表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殺意の方程式  作者: 虹宮
3/14

第一問、なぜAクラスに入れたのか

「現代文六十二点、古典三十点、日本史四十五点、政治経済四十四点……」

 目の前に並べられた紙を一枚一枚手に取りながら、母親の眉間の皺が深くなっていくのを、緒方崇史おがた たかしは身を縮ませながら眺めていた。

「英語のリーディングが三十三点、ライティングは四十八点、数学十五点、化学二十七点。はぁ……」

 母親は片手で頭を押さえ、深い深いため息をついた。

「あんた……もうちょっと何とかならなかったの?」

「い……いや、でもさ。赤点ラインが三十点だから、今回は追試が数学と化学の二科目だけなんだよ! ほら、前回は四科目もあったからさ、着実に前進はしてるんだよ! うん!」

「開き直るな!」

 スコーン、と軽快な音を立て、先ほどまで母親の足の下にあったスリッパが、崇史の頭を直撃した。

「まったく、少しは彩音あやねちゃんを見習ったらどうなの? 今回のテストで、学年百位以内に入ったそうじゃない。日頃からコツコツと勉強してた成果よね」

 崇史とその幼馴染、麻島あさじま彩音は私立高である条星院じょうせいいん高校に通っている。一学年が大体五百人。条星院高校自体がレベルの高い進学校であることを考えると、百位以内というのは確かに大した結果である。正確には、スポーツ推薦での入学者が入るスポーツクラスと、よりハイレベルな授業を行う特別進学クラスは、彩音の所属する一般クラスとはそれぞれ別のテストを行うので、五百人から二クラス分の人数を引いた人数内での順位となるわけだが。ちなみに崇史は、スポーツクラスに所属している。

「彩音とはやってるテストが違うんだから、単純には比較できないじゃん」

 口を尖らせた崇史の鼻先に、母親は一枚の紙を突き付けた。

「クラス内での順位表。これによると、あんたは四十二人中三十二位。お世辞にもいい順位とは言えないわね?」

「うっ!」

 痛いところを突かれた崇史は一瞬言葉に詰まる。

「お兄ちゃん、だっさー!」

 二人のやり取りを横目で見ていた妹が、ケタケタと笑いながら冷やかしてくるのを、崇史は恨みがましい目で見ているのだった。

奈々(なな)、あんたも人のことは言えないんだからね。崇史との話が終わったら、今度はあんたよ」

「えぇー……」

 途端に妹もしゅんとする。

「崇史。今回の結果を見て決めました。あんたは明日から塾に行きなさい」

「塾ぅ!?」

 嫌な言葉を聞いた、とばかりに崇史は思いっきり顔をしかめた。

「やだよ俺。勉強なんて学校だけでこりごりだし」

「学校だけの勉強でこの点数しか取れないんだからしょうがないでしょ」

「…………」

 そこに関しては反論の余地がない。

「で、でもさ! 俺はサッカー頑張ってるんだよ! スポーツ推薦で入った以上、俺は勉強よりもサッカーを頑張るべきであって……」

「サッカーを頑張るなとは言ってません。サッカーも頑張って、勉強も頑張りなさい。文武両道が一番!」

「うう……」

「部活が終わった後に塾に行くようにすれば、部活の時間を犠牲にせずに勉強も頑張れるでしょう? 大体、ほとんどの人はそうやって頑張ってるんだからね」

 母親はそう言って、おもむろに一枚のチラシを取り出した。

 チラシには大きく、「秀麗ゼミナール、生徒募集中!」とプリントされてある。

「今朝、うちのポストに入ってたの。聞いた話じゃ、生徒のレベルに合わせて最適な授業を提供してくれるんですって。と、いうわけでここに行きなさい。明日から」

 いくらなんでも急すぎる、と恨みがましい目で見つめる崇史に、母親はにんまりとした目でそっと耳打ちした。

「それに、彩音ちゃんも明日からこの塾に入るんですって。よかったじゃない、心強いでしょ?」





 翌日、崇史は七階建ての巨大な建物の前に立っていた。

「すっげー……。これ全部、塾なのか?」

 その建物は白を基調としたおしゃれなデザインが目を引いており、少し見ただけでは学習塾だとは思えない。だがよく見てみると、建物の右端部分に大きく「秀麗ゼミナール」と書かれた看板が掲げられているのが分かる。

「今年建てられたばかりの新築だからね。中もピッカピカみたい」

 パンフレットを覗き込みながら、彩音が隣で弾んだ声を上げた。結局、家が近い二人は一緒にこの塾までやってくることになったのだ。

「さあさあ、早速中に入ろうよっ!」

 心なしかウキウキしているように見える彩音に手を引かれ、崇史はしぶしぶといった風情で中に入る。どんなに建物が綺麗だろうと、この中でやることは同じ。つまりは勉強なのだ。

 憂鬱な面持ちで自動ドアを抜けると、なるほど新築なだけあって壁も床もピカピカだ。部屋の中央付近にカウンターがあり、そこが受付になっているのが見える。

「あの、チラシをもらってここまで来たんですけど……」

 崇史の家に届いたものと同じチラシを見せながら、彩音が受付の女性に話しかけると、女性はにこやかな笑顔で応対してくれた。

「入塾希望の方ですね? 午前九時から入塾テストが始まりますので、一〇三教室へどうぞ」

「入塾テスト!? そんなもんやるんですか?」

 崇史が驚いて素っ頓狂な声を上げると、彩音は呆れたように溜息をついた。

「ちゃんとチラシに書いてあるじゃん。読んでこなかったの?」

「…………」

 実を言うと、なるべく目に入れたくなかったので、わざと読まないようにしていたのだ。しかしその話を聞いて、崇史の胸にも一縷いちるの希望が沸いてきた。

「じゃあ、もしテストの点数が悪かったら、この塾には入れないんですね?」

「いいえ、入塾テストは現在の生徒さんの実力を見るためのテストですから。入塾テストの結果を参考に、AからEまでのどのクラスに入るのかを決めるんです。どんなに結果が悪くても、入塾出来ないなんてことはありませんので、ご安心ください」

 ささやかな希望は、一瞬にして打ち砕かれた。

「ほら、行くよ」

 ショックで固まっている崇史を尻目に、彩音はさっさと一〇三教室へと行ってしまうのだった。


 テスト科目は国語、英語、数学、それに理科と社会から片方を選び、その中から二科目を選択して受け、合計五科目である。正規の塾生も二ヶ月に一度同じ試験を受け、その成績によって常にクラスが変わるらしい。

 崇史は社会系科目の中から日本史と政治経済を選択した。

 AクラスからEクラスまで全ての生徒が受けるというこのテストは、初歩的な問題から発展的な内容まで取り扱っており、後半の問題などは崇史では手も足も出ない。悪戦苦闘しながらそれでも何とか解き進め、最終科目の政治経済が終わるころには、外はもうすっかり暗くなってしまっていた。

「そこまで!」

 試験官の鋭い声を合図に、張り詰めていたその場の空気が数々の溜息とともに緩んだ。途中休憩を挟んだとはいえ、約九時間もの間机にかじり付いて問題を解くなど、崇史としてはそう何度もある体験ではない。疲れ切ったように深い息をつくと、崇史はひんやりとした机に頭を預けた。

「お疲れ」

 解答用紙が回収されると、隣に座っていた彩音が笑いながらぽんと肩を叩いてきた。

「どうだった?」

「出来た気がしない……。ってか、頭がパンクしそうだ」

 崇史が普段の三倍くらい重く感じる頭を軽く左右に振ると、彩音の方へ視線を向けた。

「彩音は?」

「んー、あたしはまあまあかな」

 なんて言いつつ、顔を見る限り結構出来たんだろう。どこか満足げな雰囲気が漂っている。

「彩音だったらAクラス行けるかもな」

「Aクラス? 冗談言わないでよ。あたしは最初からBクラス狙いだから」

「そうなのか?」

 向上心のある彩音にしては珍しい台詞だ。思わず帰り支度の手を止めた崇史に、彩音は苦笑を返す。

「この塾のAクラスがどれだけ凄いか知らないの? これだけ生徒数がいるこの塾でも、文理合わせてたったの八人しか入れない超少数精鋭のクラスなの。このクラスに入れれば、もう東大や医学部への合格は決まったようなもんだとさえ言われてるんだから」

「ふぇー……」

 スケールが違う。

 話の内容に圧倒されている様子の崇史に、彩音はひっそりと溜息をつく。

「まったく、警察も頭を悩ますような難事件は解けるのに、どうしてそれが勉強に生かせないのかねぇ、この男は」

 彩音が言っているのは、以前、崇史たちの通う条星院高校で起こった連続殺人事件のことである。見事に犯人を突き止めて見せたその実力は、東大だとか医学部だとか、そんなもの比にならないほど凄いものだと彩音は思っているのだが。本人には全くそんな自覚がないのである。

「さ、もう帰ろ。結構遅くなっちゃったし。暗い中あたし一人じゃ危険だし、崇史と来てよかったかも」

 気づけばもう教室内にはほとんど人も残っていない。帰り支度も終えたことだし、彩音の言うとおり帰ることにしよう、と椅子から腰を上げた、そのときだった。

「あの」

 不意に背後から声をかけられる。

 振り向くと、崇史と同年代くらいの、細身の男子生徒が立っていた。

「これ、落としましたよ」

 人の良さそうな笑みを浮かべながら差し出された男子生徒の手には、崇史のペンケースが乗っかっていた。どうやら、帰り支度をする際に落としてしまったらしい。

「あ、どうも」

 崇史は頭を掻きながらペンケースを受け取った。

 その男子生徒とは、本来ならそれまでの関係だっただろう。しかし彼は、ペンケースを崇史に返した後、少し何かを考えるような素振りを見せ、「この塾に入るの?」と崇史へと話しかけてきた。

「ああ、そのつもりだけど。でも、俺頭悪いから、たぶんEクラスだな」

「いいんじゃない? Eクラスから初めて、最後にはAクラスまで上り詰めた人も過去にはいたって聞いたことがあるよ」

 男子生徒はそこで少し言葉を切った。

「僕もこれからこの塾に入るつもりなんだ。名前は宗像尚むなかた なお。よろしく」

「ああ、俺は緒方崇史。んで、こっちは麻島彩音っていうんだ」

「よろしくー」

 隣にいた彩音を紹介すると、彩音は愛想よく答えた。崇史に対しては遠慮なく乱暴な面も多々見せる彩音であるが、基本的にそれ以外の人物に対しては概して愛想がいい。

「同じクラスになったらよろしくね。あ、でも崇史とは同じクラスにならない方がラッキーかな。どうせEクラスだし」

「おい! 俺がEクラス決定みたいな言い方すんなよ!」

「自分で言ってたことでしょ?」

「そりゃそうだけどさぁ、他人に言われるとむかつくっていうかなんていうか……」

 崇史と彩音のやり取りを見て、尚はおかしそうに笑った。

「仲がいいんだね、二人とも」

「今のやり取りをどう見たらその言葉が出てくるんだよ……」

 とはいえ、同じような言葉を掛けられるのはこれが初めてではないだけに、尚の言葉には多少の説得力もあるのだった。「喧嘩するほど仲がいい」とこれまで何度も言われてきた。

「つーか、もういい加減帰ろうぜ。宗像……くんは家はどっちの方なんだ?」

「呼び捨てでもいいよ。家は尾賀江おがえ駅の方」

 尾賀江駅は崇史たちと帰る方向が途中まで一緒なので、尚を加えた三人で帰路につくことにした。

 建物内は明るく、正規の塾生はまだ大勢自習室に残っている。よくやるよなあ、と思いつつそれを横目で眺め、自動ドアを抜ける。外はすっかり暗くなり、街は街灯に彩られていた。

 今日はよく頑張ったなぁ、と空を眺めながら伸びをする。その様子を無言で眺めていた尚は、切り出すようにゆっくりと尋ねた。

「ねえ。さっき、教室でさ、警察も頭を悩ますような事件を解決した、って言ってたよね? その話、詳しく聞かせてくれない?」





 一週間後、緒方家に一通の封筒が郵送されてきた。送り主は秀麗ゼミナール。そう、崇史と彩音が受けた入塾テストの結果である。

 崇史と母親、そして何故か上がり込んできていた彩音の三人が見守る中で、崇史はゆっくりと封筒を手に取った。自分でも少し緊張しているのが分かる。

「ほら、さっさと開けちゃいなよ。どうせEクラスなんだしさ」

 人の気も知らずに、彩音が意地悪い笑みを浮かべながら言う。彩音の家にも封筒は届いていて、彩音は狙い通りにBクラスに合格していた。既に結果が分かっていて、なおかつそれが狙い通りのものだった彩音の余裕が今はとても恨めしい。

「ほらほら、彩音ちゃんの言うとおり、早く開けちゃいなさい。別にEクラスでも怒らないから。むしろ、そこから成績を上げていくために塾に行くんでしょ」

 せっかちな性格の母親も同じように急かしてくる。別にEクラスでも構わないという言葉に、心なしかほっとする崇史であった。

 彩音は日ごろからコツコツと勉強しているからこそ学校で学年百位以内に入ったり、秀麗ゼミナールでBクラスに入れたりするのだ。崇史も日ごろから頑張っているサッカーでならそれなりの結果を残せる自信はあるし、実際チームとしてはかなりいい成績を収めている。だが、勉強となるとそんな自信は皆無だ。大して努力もしていない事柄で、簡単にいい結果が出せると考えるほど、崇史は夢想家ではない。

 せめてDクラスに合格していますように、と自分でもほぼ無駄だと思える祈りを込めながら、崇史は封筒を開けた。中に入っていたのは、少し厚めの紙一枚。

「結果だけじゃなくて、それを分析して色々アドバイスをくれたりするんですよ。あたしもちょっと参考になりました。自分の苦手分野とかも分かったし」

 彩音が崇史の母親に説明している通り、取り出して見てみると、各教科の成績と苦手分野、今後の勉強の方針のアドバイスなどが事細かに書いてある。が、それらはほとんど崇史の目には入らなかった。

 目に入ったのはただ一つ、紙の一番上にでかでかと書かれた一文のみだった。


『入塾ありがとうございます。緒方崇史さんのクラスはAクラスです』


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ