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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤立

作者: じゃぱ

「完全にはぐれちまったな」


「そうですね…」


 うっそうと茂る密林の中。俺は小隊長と二人きりで立ち尽くしていた。


「他に何人逃げ切れたのか分からんが、ここまで木々が生い茂っていれば車両も入ってこれんし、歩兵の視界も制限される。ヘリからも見えることはないだろう。とりあえず一休みだ」


 木々に遮られ、僅かしか届かない日の光を見上げながら隊長は言った。


「しかし…どうしますか?敵に裏をかかれて、もはや部隊は壊滅です。他に生き残っている仲間がいるか確認のしようすらないです」


 俺たちの部隊は空挺で敵基地の背後から奇襲を掛けるはずだった。しかし部隊を輸送していた航空機が敵の地対空ミサイルで撃墜されてしまったのだ。何とか降下できた者も、降下地点に待ち伏せしていた敵兵によって次々と討たれていった。俺と隊長は命からがら逃げ出してきたのだ。


「まあな。しかも本隊は敵基地を挟んで向こう側だ。こちら側には俺たちしかおらん。敵が対空ミサイルを装備していたとなれば、こっち側に援軍を送ることはないだろう」


「では、どうすれば…」


「あの基地は我が軍にとっても最優先の攻略対象だ。奇襲が失敗しても必ず落としにかかる。それを待つしかないな」


「持久戦…ですか」


 とりあえず装備の確認から行った。武器は小銃が1丁、弾は約300発。手榴弾2個にナイフ。雑嚢には食料が1食分、ノートや手袋など、小物ばかり入っていた。役に立つGPSや無線機に数日分の食料や寝袋、着替えが入っていた背嚢は逃走する最中に捨ててしまっていた。


 隊長も似たようなものらしい。俺との違いは、隊長は小銃の他に拳銃も腰に下げているくらいだ。


 たまったものではない。こんな装備では一時的に少数の敵と一戦交えるのが精一杯。長期間行動できるはずがない。俺はこっそりとため息をつく。


 いつの間にか隊長はポケットに入っていた防水処置されている地図を広げ、凝視していた。


「ぎりぎりまで敵基地まで接近して潜伏しよう。近いうちに必ず味方があの基地を攻撃する。その時に合流する」


「…分かりました」


 しばらく様子を見るべきかとも思ったが、隊長の判断には従うしかない。俺たちは銃の作動確認を行うと、今来たばかりの道なき道を引き返し始めた。


 しばらく進むと木の幹が銃弾で削れていたり、薬莢が転がっているのが目に付いた。


 そこからは用心のため、周りの草木を使って偽装を施し、二人が縦一列になって匍匐で木々の下をゆっくりと進む。俺からは隊長の足しか見えないが、前ではトラップに注意しながら進んでいるのだろう。


 匍匐で音も立てず、前方を確認しながらとなると進行速度は極端に遅くなる。数百メートル進むだけでも何時間もかかるのだ。結局1日経っても隊長の満足する待機地点は見つからず、そのまま木々の下で眠った。


 こういうときに困りやすいのがトイレだ。普段ならば紙とスコップを使って手近なところで用を足せばよいが、敵がどこから出てくるか分からないようなところではそうも行かない。この時ばかりは出撃前に隊長から指示されてオムツを付けていたことに感謝せざるを得ない。そうでなければ排泄物をズボンの中に垂れ流して大変なことになっていたはずだった。


「ここがいい」


 一日以上掛けて見つけた待機場所は、丘の斜面に作られた動物の住処と思える穴倉だった。確かに入り口の穴さえ偽装してしまえば敵に見つかることは無い。しかも敵の基地の一部だが見下ろすことが出来る。問題点といえば万が一発見されたときには退路が無いことだが、そうなりそうなときは決死の覚悟で飛び出すしかないだろう。


 穴の中は広いとは言えないが、大人2人なら何とか入る空間があった。奥は結構深いようだ。排泄物は奥で穴でも掘って埋めれば良いだろう。


「さて、当分はここで待機だ…」


「隊長はどれくらいで攻撃が始まると?」


「…本部が作戦を立て直して正面から攻撃するとなると、増援が到着しないことには始まらんだろう。早くても2、3日。長ければ――」


「長ければ?」


「……さあな。分からんよ。食料はどれだけ残ってる?」


「一食分しかありませんでしたから。まだ手を付けていませんが、どうしましょう」


「とりあえず3日に分けて食おう。水は丘の向こうに川があったはずだ。夜になったらお前が補充しに行け」


「分かりました」


 とは言ったものの、どうなることやら。


 既に腹は空腹を通り越している。食欲はわかないが、身体の疲労感が酷い上に異臭もしてきた。

 正直、つらい。

 


 ――3日目。食料が底をついた。


 水だけはあるのがありがたいが、所詮は川の水だ。せめて沸かすくらいの対策はしたいが、我慢して飲むしかなかった。腹がおかしくならないか不安だ。


 この間、敵味方共に大きな動きは無い。何度か哨戒の敵兵がすぐ傍を通過したが、気づかれることはなかった。


 隊長とも昨日から一言も会話していない。お互いかなり参っている様だ。


 他にこちら側に残っている味方は居ないのだろうか。


『日本ノ兵隊ノミナサン。ワレワレハアナタガタニ危害ヲクワエルコトハアリマセン。ドウカデテキテクダサイ』


 また始まったか…。


 毎日昼になると投降を促す敵からの放送が流れる。誰が出て行くものか。


 隊長も聞き流しながら、目の前で跳ねていたバッタを鷲づかみにするとそのまま口に放り込んでボリボリと食べ始めた。


「せめて焼かないと食えたもんじゃないな…」


 ぼそりと呟きが聞こえた。


『ワタシノ言葉ガ信用デキナイヨウナノデ、今日ハミナサンノオ仲間ヲオツレシマシタ』


「…何?」


 俺も隊長も驚いて、思わず耳を澄ませる。


『…だ…第1中隊2小隊のタナカ伍長。捕虜に…なりましたが…手厚い待遇を受け…』


 同じ小隊の先輩だ。捕虜になっていたのか。しかし敵もこんな手を使ってくるなんて。


『どうか…投降して………』


 言葉が途切れた。どうしたんだ。


『―――っ、嘘だーーーっ!投降するな!殺されるぞ!ササキ曹長もマキタ軍曹もこいつらに――』


 その言葉を打ち消すように一発の銃声が響き渡った。


「…………」


 その銃声が何を意味しているのか、誰に聞かずとも理解できた。


「あいつら…」


 頭に血が上った。


 銃を持って穴倉から飛び出そうとすると、隊長に足首を掴まれて引きずり戻された。


「隊長!何故!?――むぐっ」


 大声を出した瞬間に片手で口を塞がれる。


「黙ってろ。敵に見つかる」


「むーっ、ふがふがっ」


 何を考えてるんだ隊長は。自分の部下が殺されたんだぞ。


 隊長から逃れようと暴れ続けていると突然頬を殴られた。狭い穴倉の中、そのまま組み伏せられると隊長の顔が眼前に迫る。


「今は耐えろ。あいつらは…必ず俺が…殺す」


「………っ」


 恐ろしい眼をしていた。訓練でしごかれている時でもこんな眼は見たことが無い。隊長も部下が殺されたことに怒ってる。自分の殺意を隠せないほどに。


 俺は力を抜いた。掴まれていた手も自然に離れる。


 隊長は一息ついてぼそりと言った。


「――待つのは止めだ。今夜敵基地の偵察に行くぞ」



 その日の深夜、俺たち二人は敵基地のバリケードから数百メートル地点まで接近した。

 バリケードは有刺鉄線をめぐらせた簡素なものだが、定期的に巡回も行っているのだろう。車のライトが20分間隔で確認できた。


「奥に対空ミサイルが確認できます。ここから見える格納庫の大きさから推測すると、車両は30台は下らないでしょう」


「森の中にしちゃずいぶんと近代的な基地だな。建物は全て鉄筋コンクリだし、おっと対空砲に自走砲も控えてやがる」


「今の我々にできるとすれば、せいぜい破壊工作ですが、道具も無く、この数では…」


「一番の脅威は対空ミサイルだ。あれさえ黙らせれば制空権を抑えられる。あいつさえ無力化してしまえばいい」


「分かりました。数は分かりませんが…基地の規模からいっても複数あるはずです」


「そうだな…手分けして破壊しよう。射撃管制装置を無力化すれば、ミサイルなんてただの花火だ」


「分かりました」


 射撃管制装置はレーダーによって敵を捕捉し、ミサイルを目標へ誘導するための装置だ。ミサイルとは別のトラックに載せて運用するのが一般的だが、大体はミサイルの傍に設置してある。


「破壊した後は全力で離脱する。合流地点は元の穴倉だ。しっかりやれよ。お前も空挺部隊の一員なんだからな、上等兵」


「はい」


 次の車のライトが通り過ぎると同時に行動を開始した。


 バリケードの有刺鉄線は銃剣と鞘を組み合わせてワイヤーカッターにして切断する。切断は一番下を最低限。仰向けで隙間に身体を滑り込ませて侵入する。


 侵入後は隊長と別れ、射撃管制装置に向かう。銃を持っていながらも撃つことが出来ない状況というのはかなりきつい。発見されれば撃つしかないのだろうが、それは作戦の失敗を意味し、自分が死ぬまでの僅かな時間稼ぎにしかならない。


 ……もともと死ぬつもりで来たのだ。いざとなれば一人でも多くの敵兵を道連れにして――


 俺は無言で小銃に銃剣を付けた。ナイフでやりあうにしても、リーチが長いほうが有利だろう。


 意外と簡単に至近距離までは接近はできた。しかしここから先、数十メートルに隠れられそうな遮蔽物はない。


 発射装置周辺には予想通り兵が警戒に当たっていた。いざ発射というときには離れるのだろうが、どうするべきか。


「さて…どう攻めるか」


 ぐずぐずしていては敵に発見されてしまう。


 やはりこいつで行くしかないか…


 俺は手榴弾をひとつ手に取った。持っている手榴弾は二つだけ。ひとつ目で射撃管制装置周辺の敵を駆逐し、発砲しながら接近。二つ目を射撃管制装置の機器の中へ放り込み、内部から破壊する。


 問題はひとつ目がここから投げて届くかだが。


「50メートルはあるな…」


 正直、投擲は得意ではない。小銃てき弾を持っていれば造作も無いのに。


「よし…」


 考えていても仕方ない。俺は深呼吸をして大きく振りかぶった。


 その時、遥か遠方から銃声が聞こえるのを聞いた。


「隊長…!?発見されたのか?」


 ここから見える敵兵も動揺している。慌てて無線機で連絡を取ろうとしているようだ。注意は銃声の聞こえた方向に向いている。こちらは完全に死角だ。


「…いける!」


 俺はピンを抜くと、思いっきり手榴弾を斜め45度の夜空に向かって放り投げた。空中でレバーが外れ、点火まで5秒。一人の敵兵のすぐ後ろに落ちた。後3秒。落下音に思わず振り返る敵兵。後2秒。手榴弾に気づいた。しかし後1秒。もう間に合わない。


 手榴弾は爆発。破片を撒き散らし、目の前の敵兵を殺傷する。映画のような派手な爆発ではない。手榴弾の殺傷範囲は約15メートル。たとえその範囲でも伏せていれば助かる可能性もある。だが目の前の兵士にはその余裕すらなかった。


 爆風によって身体が吹っ飛び、アスファルトに叩きつけられる敵兵が確認できた。


「よし!行くぞ」


 俺は意を決し、射撃管制装置に向かって突撃を開始した。まだ周りには兵士が居る。しかし動揺している今なら何とかなる。敵に準備を取らせるな。薬室に弾を送り込む前に片を付ける。


 3点バーストで一人ずつ確実に弾を撃ち込む。正直これも一か八かだ。小銃は単発以外で撃つとジャムる可能性がかなり高い。フルオートでジャムらずに一弾倉撃ちつくせる小銃なんて無いというのが知り合いの整備兵の口癖だった。


 それにここ3日間ろくに食事をしていない。空腹の状態で全力疾走はかなり堪える。


「うおおおおおぉぉぉぉ!!」


 それを打ち消すように叫んだ。身体はフラフラでも気力だけは負けていないつもりだ。


 射撃管制装置付近に居た敵は3人。1人は既にやった。後2人。

 

 2人の敵が気づいて俺に銃口を向けてくる。何をやっている?あいつら今頃弾を装填してやがる。チャンスだ。


 今のうちに2人とも…!

 だが走りながらで3点バーストでは身体も銃もブレてなかなか当たらない。


「くそっ…」


 もたもたしていたらこっちがやられる。とにかく弾幕を張れば…。


 1人当たった。運良く上半身に2発。もう動けないだろう。もう1人はこちらが発砲していることに怯んでもたついている。敵に引き金を引かせるな。


「突っ込めえええええ!!」


 もう弾を当てる必要もない。小銃を腰だめに構えたまま速度を落とさず、銃剣の切っ先を相手の心臓に突き立てる。


 肉をえぐり、臓器を貫く感触が銃を通して手に伝わる。無意識に少し手が震えているようだが、力を込めて銃剣を引き抜く。気持ち悪い肉の感触がした。


「はあはあはあ…」


 こんなにも疲れたのは初めてだ。銃剣にはべっとりと血が付着している。


 一息つきたいところだが、ぐずぐずしていられない。銃声を聞きつけてすぐに敵が集まってくる。


 射撃管制装置の機器のひとつの扉を開けて、中に手榴弾を放り込む。扉を閉めて5秒後、内部から爆発音が響き渡り、扉が吹っ飛んだ。


 これでミサイルは使い物にならない。射撃管制装置でミサイルを誘導できなければ目標に命中させることはできない。これでミサイルは使用不能だ。


「よし、それじゃあ隊長に合流して…」


 射撃管制装置から離れようとしたその瞬間、すぐ傍に銃弾がかすめる。


 見つかった!


 そっと陰から顔を出すと、既に10人以上の人影が見えた。


「くそっ…」


 これでは動けない。そう考えているうちにも再び銃弾が飛んできた。慌てて射撃管制装置の陰に隠れ、隙を見ながら敵のいる方向へ適当に銃弾をばら撒く。


 どうする?


 弾倉を交換しながら考える。傍には今俺が刺し殺した敵の遺体があった。俺はそいつの腰のバッグを漁り始める。パッキングされた食料が見つかった。俺はその封を開けると左手で中身を鷲づかみにして口に放り込む。


「………まずい…」


 米のようだが冷たくて硬い上に味もない。腹が減っていれば何でもおいしく感じるかと思ったが、それは嘘だ。まずいものはまずい。しかし俺はそれをむさぼり食った。左手がべとべとになったが気にしない。不思議と物を口に入れた瞬間から力が湧き上がってくるようだ。


 そうこうしているうちにも飛んでくる銃弾はどんどん増えている。当てようとしているというよりも、動きを封じる為のようだ。


 今は射撃管制装置が壁となってくれているが、側面や後方に回り込まれたらお仕舞いだ。敵もそれを狙って威嚇射撃をしているのだろう。


「ここまでか……」


 怖い。今になって震えてきた。俺がたった今殺した敵兵のように、俺も鉛弾を身体に撃ち込まれて絶命するのだろう。いや、それとも一旦捕まえてなぶり殺しか。


 下手に苦しんで殺されるくらいなら、自分で死を選んだ方が楽かもしれない。もういつ死んでもおかしくない状況で自分が生きていることが重圧すぎる。


 いっそすぐに死んでしまえばこの緊張感から解放されるのに…。


 しかし身体は訓練されたように伏せ撃ちの姿勢を取っていた。敵の遺体を壁代わりにして、側面からの銃撃を防ぎながら応戦する。


 射撃管制装置の向こうにいる敵は俺が側面に引き付けられている間に接近してくるだろう。もう逃げ場はない。


「死にたく…ない…」


 兵士になった時から、戦場に来ることになった時にも、こうなることは覚悟していたはずなのに。やっぱり死にたくない。


 弾倉が空になったが、銃撃が激しすぎて交換することもおぼつかない。少し肘が上がっただけでも、そこを銃弾で削ぎ取られそうに思えた。


 俺は眼を閉じた。自分の死ぬ瞬間まで正気を保っていられる自信がなくなったのだ。

 

 さよなら…。誰に?家族も恋人もいない。親友も死んだ。俺には別れを言う人すらいなかった。


 その時、眼を閉じていても分かるほど、周りが明るくなった。サーチライトで照らされたのかとも思ったが、違う。


 銃声で耳がやられているために聞き取りにくかったが、爆音が鳴り響いているのだ。空を見上げると何十本もの光の矢がこの基地に向かって降り注いでいた。


「……ミサイル」


 空から降り注ぐ対地ミサイル。そして地上からは迎撃の対空ミサイルが発射されているが、数が違いすぎる。迎撃しきれないミサイルが基地を破壊していく。基地に備蓄されている弾薬や燃料に誘爆し、基地は真っ赤に染まっていく。


「――ようやく、動いたか」


 援軍がようやく動き出したのだ。ミサイルの攻撃が止めば地上部隊もやってくるはず。助かるかもしれない。


 となるとぐずぐずしてはいられない。身を隠さなければ。敵は混乱している。今なら…。


 俺は素早く立ち上がると、敵の姿が見えない建物に向かって走り出した。急げ。


「はあっ、はあっ、はあ…」


 息が苦しい。焦りと不安と生への執着で身体がおかしくなっているようだ。


 何とか辿り着く。これは倉庫か何かだろう。誰もいないことからゴミ捨て場かもしれない。


 しかし運がよかった。このまま密林に戻って事が収まるまで隠れていればいい。後は本隊に任せるべきだ。


 もう、やることなんて…。


「隊長…どこに…」


 どこにいるのだろう。やられているのか。無事なのか。いや、隊長だけではない。捕虜となった仲間もどこかにいるかも知れない。


 おそらく本隊は俺達が全滅したものと考えている。この基地への無差別ともいえる爆撃を見れば、もし生きていたいとしても多少の犠牲は仕方ないと考えているのかもしれない。


 兵士は軍にとってただの駒でしかない。誰かだから助けるということもしない。大を救う為に小を切り捨てるのも必要なことなのだ。


 俺は何の為にここにいる。仲間の為にここに来たのではないのか。自分の命が惜しくなったらとんずらか。情けない。


 折角助かりそうなのに、またあの命の重圧に潰されそうな所に飛び込まなければならないのか。今度は間違いなく死ぬぞ。


 手が震えている。入隊前とは比べ物にならないほど太くなった腕。盛り上がった肩。厚くなった胸板。どれだけ身体を鍛えても、心の弱さは変わらないか。


 仲間のために怒りをもって赴いてきたはずなのに、安全なところで自分に酔っていただけか。その証拠に一度死線を潜り抜けただけで挫けそうになっている。


「自分に酔っていただけか…」


 なら、最後まで自分に酔ってやる。俺は英雄だ。死ぬはずがない。隊長も生きている捕虜も助け出す。たった1人で。


「やってやる。やってやるよ。俺なら出来る」


 震える手で弾倉を交換した。薬室に弾を送り込む。


 呼吸困難に陥りそうな荒い息遣いのまま、俺は火の手の舞う基地の奥へ駆け出していった。



 基地の中は予想以上に大混乱だった。敵の姿は何度も見かけたが、至近距離でなければ気づかれることすらなかった。


 あちこちで爆音や銃声が聞こえる。混乱して同士討ちになっているのかもしれない。好都合だ。


 俺は隊長と捕虜を探し続ける、が見つからない。どこにいるんだ。


 ある角を曲がったところだった。突然眼前に銃口を突きつけられる。


(見つかった!)


「お前か…」


 その声は聞き覚えがあった。


「隊長!無事でしたか」


「ああ、だがヘマしちまった」


 良く見ると壁に持たれかかった状態で、腹部が真っ赤に染まっている。右手に拳銃を持ち、左手で腹部を押さえていた。


「撃たれたんですか!?」


「ああ」


 これは酷い。内臓がやられているかもしれない。


「とにかく、脱出しましょう。肩を貸します。動けますか?」


「何とかな…」


 顔を歪めながらも俺の肩に体重を預け、何とか立つ隊長。


「ようやく動きがあったようだな…」


「ええ、我々は早くこの場を離れましょう」


「…助かったよ」


「え?」


「お前がやられていたり、1人で離脱していたら、俺は死んでただろう」


「隊長…」


「とにかく、あの密林までいけば…うっ」


「隊長!しっかりして下さい」


「…大丈夫だ。死にはせんさ」


 俺より隊長の方がずっと身体が大きい。逆なら担ぎ上げることも出来ただろうが、どうしようもない。隊長にも歩いてもらうしか。


 こういう時に自分の未熟さを痛感する。苦痛に顔を歪めながらも身体を動かす隊長の姿は尊敬に値した。


 俺は左肩を隊長に貸し、右肩からスリングを下げて小銃を構えた。小銃は片手で撃って敵に当てられるようなものではないが、仕方ない。


 今は少しでも早く基地から遠ざからなければ。こんな状況では敵に見つかったらひとたまりも無いし、味方の砲弾でやられるのもご免だ。


 敵の目を盗んで進んでいたが、コンテナが大量におかれている場所で隊長がついに動けなくなってしまった。


「隊長…!」


「うう……」


 顔は脂汗でびっしょりな上、腹部は血でべっとりと染まっている。隊長がこの状態ではこれ以上、移動は無理だ。なんとかして味方が来るまで持ちこたえるしかない。


 俺は隊長を引きづってコンテナの陰に隠れた。引きづった後が血で残っているが、どうしようもない。


 自分達がいるところは暗闇だが、視線の先は紅い炎に染まっていた。隊長を寝かせ、俺は膝撃ちの姿勢で小銃を構えた。呼吸が荒い。深呼吸をして落ち着かせようとするが、余計に激しくなるようだ。


「落ち着け…落ち着け…」


 後は敵が来ないことを祈るしかない。敵に見つかれば撃つしかないが、銃声が聞こえれば敵が集まってくる。


 遠くに敵の姿が見えた。数人がうろうろしている。統制が取れている行動ではない。やはり砲撃を受けて混乱しているのだろう。


「気づくなよ…」


 来ないでくれと願うことしか出来なかったが、それも叶わなかった。すぐ目の前のコンテナの陰から、敵兵が一人歩いてきたのだ。


 まだこちらには気づいていない。いや、地面の血に気づいた。そしてその先であるこちらに目が向き――


 銃声が一発。


 俺の小銃の排莢口から薬莢が一つ、飛び出して傍のコンテナに当たった。俺には銃声よりもその金属音の方が耳に響いた。


 撃ってしまった。


 コンテナの向こうがざわついている。当然ながら、まだ敵がいたのだろう。すぐこっちにやって来るぞ。


 俺は小銃を単発でひたすら撃ち続けた。敵は次々とやってくる。倒せたのは最初の数人だけ。あとはコンテナの陰から撃ってくるので全く当てられない。牽制として弾を消費しているだけだ。


 その時小銃から異音がした。引き金が動かない。横から見ると排莢不良で薬莢が噛んでいた。


「こんなときに…!?」


 まずい。悠長に薬莢を取り除いている場合ではない。こちらが撃ってこない隙を狙い、次々と銃弾が飛んで来る。数十センチ傍のコンテナに当たり、大きな金属音を発する。顔の傍を通る弾が頬に裂傷を作る。このままでは自分がいつ死ぬか分からない。


「隊長、借ります!」


 俺は小銃を捨てると滑る様に隊長の右手に握られている拳銃を手に取った。後何発残っているのか分からないが、これで数分、いや数十秒命を繋ぎ止めるしかない。


 俺は必死に引き金を引いた。拳銃は片手でも簡単に撃てるが、弾は全く当たらない。大体、将校でもない俺は拳銃の射撃訓練はやったことすらなかった。

 

 1発…2発……3発……4発……5発………6発目で弾が切れた。拳銃のスライドは後退したまま戻らない。弾切れの証拠だ。


 もう武器は無い。しかし俺は弾切れの拳銃を下ろすことが出来なかった。せめて最後は敵に銃口を向けたまま死のう。それが俺の兵士としての最後の誇りだ。


 落ち着いてみると、敵の銃弾もはっきり見える。このうちのどれかが俺の身体を貫くのだろう。


 左肩に刺すような衝撃。早速1発が当たったか。足に2発目。もう膝立ちでいることすら出来ない。身体に力が入らず、倒れこんだ。しかし眼はしっかりと敵を見ていた。


 もう視界もぼやけてはっきり見えない。耳もよく聞こえない。


 もう感覚がないからかもしれないが、銃弾が飛んでこなくなったようだ。遠くの敵兵が倒れるように見えた。  

 

 誰か近づいてくる。敵ではないのか?何か俺に叫んでいる。誰だ…?


 意識が朦朧としていて現実感が無い。もう、どうにでもなれ……。




 目が覚めた頃には空が白み始めていた。


 敵の基地は壊滅し、我が軍の手に落ちていた。俺と隊長は助かったのだ。


 上半身を起こして状況を確認してみる。俺は簡易ベッドの上に寝かせられ、衛生兵に応急処置を施されていた。隊長も隣で横になっていた。お互い後方の野戦病院に送られることになるらしい。


 空挺部隊で生き残っていたのは俺たちだけだったらしい。敵の奇襲、追撃、捕虜になってからの殺害によって全て殺されていた。もちろんまだどこかに隠れている可能性もあるが。


 怪我が治っても戻れる部隊はもう無い。どこか別の部隊に俺も隊長も改めて配属されるのだろう。


 基地の中ではまだ火災が収まっていない。敵兵の遺体もあちこちに散乱しており、それ兵たちが片付けていた。お互い大勢死んだようだ。


「眩しいな…」


 隊長が呟いた。朝日が目に入ったようだ。


「もう夜が明けます」


「腹が減ったな…」


 隊長の場違いとも思える発言に、思わず笑みがこぼれた。


「そうですね」


 ほんの数日のはずだったが、俺とっては長い戦いが終わった。もちろん傷が治れば再び前線へ赴くのだろうが。


 今はただ疲れた。


 俺は簡易ベッドに再び横になると、瞼を閉じて眠りについていった。

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