プロローグ1
『世界』のどこか 0:00
どこか古ぼけたレンガ造りの家々の壁とそれとは全く異なる現代的なコンクリートブロックの塀で囲まれて生まれた路地。
そんな電灯一つ無い夜の路地に月の光が輝いていた。
夜なのだから当たり前である、と言ってしまえばそれまでだ。夜に月が光るのは当然なのだから。
それが、赤い色の丸い月で無ければ
ただ赤いだけではない。絵の具の赤色よりも遥かに赤い、純粋な『赤』だ。
路地に差し込む赤い光は道をまるで赤い絨毯のように照らし出し、道を行く者を英雄のように称えるかのような雰囲気さえもたらしていた。
その英雄の道を歩く男が一人。
口には鋭い犬歯、頭にはシルクハット、燕尾服の上にマントを羽織った「私は吸血鬼です」と全身でアピールしているのか、と思いたくなるほど、わざとらしいほどに吸血鬼らしい男だった。
「夜は吸血鬼の天下……とはいえ『ここ』ではな、ああ、私も敬愛する吸血鬼の先達のように惚れた女を捕まえて追ってきたバンパイアハンターと戦いたい物だ……」
よく通る舞台役者のような声で男は自己陶酔するような雰囲気を持って言った。
吸血鬼。その種族の名前を聞けば大抵の人間は物語の中の血を吸う怪物だと言うだろう、
少し知るものなら昔はただ蘇った死者という扱いだったと言う者も居るだろう、
その種族を好む者ならそれを有名にした作家の作品や映画俳優の名前も出すかもしれない。
大抵の人間は物語の中の架空の怪物を思い浮かべる筈だ。
『このおかしな世界においても』それらは全て正しい者だ、『今はまだ』物語にしか存在しない生き物なのだから。
「まったく良い月だ、感動的なくらいだよ。吸血鬼をやって久しいが、こんなに浮かれた気分になれる月は初めてだ。不自然なくらいだよ」
吸血鬼は架空の怪物などとそのような常識は知らぬ、とでも言いたげな雰囲気を放つ吸血鬼の格好をした男は真実吸血鬼のようだった。
怪物は天の月を見上げまた陶酔するような顔をしてうなずいていた。
「何度も言うが良い月だ。こんなに月が赤いのだから吸血鬼の一人や二人路地を闊歩していたからといって文句が有る者は居ないだろう……いや、居たら一発殴ってからいかに吸血鬼が素晴らしい存在か教え込む。そして共に吸血鬼について語り合う」
いかにも吸血鬼である、という雰囲気を撒き散らしながらも吸血鬼の事を自分とは違う存在であるという風な話し方をする怪物。
堂々と魔性の気配を放ち体から若干の血の香りを漂わせるそれは誰がどうみても吸血鬼に見えるだろう。
だが見るものが見ればこう言う筈だ。「あれは吸血鬼を演じている怪物だ。たちの悪い、恐ろしい怪物だ」と。
怪物は独り言のように月を賛美する言葉を並べていたが、ふと何を思ったのかそれを止めてまた独り言を発している。
「……先ほどから私はずっとこうやって月を愛でつつ君が話しかけてくれるのを待っているんだが、まだかね? まだ話しかけてはくれないのかね? 知っているかな? 私は後ろでずっとこちらを見ている鎧武者の格好をした者に話しかけて貰えないと寂しくて灰になってしまうんだ。具体的には君の事だ」
背後に鎧武者の格好をした者が居る事を前提にした妙な内容の独り言だった。背後に誰かが居て、その誰かに話しかけているような口調だがそれは独り言だった。
独り言で『あるはずだった』。
怪物がその独り言を発した瞬間、背後には鎧武者の格好をした何者かが立っていたのだ。
怪物はそれが背後に現れた事を確信して振り向いた。
彼の言う通り、そこには鎧武者が居た。特徴の無い鎧と兜、そして真っ赤な鬼の面を身に着けたとても強い威圧感を放つ鎧武者だ。
「ああ、やっと姿を現してくれたか。視覚的には見えないとはいえ鎧武者らしき気配を放つ『何か』に付回されるのはちょっとしたホラーだったぞ」
満足そうな調子で怪物は鎧武者に話しかけた。
陶酔するような表情は既に無かったが、視線は鎧武者の方向を向きつつも目はチラチラと月に注がれ、なんとなく楽しそうな顔をしている。
話しかけられた鎧武者に返事の言葉は無い。まるで聞こえていなかったかのように無言で威圧感を撒き散らしていた。
普通の人間ならばこの時点で逃げてもおかしくは無いほどの威圧感だが、
「さあ話しかけてくれ。さっきも言ったが、私は後ろに居た今は目の前に居る鎧武者に話しかけられないと寂しくて灰になるんださあ早く話しかけてくれ」
勿論彼は人間ではなく吸血鬼のような怪物であるために鎧武者の威圧感などはまったく気に留めた様子が無い。
それどころか冗談のような物を混ぜる余裕すらあると言いたげに早口で捲くし立てている。
それでも鎧武者は言葉を発しなかった。変わらず言葉が聞こえていなかったかのようで、変わらず威圧感を撒き散らし続けている。
しかし、その威圧感には殺気が含まれていた。
「む、何だ藪から棒に殺気を放つとは、さては君ヴァンパイアハンターか何かかな? すまないが、格好的に好みじゃないんだよ。私を倒したければせめて白木の杭かクロスでも持ってきてくれ。君は妖怪でも斬ってる方がお似合いだと思う」
怪物はその殺気を感じてはいたが恐れてはいないのか、あくまでも楽しげに本気とも冗談とも付かずなおかつ大して意味のこめられていない言葉をかけている。
だが鎧武者はその言葉を挑発と取ったのか周囲の殺気はさらに強まっていた。
「おっと悪いね、怒らせてしまったかな。ふざけているつもりは無かったんだが……」
その殺気をどう取ったのか怪物は楽しそうな顔から急にすまなそうな顔になり、そしてやはり月へ視線をやりつつも真剣な表情になった。
「すまなかった。それで、用事は何かな?」
瞬間、言葉を出し終わった怪物の首が帽子と共に落ちた。
まるで必要な言葉を伝え終わると自動的に消去される機械のような、それが当然だでも言うような自然さで首は怪物の体から外れて落ちたのだ。
だが、それは自然に起きたことではない。
怪物が話しかけ終える瞬間に鎧武者が刀を抜き、電光石火の間に怪物の首を横一文字に刎ねたのだ。
その見事な斬り口と凄まじい速さは鎧武者が人知を超えた達人である事を示していたが、その場にはそれを当人に確認できる者はいなかった。
それを唯一確かめる口を持って『いた』首を無くした怪物は鎧武者の返答に対して物理的に言葉を出せなくなり、今まさに倒れようとしている。
そして鎧武者は倒れる怪物の首から下に追い討ちをかけるかのような動きで刀を振りかざした。
凄まじい速度で動く刀、路地には誰も居ないが例え誰かが居たとしてもその人知を遥かに超える動きを止める事は不可能だろう。
ただの、人間であれば。
鎧武者の刀が怪物の身体を頭と体二つの三等分にするべく怪物に吸い込まれるように迫りつつあった刀が、音を発しながら止まっていた。
鎧武者の背後から凄まじい速さで飛び込んで来た影が刀を何かで受け止めていたのだ。
受け止められた鎧武者はそれでも全く驚かなかったのかただ殺気のみを発し続けている。
「何をしているんですか……!」
影は女だった。なんとなく静けさを連想させる美しい女はその印象とは裏腹に目に怒りを宿しつつ片手で持った何かで刀を抑え続けていた。
「何をしているんですか、と聞いているんです……! 答えなさい!」
女は鋭い声音で鎧武者に向かって叫ぶように詰問した。言葉一つ一つから威圧感を発する女はまるで鬼か何かのようだ。
これほどの威圧感で物を聞かれれば相手は思わずそれに答えを返してしまうだろう、と思わせるほどの物だった。
だが鎧武者はそれを無視して刀に入れる力を強めて女を跳ね除けようと動く。
刀に凄まじい力が加わり女と女の持つ何かを弾いて飛ばそうかという寸前に、女はもう片方の手に持っていた物を動かした。
その瞬間、鎧武者は吹き飛び路地の壁に追突していた。女の持つ何かが鎧武者の刀を持つ両腕を掻い潜り身体を付き飛ばしていたのだ。
吹き飛ばされた勢いが強すぎて壁に比喩ではなくめり込んだ鎧武者は壁から即座に離れたが、遅かった。
女が何かを鎧武者の首と脇腹に突きつけていたのだ。
女が両手に持つ何かは折りたたまれた扇だった。鉄扇ではない、ただの扇だ。ただの扇で刀を受け止めていた。
不思議な事に、刀を受け止めたというのに木製の扇には傷一つ入っていない。
女は凄まじい怒りと微かな殺気を宿した目を鎧武者の鬼の面の目の部分に合わせて話し始めた。
「……あなたが動く前に、あなたの体の一部が空中に飛びます。もしかしたら、胴体だけになるかもしれませんよ? さあ、話してください。あなたは、何者ですか? 何をしているんですか?」
ただの扇を首と脇腹に突きつけただけだというのに鎧武者はその言葉に答えざるを得ない状況下に置かれている。
鎧武者が少しでも動けば女の持つ扇は容赦なく身体を切り取ってしまうだろう、理屈抜きでそう理解できてしまうほどの目だった。
自分の身が危ない状況であっても鎧武者は一言も発せずただ女の目を見つめている。
ただ殺気を撒く様はまるで物言わぬ獣のようだったが、女はそうでは無い事を見切っていた。
なぜなら、話せなければならないからだ。この『世界』では。
女はため息を付くと諭すように鎧武者に話しかけた。
「……この『世界』に居る者は人間であれ怪物であれそれ以外であれどんなに小さくても、どんなに大きくてもどんな力を持っていても言葉なりテレパシーなりで意思疎通が可能なはずです。あなたが話せないという道理は無い」
女は鬼の面の目を見つめていた、小さな言葉でも逃さぬとばかりに扇を突きつけたまま顔を少し鬼の面に近づけながらだ。
こんな状況ではなく、なおかつ相手が先ほどから殺気以外何も発していない鎧武者でなければ思わず胸が高鳴るほどの距離だった。
そして、観念したのかそれとも言葉を返す気になったのか、鎧武者は一言だけ女に返した。
女とも男ともつかないくぐもった声で「追って来い」と。
「!?」
女が驚愕していた。鎧武者が言葉を返したからではない、言葉を返した瞬間それまでの凄まじい速さすら子供の遊びに思えるほどの速さで動き女の手から扇を弾き体から離させたからだ。
そして鎧武者は女が驚愕している一瞬の隙を付いて女に刀を向け『なかった』。その隙を確認するや否や即座に身を翻して逃げ出したのだ。
女は逃げる鎧武者を一瞬だけ見つめていたが即座に我に返ると路地に落ちた扇を拾い、
首と体が分かれて倒れている怪物をほんの少しだけ見て何か一言小さな声で呟くと「待ちなさい!」と叫んで鎧武者を追いかけていった。
鎧武者と女が去って数秒たったその時、そこでは笑い声が響いていた。
「クッ、クク……あ、あはハははハハは!、はハはアハハははハは!」
路地には怪物の首と体しか無いというのに響く妙な笑い声。怪物の声だが首が笑っているわけでも体が笑っているわけでもない。
「ハハハハハはハハはハハはハハはハハはハハハは!!」
心の底から響くような、まるで長年探してきた何かを見つけたようなそんな笑い声。だがやはり首も体も微動だにしない。
「見つけたぞ! 私はついに見つけた!」
笑い声が圧倒的な歓喜を持った言葉に変わっていたが、首も体も動いているわけではない。
「ああ……良き月の日だとは思っていたが……これほどに! これほどに良い日だとは思わなかった! 今日という日と今日の月に感謝を!」
怪物の声が月と今日への感謝を送りはじめていた時、それでも首と体は動かなかった。
「ふ、ふふっ……ああいかんなこれはいかん、笑いが止まらないし多幸感が止まらない。あの鎧武者にも感謝の言葉を送らねばならないな」
怪物の声が大きな声から普段の落ち着いたよく通る声に戻っていたが、首と体は動かない。動かないまま、忽然と姿を消していた。
首と体が消えた瞬間、そこには先ほどの怪物と同じ姿をした怪物が立っていた。
不死身の怪物のように首が体に戻るのでもなければ、骸骨の姿をした怪物のように体が首を拾って付けるのでもない。
『初めから首と体は別れてなどなかったし鎧武者に斬られたりはしなかった』と言いたげに何の前触れも無く完全に元に戻っていた。
怪物は相変わらず月を見つめつつも先ほどまでとは若干雰囲気の違う調子で独り言を月に向かって話していた。
「これはプレゼントか何かかな? 惚れた女を捕まえてハンターと戦いたいと思った私へのサプライズプレゼントかな? だとしたら大成功だよ、まあ捕まえられるというよりは私を狩りに来る方が似合ってる女性だったが……いや、なるほどこれは……なんて事だ、彼女を浚ってから戦えば一人で二度おいしいじゃないか……」
陶酔する怪物が頭に思い描いていたのは、先ほど鎧武者と戦っていた女性の事だった。
その時の怪物は首と体が別れて微動だにできない状態だったはずだが、それでも女の姿形を精巧に思い浮かべることができた。
「若いし美しいし実は私の好みだし何より強い! それにあの扇の動きだ、かっこいいじゃないか! さあまだまだ彼女の長所は多いぞ……」
怪物は女の長所と思う部分を次々と独り言で呟き、それを終えると鎧武者と女が行った道とは違う方向へと足を進めた。
「……それに、優しいしな」
最後に、その言葉を残して。
怪物は聞き逃していなかった。
今日会ったばかりの吸血鬼の格好をした怪物に向かって、女はまるで親友に言うような悲しそうな声音で「助けられなくて、すみません」と去り際に言ったことを。
以上プロローグ1でしたー。吸血鬼の姿をした怪物のイメージはそのまま吸血鬼ドラキュラです、顔に関して明確にこれという役者の方をイメージしてはいません。知らない人にはピンとこない名前ですし……
ちなみに筆者は電撃文庫から発売中の成田良悟氏の『バッカーノ!』が物凄く好きです。吸血鬼好きでもあるので『ヴぁんぷ!』も好きです。きっとガイ・リッチーの『スナッチ』も好きになれると思いますがどこ探してもレンタルはおろか買うことすらままならないので一度も見たことがありません(このあとがきを書いた後で見る機会に恵まれました、緻密なストーリー展開が凄く楽しくて、見習うべき点の多い作品です)。
そういうわけなので本作品は『バッカーノ!』の影響を強く受けています。どれだけ強い影響かというと、文章表現や展開で詰まったら側においてあるバッカーノ!を手にとって読んでイマジネーションを刺激してるくらいです。群像劇なんて素人でしかもブランク2年には高い壁に挑戦するのもバッカーノ!が大好きだからです。
タイトルもイタリア語にしようかと思うくらい影響を受けています。
そういうわけなのでコンゴトモヨロシク…… 2012/2/24/0:09 ※この作品は予約掲載設定です。