と奇矯を戦わせる、などという道を作った?」


「そりゃ勿論、奇矯さんに頼まれたからさ。いや、彼女には『死に場所の用意』しか頼まれてなかったけど、その、ほら、趣味で。見てみたかったんだ、斬り合い」


 その言葉にニルは彼女は思わず本気でエィストに軽蔑の目を向けた。笑みを崩してはいないが、それでも目だけは激情を込めた物だ。心の底ではエィストの考えはそういう事だろうと理解していたが、実際に聞いた時に感じた憤りはそれ以上だったのだ。


 彼女の恐ろしいほどの激情が込められた視線を受けてもエィストは楽しげに笑った。それは彼女の軽蔑を受けた事に対する物ではなく、まるでその反応を期待し、その通りだった事を喜ぶかのような態度だった。


 だが、彼女はその怒りとはまったく違う言葉を発した。


「それでもお前に奇矯は助けられたんだろうさ、私ではなく、お前に。あまり認めたくないが認めるしかないね。それだけは、礼を言っておく」


 かけられたその言葉にエィストは目を見開いた。想像していたのとは違う物だ。思わず困惑し、それを口に出していた。


「な、え? いやいやお礼とか、君らしくも無い。どうしてまた……」


「安心しろ」


 そんな彼の反応がおかしかったのか、ニルから感じられる憤りは多少は薄れて彼女は冗談めいた口調で言葉を発していた。


「安心しろ、礼は言うが……許すわけじゃない」


 だが続く言葉が発せられた瞬間にはその冗談めいた口調は完全に消え、憤りは先ほどと同じ程度にまで戻っている。それでも冷静さは失っていないらしく、彼女の目には憤り以上にエィストを観察するような気配が含まれていた。


 しかしエィストが見たのはそこではなかった。彼が見ていたのは彼女自身から発せられる雰囲気だ。その雰囲気が語っているのだ。ニルは今、全力でエィストを攻撃する気でいる、と。


 それを悟ったエィストの反応は、笑みだった。上等だという意思を込めた、挑発の笑みだ。それを受けたニルもまた、同じように挑発するような笑みを見せる。ジェラルドがそうだったように、エィストもその真剣な表情を見て懐かしい気分になっていた。


「まあ、とりあえず……一回お前をどうにかしてやりたい気持ちでいっぱいなんだ私は」


「ふふ、久しぶりだ……カイムの時以来かな?」


 それだけ言うと、二人は数歩離れ、互いに笑みを浮かべて見詰め合っていた。周囲の雰囲気はどんどんと緊迫した物になっていく、それはまるでこの先にあるであろう激しい戦いを象徴するかのような物だった。


 だが、二人の緊迫した雰囲気はふいに聞こえてきた言葉にかき消される事となった。


「待て、待てよエィスト。お楽しみはニルからじゃない。俺から、始まるんだ」


 深くて渋い、その声によって。






 その声がその場に届いた瞬間ニルは一瞬体を硬直させたが、何かを理解した顔で溜息をついて緊迫した雰囲気を消し去り、エィストは驚愕し、次に周囲を見回した。どうやらここではない場所も含めてみているらしく、その目はどこか別の場所とこの場を同時に見ているようだった。


 だが、そこまでしてもその声の主を見つける事ができないでいた。だがエィストは意地になっているかのように探す。何故なら、その声は彼にとって長い間聞いていなかった声であり、それ以上に聞きたいと思っていた声でもあるのだから。


 しばらく探していたエィストだったが、何時の間にか笑っていたニルの声が自身の耳に届いた事で意識をそちらへと向けた。彼女の腕の中にはいつの間にか猫が居た。


 その猫はエィストにとっても一見するとただの猫にしか思えなかったが、よくよく注意してその猫を見つめた時、エィストは猫への視線を馬鹿にするような物に変える。そう、その猫はただの猫ではない。いや、猫ですらない。


 彼の馬鹿にするような視線に気づいたその猫は不快そうに顔を歪めると声を発した。深くて渋い声を。


「オイ、その目はなんだその目は。そんなに俺が猫なのがおかしいかクソ野郎」


 声の主は、エィストの予想した通りの人物だった。猫という形の奥に巧妙に隠された彼の気配はエィストにとっても半信半疑程度の物だったが、その声が全てを肯定している。そう、その猫の形をした何者かの名前は、カイムと言うのだ。


「……ああ、なるほどね。恭助君の隠し事はこれか……」


 それを確認した瞬間、エィストは自身の家族が隠した事が何であったのかを確信した。つまり、この猫を隠していたのだ。何度かその猫を見る機会はあったが、彼はニルが彼のペンダントを見せた時に居た猫も恭助と共に居る猫もただの猫だと認識していた。ニルと駿我に対して発せられた声を聞いていたにも関わらず、『気づく事が出来なかった』。


 彼の納得した顔をどう思ったのか、猫、いやカイムは気持ち良さそうに収まっていた腕の中から抜け出すと地面に足を付け、猫の形が液体になったかのように崩れたかと思うとその次の瞬間には人の形へと変貌していた。エィストのよく知るカイムの姿だ。


 だがエィストはそのような事を気にも留めなかった。ただ、姿を現した者との再会を喜んでいた。一方でニルは溜息をつきつつもカイムの姿をじっと見つめている。どうやらその視線が気になったカイムもまた僅かな時間だけニルへと目を向けたが、すぐにエィストの方へと視線を戻す。


「久しぶりだな、エィスト。今度こそ、勝ってやるために戻ってきた」


 カイムの声は緊迫感と、威圧感に満ち溢れていた。本気でエィストに対して攻撃の意思を見せている。強い威圧感は規模を上昇し続け、遂には周囲の空間を歪ませるほどの物になっていた。


 しかし、それを受けてもエィストの態度は変わらない。再会を喜んでいるようでいて、一方ではなんとなく馬鹿にするような雰囲気を発していた。それを挑発だと考えたカイムは眉をしかめたが、エィストの言葉でさらに眉をしかめる事となった。


「やあカイム。奥さんに追い出されたんだって? 私を倒せるようになるまで戻ってくるな? とかなんとか言われたんだって?」


 カイムの高まっていた気持ちはその言葉に最下層まで降下していった。威圧感は急速に消え去り、後には嫌そうな顔で若干ニルの方を見て肩を落とす男を残すのみとなる。


「キャラじゃないよねいや、本当に。そう考えるとお前の威圧感の中に哀愁が漂ってる気さえしてきて……ああやばいなヤバイ、涙が出てくるいや私とした事が号泣しそう……正確にはもう泣いてるけど」


 そんな彼の様子を見て面白がりつつも話すエィストは話の最後には涙を流し、どこからか現れたハンカチで涙を拭うと同情的な視線を込めてカイムを見つめた。だが、カイムには解った。表情や雰囲気では解らない、エィストの大笑いが。


 それを感じたカイムは溜息を一つついてエィストにその態度をやめるように言おうとしたが、そうなる前に隣に居たニルが笑い声をあげていた。どうやら、カイムの嫌そうな態度が面白かったらしい。だがカイムはそちらには怒らなかった。


 というよりも、その彼女の態度を見て居心地が悪そうにした。傍から見ていたエィストには『娘に何を言っていいかわからない』という困惑がある事を表情から見て取ったが、助けを入れる気はないらしく面白がってそちらを見つめ続ける。


 そんなカイムとエィストの雰囲気に気づいたニルは面白がる事を止め、カイムの肩に手を置き、普段の不敵な笑みを浮かべた。そこには顔を合わせるのは初めての父親への感情というよりは、長らく会っていなかった友人にでも向けるような気安さがあった。


「カイムが追い出された理由は聞いてる。私の母親も随分と……まあ、お前限定で厳しい人だったんだね」


 言葉を聞いたカイムは目を見開き、エィストはニルがそれを知っていた事に内心で安堵を覚えていた。ニルは父親に対して友人に話すような口調や呼び方を使っていたが、そこは二人ともまったく気にしない。むしろ、カイムもエィストも始めて会う相手なのだから肉親とはいえ当然だと考えていた。


「ああ……まあな、いや勘違いするなよ? 別に俺が下で妻が上だったんじゃないからな、あくまで対等だった」


「の、割には私と引き分けて追い出されたけどねー」


「うるさい黙ってろ」


 気楽でからかうようなエィストを黙らせようとカイムが声を出す。その姿にニルは呆れ顔で苦笑していた。彼女の思った以上に、カイムという男は面白かったのだ。だからといって、彼女がカイムの事を父親として扱うかというとそうでもないのだが。


「ああ、なるほど。私の母親がカイムを気に入った理由がよくわかる」


 二人はその言葉に思わずニルの方を見た。片方は、なんとなく楽しそうに。片方は、少しだけ感動した風に。その二人の視線はニルにとってはあまり気持ちの良い物ではなかったようで、彼女は二人の視線を睨むという形で返す。


 慌てているようだが実際はまったく慌てていない態度で二人はお互いの方を見て、笑いあった。先ほどまでの嘲笑混じりの物ではなく、あらためて久方ぶりの再会を祝うような笑い声だ。言葉にこそしなかったがその瞬間二人はきちんとした形で再会を喜びあっていた。


 そんな彼らの再会の笑い声はしばらく続いたが、疲れたのか、それとも飽きたのか二人は笑い顔を消し去り、真剣な表情を浮かべる。どうやら疲れたのでも飽きたのでもなく、話を切り替えようとしているらしい。


 あらためてカイムが威圧感を発し始めた。先ほどよりも遥かに強いそれは既に空間を捻じ曲げ、ニルの居る場所とエィストの居る場所以外の周囲の全てが歪んでいる。


 その状況下にあって、ニルとエィストはやはり気楽に笑みを浮かべた。だが、その二人のそれは明らかに性質が違うものだ。ニルの笑みはどこか面白がるような雰囲気が含まれていたが、エィストの笑みはカイムに対する紛れもない敵意から来る物だ。


 エィストの顔は今笑みを浮かべている。しかしその奥にある何かは、確実に巨大な敵意をカイムに対して向けていた。なぜそのような物を向けるのかニルにはわからなかったが、カイムには解るらしく彼の顔はニタリ、という擬音が似合う笑みを作る。


「なあ、カイム。君が行方をくらました理由を聞いてるから、君が悪くないってのもわかってる。だがね、ニル君の前にずっと姿を見せなかった点だけは、悪いよな? あんな美女と結婚しといて、死んでも戻ってこなかったってのは、酷いよなあ?」


 敵意と威圧感が混じったエィストの言葉にカイムは威圧感はそのままにしつつも、わかっていると頷いた。


「わかってるさ、ああ、わかってるんだよ……理由はあるが、言い訳にしかならないだろうさ」


 先ほどまでとは打って変わって、彼らの態度は真剣だ。その変わりように、ニルは首を傾げた。彼女はエィストの事はよく知っている。このような事くらいで真剣な顔をする者ではない事くらい知っているのだ。


 どうやら自分と母親が話の中心に居るようだと彼女はまた頭に疑問符を浮かべた。どうにも、彼女にはそれが理解できないでいたのだ。その疑問を彼女は言葉にして二人に話した。


「なあ二人とも、なんでそんなに真剣に私と私の母親の話をしてるんだ? そんなキャラだったか?」


 今度はカイムとエィストの番だった。頭に疑問符を浮かべ、首を傾げる彼らの態度にニルはまた不思議そうな顔をする。二人はその顔を見てさらに困惑し、慌てて口を開いた。


「え、いや、え? 君の父親の話だよ? まあそりゃ、一度も会った事ない奴なんて他人も同然かもしれないけど……」


「今更父親面する気は無いが、そこまで不思議そうにされるとちょっと傷つくんだが……」


 困惑する二人の言葉を聞いてニルは面白がって笑った。だが、二人の疑問に答える気はあったのか楽しげに口を開く。彼女が声を出した瞬間、なぜだかエィストは寒気を覚えたが気のせいだと振り払っていた。


「さっきも言ったが私は追い出された理由を聞いてる。エィスト、お前が悪いんだろう?」


「は、はい? いやいやニル君? それどう考えても冤罪! 冤罪だから!」


 彼の感じた寒気は正解だった。当然のように身に覚えの『ありすぎる』罪状を突きつけられて彼は内心で考えていた。『一体、どれが悪かったのか』と。そんな彼が慌てている姿をカイムが馬鹿を見る目で眺めていたが、エィストは気づかない。


 慌てて考え続けたエィストだったが、答えは出なかった。今までしてきたどの行いも、カイムが妻に追い出される理由にはならないのだ。ならば一体何なのかという意思を込めてニルを見つめると、それを向けられた彼女は楽しそうに口を開く。


「お前、カイムと最後に戦った時、手を抜いたろ?」


 あまりにも身に覚えのありすぎるその言葉にエィストは一瞬硬直した。しかしそれに構わずニルの言葉は続く。


「いや、お前はそれまでも全部カイムと戦う時は手を抜いただろう? そこが母の逆鱗に触れたのさ。『手加減してもらって引き分けなんざ情けない』、とな」


 エィストはそれを聞き、確かにそうだったと頷いたが途端にカイムに同情の視線を向ける。その視線が憐れみの目だと即座に気づいたカイムが睨むという手でそれを返した。


 その睨み自体には何ら反応せず、エィストはただ感心していた。つい先ほどニルに睨まれた時と同じ感覚だ。彼らが親子である事をその時彼は実感していた。が、内心の思考は隠して彼は二人に話しかける


「まああれだ、あの当時の君じゃ本気は無理かなと思ってさ。それはすまなかったな、うん。まあ、悪い」


「馬鹿にしているようにしか聞こえないんだが」


「今の感じなら充分全力出していいかなと思えるから安心しろって、大丈夫。次やるときは本気でやってもいい」


「本当だな?」


 カイムの冷めた、だが変わらず威圧感の込められたその言葉に彼は内心の思考をとりあえず置いておき、真剣な表情になると彼の言葉にしっかりと耳をかたむけた。その先が、一番重要な気がして。


 だが話すのはカイムではなかった、ニルだ。カイムが話そうとした時、口を手で塞いで彼女は自分が主役だとばかりにエィストの前に立った。彼女にエィストへの敵意や威圧感は存在せず、ただ不敵な笑みだけがそこにある。


「そういうわけで、だ。カイムが私の所に戻る方法はあいつとの約束を守るならただ一つ……」


「全力のお前に勝つ事だ」


「嘘を言うな、最低でも引き分ける事だと母は言っていたぞ」


 途中で自分が話すとばかりに体を前にやったカイムをさっさと手で止め、ニルが補足をした。


 言葉を聞いたエィストはただ、感心していた。そこには自分を倒すといわれた事への感心のみがあった。熱意や悪意、普段の享楽的な態度もそこにはない。ただ、感心するのみなのだ。


 それが逆にカイムとニルを緊張させた。彼はどんな行動にも自分の趣味や遊びを含みたがる。実際に奇矯に頼まれた事を果たす時、彼は『駿我と奇矯の斬り合いが見たい』という理由で奇矯の死に場所を用意したほどだ。



 そんな彼が、感心以外の何もしていない。それはカイムとニルにとって不可解なほど警戒を必要とする事だった。そんな中、エィストの声だけが聞こえてくる。だが言葉は口から出ていなかった。ニルとカイムは『世界』そのものが喋っているかのような錯覚をしていた。


「そうか、そうかい。私を、倒すんだね。どうぞ? やってくれても構わない、お好きに……できるならどうぞ?」


 不可解な口調の彼の声はただ響くのみで、そこにはやはり感心以外の感情は見られない。だが、言葉が終わったその瞬間、エィストからカイムと同等かそれ以上の威圧感が吹き上がるように現れた。


 二人は理解した、いや、させられた。これが彼の正真正銘の本気で、彼はどんな事をしていようがやはり『怪物』なのだ、と。


 しかしカイムもニルもそれに震え上がるでもなく、逃げ出すのでもなく、ただ、笑った。


「私がやろうと思ってたが……母との約束を果たさせてやる。親友の分もあいつを殴ってくれ。というか潰しておいてくれ」


「わかってるさ、安心しろ」


 それだけ言うとニルはカイムに背を向け、その場を去る、ふりをした。その後即座に彼女はカイムの所に戻ると、彼に対してどこか愛情を感じられる事を言った。


「もしあれに引き分け以上を取ったら、その時は……母との約束通り父親に戻っていいぞ。歓迎してやる。それで、もし勝ったら……『お父さん』と呼んでやってもいい」


 カイムは思わず目を見開き、それ以上に嬉しそうな顔をし、エィストと完全に並ぶ規模の威圧感を放った。それを了承と見たニルは背を向け今度こそ去って行く、が、ふと何かを思い出したように振り帰り、エィストに声をかけた。


「ああ忘れてた。エィスト、奇矯がお詫びとお礼がしたいって言ってたぞ、よかったな」


 エィストはその言葉に特に大きな反応をせず、ただカイムの所だけを見ていた。だが言葉だけは伝わったのか、すこしだけニルの方を見て、小さく微笑むとまた無表情でカイムを見つめる事に戻った。


 その返答に満足そうな顔をしたニルは、完全にその場から消え去り、残されたのはエィストとカイムと、エィストの読んでいた本だけだった。




「いい娘を得たな、カイム。だがお前に約束を果たせるのか?」


 彼女が消えた後、二人は睨みあいを続けていたがエィストのふとした一言でそれは終わった。その一言にもまた、特に何の感情も含まれて居ない。ただの質問だ。


 そんな彼の質問に答えようと口を開く彼の顔は、満面の笑みだった。彼に似合わないほどのまぶしくなるほど明るい笑顔だ。もちろん今のエィストは何も言わないが、平時の彼なら驚愕していただろう。


「俺はな、娘に応援された時、娘の背後に確かにあいつを見た。妻を、な。だから俺はもう家族に戻った」


「もう引き分けたつもりか?」


「いいや……俺の勝ちだな」


 壮絶なほどの威圧感を二人はさらに強め、互いを見つめあった。もはや二人の力が『世界』の全てを包み込み始めていた。だが、エィストもカイムも互い以外に何かをする気がその時はまったく無い。


 敵意や闘志すらその間に感じる事はない、そこにあるのは、ただ、事務的に全力を出したエィストと、約束を果たすという目的の為だけに全力を出すカイムがあるのみだった。


 そして、二人の力はついにぶつかり合い、その場のエィストを除く全てがカイムの力によって消え去った。だが同時に全てがエィストの力によって元に戻る。また消え去り、また戻る。それは何度も繰り返され、もはや悪夢の如きループとなっていた。


 何故か、エィストの読んでいた本は風圧でページがめくれるだけでエィスト自身と同様に消えなかったがカイムはそれを気に留めない。それよりも、彼はエィストの口元が笑みを作っている事が気になっていた。


 エィストの事務的な表情の中に、何時の間にか賞賛と感嘆と、全力を出しても構わないと完全に確信した安堵の色が現れていた。何時の間にか彼から発せられる威圧感はさらに巨大な物となっている。


 そこまで気づいたカイムもまた笑みを浮かべ、それに合わせるように威圧感を強めた。


 二人は笑みを浮かべて一つの挙動すら見逃さないとばかりに相手を凝視する。だがタイミングをつかめていないらしく、しばらくの間、二人は互いを見つめあうのみだった。


 だが、やがてそれも終わる事となった。


 カイムとエィストは互いの全てを込めて同時に殴りかかったのだ。ついに放たれた一撃は『世界』を揺るがすほどの物だったが、二人は綺麗に相手にだけ力を向け、周囲のあらゆる物に影響を与えていない。



 その瞬間、二人の戦いが始まった。



 そして彼らは戦い続けた。だが、ニルも居なくなった今となっては彼らの決着を直接その目にして知るものは誰も居ない。






 たった一つだけ、本の中で微笑む奇矯の挿絵を除いては

泣く泣く分割しました……その性で、この最終話2の文章量は明らかに少ない。筆がノリすぎて本当に書きすぎました。ただ、これでも予定していた言動を半分以上カット、または短縮しています(伏線の回収に失敗した一因)。好き勝手書いたせいでとんでもなく読みにくい作品になってしまいました。

序盤と中盤と終盤の文章量の比率が明らかにおかしいですよ……


本作はこれを掲載した後に検索除外設定を解除します。

それに伴い、もしかしたらこれを読んでくれる人が現れるかもしれません。不特定多数の人に見せるのって凄く緊張するし、凄くドキドキします。

もしも、この作品を読んで「なんだこれつまらない」と思った方が居るなら、それは私の未熟から来るものです。次への反省も込めて、受け取ります。

そして、この作品を読んで「面白い」と思ってくれた方、本当にありがとう。心の中でそう思ってくれただけでこの作品を人目に晒した意味があったという物です。


とまあ、そんな事を言っておいてまだエピローグ(という名前の回収できなかった伏線や何故起きたのか不明瞭な展開を強引に説明する話)を残しています(一応これで完結設定にはしておきますが)。それに、まだまだ矛盾点や文章としておかしい部分の修正作業は終わらない…… 2012/4/2/2:03

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