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殺意の方程式  作者: 虹宮
11/14

第九問、犯人は誰なのか

 塾長室を出た崇史と尚は、そのまま一階の視聴覚室へ向かうことにした。

 崇史が手にしているDVDを不思議そうに眺めながら、尚が口を開く。

「その監視カメラの映像が、何かの手がかりになるの?」

「ああ、ちょっと確かめたいことがあるんだ」

 崇史は顔を引き締めながら答えた。崇史の考えが正しければ、この映像によって容疑者の幅はぐっと縮まるはずだ。

 尚は「ふうん?」と腑に落ちない顔をしていたが、それ以上を聞こうとはしなかった。


 視聴覚室は一階の西側の隅の方にある。

 視聴覚教材などを使った授業を行うときに使用する教室らしいが、少なくともAクラスの授業カリキュラムには視聴覚教材を使った授業はなかったはずだ。

 あまり使う頻度の多くない教室なのだろうと思って教室の前まで行くと、意外にも中の明かりがついていた。

「誰かいるのかな?」

 尚が首を傾げながら引き戸に手をかけた。

 引き戸が開いた先にあった部屋は、ごくごく小さな、二十人程度しか入れないような普通の小教室だった。他の教室と違うのは、教室の前方に大きな白いスクリーンがあるところだ。教室後部には映写機もあるから、恐らくこのスクリーンに映像を映して見るのだろう。

 そしてその部屋の真ん中に、烏丸京介と秋山愛が座っていた。

「おっ、緒方と宗像じゃん」

 先に崇史たちに気付いた京介が片手を上げてみせた。

「どうしてこんなところに?」

「そりゃこっちのセリフだ」

 崇史は呆れ顔で返した。

「俺たちはちょっと見たいDVDがあったから来ただけで。二人こそどうしてこんなところにいるんだよ」

 崇史の言葉に、京介と愛は顔を見合わせた。

「だって六階や七階は警官ばっかで息が詰まるし。だから一階に下りてきたんだよ。んで、手頃な大きさの教室っていったらここが浮かんでさ。下位クラス用の自習室じゃ広すぎるし」

 その広すぎる自習室に、不破舞子はまだいるのだろうか。

 ふとその顔が浮かんで、崇史は胸を痛めた。

「えっと、それで緒方くんたちが見たいDVDって何? 何かの映画?」

 それまで黙っていた愛が小声で聞いた。

 そんな牧歌的なものではない。崇史は頭を掻いた。

「田淵が殺された日の、監視カメラの映像だよ。ちょっと確かめたいことがあったから、塾長に頼みこんで貸してもらったんだ」

 崇史の言葉に、京介と愛は驚いたように顔を見合わせた。

「頼み込んで貸してもらったって……そんな簡単に貸してもらえるものなのかよ?」

 普通は無理だろう。

 高塚が崇史の過去の実績を知っており、放火事件の調査の依頼を頼んでいたからこその待遇だ。

「僕から口添えしたんだよ。何だかその監視カメラの映像が、重要な意味を持っているかもしれないらしいって聞いてね」

 崇史をフォローするように尚が言った。

 実際は尚が口添えをするまでもなかったのだが、とりあえずはこう言っておいた方が収まりがいいだろう。

「そっか、宗像くんは高塚塾長の甥なんだよね。だったら塾長も多少のことなら聞いてくれるかも」

 愛が納得したように言った。

「それで、これからその映像をここで見るんだよな?」

「ああ、そのつもりだけど」

 京介と愛は互いに視線を交わし、小さく頷いた。

「俺たちにも見せてくれ。その映像」

「え?」

「何か手掛かりが映ってるかもしれないんだろ? その映像には」

「ああ」

 崇史が答えると、今度は愛が口を開く。

「だったら、私たちもそれ、見てみたい。その中に、みんなを殺した犯人を突き止める鍵があるなら」

「秋山……」

「緒方くん。私たちね、ここでずっと話してたんだよ。私たち自身のこととか、殺された人たちのこととか」

 愛は一旦言葉を切って、それからじっと崇史を見据えた。

「緒方くんには、夢はある?」

「は?」

 急に話の矛先が変わって崇史は戸惑うが、愛は話を続けた。

「私はね、お父さんの会社を継ぎたいと思ってる。会社っていっても、従業員数十人くらいのとても小さな会社だけど。でも、お父さんが作り上げてとても大切にしてきた会社なんだ。だから、お父さんが退いた後は、私のその跡を継ぎたいなって。お父さんの会社を、今よりもっと大きくしたいなって。そう思って、今頑張って勉強しているの」

 いつもは寡黙かもくな愛の、思いもよらぬ情熱的な面を見せられ、崇史は言葉が出なかった。

「俺の夢は、外交官。やっぱ今は国際化社会っていうだろ。だから、世界を股にかけて活躍したいと思うんだ。そう思ってTOEICなんかも頑張ってて、今じゃ八百点近く取れるようになったんだぜ。世界は広いっていうだろ。いろんな世界を、自分の目で見てみたいんだ」

 愛に続いて、京介も語る。そしてそれに触発されるように、尚も。

「僕は川上さんと一緒で、医者になりたい。父さんと母さんが医者で、開業医をやってるんだ。小さな頃、風邪をひいたりしたとき、父さんも母さんも優しく看病してくれた。あんな風に病気の人を勇気づけて、治してあげられる医者になりたいって、そう思ってるよ」

 みんな夢を持っている。そしてそのために努力もしている。

 崇史には彼らが、とても眩しく思えた。

「不破さんの夢は弁護士。川上さんは医者。橋本くんはシステムエンジニアになりたいって言ってたし、田淵くんは量子力学の研究者になりたいって言ってた」

 愛が静かに語り出す。

「みんな夢があったんだよ。でも、田淵と川上と橋本は殺された。何かになりたいって、そう思ってた夢も全部踏みにじられた。あんま仲はよくなかったかもしれないけど、一緒に夢を追ってた仲間として、許せないよなって、そういうことを話してたんだよ」

 京介が引き継ぐように言った。

「だから、俺たちも三人を殺した犯人は絶対に見つけたい。そのための助けになるかもしれないなら……俺たちにも見せてくれないか。その映像」

 心のどこかで、冷たい奴らだと思ってた。

 仲間意識なんてないと思ってた。

 でもそれは、表層しか見ていない自分の、愚かな過ちだったのだ。

「ああ、いいぜ。一緒に見よう」

 どこかすっきりしたような笑顔で、崇史は言った。


 薄暗い室内を切り裂くように、光の筋が伸びる。

 その先で、たった数日前の出来事が像を結んでいた。

 入口付近の監視カメラ。その映像が映し出されている。映像は、午後六時あたりから始まっていた。

「事件のあった時間まで進めるぞ」

 崇史が誰ともなく言うと、誰かが頷く気配がした。

 早送りボタンを押し、映像の中の人の流れが高速に変わる。しばらく進めたところで、映像内の雰囲気が変わった。塾生たちが入り口付近に集まり始めたのだ。

「ここら辺からか」

 崇史が早送りボタンを押すのをやめると同時に、映像の中に崇史自身が現れた。

 急いで走ってきた様子で、肩で息をしながら立ちつくしている。崇史の視線は、外の方へ向かっている。監視カメラからは直接見えないが、恐らく田淵政人の死体を見ているのだろう。

 崇史に続いてやってきたのは、不破舞子。立ちつくす崇史よりも更に数歩進み出て、崇史と同じ方向を見ている。やがて両手で口を押さえ、そのままよろよろと数歩下がった。

 そんな舞子を抱きとめるように、三番目にやってきた橋本昌司が画面に現れた。自分が昌司に支えられていると知った舞子は、少し怒ったように昌司の手を振り払う。

「……ねえ、どうしてみんな一人ずつやってくるのかな。みんなで一斉に出て行ったんじゃなかったっけ?」

 小さな声で、愛が囁いた。

 愛はこのとき、一人だけずっと教室に残っていたのだ。だから映像内の状況に関して、あまり情報がないのだろう。

「六階の改札機だよ。あそこを抜けるには、いちいち塾生証をタッチしなきゃならないだろ? そのせいで一人ずつしか通れなくて、到着に微妙に時間差がついてるんだ」

 京介の説明に、愛はなるほどという顔をした。

 スクリーン上では、四番目の到着者である川上美弥が現れていた。政人の死体があるとおぼしき場所を見て硬直している。そしてゆっくりとその方向から目をそらした。

 それから一名の講師を伴って、高塚がやってきた。中野の知らせを受けて駆けつけてきたのだろう。崇史に何事か話しかけている。確か、「警察に連絡は?」と聞かれたのだったと思う。映像の中で、崇史が小さく頷いていた。

 その次にやってきたのは、宗像尚。他の者たちと同じように死体のある方向を見て身を硬くしている。だがそれから、彼はゆっくりと進み出て画面から消えた。政人の死体の方へと行ったのだ。崇史はこのときのことをよく覚えていた。尚は政人の死体の傍に屈みこみ、脈をとったのだ。おそらくもう死んでいることは尚にも分かっていたであろうが、一応確認を取ったということだろうか。尚はしばらくして再び画面上に戻り、無言で首を振った。

 最後に現れたのは烏丸京介だ。秋山愛は教室に待機していたから、塾生の中では彼の到着が最後ということになる。京介は他の者たちよりも遠巻きに政人の死体のある方を眺め、そして大きく顔を歪めた。

 その後、騒ぎを聞きつけた講師や塾生が多く集まってきて、場はにわかに混乱し始めた。高塚が落ち着かせようと奮闘しているが、収拾がつかなくなってきたところで警察がようやくやってきて、場の混乱は警官達の的確な指示によって徐々に収まっていく。

「ここまでで、いいな」

 崇史は呟き、映像を止めた。





 崇史は尚、京介、愛の三人と別れ、六階にある自分の自習室に籠っていた。

 先ほど見た監視カメラの映像の情報を頭でまとめる。あの映像によって、崇史の中で、容疑者はかなり絞れてきていた。

 しかし、崇史以外の三人は、監視カメラの映像のどこが手がかりになるのか全く分かっていないようだった。

 どこが手がかりになるのかとさんざん聞かれたが、崇史は明言を避けた。あまり、いい印象を与えなかったかもしれないが、「緒方くんなりの考えがあるんだよね」と尚が言ってくれたおかげで何とかその場は落ち着いてくれた。

 もちろん、彼らにも犯人が特定できた暁にはそれを知らせるつもりだ。だがそれまでは、いらぬ疑いを抱かせてしまうのが嫌だった。特に、仲間を想う気持ちを聞いた直後だったから。

(あと少しだ……)

 崇史は思いながら、小さく息をついた。

 あと少しというところまで、犯人を追いつめているのは分かるのだが、それでもあと一歩が足りない。もどかしい思いで、崇史は下唇を噛んだ。

 少し気分転換をしようと廊下に出てみることにした。

 崇史以外の塾生はこの階にはいないようで、しんと静まりかえっている。

 何気なしに廊下を眺めていると、ふと美弥が殺害されたときのことを思い出した。あの日、美弥が殺された後から、何故か崇史たちの自習室がある辺りの廊下だけ綺麗になっていた。

 結局あれは、どういうことだったのだろう。

 綺麗になっていたということは、誰かが掃除をしたということだろうか。美弥の事件の直後から綺麗になっていたことを考えると、掃除をしたのは犯人という可能性が高い。

 何故掃除をしたのか。何か、痕跡を残してしまったということだろうか。

「……あ」

 ふと美弥が殺害されていた現場の様子を思い出した崇史は、思わず声をあげた。犯人は、あるミスを犯したのだ。お粗末といえばあまりにお粗末なミスだが、あり得ないことはない。

(この床を調べてもらえば、犯人が分かるかもしれない!)

 崇史は興奮気味に、目を輝かせた。

 早く宝井にこの考えを話してみようと思った。宝井は威圧的なようでいて、犯罪を憎み、解決したいという思いは人一倍だ。そのために必要ならば、崇史のような素人の意見でも聞き入れてくれるだけの柔軟性は持っている。

 崇史は宝井を探そうと一歩を踏み出した。その瞬間。

 ぐちゃ、というやけに大きな、嫌な音が廊下の開いた窓の外から聞こえてきた。続いて、甲高い悲鳴。

(……何だ?)

 嫌な予感が胸を掠める。似たような音を、悲鳴を、崇史は数日前にも聞いていた。

 崇史はそのままダッシュで窓辺まで駆け寄る。見下ろすと、ほんの数日前、田淵政人がそうなったように、校舎の目の前に何者かが横たわっていた。ペンキをぶちまけたかのような赤が、鮮烈な印象を与える。

 視力には自信があった。だから崇史は、六階からでも、それが誰なのかすぐに分かった。

「……嘘だろ」

 思わず唇から言葉がこぼれた。そして、その名を叫んだ。

「高塚塾長っ!」









 一日に二人も、それも警察がいる状況で殺されたとあって、捜査陣はピリピリしていた。

 再び昌司が殺されたときのように全員が一カ所に集められ、一人ずつ事情聴取を受ける。崇史はその中で、一番最後に名を呼ばれた。

 事情聴取用に警察が借りた教室に入ると、いつもと同じように、宝井のみが座っていた。

「これで四人目だ」

 崇史が入ってくるなり、苦々しい顔で宝井が言った。

 崇史は小さく頷くと、宝井の前の席へと座った。

「今回も、川上美弥のときのように自殺に偽装させられていた。被害者が落下したのは七階の塾長室の窓からだったが、その塾長室に遺書が置かれていたんだ」

 宝井は吐き捨てるように言う。

「遺書は川上美弥が殺されたときのものと同じく、プリントアウトされたもの。警察を舐めるなと言いたいな。同じ手が二度も通用すると思っているのか」

 遺書は発見されたが、捜査陣の中にその死が自殺だと思っている人間は一人もいない。

「死因はやっぱり、墜落死ですか?」

 崇史が聞くと、宝井は静かに首を横に振った。

「俺もはじめはそう思った。が、高塚秀次はどうやら、七階の窓から落とされた時点で既に死んでいたらしい。つまり、犯人は死体を窓から投げ落したんだ」

「……じゃあ、本当の死因は?」

「頭部を何かで殴られたことが直接の死因らしい。頭蓋骨陥没だ。落下の際の傷とは明らかに違う傷があった。頭部に何か陶器や焼き物の破片のようなものが微量ながら刺さっていたから、凶器もほどなく特定できると思うが……」

 流石の手際だと言わざるを得ない。

 崇史は警察の仕事の早さに感心していたが、宝井の表情は冴えない。

「ただ、今回も犯人が絞れるかどうかとなると分からん。犯人が高塚秀次が落下した瞬間、塾長室にいたのは間違いない。だから、その瞬間アリバイのあるものは容疑者から外れるんだが、相変わらずここの塾生や講師は単独行動が多い。過去三件の殺人の容疑者全員に、アリバイが成立しなかった」

 宝井は苛立たしげに頭を掻くと、崇史をまっすぐに見据えて言った。

「お前、最近塾長室に入ったことあるな」

「ええ、まあ、何度か。今日も入りましたし」

「そうか。あまり他の塾生や講師は入ったことがないらしいんだ。だから、ちょっと協力してくれないか。凶器はもしかしたら、塾長室に元々あったものかもしれないんだ」

 宝井の言葉に、崇史はピンと来るものがあった。

「陶器か何かが凶器かもしれないんですよね? 犯人が予め準備していたにしては、あまりいい凶器とは言えない。殴り殺した後、破片が飛び散ったりして始末が大変だし。つまり、橋本のときと同じく、凶器は塾長室に元々あったものを使った可能性が高い」

「そうだ。今回も突発的な犯行のセンが濃いと思っている。だから最近塾長室に出入りしたというお前に、何か無くなっている者がないか確認してもらいたいんだ」

 つまり、現場である塾長室に入れてもらえるということ。

 崇史としては願ってもない申し出だったので、二つ返事で頷いた。


 それから崇史は、もう一人塾長室によく出入りしていた宗像尚を加えて、二人で現場へと向かうことになった。

 叔父を亡くした尚は無言のまま、強張った顔で崇史の隣を歩いている。前を進む宝井の頭の辺りに視線を固定させながら。

「大丈夫か?」

 崇史が小声で聞くと、尚ははっとしたように視線を崇史に向け、口許に少し笑みを浮かべた。

 ただ、やはりそれはどこかぎこちなく、ややいびつな印象だ。

「……うん、平気。今は叔父さんを殺した犯人を見つけることに専念しないとね」

 言ってから、ぽつりと小さな声で付け足した。

「……さっきまで、生きてたのに」

 監視カメラの映像が入ったDVDを借りたとき。尚が母親から預かったという水羊羹を渡したとき。ほんの数時間前には、確かに高塚秀次は生きていたというのに。

 尚の悔しさが何となく分かる気がした。

「着いたぞ」

 前を行く宝井が言った。


 塾長室の中は、少し前に訪れたときとほとんど変わっていないように思えた。

 変わっていることといえば、主がいないことと、その代わりに多くの警察関係者が出入りしていることくらいか。

 崇史と尚は、部屋の中央に立って部屋中をぐるりと見回してみた。

 部屋が荒らされている様子もなく、高塚の生前と同様、整然とものが置かれている。

「うーん、事件前とあんまり変わってないように見えるけど」

 崇史が困ったように声を上げ、尚の方を向くと、尚はどこか一点をじっと見つめているようだった。そして「どうして」と小さく呟いた。

「え、どうかしたか?」

 聞きながら尚の視線の先を見てみると、そこには綺麗なガラス製の灰皿が置いてあった。

「この灰皿がどうかしたのか?」

「……僕も叔父さんが生きてた頃のこの部屋の中を、全部正確に覚えているわけじゃないから、断言は出来ないんだけど。あの灰皿、叔父さんが生きてたときはなかったんじゃないかな」

「何!?」

 尚の言葉を受け、宝井が色めきたった。

「何でそう思うんだ?」

 崇史が冷静に聞くと、尚は視線をその灰皿に向けたまま口を開いた。

「叔父さん、タバコは吸わないんだよ。健康に悪いからって、昔から」

「来客用かもしれないぜ?」

「いや、目の前で吸われるのも叔父さんは嫌がってたから。副流煙とかあるでしょ。だからたとえ来客が来ても、吸えないようにって、自宅の応接室にも灰皿は置いてなかったんだ」

 ならば、塾長室に灰皿が置いてあるのも変だ。

 と、そこで崇史はあることに気がついた。

「でもさ、塾長は灰皿持ってたぜ。今ここに置いてあるガラス製のやつじゃないけど。なんか、焼き物っぽいやつ」

 そこまで言って、崇史ははっとした。

「そうだ。その焼き物の灰皿がないぞ!」

「何!」

 宝井が再び声を上げた。

「塾長を殺した凶器って、陶器や焼き物のようなもの、なんですよね。それで、焼き物の灰皿が消え、ガラス製の灰皿が現れた。これって……」

「犯人が焼き物の灰皿で高塚秀次を殺し、代わりにガラス製の灰皿を置いたということか!」

 崇史が最後まで言う前に、宝井が言葉を引きとった。

「そう。もしかすると、校舎の入り口近くに置いてある監視カメラの映像をチェックするといいかもしれない」

 崇史の付け足しに、宝井は不思議そうな顔を向ける。

「犯人は焼き物の灰皿で塾長を殺した。凶器がその場にあった物の間に合わせであることから、今回の殺人も橋本のときと同じく、突発的なものの可能性が高い。だとしたら、このガラス製の灰皿はどこから現れたと思います?」

「そうか! 犯人が高塚秀次を殺した後、外に買いに出かけたんだ!」

 灰皿がなくなっていては怪しまれると思ったのだろう。犯人としては、今回の殺人は自殺に見せかけたかったのだから。本来の死因が暴かれるのは避けたいはずだ。

「よし! 監視カメラのチェックだ!」

 宝井は鋭い声で部下に指示すると、慌ただしく部屋を出て行った。

 残されたのは、崇史と尚の二人だけ。

「……あの焼き物はね、灰皿じゃないんだよ」

 しばらくして、ぽつりと尚がこぼした。

「あれは、自然教室で正臣が作ったものなんだ。灰皿じゃなくて、ただの小皿。料理を乗せるためのね。多分、こんなところにあるから灰皿に見えちゃったんだろうけど」

「ただの小皿? 何で塾長はそんなものをここに……」

 言いかけてやめた。すぐに理由を察することが出来たから。

 高塚は、息子の遺品を身近に置いておきたかったのだろう。そしてこの塾長室に置くものとして、小皿を選んだ。少し見た限りでは、灰皿に見えるだろうと考えてのことだろう。

「昔、うちの家族と、叔父さんの家族で一緒に自然教室に行ってね。そのときに作ったもので、僕も同じようなのを持ってるんだ」

 尚の表情は険しい。

「正臣が作ったもので、叔父さんを殺すなんて。許せない……あんまりだよ……」

 親しかった親類を二人も亡くした尚にどう声をかければいいかも分からず、崇史はその場に立ちつくしていた。


 結局、監視カメラをチェックしても犯人を絞りきることは出来なかった。

 不破舞子、烏丸京介、秋山愛、宗像尚、中野澄香。主要な容疑者五人は全員、一度は塾外へ出ていたのだ。

「僕はコンビニに寄っただけなんだけど。レシートとか捨てちゃったし、証明は出来ないね」

 何故外に出たのかを聞かれ、尚は溜息交じりに答えた。

 崇史たちはあの後、塾長室を離れ、校舎内の関係者全員が集められた一階のエントランスに来ていた。警察は容疑者たちをある程度自由に行動させていたのを失態と思ったようで、今はこのエントランスから一歩も出ないように言われている。

 崇史は、視線を尚から隣にいる烏丸京介へと移す。

「俺? 俺もコンビニだけど。夕飯食べ損なったし」

「あたしも。校舎内にばかりいると気が滅入るしね」

 不破舞子が同意する。

 もう表面上は立ち直っているように見えるが、その目は腫れぼったく、彼女の激情の跡をはっきりと残していた。

「私は、自動販売機でジュースを買ったの。夕飯はいいやと思って。食欲なかったし」

「もう。ちゃんと食べなきゃだめだよ。これ以上痩せてどうすんの」

 少し怒ったような顔で、舞子が愛に言いながら軽くデコピンをする。

「自動販売機なら、校舎の一階にもあったはずだけど?」

「うん。でも私が好きなジュースは外の自動販売機にしかないから」

 崇史の言葉に、愛は小さく頷きながら答えた。

 それから崇史は、視線を中野の方へ向ける。

「……中野先生?」

「え? ああ、ごめんなさい」

 心ここにあらずといった様子だった中野がはっと我にかえったような表情になる。

「外に出た理由だったわね。私もみんなと同じよ。コンビニに行ってたの」

「そうですか」

 言いながら、崇史は中野の顔を覗き込む。ここ数日、最も疲れた顔をしているのは中野だ。それに加え、塾長の死にかなりのショックを受けているようだった。

「中野先生、大丈夫ですか?」

 心配そうな京介の声が聞こえた。

 中野は蒼白な顔で微笑む。無理して笑っているようにしか見えなかった。

 そしてその笑みを貼り付けたまま、信じがたい言葉を口にした。

「……私の父はね、人殺しなの」

「……え?」

 その場にいる全員の顔が硬直した。

 中野はそれに構うことなく、話を続ける。

「元々、酒に酔うと何をしでかすか分からない人だった。普段は普通の人だったんだけど、お酒が入ると豹変しちゃうのね。それで、ある日酒に酔って見知らぬ人に喧嘩を吹っ掛けて、相手を殴り殺してしまった」

「…………」

 突然始まった身の上話に、どう反応していいか分からない。

 中野は、大きな溜息をついた。

「そのとき、私、東大在学中だったのよ。私もここのAクラスのOGで、無事志望校の東大に合格できた。私の目の前には、輝ける未来が待ってるはずだった。でも、父が起こした事件のせいでみんな台無し。就職のとき、せっかく受かった会社に、父の事件を理由に内定を取り消されたわ。あのときは悔しくて悔しくて、頭がどうにかなりそうだった!」

 溢れ出る思いをぶつけるように、だんだん中野の声量は上がっていった。

「内定を取り消されて就職が出来ず、どうしようかと途方に暮れていたときに、手を差し伸べてくれたのが高塚塾長だった。うちで働かないかって。後輩のために頑張ってみないかって。そう言われて、どんなに嬉しかったか」

 ついに中野の瞳から、涙がぽろりと零れ落ちた。

 そしてその瞳を、崇史の方へとゆっくり向けた。

「ねえ、緒方くん。この塾の……秀麗塾の名前の由来、知ってる?」

「え……」

 いきなり話しかけられた崇史は驚いて戸惑った。

 二転三転する話に、中野の言いたいことが分からなくなる。

「確か、『秀麗』って優れてて美しい、みたいな意味ですよね。そこから取ったんじゃないですか?」

 崇史の言葉を受け、中野は京介や愛、舞子の方へも顔を向ける。

 みんな、同じようなことを考えているらしかった。

「宗像くんは? 高塚塾長から何か聞いてない?」

 最後に聞かれた尚は、少し苦しそうな顔で口を開いた。

「……秀次叔父さんの、奥さんの名前が、麗子れいこさんというんです。しばらく前に病気で亡くなりましたけど。秀次と麗子で始めた塾だから、それぞれの名前から一文字ずつ取って、『秀麗塾』と。そう名付けたと、むかし叔父さんが話してくれました」

「……そう。高塚塾長にとって、この塾は奥様と作り上げた大切な場所。そしてここに通う塾生は、自分たちの子供のようなものだと、高塚塾長は言っていた。だから、『私の大切な子供たちを、よりよき道へ導く手伝いをしてほしい』と、そう言われたとき、とても感動したの。みんなの目には少し厳しく映ったかもしれないけど、それでも誰よりもこの塾と塾生のことを考えていた、素晴らしい方だった」

 あの人が、もうこの世にはいないなんて、と呟いて中野は再び涙を流した。


「……ねえ、塾長は、あの小皿で殺されていたって本当なの?」

 しばらくの沈黙の後、愛がぽつりと呟いた。

 全員の視線が、愛へと集まる。

「さっき警察の人が、校舎の裏手から凶器らしきものが見つかったって言って見せてくれたじゃない」

 確かに、中野の話を聞く前に、宝井たちがやってきて「凶器らしきものを回収しました」と言って、見せてくれていた。どうやら校舎の窓から外に向かって投げ捨てられていたようだ。回収された破片を見るに、あの灰皿のような小皿で間違いないようだった。

「ああ、まず間違いないな」

 崇史が言うと、愛が深い溜息をついて目を閉じた。

「秋山? あの灰皿がどうかしたのか?」

 心配げに京介が声をかける。

「そういえばあの灰皿、塾長室のものにしてはちょっと安っぽい感じだったわよね」

 ふと独り言のように呟いた舞子に、愛は小さく首を振った。

「あれは、灰皿じゃないの。料理を取るための小皿なんだって。……正臣くんが作った」

 愛の言葉に、崇史と尚を除く全員の顔が強張った。

「本当に?」

「間違いないよ。僕も一緒に、正臣と自然教室で小皿を作ったから。あれは、正臣と秀次叔父さんの思い出の品なんだ」

 舞子の言葉に、尚が代わりに答えた。

 既に愛は泣いていて、答えられそうになかったから。

「たまたま、塾長室に用事があったときに、塾長に教えてもらったの。大切なっ! 物だって! そう言ってたのっ!」

 泣きじゃくりながら、愛が言葉を紡ぐ。

 そしてそれを引きとるように、ほんの少し前に尚が口にした言葉を、京介が引き継いだ。

「許せない……あんまり、だよな……」







 その晩、ようやく家に帰ることを許された崇史が家に辿り着いたのは、深夜になってからだった。

 いろんなことがありすぎた一日を振り返り、目を瞑る。と、机の上の携帯電話が音を鳴らし始めた。

「……電話、か」

 崇史は重い頭を軽く振りながら、机の上のそれを手に取ると、相手を確認することもなく通話ボタンを押した。

「あ、崇史? あたしだけど……」

 電話の奥から聞こえてきたのは、長らく聞いていなかった気すらする、幼馴染の声。

 何だか非現実から現実に戻ってきたような気がして、崇史は思わず微笑んだ。

「彩音か。どうした?」

「いや、今日もいろいろ大変だったみたいだったから。大丈夫かなと思って……」

 こんな些細な心遣いが嬉しい。

 崇史は通話したままベッドに仰向あおむけになった。

「俺は平気だよ。ありがとな」

「何よ、変に素直ね」

「俺はいつだって素直だぞ」

「えー、どうかなぁ?」

 ひとしきり事件とは関係ない世間話をした。それは本当に久々のような気がして、崇史には新鮮に感じられるのだった。

「……ねぇ、今回の殺人のこと、まだ調べるの? これ以上は、崇史が大変じゃない?」

 言いたかったのはこれらしい。

 一度事件に足を突っ込むと、最後まで諦めない崇史の性格を知っての言葉だ。

「大丈夫だよ、問題ない」

「問題ないって言ったって」

「―――明日で終わる」

「え?」

 崇史の発した言葉に、彩音は思わず聞き返す。

「終わるって、何が?」

「事件がだよ。明日ですべてが明らかになる。だから、大丈夫だ」

「……それって」

「ああ」

 崇史はベッドに寝転がった状態で、微笑んだ。

「犯人が誰なのか、分かった」

 電話の向こうで、彩音が息をのんだ。

「火事の真相も、大体分かったよ。こっちははっきりとした根拠はないんだけどな」

「本当!?」

「ああ、今回の凶器は窓から外に投げ捨てられていたんだけど、宝井警部がふっとぼやいてたんだ。『そういえば、放火事件のときは、何故かほうきちり取りが校舎の裏手に散乱していたな』って」

 崇史の言葉が理解できなかったらしく、彩音が戸惑う気配がした。

「それが、火事の真相と関係あるの?」

「ああ、俺の推測があっていれば、な」

「やっぱり、火事と殺人には関係があったわけ?」

「それは分からない。犯人に聞いてみなきゃな」

 崇史は携帯電話を持っているのとは逆側の手を上にあげ、そしてぎゅっと拳を握りしめた。

「明日、何が何でも聞き出してやるさ。……もう、これ以上誰も殺させねぇ。絶対にな」

 終わりにしよう。

 崇史は心の中で、犯人に告げた。

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