胡乱なる邂逅
前略、お母さん。
ぼくはいま、とても大変な状況に置かれています。
ふとした弾みで入り込んでしまった繁華街の路地裏で、面妖なる銀色の怪生物と、うっかりばったり鉢合わせしてしまったのです。
嗚呼、ぼくはなんと不運な、間の悪い男なのでしょうか。この年の瀬に、日本全国で怒涛の如く開催される年忘れの宴会騒ぎ……こんな風習がそもそも存在することがなければ。その一次会であんなに盛り上がってしまうことがなければ。調子に乗ってウヰスキーをがぶ飲みするなどと言う愚行を犯すことがなければ。さもなくば、異常を感じたるのち速やかに厠に出向き、然るべき緊急処置を講じておきさえすれば!情けなくも散会後に前後不覚となり辿るべき帰路を著しく見失った挙句、こんな路地裏に足を運ぶことはなかったのです。
「それ」は予期せぬ侵入者の出現に大層驚いていた様子でした。
勿論ぼくだってびっくりです。
(我ら地球人類……ホモ・サピエンスと称される生物の一般的形態に酷似しながらも、頭部のみ風船型に大きく膨み、外耳器は尖状の傾向著しく、そのくせ顔面には全く突起が感じられず、鈍く輝く眼球ばかりが異様に大きく目立ち、四肢は非常に華奢で先細り、全体的な体長は凡そ我々の幼年期ほどに止まった……銀色の生物!)
この日本国の何の変哲もない飲み屋街の路地裏で、21世紀にもなって、所謂「リトルグレイ」を絵に描いて立体化したかのような珍妙極まりない存在にばったり出くわすことになろうなどとは夢にも……いえ、夢でしか思わなかったのですから。
あぁ、夢。きっとこれは夢なのです。度を越してアルコールを摂取してしまったために、未だ居酒屋の座敷の隅で睡んでいるか。何とか下宿に帰り着いてそのまま寝込んでしまったか。はたまた、仲間に迷惑をかけながら寝惚けているか。さもなくば、歩きながら白昼(……ではない、黒夜?……)夢の一つでも体験しているに違いないのです。そうでもなければ、こんなステロタイプにも程がある没個性的地球外生命体、と思しき存在に脈絡もなく邂逅することなど決して
piropiropiro...
突如その銀色物体が怪げな音を発し始めたので、やむを得ずぼくは、目の前の存在と向き合わざるを得なくなりました。
piroro...piro...pirrrrrrrr
嗚呼、お母さん。ぼくはいまこの瞬間ほど、外国語の修養を疎かにしてきた過ちを悔いたことはありません。未だ嘗てこのような異音を以って発話する言語など耳に挟んだことは決してないとは言え、しかし、こちらを向いたまま頻りに謎の音を発し続ける彼(?)の態度を鑑みるに、何らかの意思をこちらに伝えんと奮闘しているその事実を無視するのはあまりに忍びないことなのです。
piro...pirorororo...pippi...
やがてあちらの方も、その意思が全く以って当方に伝達し得ていない事実を認めるに至ったらしく、徐々にその奇音の発生は絶え絶えとなり、ついには止んでしまいました。
その後に訪れたのは、只管の沈黙。ぼくと、その異星からの使者(推定)は、ただじっと互いを見詰め合うことしかできなかったのです。
...pii...
困り果てたかのようにまた、そのヒトは短く、たいそう哀愁漂う音を発生させました。
嗚呼、お母さん。ぼくはいま自分が大変に情けない!こんな仄暗い裏路地でひとり、言葉も通じずに打ちひしがれている気の毒な友邦に対し、ぼくは何もしてやることができないのでしょうか?
否!
お母さんはぼくによく教えてくれましたね。目の前で困っている人を見かけたら、迷わず手を差し伸べてあげなさいと。そして一見無理そうなことにも、ひとまずは挑戦してみるものなのだと。
ぼくは何とかして頭を働かせ、勇気を振り絞り、声帯を引き絞って
「ぴろろろろ……ぴろっ!」
できる限り甲高い声色を用いて、この異世界の住人に話しかけてみることにしました。
するとカレは一瞬驚いたような素振りを見せ……即ち、もともと大きかった双眸を更に大きく広げた後、ぱちぱちと瞬かせ
pirororororo...pippii...pirororo!!
ぼくの大層怪しげな問いかけに答えてきてくれました。
ぼくも頑張って応答します。
「ぴろろろろろ……ぴっぴろろー……ぴろっ」
pirorropiropiropii...pirrrrrr
「ぴろろっろぴぴっぴろー……ぴっぴー」
piroooropirorororo...pippiiro!!
ぼくにしてみればまったく意味不明で間抜けなやり取りでしかなかったのですが、それでもカレにとっては何らかの意義が其処に存在したらしく……
突如カレはヒョコヒョコと路地の更に奥を目指して歩き始め、暫し後に何かを指し示してこちらに訴えてきました。
piropippiroo...piroro...
「……ぴろっぴろ? ぴろろー」
適当に返事を返しつつぼくもそちらに近づき、カレの示さんとするところを覗きます。
果たして、其処には在ったのです。『Unknown Flying Object』、即ち『空飛ぶ円盤』が。
(尤も今現在の状況としてその物体が飛行状態にある所が確認されていないため、事実としてそれがFlying Objectであると断定することはできないのですが……しかし、世界各地で言い伝えられる銀色生命体が、これまた銀色の円盤状物体を意味ありげに示した以上、暫定的にそれをUFO的存在であると判ずるにはさほどの苦しさを伴わない筈です)
pirorororoo...piropipipi...
情けないことに、今を以ってしてもぼくにはカレの用いる言語表現を理解することが出来てはいないのですが、それでも困り果てたような哀愁漂うカレの調子から(その辺りの基本的感情表現は言語と種族の壁を越えてなお共通なる物であると、今ぼくは確信しています)、恐らくその円盤に何らかのトラブルが発生し、結果カレは困り果てているのだろうと推測しました。
「ぴろろろー……ぴっぴろろ?」
念のため、「触ってもいいかい?」とお伺いを立てます。(文法規則など、細かなことはひとまず後回しです。感情と真心さえ伴えば、きっと思いは通ずるはずなのです。)
piroppipirororoo...piro!
嫌がる様子ではなかったので、了承を得られたものと判断し、そうっと、まるで灰皿のようなその物体に手を伸ばしました。
灰皿でした。
……いえ、軽率な判断です。事実それが間違いなく喫煙用具としての灰皿であると断定することは出来ません。
しかしその物体はどう見ても、触ってみても、巷の彼方此方に散見される金属製エチケット器具を重ね合わせたものとしか考えられなかったのです。
そもそも、大きさが問題です。その物体はどう鑑みても、ぼくの片手に余る程度の体積しか持ち合わせておらず、目の前で心細げにしているコビト大の人型生物が搭乗するには明らかに小さすぎるように思えます。
もしかしたらその物体がカレの乗り物であるというのはぼくの勝手なる思い込みで、実際には単なる通信機か、偵察用小型機の類か、はたまた我々地球人には想定し得ぬ用途に用いられる何らかの秘密器具であるのかも知れません。
pipirppirorororoo...
しかし、なんとも同情を誘う声を上げて、此方を見上げるものです。その姿はまるで小さな子供のようで……嗚呼、実際カレはほんの子供に過ぎぬのかもしれません。こんな裏路地で、偶然迷い込んできたぼくのような酔っ払いに、必死で助けを求めてしまうくらいなのですから!
「ぴるろろろ……ぴろっ!」
安心しなさい、ぼくが何とかして助けてあげるから!そう強く呼びかけると、ぼくは手の内にある円盤に(ぼくはこの時ほど、自分が機械工学を専攻しなかったのを正解に思ったことはありません。さもなくば、とっさにこれほど適切な処置を執ることは出来なかったでしょうから)
渾身の力で、斜め上方向より手刀を叩き込みました。
すると円盤は突如ぶるぶると怪しく震えだし、逃げるようにしてぼくの掌から飛び上がると、銀色のカレの頭上でぐるりぐるりと回り始めたのです。
pirorororororororor...pippii!!
カレはたいそう嬉しそうな声を発すると(相変わらず彼の言葉の具体的意味はよく理解できないでいますが)、銀色の光のような煙のようなものに包まれ……と言うよりはカレ自身がそのようなものに変化して、空飛ぶ灰皿にすうっと吸い込まれるようにして消えてゆきます。
pirpipipirrrpirorororoo!!
そして彼を乗せた円盤は、別れを惜しむかのようにぼくの頭上を旋回した後、ぱっと夜空の彼方に飛んでいってしまいました。
なんとも唐突な別れ。
こうなってしまっては、ぼくはカレの消えていった空をただ呆と眺めるほかありません。最後にカレが残した言葉はいったい如何なる意味を持つものであったのか、いくら頭をひねったところで、宇宙語を解さぬぼくには到底理解できそうにないのですから。
全く以て、何が何やら。複雑なる思いを胸より放出すべく、ふぅ、と大きく息を吐き出しつつ、ぼくはまたカレがつい前程まで佇んでいた辺りにまで視線を戻しました。
すると朧なる僕の視界に、これまた銀色の鈍い光が……三度目の何やらとばかりに飛び込んで来るのを、もはや愈々覚束なくぎこちなくしか動いてくれないぼくの脳細胞はしかし、はっきりと知覚したのです。
銀色、ただそれだけの色彩的特徴が妙にぼくの胸をざわつかせ、戦慄させます。
すわ、これはまたカレの忘れ物か、はたまた置き土産か。カレのあの円らな瞳とぴるぴるという高音の響きを思い返しながら、ぼくはゆっくりと膝を折り、第三の銀色なる物体へと顔を近づけました。
それは、先程のカレよりも、カレを吸い込んで消えていった円盤よりもまた更に小さく、指先でつまめるほどの大きさしかない、銀色で、円形の、差し詰め世界のあらゆる場所にて星の数ほどに流通している金属製なる各国銀行券即ち硬貨によく似た特徴を持った……
……いえ、それは、今度こそ紛れも無く。
硬貨、でありました。
摘み上げて目を凝らして眺めてみても、偽り無く鮮やかにも読み取り得る文字は「日本国」(中心に何やらモコモコとした図柄を挟み)「百円」。
引っ繰り返して裏面を確かめれば、「昭和」「100」「三十七年」。
これがカレなりの、先程のぼくの行動に対する報酬或いは謝礼であったと受け止めるべきなのでしょうか。
むぅん、と鼻孔を震わせて声を漏らしつつ首を捻りながらもぼくは、その置き土産を摘んだ手を外套のポケットに突っ込み――普段から慣れ親しんでいる所謂「百円硬貨」には見慣れぬ特徴として「100」の両辺に刻まれている、扇状の放射線を指先で撫で上げつつ――その路地裏を立ち去るより、他になかったのです。
嗚呼、お母さん。世の中、本当に不思議なことがあるものなのですね。
草々。
追伸。もし二日酔いの症状に悩まされぬことがないならば、明日にでも帰省しようと思います。お正月のお餅は、多めに解凍しておいて下さい。
数年前に考えた小話に、加筆修正を加えたものです。