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殺意の方程式  作者: 虹宮
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第五問、彼が行っていた不正を暴きなさい

 個別に事情聴取をすることになり、崇史はそのために借りた空き教室へ通された。事情聴取は宝井が担当することになっているようで、その他の刑事は見当たらない。

 崇史は宝井が口を開く前に、自分から質問してみることにした。

「警察は今回のこと、どう思っているんですか?」

 質問をしたいのはこちらの方なのに、と宝井は一瞬不愉快そうな顔をしたが、それでもちゃんと答えてくれた。

「恐らく事故だろう、というのが大方の意見だ。俺もそう思っている」

 宝井がそう答えると、崇史は難しげな顔をして黙りこんだ。

「お前がどう考えているのか分からんが、今回の事件ではお前の出番はないだろうさ。この前の、お前の学校で起こった事件とは違う」

「……あ、俺のこと、覚えててくれたんですね」

 今更のように飄々と言う崇史に宝井はまた苛立たしげな顔をする。

「お前みたいな奴は初めてだったからな。嫌でも忘れられん」

 前回の事件では、警察の面目が丸つぶれだった。もちろん、公には警察が事件を解決したことにはなっているが、宝井の一警官としてのプライドが傷つけられたのは確かだ。

 しかし、自分のちっぽけなプライドよりも、事件の真実を明らかにする方が大事だと宝井は考えていたから、結果として崇史には感謝している。そして前回の事件の一件で、宝井が崇史に一目置き始めたというのも事実だった。

「で? お前はどう思ってるんだ?」

 宝井が聞くと、意見を求められたことを意外に思ったのか、崇史は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに真顔に戻った。

「分かりません。事故や自殺じゃないと思うんですけど、はっきりした根拠があるわけじゃないし。でも強いて言えば、田淵の行動は不自然です」

「ほう?」

 宝井自身も、政人の行動があまり自然なものではないことは感じていた。だがとりあえずは崇史の意見を聞いてみようと思い、促す。

「田淵が落下した場所ですよ。七階の倉庫から落ちたそうですけど、明らかにおかしい。何でそんな場所に田淵が行く必要があるのか分からない。後で他のみんなに聞いてみても、あの倉庫は使わない机や椅子や備品を置いてあるだけで、普段から生徒も講師もほとんど近寄らない場所らしいし」

「うむ」

 宝井は大きく頷いた。

「一応、今も事情聴取しながら、田淵政人があんな場所へ向かった理由について心当たりがないか聞いて回っているが、あまりいい結果は出ていないな」

「……授業が終わった瞬間、田淵は急ぐようにして教室を出て行きました。何か目的があったと思うんすけど」

 崇史は考え込むようにして腕を組んだが、これ以上考えても今の段階では答えは出ないだろうと思い、頭を切り替える。

「そういえば、田淵は手にUSBを持っていましたけど、あれ、何だったんですか?」

「ああ、あれか」

 宝井は困ったような顔をして頭を掻いた。

「中から、とんでもないものが見つかったよ。事件とは関係ないかも知れんがね」

 崇史が怪訝そうな表情を浮かべると、宝井は声を低くした。

「次回行われるテストのデータが中に入っていたんだ。科目は数学のみだったがな。田淵政人はそれをどこかから盗み出してきたらしい」

「えっ!?」

 まさか、Aクラスの生徒ともあろうものが、そんなことをしていたなんて。

 しかし、舞子が言うには、政人の成績は最近下がっていたらしい。それを気にして、思い余ってそんな行動に出てしまったとしてもおかしくはない。

 そこでふと、崇史の脳裏に一つの可能性が浮かび上がってきた。

「……宝井警部」

「何だ?」

 崇史は何かを考えるように右手を顎のあたりに当てながら、口を開く。

「そのUSBは、最近成績が下がり気味だった田淵にとって、かなり価値のあるものだった。となると、こうは考えられませんか? 犯人は、このUSBをエサにして、田淵を七階の倉庫におびき出すことが出来た」

 崇史の言葉に、宝井は目を見開いた。

「犯人が、田淵に次回のテストのデータが入っているUSBが、七階の倉庫に置いてある、とでも吹き込めば、田淵は高い確率でそれを取りに行こうとすると思う。こう考えれば、田淵が何故わざわざあんなところに行ったのかという場所の矛盾は解決する」

「待て!」

 宝井が横から鋭い声を上げた。

「お前は重要なことを忘れている。被害者を倉庫に誘き寄せたところで、肝心の犯人がその倉庫に出入りできないだろうが。被害者が落下した時間付近に、被害者以外の人間の出入りがなかったことは、三人もの人間が証言しているんだからな」

 犯人には、政人をつき落すことなど出来なかったのだ。それは崇史も認めざるを得ない。

「その三人と中野先生は、塾長に知らせた後、どうしたんですか?」

「高塚塾長と、三人の内の講師は田淵政人の死体がある現場へ向かった。三人の内の残りの二人はCクラスの生徒だったから四階へ帰らされ、中野澄香は講師控室に向かい、他の講師たちに事情を説明しに行った」

 となると、事件発覚後から警察が到着するまでの間なら、何者かが倉庫へ出入りすることが出来たわけだ。崇史の頭に、一つの可能性が浮かび上がる。

「……靴」

「は?」

「田淵の、靴の裏を調べてください。それから、七階の倉庫の、田淵が落ちたと思われる窓付近の床も。俺の予想が正しければ、何かしら出てくるはずだ」

 力強く宣言する崇史に、やはり面倒なことになりそうだ、と宝井は心の中で悪態をついた。





 その後の調査で、田淵政人の靴の裏と七階の倉庫の窓の付近の床から、油が検出されたことが分かった。

 床から検出された油はごく微量で、何かで拭きとられた痕跡が見られたそうだ。それを受けて秀麗ゼミナールの校舎内や付近をよく調べてみたところ、七階のごみ箱から油の染みこんだ雑巾が見つかった。どうやらその雑巾を使って、何者かが床の油を拭き取ったらしい。

「俺の考えた通りだ……」

 警察から帰ってもいいと言われた崇史は、彩音を伴って夜道を歩きながら、事件について考えていた。

 自分の予想とぴったり一致する結果が出てきて、崇史は一つの確信を深めていた。

「ねえ、それってどういうことなの?」

 道すがら、大体のことを崇史から聞いた彩音は、首をかしげながら聞いた。

「その油が何か事件に関係あるの?」

「ああ、かなり重要な発見だ。何しろ田淵の死は他殺である、ということが分かったんだからな」

「え!?」

 彩音は目を見開いた。

 崇史は得た情報をじっくり吟味しながら口を開く。

「犯人はおそらく、前もって七階の倉庫の窓付近の床に油を引いておいて、滑りやすくしておいたんだ。そして窓の外側に紐でUSBメモリをぶら下げておいた。宝井警部が言っていたんだけど、田淵が落ちた窓の外側には物を吊るしておけるような出っ張りがああって、実際に吊るされていたような痕跡もあったらしい」

 その出っ張りに、紐の形状に擦れた痕があったのだ。しかも、ごく最近出来たものらしい。

 ここまで分かれば、もう何があったのかはおのずと予想がつくだろう。

「実際の流れはこんなところかな。ます田淵は、犯人に倉庫にテストのデータが入ったUSBがあることを教えられ、そこへ向かう。そして窓の外の出っ張りにそのUSBを発見し、取ろうと窓から身を乗り出す。しかし、床は油で非常に滑りやすくなっていた」

「その田淵くんって人は足を滑らせ、そのまま窓から落下してしまった……」

 彩音がそのあとを引きとった。

「そういうことだな。犯人はそのあと、警察が来る前に床に引いておいた油を雑巾で拭いて、ごみ箱に捨てた。けど、田淵の靴の裏に付着した油までは拭けなかったんだな」

 現場に残されていた痕跡から考えて、このようなことが起こったのだと考えて間違いないだろう。しかし彩音は納得できない、といった顔で腕を組んでいる。

「でもさ、それってかなり運任せじゃない? 床を滑りやすくしておいたって、都合よく田淵くんが足を滑らせてくれるとは限らないじゃん。むしろ、そうなる可能性の方が低いと思うけど」

「俺もそう思うよ。犯人も、それは承知の上だったんじゃないかと思う」

「え?」

 彩音が再び驚いた。

「どういうこと? 犯人は、田淵くんが死なない可能性が高いことを分かっていて、それでもその方法を選んだっていうの?」

「ああ。そもそも、今回の殺人が失敗していたとして、犯人に何か不都合はあるか?」

「何言ってんの? もちろんいっぱいあるわよ。田淵くんは殺せないし、それに……」

 彩音は後を続けようとして、はっとした。

「……あれ? 何も……ない? 犯人にリスクなんて、何もないじゃない。だって、田淵くんが窓から落ちなければ、まったく何も起こらないんだもん! 命を狙われていた田淵くん自身ですら、その自覚もなくUSBを手に入れて終わり!」

「そう。失敗したら警察沙汰にすらならないんだ。成功すればラッキー、失敗しても特に危険はない。ノーリスクハイリターンだ。そして、犯人は次にまた同じような方法を試せばいい。田淵が本当に死んでしまうまで」

 自分で言っていて、ぞくりとした。もしかしたら、犯人は今回の件以前にも何回も同じような、偶然を装った方法で田淵の命を狙っていたのかもしれない。何度も何度も失敗し、そしてその結果、今夜田淵が死んだ。

 何回も何回も、日常生活の中で淡々と死に至る罠を張る。何と恐ろしいことなのだろう。

「一体誰が、そんな恐ろしいことを?」

 彩音に聞かれるが、具体的な犯人については今のところ見当がついていなかった。

「分からねぇ。でも、以前あった火事と無関係とは思えない。どこかで繋がっているんじゃないかと思うんだ」

「確かに、放火に殺人とそうそう連続して起こるものじゃないよね」

 偶然にしては出来すぎている。

 だが、今の崇史に田淵の殺人事件について調べるだけの力はない。宝井も、あとは自分たちに任せろと言って崇史を家に帰したのだ。

 警察は優秀だ。崇史の言葉を受けて即座に正確な調査を行い、崇史の他殺説を裏付けてくれた。宝井たちも、今回の事件が殺人だと分かった以上、入念に調査をしてくれるだろう。自分の出る幕はないと崇史は思う。

「俺は、俺なりのアプローチで色々と調べてみようと思う」

「どういうこと?」

「今回の殺人と、数ヶ月前の放火は繋がっている可能性が高い。警察は殺人について調査する。なら、俺は放火の方を当たってみるよ。何人かには話を聞けたけど、まだ何も聞けていない人もいるし」

 田淵政人もその一人だったのだが。

 とりあえずは、その政人のいた理系クラスの面々から話を聞いてみようと思った。

「あたしも協力する。梅野って人から、話を聞けばいいんだよね?」

 崇史と彩音は足を止め、顔を見合わせて頷き合った。







 翌日、崇史は理系クラスの授業が行われる教室まで足を伸ばした。

 最初の授業が始まるまでには、まだ少し時間がある。誰か早めに教室まで来ているだろうと思って来てみると、理系クラスの全員がそこにいた。昨日、命を落とした田淵政人を除いてだが。

「どうも。ちょっといいかな」

 引き戸を開けながら崇史が言うと、三人は一斉にこちらへ視線を向けてきた。

 最前列の席に座っている川上美弥が、露骨に迷惑そうな顔をする。

「一体、何の用? 私たち、次の授業の予習をしているんだけど」

 数学のテキストを開いたまま、美弥が硬い声で問いかける。

 崇史は一番近くにあった椅子に腰かけると、口を開いた。

「いや、昨日あんなことがあったばかりだし、大丈夫かなと思って。ほら、俺たち、一応同じAクラスの仲間だろ?」

「仲間?」

 美弥は嘲るようにわらった。

「随分図々しいのね。まだAクラスに来て数日しか経っていない新入りのくせに」

「…………」

「そうそう。それに、ここじゃ誰もお互いのことを仲間や友達だなんて思ってないって。少なくとも、そこにいるメガネ美人さんはさ」

 茶々を入れるように、横から橋本昌司が割り込んできた。

 メガネ美人と評された美弥は、横目で静かに昌司を睨みつける。

 火事について何か少しでも情報を得られないかと思って来てみたが、予想以上の険悪ぶりに崇史は戸惑うしかない。

「大体、田淵が死んだことからして、受験のライバルが死んでラッキーってくらいにしか考えてないんじゃねえの?」

 昌司のあまりの言い草に崇史は眉をひそめたが、美弥は涼しい顔でその言葉を受け流した。

「残念だけど、彼程度では私のライバルとしては力不足ね。下劣な想像はやめてくれる?」

 数少ないAクラスの友人が死んだばかりだというのに、このやり取りはどうなのだろう。

「……二人とも不謹慎だよ。そういう言い草は」

 崇史が口を出す前に、それまでじっと黙っていた宗像尚がそう言った。

 尚の言葉に、美弥は苦々しげに顔を歪める。

「偉そうに言ってくれるじゃない。たまたま入塾テストの結果が良かったからって」

「別にそういうつもりじゃ……」

「それに」

 反論しようとする尚を抑え込むように、美弥は言葉を重ねる。

「田淵政人っていうのはね、死んで惜しまれるような人間じゃなかったのよ。そもそも彼がAクラスにいたことからして間違ってた」

「どういうことだ?」

 崇史が聞くと、美弥は持っていたシャープペンシルを手の中でいじりながら答えた。

「二ヶ月に一度、入塾テストに合わせてクラス入れ替えのテストがあることは知っているでしょう? 田淵くんは毎回、そのテストで不正を働いていたの」

「不正っていうと?」

 シャープペンシルの芯が、美弥の手の中でぽきりと折れた。

「事前にテストの問題を盗み出してたのよ。彼はテストが始まる前から、どんな問題が出題されるか知っていた」

「マジかよおい!?」

 昌司が叫んだ。ずっと政人と机を並べて勉強してきた身からすると、信じられないのも無理はないのかもしれない。

「事実よ。私見たもの。彼がパソコンでテストのデータを見ているの」

 美弥は小さく息をついた。

「田淵くんとは同じ高校に通っているの。私はある日、彼が学校のパソコン室で何かのファイルを見ているのをたまたま見かけたわ。何かのテストのデータだっていうのはすぐに分かった。そのときは模試や過去問かなんかだと思っていたんだけど、後日塾のテストで私が見たのとまったく同じ問題が出たのよ」

「……田淵の野郎、そんなことしてたのか」

 苦々しげな顔で昌司が呟いた。

「そのことを、塾側に報告したりしなかったのか?」

「しようと思ったわ」

 美弥はシャープペンシルを机に置き、崇史の方へ体を向けた。

「でもその前に、本人に確認してみようと思って、彼を倉庫に呼び出したの。私が問い詰めたら白状したわ。その上、頼むから黙っていてくれって懇願された」

「その願いを、聞き入れたんだな?」

 今日まで、政人の不正が明らかになっていないということは、つまりそういうことなのだろう。しかし予想に反して、美弥は首を横に振った。

「突っぱねたわ。当然でしょう? あんな奴が同じAクラスにいるなんて汚らわしいもの。……ただ」

「ただ?」

「それどころじゃ、なくなったのよ。すがってくる田淵くんを振り切って倉庫の外に出てみたら、廊下が一面火の海になっていたんだもの」

「え?」

 それは、つまり。

「私が彼を問い詰めた日に起こったの。あの火事は」

 そう繋がってくるのか。崇史は驚愕に目を見開いた。

「そういえば、田淵と川上って最後に校舎から救出されたんだよな」

 昌司の言葉に、美弥は頷いた。

「中野先生たちが避難を呼び掛けていたらしいけれど、倉庫までは来なかったの。部屋には防音処理が施されていたし、おかげで火事に気付くのがだいぶ遅れたわ。私たちが火事に気付いた頃にはもう、階段の辺りまで火が回っていて避難は難しそうだった。もう手遅れかと思ったけど、消防署からはしご車が来ていたから、何とか窓から救助してもらうことが出来たの」

「正臣は、そのとき近くにいなかったの?」

 尚が思わずといった感じで口を挟んだ。

「……ああ、そういえば宗像くんは塾長の甥なんだっけ? ということは、亡くなった高塚くんとは従兄弟だったってことね」

「……うん」

「残念だけれど、私たちは彼のこと、見かけなかった。責めないでよ? あのときは私たち命がかかっていて、逃げるのに必死だったんだから」

「責めたりなんか、しないよ。悪いのは放火犯なんだし」

 尚が俯きながら答える。

 そんな尚の様子をじっと見ていた美弥は、やや躊躇ためらいがちに口を開いた。

「……私は、高塚くんを殺したのは田淵くんだと思う」

「え!?」

 崇史と尚の声が重なった。

「どういうことだよ?」

「火事だって分かった後、私たちは避難経路を探すために二手に分かれた。そのときに、田淵くんが高塚くんを殺したんじゃないかと思う。だって、高塚くんは田淵くんの秘密を握っていたんだもの」

「秘密って?」

 崇史の言葉に、美弥はふう、と小さく息をついた。

「高塚くんが、田淵くんにテストのデータを渡していたのよ。高塚くんは、塾長の息子でしょう? その立場を利用して、父親のパソコンからデータを盗み出していたらしいわ」

「そんな!? まさか!」

 思わず尚が声を上げたが、美弥は顔色一つ変えない。

「本当よ。田淵くん本人が、私に詰め寄られたときにそう言ってたんだもの。塾長ってとても厳しい人でしょ? 田淵くんは、そんな塾長に嫌気がさしていたらしいわ。そこに、ちょうどよく塾長の息子がいたものだから、腹いせに色々と嫌がらせをしていたんだって」

「そんな……」

「嫌がらせを止める条件として、田淵くんは高塚くんにテストのデータを要求したってわけね。本当に下劣な男」

 美弥はふんと鼻を鳴らした。

 尚は従兄弟が直面していたらしい事実を知り、何かを考えるように黙り込む。

「私に不正を見破られて、口封じに高塚くんを始末しようと考えていたとしても不思議じゃない。そうなると、タイミングが悪ければ私も殺されていたかもしれないということになるけど」

 確かに、美弥と正臣が死ねば田淵の不正を知る者はいなくなる。火事に直面したパニック状態の中で、田淵が思慮に欠けた行動を取ったしても不思議ではない。

「田淵くんの成績が最近下がっていたのもそのため。高塚くんがいなくなったから、テストの内容を事前に知ることが出来なかったのね。まあ、不正を働いたところで私に勝てなかったんだから、彼の成績なんてたかが知れてるってことね」

 美弥は、冷たい視線を尚に向けた。

「よかったじゃない。都合よく田淵くんが死んでくれて。もし彼が生きていたら、いずれ高塚くんの代わりに宗像くんが同じ役目を負わされていただろうし。……それとも」

 美弥は一旦言葉を切った。

「既に田淵くんから同じようなことを要求されて……困ったあなたは殺してしまったのかもしれないわね? 田淵くんのことを」

 尚は不愉快そうな顔で、美弥を睨んだ。

「僕はそんなことしないし、田淵くんから何かを要求されたこともない。第一、彼の死は事故なんでしょう?」

 美弥はそれには答えず、肩をすくめて答えてみせた。

「……そろそろ、数学の授業が始まるわ。部外者は出て行ってくれる?」

 美弥の冷たい声に、崇史は思わず時計を見た。確かに、もう授業開始まで五分を切っている。

「分かったよ。いきなり押しかけてきて、悪かった」

「いいっていいって。おかげで田淵の野郎の不正についても知ることが出来たしな」

 昌司が陽気な声で手をひらひらさせた。

 先ほどまで喋っていた美弥は、もはや崇史には関心を失ったかのように、再び数学のテキストに目を落としている。

 見知らぬ他人同士のように冷え冷えした雰囲気に居心地の悪さを感じながら、崇史は教室を出て行った。


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